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14.傀儡人形(2)

「ぐぅ……あぁあ!」

 悲痛なうめき声が、絶えず男の口から吐き出されていた。

「いてぇ……痛ぇよっ!」

 男の耳を抑えた手の隙間からは、血があふれ出している。

「レイゾ……」

 そっと差し出された清潔な布を、レイゾは怒りにまかせて叩き落とした。あらわになった顔には裂傷が刻まれている。頬を浅く裂き、耳は上下に分断されていた。

「耳、俺の耳ィ……! くそっ、あのヤロウ、クソォ!」

 痛みに脂汗を流しながらも、恨みがこもった眼はギラついていた。その恨みは、ここにはいないローグの腹心に向けられている。

 こんなはずではなかった。

 スレイに邪魔をされずにローグを殺せていれば、まだ生き残れる目もあった。フォルテンに巻き起こる混乱のうちに、自分が手に入れた力を使えば、のし上がれることも不可能ではなかった。

――いや、そもそも。

 ゼノが自分を殺そうとしなければ、こんな賭けに出ることもなかったのだ。

「……っ、がぁっ!」

 レイゾの投げ飛ばした椅子の脚が、壁に当たってへし折れる。

――たかが一度や二度の失敗で制裁だと?

 その前にどれだけ俺が組織のために働いたと思っている? あの忌々しいクソガキが娼館から離れるってことがわかったのも誰のおかげだ?

 それを、それを!

 ゼノはあっさりと切り捨てようとしたのだ。自身が敗北し、ローグの手の平の上で踊っていたことの八つ当たりとして。

――そうだ。それなら、逆に殺されても文句は言えねえはずだ。俺は悪くねえ……!

 目を充血させて、レイゾは部屋の中をうろつきまわる。

 怒りと憎悪が頭の中を渦巻いて、とてもではないが落ち着いてなどいられなかった。

 伝った血が顎から滴れ落ち、床を汚していくのにも気づかない。その程度の余裕もなかった。

 それに、もし気づいたとしても気にもとめなかっただろう。レイゾのものでもない、他人の家だ。

 フォルテンの中心部にほど近い一等地。

 ゴーランという豪商が、囲った女にねだられて建てたこじんまりとした家にレイゾはいた。

 ねだらせたのはその女と浅くない関係を持つレイゾで、その家も表向きは女の住まい兼ゴーランの別荘ということになっているが、その実はレイゾと女の隠れ会う場所として使われていた。

 歩きまわるレイゾの視界に、泣きそうにしている女――ミリの顔が入った。

「なに見てんだっ!」

 ミリは怒声に体を震わせ、小さな悲鳴をあげる。その様子がレイゾの嗜虐心しぎゃくしんを刺激した。

――この女だ……っ。こいつが、あんな余計なことを教えてこなきゃぁ……!

『背徳の楽園』で雇った用心棒が外出する――そのことを自分が半ば強引に聞きだしたのも忘れ、レイゾは怒りの吐け口にミリを求めた。

「ひっ……」

 ミリの髪を掴んで引きよせる。

 バシィッ!

 歪な笑みに口元をひくつかせながら、衝動に任せて張り倒した。

「っ……!」

「てめえが余計なことを言ったせいで、俺はこんなことに……!」

 怒声が途切れる。倒れたミリの哀しげな眼差しが、レイゾの怒りに冷水を浴びせていた。

「な、なんだよ……その目はよっ!」

「に、逃げましょう……?」

「なんだと……?」

「わたしと一緒に! この町からっ! ここにいたら、あなたは殺されるわ……!」

 語尾を震わせ、すべてを知っている女は切実に訴えた。ひどい扱いを受けても、レイゾの身を本気で心配しているような響きがそこにはあった。

 だが――

「逃げれるわけねえだろうがっ!」

 ローグを暗殺しようとして失敗し、しかも顔まで見られたのだ。おそらく今頃は、町から逃がさないように包囲が敷かれている。それだけでなく、いたるところにレイゾを探す目があるだろう。外に出れば、すぐに見つかる。

 ローグは自分を殺そうとした人間をむざむざと逃がすような、そんな甘い男ではない。はっきりと敵と認識した存在には、苛烈なまでの処置を下してきていたからこそ、敵対する者たちに恐れられているのだ。

 その対象が、今度はレイゾになっただけの話だった。

 それでもミリは、すがるような眼差しを向けて言いつのる。

「それだったら、いつまでもここに隠れてたらいいじゃないっ! 時間が経てば、きっとみんなあなたのことを忘れるわ」

 懇願するミリに、レイゾの気勢が緩むと同時にわずかに希望が芽生える。

 ローグもいつまでも自分ひとりにこだわっているわけにもいかない。

 ほとぼりが冷めるのを待てば……。

 現実を見ていない甘い思考。そうなったらいいという期待だらけの目算。追いつめられた者特有のか細い希望に、レイゾはすがりついた。

「そうだな……」

 力なく肩を落とし、呟く。

 冷静さを取り戻すと、今度はささやかな罪悪感が芽生えてくる。

 ミリの赤くなった頬に痛ましいものを感じて、気まずげに目をそらした。

 最初は単なる金づるとしてしか見ていなかったが、それでも短くない付き合いだ。抱くうちに情も湧いてきた。

「悪かったな……その、殴って」

 目をそらして小さな声で謝ると、ミリははかなげに微笑んだ。

――パン、パン、パン。

 場違いな拍手の音が聞こえてきたのは、その時だった。

「っ!?」

「いやいや。なかなかの見世物だった。だが……まさかそれで終わりではないだろう?」

 夜の闇からにじみ出るように、その男は姿を現していた。二人のいる部屋の一角で、優雅にたくわえた口髭を揺らしながら笑っている。

「おまえ……!」

「だ、誰っ?」

 すがりついてきたミリを抱き寄せ、レイゾは男を睨みつける。

 すらりと伸びた背筋と、若いころの美形を思わせる顔立ちの壮年の男だった。口元や目尻に皺が刻まれているものの、その印象は若々しい。社交慣れした立ち居振る舞いが、ローグとよく似ていた。

 人当たりの良さそうな男だったが、ミリは言葉で上手く言い表せない違和感を感じていた。なんとなく、雰囲気から予想する内面と外見が一致していないような気がする。

 レイゾが短剣に手をかけても、男は身構えることすらしなかった。役者のような朗々と響く声で、言葉を紡いでいく。

「それにしても、ようやく使ったと思ったら、その相手はおのれの主とは。いやはや、これだから世はおもしろい」

「なっ……?」

 なんでそれを――

 レイゾは戦慄した。知られたらまずいことを、この男は知っている。

 しかも男の口ぶりは、最初からここにいたような言い方だった。自分たちが気づいたのはつい先ほどだというのに。

 男の視線は、レイゾが服の下に身につけた黒い鎖帷子に注がれている。不思議なことに、服は切り裂かれているのに、その鎖帷子には傷ひとつついていなかった。

「せっかく渡したのに、このまま使われなかったらどうするべきかとも思っていたのだが。無用の心配だったようだ」

 男は笑う。決して朗らかなものではない。聞いている者が不快に感じる類の笑い方だった。

 レイゾの噛みしめた歯から、軋み音が鳴る。

「てめえが、こんなもん寄こさなきゃ……」

「だが、それがなかったら殺されていた――違うかね?」

 レイゾが言葉を詰まらせた。

 言われたとおりだった。これがなかったらゼノに逆らうことも思いつかずに殺されていただろう。最後まで命乞いしながら、無様に切り刻まれて。

 スレイから逃げ出す時も、これの持つ特殊な能力のおかげで怪我は負ったが命拾いはした。

 身に着けてはいたが、そこまで追い詰められなければレイゾも使おうとは思わなかった。

 使う機会がなかったということもある。得体の知らない男に渡されたということもあった。なにより、これを使うことに言葉にできない抵抗を感じていた。

「使いどころを誤ったのは、おまえ自身の責任だよ。私に責任を転嫁してもらっては困る」

「……っ」

 相手が格下なら、レイゾは反論しただろう。立場の低い者への責任の押し付けは、レイゾの得意分野だ。

 だが、この一見無害そうに見える男には最初に会ったときに痛い目を見せられている。力づくでどうこうする気にはなれなかった。

 口をつぐんだレイゾに、男は声音を和らげた。

「そうは言っても、私も責任は感じないでもない。ちゃんと効果的な使い道を教えていなかったのだから」

 ハッと顔をあげたレイゾに、男は微笑んだ。

「おまえに、さらなる力を与えよう。それを使えば、生きながらこの町を出ることはおろか、すべてをおまえの思うがままにできる。もちろん、条件はあるがね」

 平時なら、言い出したのがこの男でなければ鼻で笑い飛ばすような台詞だった。男の言っていることは、あまりにも胡散臭うさんくさい。

 自然、レイゾの口調も探るようなものになっている。

「……どういうことだ?」

「簡単なことだ。おまえにもできる。そこにいる女を、殺せばいい」

 その指先は、ことのなりゆきを呆然と見ているミリを指していた。

「なっ……!」

「簡単だろう?」

「なんで、それが……。そんなことして、なんで……!」

「おまえに渡したその鎖帷子だがね。あるものが邪魔をして、まだ完全な力を発揮しているわけでもないのだよ。その女を殺せば、それが取り除かれる。力を得るためにはなんらかの代償を払う必要がある。それがその女というだけの話だ。手軽かつわかりやすいだろう?」

「そんな……信じられるわけが……」

 突拍子もない話だった。だが――それを言い出せば、この鎖帷子の力も信じられないものなのだ。

 疑念の隙間をつく一片の思考。同時に、ただでさえ黒かった鎖帷子が光沢も失ったように闇色に染まっていく。

 ありえない、という観念が消え失せていく。

――そんなことが……?

 レイゾの思考に、よどみが混じる。普段なら考えつかないような暗い情念に囚われかけ、

「レイゾ……」

すがりつくミリの腕に、レイゾはハッと我に返った。

「っ……く」

 この名前すら明かさない男の話が真実だという確証はない。レイゾは頭を振って、溜まった澱みを振り払う。

「ふむ……まだ十分ではないか」

 そんなレイゾを見て、男はなにかを確認するように呟いた。そして、ミリを見下して言い放つ。

「ためらう気持ちもわかるが、なんにしてもその女は殺したほうがいい。これは善意からの助言だ」

 男の声に、レイゾは怪訝そうに眉を寄せた。その足元に、男はなにかを放り投げる。

「ひぃっ……!」

 ミリが悲鳴を上げる。足元に転がったそれの正体は――切断された、人間の手。

「おまえは気づかなかったようだが、その女が連れてきた者がいるのだよ。距離を置いていたから気づかなかったのも無理はない。ご覧のとおり、私手ずから始末しておいたが……。こんな時に、おまえのいる場所を発覚させるその行為――理由は、わかるだろう?」

 男の言葉の意味に気付き、レイゾは体を震わせた。殺気すら感じさせる目で、ミリをにらみつける。

「てめえ……俺を売る気だったのか!?」

「ち、違う……私、知らな――」

「だからここに隠れろなんて言って、俺を足止めさせようとしてたんだな!?」

「違うのっ! 私、そんなこと考えてもない。信じて!」

 ミリは涙を流しながら、頭を激しく振って否定する。

 その反応に、レイゾは怯んで尻込みした。とても嘘を言っているようには見えない。

 どっちの言っていることが正しいのか、レイゾは頭を抱えて弱々しく振った。 

――そんなこと考える必要あるのか?

 中途半端な情を押しのけ、振り払ったはずのよどみが鎌首をもたげる。

――いま嘘をついていなくても、これからも裏切らないという保証はないだろう?

 ぞわり、と不快な何かが胸中を満たしていく。

――こんなところで殺されていいのか? たかだか女一人のために? そのために残った命さえも投げ出すのか?

 ……嫌だ。

 だがその不快感もすぐに消え、ある衝動がレイゾを突き動かす。

 俺は……。

 苦渋くじゅうを舐めて築き上げた組織での地位は失われた。今はただ追われる身だ。明日はおろか、今日も生き残れる保証はない。

 極限まで追い詰められたレイゾは、いつもならありえないはずの思考の流れに疑問も覚えない。ただ淡々と受け入れていた。

 混乱に強張っていたレイゾの顔から、すっと力が抜け落ちていく。

「ミリ……悪かった、疑って」

「レイゾ……」

 愛する男の言葉に、ミリは顔を輝かせた。彼女は気づかない。レイゾの目に宿る、暗い色に。

 女の瞳にたまった涙を拭いとり、レイゾはミリをそっと抱きしめた。ミリもそれに答えて背中に腕を回し――

 ドッ。

「え……?」

「仕方、ねえよなぁ」

 ぼそり、と耳元で囁く声は、不自然に感情がこぼれ落ちていた。

「レイ、ゾ……?」

 背中に熱いなにかを感じて、ミリは首を巡らせた。そこから見えるのは、自身の体に埋まった短剣の柄――

 ズッ、と引き抜かれた傷口から、たちまちのうちに血が溢れ出していく。

「な……んで?」

「仕方ねぇよ。死にたくねえもんなぁ、俺。だから――」

 トンと突き放されたミリの体は、力なく床に倒れた。

「俺のために……死んでくれよぉ!」

 短剣が振り上げられ――ミリの双眸そうぼうは絶望に染まった後、光を失った。


 目の前の惨劇を、男は恍惚こうこつとして見守っていた。

 女が絶命しても、レイゾはその体に刃物が何度も突きたてるのを止めない。

 おそらくレイゾは、その行為自体に喜悦を感じているのだろう。そしてそのことに自分では決して気づかない。身につけている鎖帷子が、闇が発していることと同様に。

 言い訳じみた呟きを続けるレイゾの顔は狂気の色を孕み、血を浴びるたびに正気が欠けていく。

 いつしか――動くのを止めたレイゾと、こと切れたミリの死体には、拍手が送られていた。

「役者はそろった。舞台も整った。物語がどう転ぶかは役者次第。さて、あとは観客席から終幕まで見守らせてもらおうか」

 男は独りごち、姿を現した時と同様に人知れず姿を消していった。

 あとには、もの言わない女の死体と、狂気にまみれた男だけが取り残された。

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