16.傀儡人形(4)
レイゾを取り逃した直後、踏み込んできた男たちに囲まれたギルダスとリゼッタは、『背徳の楽園』へと戻っていた。
二人以外にも、サフィーナと数人の男たち、それに、ローグとその腹心のスレイがいる。ローグがいる理由は、単純――ギルダスとリゼッタを取り囲んだ男たちが、彼の配下の者だったからだ。
「さて――」
サフィーナの部屋での、三度目の対面。最初に口を開いたのはローグだった。
「なぜ、『背徳の楽園』を出てあんなことろにいたのか? あそこでなにをしていたのか? 君の言うとおり、場所をここに移したんだ。嘘偽りなく教えてもらいたい」
『背徳の楽園』でないとなにも話さない――あとから駆けつけてきたローグに、ギルダスはそう訴えた。周囲を殺気に満ちた男たちに取り囲まれた状態では、どんな手を打つにしてもやりづらいと考えた上での対抗策である。
意外にも、ローグはあっさりとそれを受け入れた。
――わかった。サフィーナも無関係というわけではない。
そう言いながら、憐憫の眼差しでミリの死体を見下ろした。
そのサフィーナは、ギルダスたちがいなくなったことを知ってすでに起きていた。いつもの装いのまま出迎えたが、今はミリの死を伝えられたせいか顔色が悪い。
全員が集ったサフィーナの部屋は、一度は娼婦たち全員の避難場所となっただけに、十人近い人数がいても手狭に感じることはない。だが今は、部外者が立ち入ることを拒むような息苦しい空気で満たされていた。
ローグの、穏やかだが言い逃れは許さないといった態度に、ギルダスはそっとリゼッタの顔をうかがった。
……どうするよ?
まさか、魔装具のことまで洗いざらい喋るわけにもいかない。とはいえ、今さら隠し事が許されるような状況でもない。
ギルダスが横目で見たリゼッタは、自身の胸元に手を差し入れていた。怪訝そうに見つめるローグたちの前で、そっと引き抜く。
取り出したのは、いつだかギルダスがリゼッタに無理やりかぶせた白塗りの仮面だった。
「おまえ、それ……」
ギルダスをちらりと見るその瞳には、今の状況に対してなのか、隠しようのない憤りが宿っていた。
仮面が、リゼッタの顔を覆い隠す。皮膚に隙間なく密着すると、仮面を支えていた手が離れ、だらりとぶら下がった。その体から力が抜けて、椅子に深々と身を預ける。
数秒後――背筋を伸ばしたその時には、あれほど発散していた怒気はきれいになくなっていた。
「お、おい……?」
ギルダスが恐る恐る声をかける。
それを無視して、リゼッタは真っ直ぐに黒硝子に隠された瞳をローグに向けた。
「私たちがこの町に来たのは、あるものを探すためだということは聞いていますか?」
そこだけ露わになっている唇から、涼やかな声が零れ出る。その声が、感情の消失した虚無の声であることを、ギルダスだけは知っている。
「――ああ」
ローグの返事には奇妙な間があった。リゼッタの声音が変わったのを、敏感に察したらしい。なぜか一瞬、背後に立っているスレイに視線を配る。
「私たちがあそこにいたのは、それを回収するためです」
「あそこにそれがあったと?」
「正確には、レイゾがそれを持っていました」
「レイゾが?」
意外そうにローグは眉を跳ね上げた。
「私たちがそれを回収しようとしました。ですがあと一歩のところで逃げられ、そこにあなたの配下が踏み込んできた――それだけの話です。殺されていた女性に関しては、私たちが着いた時にはすでに死んでいたのでなんとも言えません」
サフィーナがはっと顔をあげる。もの問いたげに口を開いたが、結局はなにも言わずに視線を落とした。
「その、君たちの探している物とはなんだ? サフィーナから聞いた話では、なにやら得体の知れない武具ということだが」
「その前に、まずお互いの目的の確認を。ゼノを殺した犯人を、あなたは追っている。……間違いありませんね?」
「その通りだ。誰が殺したかを明らかにして死体をさらさないことには、収まりがつかないのでね。それが?」
「私たちはレイゾの持つあるものを求めています。ならお互いの目的は一致するはずです」
ローグが片手を突き出した。
「待て。君の言い方では、レイゾがゼノを殺したということになる。だが、その確証はない。レイゾを捕まえたあとで、真犯人は別にいたということでは話にならない」
「なら、なぜレイゾを捕まえようと?」
リゼッタの質問に、ギルダスも内心同意していた。
ギルダスたちを取り囲んだ男たちは、明らかにレイゾを捕らえようとしていた。だからてっきり、ゼノを殺したのがレイゾだと判明したと思っていたのだが――
「レイゾが私を暗殺しようとしたからだ。昨夜の話だがね」
「暗殺?」
「そのときは取り逃がしてしまったが、スレイが顔をはっきりと見ている。間違いないよ」
……なるほどな。そういうことか。
昨夜やけに人が多かったのは、そんな経緯があったかららしい。逃げ出したレイゾを、ローグの配下が総出で捜し回っていたのだろう。
「そういうわけで、レイゾがゼノ殺しの犯人とは確定していない。だから私と君たちの目的が一致しているとは限らない。もちろん、あの男が最も犯人に近いとふんでいるが。……それとも、君たちはあの男がゼノを殺したという証拠でも掴んでいるのか?」
探るような言い方だった。
事実、ギルダスたちにはローグの知らないことを知っている。
ゼノが殺された時期に魔装具の気配を感じて、レイゾがその魔装具を持っていたこと。
そして、ゼノの名前を出した時のレイゾの過剰な反応。
前者は話すわけにはいかないし、後者は証拠としては弱い。それでもリゼッタは断言した。
「犯人は、レイゾです」
「レイゾのことは少しだが知っている。あの男が、ゼノを殺せるとは思えないが」
「ゼノを殺せないような人間なら、あなたの腹心からも逃げられないでしょうね」
含みのある口調で、リゼッタはレイゾの持つ“力”をほのめかした。
あの力を使えば、スレイから逃げ出すこともできただろう。逆を言えば、あの力がなければ逃げることもできなかったはずだ。スレイは確実に、あの現象を目撃していることになる。ローグも知っていてもおかしくはない。
そしてあの力を知っていれば、レイゾがゼノを殺すことができたという結論にも繋がる。
「私たちがなにを求めているのか、どうしてそれを求めているのか、その二点に関することは話せません。ですから、先ほどのあなたの質問にも答えられません。ですが、あなたに協力はできます」
「……ほう」
興味深そうに、ローグは耳を傾けた。
「私たちが求めているものは、レイゾが所持しています。ですがレイゾ自身には用がありません。私たちがそれを手に入れれば、レイゾはあなたに引き渡します」
「かわりに、我々がレイゾを押さえたら、キミたちが求めているなにかを渡せと?」
「その通りです。あれはあなた方には不要のものですから」
周囲にいたローグの配下が失笑した。
口を挟まず聞いていたギルダスにも、虫のいい話にしか聞こえない。なぜなら――
「君たちは二人が加わったところで、たいした助けになるとは思えないが」
片や一組織の長として、数百の人間を動かせる。比べて、リゼッタの側にはギルダスしかいない。一人の人間を見つけて捕まえるという目的からすれば、ローグがリゼッタの提案を受け入れる利点はほとんどない。
「レイゾがただの逃亡者というのなら、あなたたちだけでも十分でしょうね」
揺らぎを見せないリゼッタの声に、ローグは薄い笑みを消した。
「どういうことかな?」
「話せません。ですが、あなたも薄々感づいてるのでは?」
「てめえ……!」
ローグを侮辱されたと思ったらしい配下の一人が、声を荒げた。
「必ず――」
身じろぎひとつせずに、逆に零度の声音が怒声を遮った。
「必ず、あなたは私たちに手を借りる局面が来ます。その時になって後悔をしても、遅い」
「……数だけではどうにもならないと言うことか?」
「有り体に言えば」
黙りこむローグと、次の瞬間には襲いかかって来てもおかしくない様子の男たちに囲まれて、ギルダスは腰を浮かせた。
唯一部外者のサフィーナは、制止することなく口をつぐんでいる。
「……言えない話せないで、こちらが納得できるとでも?」
「納得させられるかどうかではありません。これが私たちの、譲れない一線です」
言い終えると同時に、ギルダスとスレイがほぼ同時に『魂精装具』を具現化する。直後、
――ギィンッ!
ローグに振り下ろされた一撃を、神速の白刃が弾き返していた。
「……っ!」
体勢を立て直したギルダスが小さく舌を鳴らすなか、配下の男たちが一斉に武器を抜いた。
お互いに睨み合い、一触即発という空気、
「一つ、確認させてもらおう」
ローグはあくまで穏やかに問いかけた。
「ゼノを殺したのはレイゾ、これは間違いないわけだな?」
「ええ」
「――わかった。君の提案を受け入れよう」
場がざわめく。動揺の眼差しが、一斉にローグに向けられた。
「ちょっと待った」代表するように疑問を発したのは、ギルダスだった。
「えらく簡単に頷いたが、いいのかよ?」
「それが最善と判断したから、頷いただけのことだ」
「……どうも信用できねえな。裏があるんじゃねェかって疑っちまうぜ」
剣を向けておいてなお、ふてぶてしく疑念を叩きつけるギルダスに、男たちは殺気立つ。対照的に、ローグは動じる様子もなく堂々と受け答えた。
「利はないかもしれないが、受けいれても損はない。少々手荒な手段を使って話を聞かせてもらうという手もあるが、それは不要な被害を出しそうなのでね。あとは、面子という問題もあるが――」
言いながら、片手をあげて武器を収めさせ、リゼッタに向き直る。
「この町には物と一緒に、様々な情報が流れ込んでくる」
唐突な話の切り替えに、疑問を口にする間もなく、
「それらは街角の噂程度のものから、一国家の機密めいたものまで実に様々だ。中にはどう考えてもデタラメとしか思えないようなものまでね」
「おい、あんた何が言いた――」
「その中に、ひとつ。内容はそれこそ空想のようなものだが、年々、数を増やしていく情報がある。それもデタラメと切って捨てるにはやけに具体性のある情報がだ。数の多さと具体的な内容から、その情報は最近では信憑性を増してきているわけだが――」
一区切り、リゼッタとギルダスに交互に見つめた。
「内容は、人を襲う得体の知れない化け物が、徘徊しているというものだ」
「っ……!」
「そして、それらの情報には必ずといっていいほど、得体の知れない武具と聖封教会の存在が見え隠れしている。リゼッタと言ったかな――たしか、君は聖封教会の司祭と聞いているが」
――ギリ。
……こいつ、知ってやがる。
ギルダスは咄嗟に歯を食いしばって表情を消した顔で、傍らのリゼッタを見下ろした。その内心は推し量れなかったが、肝心の聖封教会司祭は一言も発さずにローグの話に耳を傾けている。
ギルダスの動揺にもなんら反応を見せないまま、ローグは続けた。
「心配することはない。ここにいる者は、そんな真面目に話したら笑いものにされるような“噂話”など、口にはしない。それに、聖封教会といえば、大陸をまたがる一大組織だ。私程度が余計なことをさえずって痛い目に遭いたくはない。分はわきまえているよ」
嘘だ。……なにを企んでいる?
それが本音なら、そんなことをリゼッタのいる前で言う必要はない。最後まで知らない振りをしておけばいいだけの話だ。
それをここで言ったということは、なんらかの意図がある――ギルダスはそう推測したが、それがどういったものかまではわからなかった。
「まあ、ともかく。私が君たちの提案を受け入れるのも、そういう情報が背景にあるからこそ――そう覚えておいてくれればいい」
口調こそ柔らかいが、ギルダスにはそれは警告のように聞こえた。
一見穏やかだが、その表情は仮面だった。対するは本物の仮面。双方は表情を隠し、剣呑な本音を言葉という柔らかな包みに覆い隠して、隙あらば相手の仮面を剥ぎとろうとしている。
その会話は緊迫した空気を生み出し、
「……わかりました。あなたのことは、私個人の胸の内に収めておきます」
リゼッタの発した言葉で、霧散した。