11.策謀と制約と(3)
驚きに目を丸くして、ギルダスはローグをまじまじと見つめた。
遠慮のない視線に嫌な顔ひとつせず、むしろ真っ向からその視線を受け止める眼差しは、初対面のことを忘れるならただの善人としか思えない。
どう見ても、無法者の親玉には見えなかった。むしろ、どこかの名家出身の貴族といった風体である。
「そして後ろの彼はスレイ。ローグの、腹心兼護衛みたいなものかしら」
「ちょ、ちょっと待て。あんた、十日後にこいつが帰ってくるって言ってたろ? まだあと三日もあるぞ」
「表向きはそういうことになっていたかな」
言いながらローグはティーカップを傾け、琥珀色の液体を口の中に流し込む。ギルダスには何のお茶か見当もつかなかったが、それなりに高級品なのだろう。ほのかに漂う匂いが、ギルダスの鼻孔を刺激する。
「あの男は隠しているつもりだったようだが、最近のゼノの動きは耳に入っていた。少し留守にすれば、なんらかの動きを見せると思ってね」
「……わざと隙を見せて、誘い出したってことか?」
「外に用事があったのは事実だがね。だが、こうまで思いきった行動に出るとは予想していなかった。そのせいで、少し対応が遅れたわけなのだが……。セバンは残念だった。数少ない戯盤仲間だったんだが」
最後の言葉はサフィーナに向けられたものだった。老人の死を思い出してか、サフィーナの顔が曇る。
ローグが茶を飲み干して、浅く息を吐いた。
「君には感謝しているよ。いくつか手は打っておいたが、ここは管轄外でね。君がゼノを抑えてくれていなかったら、私たちも間に合わなかったかもしれない」
「それと、あなたの雇い主にもね。彼女が異変を知らせて避難を促してくれなかったら、きっと何人かは逃げ遅れていたわ」
「……ま、あいつならな」
そのときの様子が、ギルダスには簡単に想像できた。まるで危機感を煽らないような無表情で、サフィーナに淡々と危機を訴えたのだろう。
「ってこたァ、なにか? 全部あんたの筋書き通りだったってわけか?」
ゼノの不穏な動きを察知しておきながら、あえて町を空ける。事前に網を張っておき、好機と思って行動に出たゼノの一派を一網打尽にする。
それがローグの狙いだったのなら、この一件はほぼ狙い通りに収まったことになる。
「私だけではないよ。彼女も――」
横目で、ローグはサフィーナを見た。
「協力してくれた」
「あん?」
どういうことだと目で訊くと、サフィーナは変わらない笑みのまま首を振った。
「私もなにも聞かされていなかったけれどね。この人がなにかを企んでいるのはわかったから、それに便乗しただけ」
「私と彼が仲間であるとゼノに錯覚させたのは、君の策略ではなかったのかな?」
――テ、テメエら仲間じゃなかったのかよ!?
ギルダスの脳裏を、ゼノの言葉がよぎる。
「……どういうことだ?」
「そう勘違いさせた方が都合がよかったのよ」
サフィーナはこともなげに語り始めた。
「ゼノはローグを恐れているわ。彼の組織力と、その腹心の実力をね。だからあなたとローグの繋がりを匂わせておけば、ゼノも尻込みしてここには手を出しずらくなると思ったの」
ギルダスが雇われた翌日から今日の朝まで、ゼノは『背徳の楽園』に手出しはしていなかった。あれは自分の脅しが効いたからだとギルダスは思っていたが、そういう背景もあったらしい。
「ゼノの猜疑心を煽るのは簡単だったわ。ゼノから見れば、ローグがいなくなっていざ『背徳の楽園』に手を出そうとした途端、あなたという邪魔が入ったわけだから」
「だがそいつは――」
「ええ、偶然よね? だけどゼノはそうは思わなかった。この町で意図的にゼノの邪魔をするような人間なんて、それこそローグと彼に連なる者しかいないもの。ゼノもその可能性を真っ先に疑ったのでしょうね。もちろん、この時点では単なる疑惑でしかないけれど」
その疑惑は、ゼノにしてみれば一刻も早く解明したいものだったに違いない。
「ローグと繋がりの深い私があなたをここに置いた時点で、ゼノの中でその疑惑は真実になったんじゃないかしら。……あとはその信憑性を高める噂を、さりげなく流せばよかっただけ。結局私がしたのは、あなたを雇ったのとそれくらいね」
こともなげに言い終えて、サフィーナは話を終えた。
「……思ってたんだが。怖い女だな、あんた」
切羽詰まった状況での偶然をさも必然であったかのように仕立て上げ、自分の都合のいいように利用する。その計算高さには、感心するしかない。
「これでもフォルテンの町の育ちですもの。それに、あなたに不都合な嘘はついていないと思うけれど?」
いつかに言ったことを揶揄するような台詞に、ギルダスは苦笑して頭を振った。ローグにしろサフィーナにしろ、フォルテンには策謀好きな人間が多いらしい。
その後、思い出したように問いかける。
「ところで、ゼノとその取り巻きはどうしたんだ?」
「もちろん、お引き取り頂いたわ」
予想していた答えに頷き、質問の矛先をローグに向ける。
「なんであいつを生かして帰したんだ?」
「やはり殺したほうがよかったかね?」
「いや。そこらへんはどうでもいい」
あっさりとした答えに、ローグは眉をひそめた。
「ただ、あんたにとっちゃあいつは敵みたいなもんだろ? 後ろの護衛だから腹心だかを使えば、あの程度の人数どうにでもできたんじゃねぇか? あの状況で見逃す理由が思いつかなくてな」
話しながらスレイを見たが、スレイは目を合わせようともしない。すべてに関心がないような印象の男だった。
「たしかにスレイなら可能だろう。だが、私自身が大した力を持っているわけではないせいか、全てを力で抑えつけるのは愚行だと思う性質でね。それに、あまり一つの組織が幅を効かせすぎると、ここの領主やフォルテンを囲む三国に目をつけられる可能性がある。今ぐらいの勢力図がちょうどいい。まあ、ゼノをあの場で殺したとしても代わりの誰かが組織の頭につくだけだが――」
ぽつりと、ローグは付け加える。
「今回の件で、ゼノの底なしの野心も少しは鈍っただろう。なら、あの男にはまだ生きていてもらったほうが、都合がいい」
声音が変わったわけではない。表情もそのままだったが、一瞬だけ男の善良を装う仮面が剥がれ、悪党の顔が姿を覗かせたような気がした。
「……あと一つ、訊いていいか?」
「何かな?」
「あんた、本当はいつ帰ってきてたんだ? ゼノが行動に出るまで、どこかに隠れてたんじゃあないのか?」
ローグは笑って答えなかった。その笑顔に、ギルダスは底知れないものを感じて息を呑む。
「――さて」
ローグは空になったティーカップに視線を落としてから、腰をあげた。
「思ったよりも長居してしまったな。私たちも、そろそろ帰らせてもらうよ」
そうにこやかに告げた頃には、もうすでにただの善良そうな男の顔に戻っていた。
「ゼノの動きは私が抑える。君ともう一人の仲間が、大手を振って街を歩けることを約束しよう。それがサフィーナの依頼を引き受けた条件だったのだろう?」
「……そいつはありがてぇな」
ドアの近くから移動して道を譲り、ギルダスは頷いた。
「なに、サフィーナには恩義があるのでね。彼女の願い事はできる範囲で聞くことにしている。……それとサフィーナ、やはりここは落ち着く。しばらくは無理だろうが、また暇ができたらお邪魔するよ」
「ええ、待ってるわ」
笑みを交わす二人の間には、ギルダスの知らない信頼のようなものがあるらしい。愛情や友情とも違った結びつきが、ローグとサフィーナを繋いでいた。
「それと……」
ローグはサフィーナに近づき、なにかを耳打ちした。その瞬間、ギルダスにはサフィーナの眼差しが、ひどく冷めた怜悧なものに変わったような気がした。
「――では、失礼」
最後まで穏やかな態度を崩さずに、ローグは別れの言葉を口にした。
「――で……」
ギルダスは二人きりになった部屋の中、壁にもたれて力を抜いた。張っていた気を緩める。
「もう依頼は終わりってことでいいわけか?」
期間は十日だったが、ローグが帰ってきた以上、もう用心棒を続ける意味はない。ゼノの動きもローグに抑えられ、ギルダスとしてはこの町に来た本来の目的に取り掛かりたかった。
「そのことなんだけれど……もう少しだけ、続けてみる気はない?」
「また何かに利用しようとしてんのか?」
皮肉気にギルダスが笑うと、サフィーナは頬に手を当てて頷いた。
「利用と言えばそうなるかしらね。今回の一件で完全に収束するまでには、まだ時間がかかりそうなのよね。ゼノはしばらく大人しくするだろうけれど、末端まではどうなるかわからないの。暴走がないとは限らないから、できればあなたにいてもらいたいのだけれど……?」
「無理だな。そっちの事情はわかったが、こっちにもやらなきゃならねえことがある。そろそろ、もう一人の依頼人がしびれを切らすかもしれねぇんでね」
面と向かって言われたわけではないが、リゼッタの不機嫌さは日に日に増している気がする。この上でさらに依頼を後回しにすれば、間違いなく爆発するだろう。
「もちろんそっちの依頼を優先してもらって構わないわ。あなたはここで寝泊まりしてもらうだけでいいのよ」
「……あん? どういうことだ?」
「あなたはゼノを一対一で負かしたのよ? そんなあなたがここにいるというだけで、あなたの強さを知る連中に対しての抑止力になるわ。もちろん依頼料も出すし、もうひとつの依頼に関してもできる範囲で協力するけど?」
至れり尽くせりの条件だった。目の前の女がただの依頼人ならすぐにでも飛びつきたくなる話だ。
それでもギルダスは即答を避け、肩をすくめてみせた。
「あんたはそれでいいかもしれないがな」
サーシャと娼婦たちの非難の眼差しを思い出す。
「他の奴らはどう思うかね? 朝の件で、ずいぶんと俺は信用はなくしたみたいなんだが。俺がまだ残ると聞いたら、反発する奴らも出てくるんじゃないか?」
「それなら大丈夫よ。当の本人が納得しているのだから」
片目をつむって、サフィーナは児戯めいた笑いを返した。
「でなければ、自分からあなたの様子を見になんていかないわよ」
「あいつが……?」
起きぬけに見た人影は、やはりリリーネだったらしい。
それにしてもそんなことを言い出す理由が、ギルダスにはわからなかった。てっきり怖がられて距離を置くだろうと予想していたのだが。
「あの娘はずっと人目を窺う性格を送ってきたから。本心を見抜く才能があるのよ。あなた、口ではあんなことを言っても、あの娘のことを見捨てる気はなかったんじゃないかしら?」
「……さあな」
ギルダスはあえて空とぼけた。結果に確信が持てるほど自信があったわけではない。賭けだったのだ。見捨てる気はなかったと、ことさら吹聴するつもりはなかった。
ちょっとした好奇心に刺激され、ギルダスは思いついた疑問を口にした。
「ところで、あんたはどう思ってるんだ? 下手すりゃあ身内が一人死んでたわけなんだが」
「強引に思えるけど、感情を抜きにして考えればあれが最良の手段だったと思うわ。あの状況で、まさか言いなりになるわけにもいかなかったでしょうし。もしあれでリリーネが殺されていたとしても、恨みはしたけど表だって責めることはしなかったでしょうね」
「そりゃよかった。あんたに睨まれたら、苦労しそうだからな」
「そうね。私もできればあなたを敵に回したくないもの。……手ごたえはありそうだけれど」
相変わらず口元は妖艶な笑みだったが、目は笑っていなかった。
ひき、とギルダスの頬が笑いの形で強張った。
それを見て、なにか? とばかりにサフィーナは首を傾げる。
……藪蛇、か?
茶化して返したつもりが冷や汗をかく結果になり、ギルダスは慌てて誤魔化すように言葉を紡いだ。
「ま、まあ……とにかく、あんたの提案、受けさせてもらうぜ。そこまで聞けば断る理由もないし、それにここのメシはなかなか美味いしな」
一瞬、リゼッタの怒った顔が脳裏に浮かんだが、それはすぐにかき消した。
◆
半ば逃げ出すようにギルダスが退室した部屋で、サフィーナには深く嘆息した。
ローグに耳打ちされた言葉を、さっきから頭の中で反芻している。
――あまりにも襲撃の手際が良すぎる。君には酷だろうが、内通者の可能性を考えた方がいい。
「……言われなくても、わかっていたことね」
仮にギルダスたちがここを出るのを見てから人数を集めたとしても、あそこまで早い襲撃は不可能だった。
わかっていたのだ。今日の朝、邪魔な用心棒がここを空けることを。もちろん、偶然別件でゼノとその配下が『背徳の楽園』の近くに集まっていた可能性もあった。
だが、偶然と信じきれるほどサフィーナは楽観主義者ではない。
さらに――残念ながら彼女には、疑うべき候補が視えていた。
「気が、重くなるわね」
頭の中でその人物の顔を思い浮かべ、どうすべきかを考える。
ここに呼び、問い詰めれば――もし彼女がそうだとすれば、間違いなく自白するだろう。
その後は追放――犯した罪を償ってもらうには、それ以外に考えられない。この町でそれは死と同意語だとわかっていても。
でも、やらないわけにはいかない……か。
これを許せば、同じことがまた起きないとも限らない。
慈悲だけでは全てが済ませられるはずもなく、寛容も過ぎれば毒になる。
「けれど――」
彼女一人ではない。あの娘に、こんな大それたことができるわけがない。間違いなく、それを強要した者がいる。
彼女の性格を考えれば、自分が追い出されたとしても、自分を貶めた者の名を明かそうとはしないだろう。
だからしばらくは泳がす。何も気づかなかったふりをして、何事もなかったように日々を過ごさせ、そしてその者の正体をあばいたあかつきには共に償ってもらう。
それまでは。その間だけは、ここでの平穏な生活を許してもいい。
――そう、これは慈悲ではない。
再び嘆息し、手を顔に伸ばす。
常にその状態で、地顔のようになった笑顔をサフィーナは揉みほぐした。
その日だけは笑顔を忘れて、眠りにつきたかった。
◆
フォルテンの夜は、静寂で満たされている。
ただでさえ高い犯罪率が跳ね上がり、まともな部類の住人なら決して出歩こうとしないからだ。
それは月のある夜だろうと関係なく、すべての夜に共通していた。
そんな危険な時間に――二人分の足音が、静かなフォルテンの夜に響く。
その内の一人は身なりのいい男で、着ている服を奪って売り払うだけでもかなりの金銭が得られそうだった。石畳に踏む革靴だけでも、二、三日分の食費にはなるだろう。
だが、この二人を襲う者はいない。今夜の獲物を探していた物盗りも、二人の姿を見た途端、回れ右をして元来た道を引き返していく。
それも道理だった。この人心が荒廃しきった町で最も強大な力を持つ――組織としても単体としても――二人に無法を働こうとする愚か者は、この町で生きていく資格はない。
「もし、仮に――」
無駄を感じさせない滑るような足取りのスレイに、ローグは問いかける。
「おまえと彼――ギルダスと言ったな。あの少年が戦っていたら、どういう結果に終わっていた?」
表情は相変わらず穏やかで、しかしその口調はサフィーナたちと話していたときよりも幾分か素っ気ない。とはいえ、薄情さも感じられない声音だ。
「手こずります」
片や、スレイの声音はその表情と同じくなんの感情も読み取れないものだった。ほとんど唇を動かしていないので、初めて聞いた者にはそれがスレイの声であると気づかない場合が多い。
「おまえが勝つと断言しないのは珍しいな」
「殺しにくい、相手です」
「そこまでか」
スレイは護衛という立場にも関わらず、ローグの一歩後ろを歩いている。いつものことだった。どんな事態であっても、スレイの守りの剣が間に合わないことはない。
そう絶大の信頼をおく腹心の言葉に、ローグは自身の中のギルダスへの評価を改める。
不思議な少年だった。
気絶する前と後では、明らかに態度が違う。ゼノ殺害にあれほどこだわっていたかと思えば、数時間後にはどうでもいいとすら言い放った。
それに、気絶する前に見せたあの異様な笑い。狂的なものすら感じさせるあれに、ローグは危うさを覚えた。敵だけではなく、味方や自分さえも傷つけかねない。そう錯覚させるほどだった。
「しかし、危うい賭けに出たものだな。おまえがいなかったら、あの少女は殺されていただろうに」
「いえ……。俺が、やらなくても。たぶん、助かっていたかと。ギリギリのところですが。投剣が、間に合っていました。指示があったので、斬りはしましたが」
常に無駄口をたたかず、影のように佇む青年の長広舌に、ローグは瞠目した。
「珍しく喋るな。血が騒いでいるのか?」
返事はない。ということは、自分でもわからないということか。
剣を抜いたスレイと向き合って、それでも怯まない人間を見たのは初めてだった。刺激されたのかもしれない。
「まあいい。だが、その戦意は今はしまっておいてくれ。これからの大事な時に、おまえを失うわけにもいかない」
足元にまとわりついていたゼノの一派を封じた今、後顧の憂いはない。
数年がかりの計画も、ようやく佳境へと差し掛かっている。
「これからだ。この町に流れ着いてからようやくここまできた。今さら頓挫するわけにもいくまい。すまないが、もう少しだけおまえの力を貸してくれ」