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13.傀儡人形(1)

 思いをせる過去はない。

 ただ生き残るために思い出す暇もなく、余裕ができた頃には忘れてしまっていた。

――スレイの平穏な幸せは、たった一夜で粉々に砕かれた。

 それは今からもう十年も前のこと。

 フォルテンの片隅で小さな商家を営んでいたスレイの家に強盗が入り、彼以外皆殺しにされたのだ。

 以来、この町に多数いる孤児の一人として生きてきた。犯罪に巻き込まれ、親を失う子はフォルテンでは珍しくない。

 初めてローグと出会ったのは、五年前。まだ少年と言っていい年齢で、スレイは裏稼業に身をやつしていた。

 当時、精錬者として覚醒していたスレイに目をつけ、仲間にと誘ってくる者は多くいたが、スレイはそのすべてを断っていた。

 自分の食い扶持は独力で稼げていたし、スレイにはどうしても一人でやらなければならないことがあった。それを逆恨みしたある組織に狙われ、窮地に追い込まれていたのだ。

 その時、スレイを助けたのがローグだった。ほんの数年で、フォルテンでも有数の裏組織の長になった男。

 彼の組織から依頼された仕事は何度かこなしてきたが、直接顔を合わせたのはその時が初めてだった。

 スレイを助けた後、ローグは恩着せがましいことを言うでもなく、彼に一枚の紙片を渡してきた。数人の人物の名前と、その住所が記されていた。

「……これが?」

「君には、この連中の始末を頼みたい」

 人殺しの依頼――もう何度目になるかわからない依頼内容だった。頷きかけ、続く言葉に耳を疑った。

「五年前、サルーダ地区のある商家で、強盗を働いた連中だ」

 五年前、サルーダ地区、商家――強盗!

 あの悪夢の夜から探していた仇の情報が、そこにはあった。

 スレイが愕然として顔を上げたときには、ローグはすでに背を向けており、肩越しに言葉を投げかけてきた。

「その事件では、一人生き残った子供がいたらしい。その子供がどうしているか知らないが、おそらく過去の痛ましい経験を今でも引きずっているのだろうな。……だが、一人の未来ある若者が過去の妄執もうしゅうとらわれているのも惜しい話だ。なんらかの区切りをつけて、前に進んでもらいたいものだがね」

 独り言のようにそう呟くローグに、スレイはなにも言い返さなかった。

――数日後、復讐を果たしたスレイはローグの元を訪れていた。ローグもそれを当然のように出迎えた。

 それ以降、スレイはローグの剣として、ときには盾として常に側に控えるようになった。

 恩返し、などという殊勝な感情が残っている自分に驚き、またそれがローグの思惑通りの結果であることぐらいはわかっていたが、それでもかまわなかった。

 ローグが命じることなら、スレイはどんなことでもするつもりだった。それがたとえ、万人から見て間違っていることでも。



 暗がりの中を動く、一つの人影があった。

 ――フォルテンの夜。

 月は雲で隠れ、人影を照らす光源はない。

 人目を避けるように人影は道を行き、ある一つの建物の前で立ち止まった。

 たいして人目を引く建物でもない。大きいことは大きいが、全体的に地味な――良く言えば、無駄な装飾の一切をはぶいた建物である。

 ただし、よく目を凝らせばその数少ない装飾が、力を入れてこしらえたものであることがわかる。ことさらに華美を装うでもなく、見る者が見ればわかる価値のある外観だった。

 正門の飾りも、その奥に見える扉に彫られた彫刻も、腕の立つ職人の手によるものだ。

 だが――その人影が、それらを通って中に入ることはありえない。客として来たわけではなかった。

 人影は懐から布を取り出して頭に巻きつけ、腰に差してある短剣の重みを確かめると、建物を囲む塀に飛びついた。

 腕を曲げて体を引き上げ、塀の上に乗る。そして敷地内に飛び降りる。

 着地の時に思ったよりも大きな音がしたことに慌て、忙しげに周囲を見渡した。幸いなことに様子を見に来る者はいない。

 安堵の息をもらし、身を低くしたまま目についた窓に駆け寄った。そこは使われていない部屋らしく、少しの家具が置いてあるだけで人の姿は見当たらない。

 そっと窓に手をかけると、抵抗もなく外側に開いた。鍵が、かかっていない。

 思わぬ幸運に口元を緩ませ、窓枠を乗り越えて中に侵入する。

 ドアに耳を寄せて物音がしないことを確かめると、そのまま部屋から出た。

 以前に見たことのある見取り図を思い出しながら、足音を殺して目的の部屋に向かう。

 階段を上り、二階の廊下にたどり着く。

 跳ね上がる鼓動が、緊張を示していた。それでも、ここまで何事もなく来れた幸運に、人影の気はたかぶる。このまま、何事もなく上手くいくのでは――そう思えてさえきていた。

 人影は気づかない。

 自分が幸運だと思っていた数々の事象の不自然さに。

 だから、目的の部屋の前で待ち構えていた人物の姿を見て、体を凍りつかせた。


 ◆


 壁に設置されている燭台の灯りが、フォルテン随一の裏組織の長、ローグの屋敷の廊下を照らす。

 そこに影を作る人物は二人。

 一人は、顔を布で覆って素性を隠す侵入者。もう一人は、徹底した無感情を瞳に宿したローグの腹心――スレイ。

 侵入者をその目にしても、スレイは一片の動揺も表さなかった。

 ゼノが殺された時点で、ローグもまた狙われる可能性は当然あったのだ。

 だからあえて誘うような真似をしていた。見回りや守りの人員を減らし、いくつかの窓の鍵をかけず、より奥にまで。思わぬ幸運に浮足立つ侵入者が、容易に逃げ出せないように。

 硬直している侵入者に、スレイは一歩詰め寄る。

 誰何すいかもしない。捕まえて吐かせれば、それで済むと言わんばかりに。

 スレイの腰に添えた右手から、燐光が出現する。

 音もなく数を増やす光源は少しずつ光量を増し、すぐに侵入者が顔をそらすほどにまでなった。

 蝋燭ロウソクの灯りなどすぐに凌駕りょうがして、屋敷の外にまで溢れ出していく。それを最高潮として、眩いばかりの光は収束していった。

 後に残るのは、濁った白刃を持つ切っ先のない『魂精装具ソレスタ』。わずかな燐光を残して、その細身の刃が腰の横で構えられる。

「ッ……!」

 侵入者の喉から、声にならない悲鳴が洩れる。

 顔を覆う布地の隙間から覗く瞳が、怯えに揺れていた。

 無言のスレイに気圧され、無意識のうちに体が後退している。距離があるにも関わらず、直後には斬られてもおかしくないような錯覚すら覚え、気づいたら身をひるがえして走りだしていた。

 スレイは背中を見せて逃げ出した侵入者を追った。

 できれば生け捕りをと命じられている。

 距離を詰めて、トン、と床を蹴る軽い音の直後――白刃が、夜の帳を引き裂く。

 スレイの『魂精装具ソレスタ』の能力は『加速』。

 一度振るった刃は、能力を発現している限りは慣性を無視して速度を上げ、その動きは目に止まらないほどにまで達する。

 強力だが、その能力は両刃の剣だった。下手をすれば、『魂精装具ソレスタ』に体を引っ張られて身がよじれる。加速した刃を止めるだけの筋力と技量がなければ、使いこなせない。

 そして、スレイはその能力をほぼ完全に使いこなしていた。

 その狙いは脚。動きを止めようと、狙い澄ました一撃だった。

「ひィ……!」

 情けない悲鳴をあげながらも、侵入者は走り続けていた。

 斬り損ねた……?

 手応えがないと思った次の瞬間には、体が最適な動作をしている。

 返す刃をそのまま、逆の脚へ叩きつける。だが――

「……」

 今度もだった。

 目測を誤っているわけでもない。たしかに刃は、獲物の脚を断つ軌道を描いていた。

 なのに――斬れない。

 目に見えるし、たしかにいるとわかるのに、まるで幻でも斬っているような気になってくる。

 スレイの二度の斬撃が不発に終わった間に、侵入者は窓の近くにまで来ていた。息を切らしながら窓を開け放つ。

「……!」

 その意図を察したスレイは三度目の斬撃を見舞う。狙いは胴体。ただし今度は、斬撃を途中で止める。刃は胸を貫通した状態で静止していた。

 予想通り、肉に埋まっている感触はない。目を凝らして見ても、間違いなく刺さっているというのに。当然のように血も流れていなかった。

 だが、完全に斬れないというわけでもないらしい。

 侵入者の着ている服が斬り裂かれ、その下にあるのは金属の光沢――?

 となれば。

 窓枠に足をかけ、こちらを振り向いた侵入者の顔に、斬線が走る。

 目の下のあたりを横断するような斬撃は、普通なら即死だ。それでも相変わらず『魂精装具ソレスタ』を握る手に手応えは――

 ……?

 一瞬、ほんのわずかだが、抵抗が柄を通して伝わってくる。それに気づいたときには、もう『魂精装具ソレスタ』を振り切っていた。

 侵入者の顔を隠していた布が切り裂かれ、その下の素顔があらわになる。

 愕然とこちらを見やる顔は、どこかで見た覚えのあるものだった。

 記憶が掘り起こされる前に、侵入者は窓の下に飛び降りた。

 ここは二階だ。それほど高いわけでもない。予想通り、スレイの目には足をくじいた様子もなく走り去っていく侵入者の姿が映った。

 追いかけようと身を乗り出し、

「――追わないでいい」

落ち着いた声が、スレイの動きを制止した。


 スレイを止めたのは、深夜にも関わらず普段どおりの服を着こなしたローグだった。その顔には、軽く疲労の色が滲んでいる。ここ数日、フォルテン中を飛び回っているせいでろくに寝ていなかった。

「ですが……」

「陽動という可能性もある。もしおまえが追いに行って、その間に私が襲われたらひとたまりもないよ」

 考えてもいなかった事態を指摘されて、スレイは納得した。招き入れる計略があだとなって、屋敷に人員はほとんど詰めていない。自分まで外に出れば、ほとんどガラ空き状態になってしまう。

 今も眠らずに書類仕事に忙殺されていたローグが、深々とため息をついた。

「しかし、厄介事ばかりが増えていくな。ゼノの暗殺に、ここへの侵入者、か。……ところで何者だ、あれは? 私にはおまえの剣がすり抜けたようにしか見えなかったが」

 ローグにも同じように見えていたらしい。訊かれても答えようがなく、スレイは無言を通した。

「おまえにもわからないか。ともかく、“彼”ではないようだったが」

 誰のことを言っているのかわかったスレイは、浅く頷く。

 最初に気づいたことだった。顔を隠していても、体格までは誤魔化しきれない。あれは、大人の男のものだった。

「ともすると、あれは『魂精装具ソレスタ』の能力かもしれないな」

 その可能性にもスレイは頷く。あの斬っても斬れないような不可思議な現象は、『魂精装具ソレスタ』の能力が関わってこないと説明できない。

 スレイには侵入者が『魂精装具ソレスタ』を持っているようには見えなかったが、もしかすると服の下に収まるような防具なのかもしれなかった。

 ただ、斬撃が効かないのなら、なぜ真っ先に逃げだしたのか。スレイと戦うという選択肢もあったはずだ。

 ローグの言うとおり本当に陽動だったのか?

 それとも、あの力にはなんらかの制限があるのか、もしくはまったく効かないというわけでもないのか。判断するには材料が少なすぎた。

「ともあれ、追っ手を配置していなかったのは失敗だったな。……いや、おまえが逃がすような相手なら、かえって追わない方が正解かもしれない」

 ローグはしゃがみこみ、床に落ちていた布を拾い上げた。侵入者の顔を隠していたものだ。

「少し、濡れているな。これは……血か?」

 指に付着した赤い液体を、ローグは鼻に近づけた。スレイも布を受け取って濡れた部分の匂いを嗅ぐ。血臭がした。

「……まあともかく。問題は、あの侵入者の正体だ。あれがゼノを殺したとは限らないが、無関係ということもないだろう。おまえに重なっていて私からは見えなかったが、顔を見たのだろう?」

 男の驚愕に歪んだ顔を思い出しながら、スレイはぽつぽつと話す。

「あれは……ゼノの下にいた男です」

「ゼノの……?」

 口に出して、ようやく顔を記憶の中の名前が一致した。すぐに思い出せなかったのは、記憶にとどめるほどの価値もないと思っていたからだ。

「たしか……。レイゾ、という名だったかと」

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