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12.急転

「――嫌な匂い」

 早朝。

 サフィーナの起床は、娼館の誰よりも早い。暗いうちにベッドから起きて、顔を洗い、衣装を選び、髪をくしけずって化粧をする。

 人と会えるように支度を終えるのは、まだ陽が昇りきっていない薄暗いうちだった。

 それから、サフィーナは窓を開けて空気を吸う。そして匂いを嗅ぐ。その匂いで、彼女は凶事を占う。

 フォルテンに限らず、どんな場所でも平穏無事に――自分の生活圏を守りながら生きていくために必要なのは“嗅覚”――サフィーナはそう思っていた。

 それは“勘”と言いかえてもいい。

 突発的な危険に対して、あるいは敵味方をかぎ分けるために――問題に直面したとき、サフィーナが最終的な判断を自らの嗅覚にゆだねてきた。

 そして、どうも自分は他の人間よりも人一倍嗅覚が鋭いらしい。ただの一娼婦だった自分が、娼館の主という立場を手にしたのもそのため――サフィーナはそう自負していた。

「二日続けて来るなんて――珍しいこともあるものね」

 ゼノの襲撃のあった翌日。

 そんな研ぎ澄まされたサフィーナの嗅覚が、街中を漂う殺伐とした空気がいつもよりも濃いことで――そして、昨日の件の後処理で忙しいはずのローグが昼になって馬車で尋ねてきたことで、また新たな火種の匂いを嗅ぎとっていた。

「たしかに。しばらく来れないと言った翌日に、こうして顔を出すのも決まりが悪いものだな」

 苦笑しながら、正門の前で出迎えたローグは馬車を降りる。いつもの紳士然とした装いのまま、すぐ横には例によって無口な護衛が立っていた。

「あなたも大変ね。忙しい上司を持って」

 労いの言葉をかけても、一瞬こちらを見ただけだ。今さらな反応だけに、機嫌を損ねることもない。

「それで、どういった用向きかしら? まさか遊びにきたわけでもないでしょう? 私はそれでも構わないのだけれど」

「残念ながら、そうではない。少しばかり急な用事が出来てね」

 態度も口調も変わらないが、身にまとう空気だけがいつもと違う――サフィーナの嗅覚はそう訴えてきた。

「今日、私が用があるのはここの用心棒をしていた少年だ。……いるのだろう?」


 ◆


「今日の朝のことだ。ゼノが彼の屋敷で、何者かに殺されているのが見つかった」

 リゼッタを伴ってサフィーナの部屋に来たギルダスが、ローグに最初に聞かされた言葉がそれだった。

「殺された、だと? ゼノが?」

「ああ」

 テーブルに肘をついて手を組んだ姿勢のまま、ローグが頷く。

 言葉が沁み込むのを待ってなのか、少し時間を置いてからこう続けた。

「斬殺だったらしい。抵抗した様子もないようだ。早朝になって彼の組織の者が発見したが、犯人はまだ判明していない」

「なんでその話を俺に?」

「回りくどい言い方は時間の無駄なのでね。まず最初に訊かせてもらおう。昨夜、君はどこにいた?」

 ギルダスの片眉が跳ね上がった。背もたれに体を預けて、呆れの混じった声で言う。

「……ここだ。あんたが何を疑ってんのかわかったが、俺は『背徳の楽園』から一歩も出てねえ」

「サフィーナ?」

「彼が外に出たところを見た娘はいないわ。ただ――」

 そこで区切り、サフィーナはちらりと視線をよこす。

「昨日はあんなことがあったから、後片付けや気疲れで皆眠りは深かったでしょうし。……門番をしてくれていたセバンもあんなことになったから、もし誰かが外に出ても気づかなかったかもしれないわね」

 ギルダスを庇うわけでもない、曖昧な答えだった。

 疑っているわけではないのだろう。歯切れの悪い口調と、言い終えた後に浅く目を伏せたことから、中立的な立場で答えを返しているだけなのはすぐにわかった。

「ふむ……」

 顎に手を添えて考える素振りを見せた後、ローグはギルダスに向き直る。

「単刀直入に言おう。しばらくの間、『背徳の楽園』から出ないでもらいたい」

「言っとくが、俺は殺ってねぇぞ」

 ギルダスの抗弁には黙って首を振る。

「そう思わない者もいるということだよ。負傷していたとはいえ、ゼノの屋敷に忍びこんで抵抗もさせずに殺害できる人間となると、この町でも限られてくるのでね。加えて、君とゼノには因縁もある」

 ローグの指が、コツコツとテーブルを打ち鳴らす。

「君がゼノを殺した殺していないにかかわらず、一歩外に出たら命を狙われるのは避けられないだろう。昨日の一件があるとはいえ、ゼノの持っていた権益は大きい。後継の座を狙う者は、遅かれ早かれ仇討ちの題目で君を標的にするはずだ。私の抑えも効かなくなる。それ以外にも、ゼノの利権をかすめ取ろうと動き出す組織も出てくる。誰が犯人にしても、当分の間は血生臭い日が続くようになる」

「……で?」

「それは私の望むところではない。私は事態が混乱を極める前に、収拾を図るつもりだ。そのためにも、これ以上火種は増えてほしくない」

 コッコッ……。

 指が動きを止め、ローグの眼光がギルダスを射すくめる。

「本音を言わせてもらう。これ以上、よそ者に状況をかき回してもらいたくない」

 変わらない穏やかな顔つきと口調だが、ローグはフォルテンの裏を取り仕切る者として、ギルダスに真っ向から意見を叩きつけていた。

「バッサリ言いやがるな……」

「状況が状況なのでね」

 ローグの言い分は、利己的で自身の都合に依るものだったが、サフィーナを始めとした大多数のフォルテンの住人の意思を代弁していた。

 ギルダスが外に出れば、それを狙って動き出す者がいる。ギルダスとそれらの間だけでことが終わるのならまだいい。

 だが、必ず巻き込まれる者も出てくる。憎悪の連鎖が広がり、思わぬ飛び火がどこに引火するかもわからない。その分だけ流血は多くなる。

「これは依頼と受け取ってもらって構わない。サフィーナが払っていた倍額、私が払おう。受ける受けないは君の自由だ」

 言うだけ言うと、返事など聞く必要がないとばかりにローグは立ち上がった。サフィーナに軽く頷いて、そのままドアに向かい、

「――ひとつ、訊かせてもらいたいのですが」

それを呼び止めたのは、リゼッタだった。

「ゼノが殺されたのは、いつ頃のことですか?」

「詳しい時間はわかっていないが、深夜のうちだろうという話だ。それが?」

「いえ……」

 首を振って黙りこんだリゼッタを怪訝そうに一瞥すると、ローグはスレイを連れて慌ただしく出ていった。


 部屋に戻ったギルダスと、それについてきたリゼッタの間には、重苦しい沈黙で満たされていた。

 ……面倒なことになっちまったな。

 ゼノが誰に殺されたかなど、ギルダスにはどうでもいい。自分が疑われていることすら、腹は立つがそんなもんだろうと割り切っている。裏組織の利権争いも、自分には関わりのないことだ。

 ……ま、そこらへんは好きにやってくれって話だが――

 問題は、ようやく本腰を入れてリゼッタの依頼に取り掛かれると思った矢先に、足止めをくらったことだ。

 昨夜も、サフィーナとの契約続行を勝手に決めたことで――依頼を手伝わせたことも含めて――散々に文句を言われ、なんとかなだめすかして憔悴しょうすいしたばかりだった。

 その記憶も薄れないうちでの話である。

 いったいどれだけの小言、文句を聞かされるのか。そのことを考えると、ギルダスの背中を嫌な汗がだらだらと伝っていった。

――のだが。

 二人きりになってしばらく経っても、リゼッタは黙りこんだままだった。怒っている様子もなく、床の木目に視線を落とし、なにかをじっと考えこんでいる。予想外の反応だった。

「……おい?」

 不気味さを覚えたギルダスが恐る恐る声をかけると、ようやくリゼッタは思考の海から舞い戻ってくる。

「なんかあったのか?」

「昨夜……の話ですが」

 顔を曇らせ、躊躇ためらいがちに話し始めた。

「わずかな時間でしたが、『魔装具』の気配を感じました」

 その言葉を聞いた瞬間、ギルダスは息を詰まらせた。すっと頭の中が冷えていく錯覚を覚える。

「一瞬だけだったので気のせいかとも思いましたし、詳しい場所まではわかりませんでしたが。あるいはゼノ殺害に……」

「まさか、『魔装具』が関わっているってぇのか?」

「わかりません」

 首を振ったきり、リゼッタは口を閉ざした。

 単なる偶然と決めつけられないが故の沈黙だった。偶然と考えるには、あまりにタイミングがよすぎる。

 それに、ゼノは自分の力を過信しているところがあったが、その腕前は確かだった。精錬者ということを抜きにしても、並の傭兵とならいい勝負ができる程度の力量はある。その男が抵抗もできずに殺されたことを考えると、『魔装具』ほどの力が関わっていてもおかしくはない。

 だが――

「……『魔装具』ってなぁ、普通の人間にも使えるもんなのか? 例えば、それを使って誰かがゼノを殺したりとか」

「普通ならありえません。あなたも知っているでしょうが、常人なら人間の負の感情の塊とも言えるアレを見れば、嫌悪や忌避感きひかんが先に立って近づこうとすら思わないはずです」

 はっきりと断言し、その後迷ったように視線を泳がす。

「ですが……稀にですが、『魔装具』と波長の合う者もいます。元々の『魔装具』の主と似通った魂を持つ者です。そうした者なら、あるいは」

「それなら、そいつが犯人って可能性もあるわけか」

「いえ、それはそういう事例があるというだけの話です。滅多にあることではありませんし、そうなった者は『魔装具』の力を積極的に使いたがります。『魔装具』に使われると言った方が正しいかもしれませんが……。とにかく、この町に来る前に『魔装具』の気配を感じてから昨日まで、間が空きすぎます。ですがその間『魔装具』の力が発揮された気配はありませんでした。『魔装具』に魅入られて力に溺れた人間に、それだけの間、使用を抑制する自制心があるとは思えません」

「なら偶然か……?」

 首をひねって考えるが、答えは出てこない。

「どうするつもりですか?」

「どうするもこうするも……」

 かぶりを振って、ギルダスは苦々しく吐き捨てる。

「状況は変わってねえんだ。むしろ、ゼノに狙われてた時よりか悪化してるかもしれねえ。……大人しくしてるしかねぇな」

「わかりました」

 意外にも、リゼッタはあっさりとギルダスの言葉に頷いた。渋々認めたという様子でもない。

「反対しねぇのか? てっきり今すぐにでも捜しにいかされると思ってたんだが」

「『魔装具』が誰かに使われている可能性を考慮こうりょするのなら、慎重に動くに越したことはありません。その者がどの程度のことを知っているのかわかりませんが、私たちの目的を知れば隠れるか攻撃してこようとするはずですから。確実な場所がわかってから動くべきです」

「そりゃそうだが……」

 リゼッタの慎重論に、思わず眉をひそめる。言っていることは正しいしギルダスの意見にも合致するが、それでもらしくない気がした。

「それに……」

 口ごもり、目を伏せて押し黙ったリゼッタをギルダスは不気味そうに見つめた。

「なんだ? そんなふうに半端なところで黙られたら気になるんだが」

「……ギル、私たちがフォルテンに来てから、『魔装具』の捜索が全くできていません。それ以前に、その気配すらほとんど感じられないのは異常です。もしかすると、何者かの作為なのでは、とも思ったのですが」

 誰かが意図的に『魔装具』を隠蔽いんぺいし、自分たちの妨害をしているのではないか――リゼッタはそう言いたいらしい。

 その危惧は、ギルダスには大げさなものに思えた。

「考えすぎだろ? 俺たちがここにもっているのは俺がリリーネに関わったからだし、ゼノの件はどうだか知らねえが、こんな殺伐とした町じゃ『魔装具』の気配もまぎれるって言ったのはおまえだぞ」

「それは……そうですが」

 それでもどこか納得しきれていない様子で、唇をむリゼッタに、ギルダスは努めて軽い調子で言った。

「まあ、次に『魔装具』の気配を感じて場所がわかったら知らせてくれ。適当に抜け出して調べてくるからよ」

『魔装具』とゼノの死。この二つが一本の線でつながるかはわからない。それでも、なんとなくきな臭いような、薄氷の上を歩いているような感覚はあった。

 自分の立ち位置さえもわからないような、そんな危うさ――それは、決して心地のいいものではない。

 ローグを敵に回すのは避けたいが、半ば強制のように押しつけられた依頼に従う気はなかった。

 それよりは、さっさと依頼を果たして出ていくに限る。町を出ていくということなら、ローグも止めたりはしないだろう。

 雑魚を一々相手にするのは面倒だが、目的地がわかれば動くのに躊躇ためらいはなかった。

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