17.傀儡人形(5)
話し合いの末、ローグが人海戦術でレイゾを探すのとは別に、ギルダスたちも独自にレイゾと彼の持った魔装具を追うことになった。
とりあえずゼノを殺したのはレイゾだという情報を流し、二人を狙う者の目をそらすとローグは言ったが、それ以上のことをする気はないらしい。その情報を信じない者に襲われても、自分たちでどうにかしろということなのだろう。
それ以外にもいくつかの取り決めを交わし、ローグたちは早々に引き上げていった。
ギルダスもサフィーナの部屋に残る理由もなく、また彼女が一人でいることを望んでいるようだったので部屋に戻ることにした。――黙ったままついてくるリゼッタを当然のことと思いながら。
「余計なことをしましたね」
部屋に戻るなりかけられた声に、ギルダスは渋い顔をした。リゼッタが、ローグに斬りかかったことを言っているのは、すぐにわかった。
「おまえが喧嘩売るようなこと言うからだろうが」
強硬そのままのリゼッタの言葉は、相手によっては喧嘩を売っていると思われてもおかしくない。
反論はなかったが、かわりに表情のない仮面を真っ直ぐに向けられる。途端、居心地が悪くなり、ギルダスは本能的に身を引いた。
が、すぐさま植えつけられた苦手意識を抑えつけて、渋々弁解に走る。
「最初っから殺す気はねぇよ。寸止めしてハッタリきかせようとしただけだ。それに、ああしなきゃおまえのほうがやられてたぞ」
剣気とでも言うのだろうか。リゼッタの言葉の途中から、スレイの体から穏やかではない気配が膨れ上がるのをギルダスは感じていた。
『魂精装具』を具現化したのも、それを察しての半ば反射的な行動だ。
「あの時点で、私を殺す意味はありません」
「楽観し過ぎじゃねえか? あんなこと言ったんだ。殺されてもおかしかないだろうが」
「殺す気だったのならあの場でなくてもよかったし、もっと効率的なやり方もあったはずです。それに、その気があったかどうかはあなたのほうが知っているはずですよ」
思わず声を詰まらせる。
リゼッタの言うように、ローグに自分たちを殺す気はなかったのだろう。取り囲む男たちはともかく、ローグとスレイの二人からは殺気は感じられなかった。もしそれがあったら、攻撃を防がれた時点でリゼッタを抱えて逃げの一手を打っているところだ。
案外、向こうも自分と同じことを考えていたのかもしれない――ギルダスは今になって漠然と思う。
その時はそんなことまで考える余裕がなかったので、万が一のことを考えて先手を打ち――結果としてスレイの実力が本物だと思い知ることになったのだが。
「だが、あのローグってのは油断ならねえな。腹の底でなに考えてるのかわからねえ野郎だ」
「そうですか? 私にはわかりやすいタイプですが」
「あん?」
「あくまで理屈に沿って利益を獲得しようとする堅実派であり、現実を見据えて次の一手を練る慎重派。それに、見栄よりも実を選び、目的のためには“多少”の犠牲もいとわない。……以上が私のローグに対する見立てです。ですので、最終的にはこちらの提案も受け入れるとは思っていました。あの場では保留になる可能性も予測していましたが」
「たった三度会っただけでよくわかるもんだな?」
「“今の”私とよく似ていますから」
得意気でもなく、淡々と。あらかじめ決められた台詞をなぞるように、リゼッタは言葉を紡いでいく。
「レイゾを取り逃がしたあの場に私たちがいたのは、彼にとっても都合がよかったはずです。彼がいま抱えている問題解決の足掛かりにもなりますから。それに、ある程度の実力を備えていないと、今のレイゾは捕まえることはおろか殺すこともできません」
「そりゃそうだが……」
自分たちを取り囲んでいた面々を思い出しながら、ギルダスは同意した。あの程度なら、よほど頭数を揃えない限り、逃がすか返り討ちにあうだけだろう。
「ゼノが殺された一件さえどうにかできれば、ローグは私たちが何をしていたかなどどうでもいいのです。それに、私たちも彼と力を合わせることは大きな利点になります。彼には“数”と“地の利”という武器がありますから」
「だがいいのか? あいつは『魂骸種』のことも知ってやがったぞ」
魔装具の延長線上の存在である『魂骸種』のことを知っているなら、魔装具のこともある程度知っていることになる。
両者は、聖封教会では異端とされている存在だった。この世にはあってはならないものだと。だからこそリゼッタのような魔装具を感知できる能力を持つ人間に、秘密裏に回収させていた。
「彼が一度でも、その名を口にしましたか?」
「あ……。いや、そいつは……」
口ごもるギルダスを、リゼッタの硬質の眼差しが射抜いた。
「ローグが話した程度のことなら、情報収集に力を入れている有力者ならすでに知り得ていることです。おそらくはレイゾの力を見て、今回の件とその情報に関連性があると推測したのでしょうね」
「ってこたぁ……」
「カマをかけられたのですよ。自分の推測が正しいかどうかを確かめるために」
そしてギルダスはそれに反応した。露骨に、と言うほどのものでもなかったが、ローグにもなにか隠していることは伝わっただろう。
「あなたが『魂骸種』に過剰な反応をするのはわかりますが、ローグは深いところまでは知らないはずです。魔装具の存在が発覚され次第、回収という今の教会のやり方ではどうしても情報は漏れますが、もし核心まで知っているようなら教会がなんらかの対処をするはずから」
「……しかしわからねぇな。なんでそんなカマかけなんかしたんだ。俺たちが何してたかなんてどうでもいいんだろ? 推測が正しいかどうかを知ったからって、得になるようなことでもあるのかよ?」
「ひとつは言葉通り、提案を受け入れたのが単なるその場しのぎでないのを証明するため。そしてもうひとつは、聖封教会の横槍を恐れての牽制でしょう。彼の立場を考えれば、混沌としたフォルテンの勢力図に新たな勢力が加わってほしくはないはずです」
内だけでも領主の表の権力の他に、ローグを初めとする裏の組織がいくつもある。さらに外からはコーラン、ルダスタン、セルランドの三国が少しでもフォルテンの交易における利権を拡大しようと目論んでいるらしい。これに聖封教会といった要素が加われば、先の予測がより困難なものになる。ローグとしては避けたい事態だろう。
「……で、おまえはそれを受け入れたってわけか。いいのか? そんなこと勝手に決めて」
「ローグは魔装具や『魂骸種』のことを何を知らない。聞いたこともない――私が受け入れたのは、そうした“事実”だけです。あくまで私個人ができる範囲での約束をしただけですし、聞いて聞かないふりぐらいなら問題はありません。それに、聖封教会と関わりを持ちたくないということは、魔装具にもなんら関心がないということでもあります。彼が私たちに先んじてレイゾを捕らえたとしても、自分のものにはしないと暗に言いたかったのでしょう。そもそも彼には、魔装具を必要としないだけの地力もありますし」
頭をかき回しながらギルダスは短く息を吐いた。陰謀、策略、水面下での牽制を混じえた交渉。理解しようとするだけで頭が痛くなってくる。
「それよりも問題は、魔装具のほうです」
しかめ面をして黙りこむギルダスを余所に、リゼッタはあっさりと話題を切り換えた。ギルダスも、レイゾとの戦いを振り返って首を傾げる。
「ああ。……にしてもなんだありゃ? どう考えても人間の力じゃなかったぞ。あれだけの深手で走れるってのも異常だしよ。魔装具を使うとあんなふうになるもんなのか?」
「魔装具に魅入られ、使い続けた人間がどうなるかはわかっていません。ほとんどの場合、そうなる前に奪取されてきましたから」
ということは今回のレイゾの件は、リゼッタにとっても珍しいことらしい。
未知数ってことか……。
ため息をつきたくなるのをこらえ、ギルダスは無理に笑みを浮かべた。
「まあ、あんなザマならすぐに見つかるだろうな」
あのときのレイゾは、明らかに正気を失っていた。魔装具なんてものを使っていれば、ああなってもおかしくないとギルダスは思うが、あの様子なら巧妙に身を隠すどころか、そもそも隠れること自体思い浮かばないのではないか。
そしてそれ以前に、こっちにはリゼッタという魔装具の気配を探れる存在がいる。レイゾが魔装具を使えば、すぐにでも居場所がわかる。どちらにしろ時間の問題と思えた。
「そうでしょうか?」
だがギルダスの楽観に異を唱えたのは、そのリゼッタだった。
「たしかにレイゾは正気を失っていました。ですが、最後に逃げだしたのが私には引っ掛かります」
「単にやばくなったから逃げ出したんじゃねぇのか?」
「そうかもしれません。ですが、魔装具の本質は破壊衝動です。レイゾの狂気が魔装具に引きずられてのものだとしたら、たかが死にかけたからといって逃げ出す理由としては弱い気がします」
「……なにが言いてぇ?」
声を険しくして、ギルダスはリゼッタを睨みつけた。
「レイゾが逃げる直前、様子がおかしかったのを憶えていますか?」
「ああ」
あの時、レイゾは追撃をかけるでもなく、なにもない天井を見上げていた。だがそれも狂っていると考えるなら、そうおかしなことでもない気がする。
「あの時から、レイゾの着ていた鎖帷子――魔装具の気配を感知できなくなりました。目の前にあるというのに、です」
「なんだと……」
思わず絶句したギルダスに、リゼッタは淡々と言葉を積み重ねていく。
「知っての通り、魔装具は負の感情を源としてこの世界に存在する力を得ます。必然的に、その手の感情が密集する場ではその気配がまぎれてしまうことが多々あります」
だからフォルテンのような、人間の憎悪入り乱れる町では、正確な場所を把握するのは困難――フォルテンに来る以前、リゼッタから聞いた話だった。
「ですが、私の『災禍の探り手』としての能力が低いとしても、目の前にある、しかも能力を発現中の魔装具の気配を感じ取れないということはあり得ません」
だが、現実問題としてリゼッタは気配を感知できなかった。
返す言葉を失ったギルダスに、追い打ちのようなひと言が冷然と投げかけられる。
「今回の一件は、単なる魔装具回収に終わらない気がします」
「っ……」
言葉を捜し、適当なものが見つからなかったギルダスは深々と息を吐いた。
「……前におまえ言ってたよな? 今回の件に、誰かの意図が絡んでるんじゃないかって」
「ええ、その疑いはますます強くなりました。もしそれが事実なら――どの程度関与しているかによりますが――私たちはその者の手の平の上で踊らされているということです。……すでにわかっているだけでも二人、魔装具による犠牲者が出ています。もし誰かが裏で糸を引いているのなら、私は決してその存在を許せないでしょうね」
感情の起伏なく、リゼッタは自身の怒りを他人のもののように語った。
聖封教会の司祭として、リゼッタは強い使命感を持っている。彼女の怒りは、それを踏みにじられたことから来るものだろう。だが、今はその怒りを仮面の力で抑制している。
素のままに怒りを吐き出すリゼッタと、仮面をつけて感情を消し去ったリゼッタ。
どっちがマシなんだろうな――っと。
意味もないことを考えている自分に気づき、ギルダスは微苦笑した。どうやら少し混乱していたらしい。頭を振って、物事を単純に置き換える。考えなければならないことを考えないことは死に繋がるが、これはそうではない。
「なんにしろレイゾからどうにかして、魔装具を引っぺがすことにゃ変わらねェんだ。黒幕が誰だとか、裏で糸引いてるからどうだとかは、おまえに任せる。俺は考え過ぎると頭が痛くなってくる性質なんでな。依頼されたことをやるだけだ」
「ええ、私もそれ以上に期待はしていません」
相変わらずの辛辣な物言いで頷くと、リゼッタは背中を向けた。
結局二人して昨夜はほとんど寝ていない。空はもう白みを帯びていたが、今から寝るつもりなのだろう。ギルダスもベッドに入りかけ、
「――最悪、『魂骸種』と戦うことも想定しておいてください」
去り際に放ったリゼッタの言葉に、すっと目を細めた。
『魂骸種』――かつての自分を殺した存在。ギルダスはあの時のことを一生忘れない。
本来の持ち主であるギルダスですら、判別がつかないほど原形を失った顔。わけもわからないうちに訪れた死。何度も思い出し、その度に暗い情念に囚われてきた。
だが今は、不思議と心は凪いでいる。
「ああ、わかっている」
相手が人外だろうが、やるべきことは変わらない。立ちふさがるようなら押しのけ、斬り捨てる。正面からでは敵わないようなら、あらゆる手を使って排除する。それでも無理なら、死ぬだけだ。
――ああ、わかりやすいこったな。
いつの間にか熱くなっていた体を持て余しながら、ギルダスは目を閉じた。
眠気の消えた頭で、どうすればより確実に勝てるのかを練りこむ。日差しが、窓から差し込み始めていた。