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10.策謀と制約と(2)

「――……んね」

 誰かの呟きを聞いて、リリーネは目を覚ました。

「……あ」

「リリー、ネ……? リリーネっ!」

 夢現の境がはっきりすると同時に、彼女の体は暖かい抱擁に包まれていた。驚きに声をあげそうになる。

「よかった……」

 涙に濡れた、姉を慕う人物の声。混乱はすぐに収まり、なんで自分が寝ていたのかも思い出したが、恐怖がぶり返すこともなかった。

「ミリ、姉さん……」

 穏やかな気持ちのまま、リリーネも控えめに抱擁を返した。

 悲しさや寂しさに暮れていた時、姉はいつもこうしてくれた。最初のころは嫌がって抵抗したけど、包むこみ優しさがいつからか好きになっていた。

 久々に感じる彼女の抱擁は変わらずに暖かく――ふと重さを感じた。

「姉さん……?」

 耳元でかすかな寝息を感じて、リリーネは事情を察した。

 外を見ると薄暗く、姉の性格を考えれば付きっきりで側にいてくれたことぐらい想像がつく。

「……姉さん」

 心配をかけてしまったことが心苦しく、またここまで心配してもらったことがありがたかった。

 リリーネはミリの体を支えたままベッドから降りて、代わりに彼女の体をそっと横たえた。

「ごめん……ごめ……なさい」

 耳に届いた寝言に、リリーネは少しだけ動きを止めた。

 苦しそうな寝顔を見て戸惑ったが、以前に自分がしてもらったように手を握っているとすぐに安らかなものへと変わる。

「おやすみ……姉さん」

 ミリを起こさないように気をつけながら、リリーネは手を離した。本当は側にいたかったが、どうしても知りたいことがあった。

 音をたてないように、リリーネはそっと部屋を抜け出した。


 廊下に出てすぐに、リリーネはサーシャと顔を合わせた。

「リリーネっ。もう大丈夫なの?」

「腕とか痛くない? 掴まれてたとこ」

 一緒にいた他の女たちも、心配する声を投げかけてくる。

「あの……本当にごめんなさい、心配かけてしまって。もう大丈夫ですからっ」

 深々と頭を下げて、労わるような眼差しから視線をそらした。

 今はまだ心配してくれる。けれど自分に向けられる眼差しが、いつ疎ましいものを見るときのそれに変わるかと考えると、怖くてつい過剰な反応をしてしまう。

「謝ることはないわよ。あんたは悪くないんだからさ。悪いのはゼノの馬鹿たちと……」

 不自然に言葉が途切れ、リリーネは内心小首を傾げた。

「……ところでミリは?」

「あ……中で寝てます」

「そう……。ほっとしたんだろね。なんにしても、あんたに怪我がなくてよかったわ。人質にされてた時なんて、冷や汗ものだったからね」

「そうそう。サーシャなんて、姉さんが止めなきゃ飛び出してたぐらいだからねぇ」

 古株の娼婦に茶化され、サーシャはバツの悪い顔をした。

「しょうがないでしょ。あんなの聞けば、飛び出したくもなるわよ、まったく。もうちょっとやり方を選んでくれても――」

 サーシャが誰を非難しようとしてるのかわかった瞬間、リリーネは叫んでいた。

「ギルダスさんは悪くないんですっ。私が、捕まったから……」

 戸惑いを顔に浮かべて、娼婦たちは黙りこむ。

「……リリーネさ。途中から気絶してたんだよね? あいつ、リリーネを見捨てようとしてたんだよ?」

「あれはっ……その……本気じゃ、ありませんでしたから」

 気を失ったのは、強く引っ張られて抱き止められた瞬間だった。張りつめたものが切れるようにあっさりと意識を失った。

 改めて思い出すと恥ずかしくてつい口ごもってしまったが、それ以前のギルダスとレイゾの会話も当然聞いている。

 なんでそんなことがわかる? と言いたげな視線が集中したが、うまく説明できそうになく、リリーネは顔を俯かせた。

「まあ、あんたがそう思うならいいけどね」

 納得のいってない様子だったが、サーシャはしぶしぶと頷いた。

「あの……ギルダスさんは?」

「部屋にいるわよ。まだ目を覚ましていないと思うけど」

「え……! なにかあったんですかっ?」

 まさか、あのあと……!?

 顔面蒼白になったリリーネに詰め寄られ、サーシャは思わず胸をそらした。

「た、たいしたことじゃないわよ。勝手に気絶しただけなんだから」

「え? あの、怪我をしたとかじゃなくて……」

「気になるんだったら見に行けば? たぶん寝てるけどね。姉さんには、私から知らせとくから」

 まだ若く、リリーネと雑務をすることも多い娼婦がとりなすように言った。

「すいません、それじゃ……!」

 リリーネは頭を下げると、急いでギルダスの部屋に走っていく。

 あとに残された三人の女は、唖然とそれを見送った後に視線を交わした。

「どう思います?」

「どうって……」

「リリーネ、本当にあの用心棒の子のこと好きなんですかね?」

 若い娼婦が浮かない顔をする。

「たしかに、あの娘が大きな声を出すなんて珍しいわよね」

 古株の娼婦が、物憂げな息をこぼした。

「リリーネがどう思っているにしても、私は一言言ってやらなきゃ気がすまないね!」

 とげのある口調で、サーシャはそう吐き捨てた。


「……お邪魔します」

 部屋の中は真っ暗だった。

 ドアを叩いても反応がなく、はやる気持ちのままにリリーネは気づいたらベッドのすぐ側に立っていた。

「寝て……いるんですよね……?」

 恐る恐る覗きこむと、暗闇に慣れた目がぐっすりと眠るギルダスの寝顔を映した。

 ……よかった。

 穏やかな様子にほっと胸を撫で下ろし、息を吐く。どう見ても、普通に眠っているようにしか見えない。

「でも……」

 つい引き寄せられるようにして顔を近づける。起きている時の印象とは異なり、その寝顔はどう見ても年頃の少年のものだった。

 だが、ほんの数時間前に強面の男たちと渡り合ったのもこの少年なのだ。

 あんなに堂々と。怯えもせずに。

「っ……」

 人質にされたときの恐怖を思い出して、リリーネはきゅっと手を握った。

 首には冷たい硬質の刃を当てられ、後ろ手に掴まれて逃げることもできない。

 セバンの死体を思い出し、自分ももうすぐああなるんだと怯えていた。絶望の淵に立たされたまま人質として使われ――

『……捨てると思うか?』

 そのあとに続くギルダスの言葉に、リリーネははっきりと“嘘”を感じ取っていた。

 他人のついた嘘を、リリーネは高い確率で見破れる。

 親に捨てられた時に、最後に嘘をつかれたせいだと自分では思っている。それ以来、リリーネは人の話が嘘か本当か見分けれるようになっていた。

 根拠はない。それでも、リリーネの直感が外れたためしはほとんどなかった。

 そのリリーネの直感が、ギルダスの無情な振る舞いを嘘だと見抜いていた。

 それがわかった時点で、不思議と恐怖は薄れていった。

 死ぬのは怖いし、痛いのもいやだ。けれど、自分のせいで家族に――『背徳の楽園』の娼婦たちに危害が加えられるのは、もっと嫌だった。

 同時に、追い詰められて嘘をついても堂々としていられるギルダスが、リリーネの目には眩しく映った。

 自分みたいになにかに依りかからなければ生きていけない人間には、どうやったらあんなふうに強く振る舞えるのかわからない。けれどその強い意思には、自分のおかれた状況を忘れるほど、魅せられずにはいられなかった。

 ふと、抱き止められた時のことを思い出す。

 考えてみれば、あんな経験は初めてだった。男の、それも同い年ぐらいの男の子に抱きしめられるのは。

 あのあとすぐに気絶してしまったが、その直前に感じた熱を思い出して、リリーネは顔が熱くなっていくのを感じた。

「……う」

 自分のものでない声に、リリーネの思考は一瞬停止した。


 ◆


 暗闇の中で、不思議とそれだけは見えた。

 水中にいるような感覚の中、ギルダスは自分と正対した存在を見つめていた。

 赤い髪の少年だった。身じろぎせず、意思を感じさせない瞳をギルダスに向けていた。

 まるで抜け殻のようなその姿に薄気味悪さを感じたのは、最初のころだけだ。指先一つ動かせず、視線を逸らすことすらかなわないこの状況も、いまではもう慣れた。

 諦観に支配される思考を持て余し、ただただ時間だけが過ぎていく。

 ……おまえはなにがしたい? いつまでしがみついているつもりだ?

 答えなど期待しないままぼんやりと疑問を浮かべ、ギルダスはその少年を見つめた。

 夢の終わりまで、ただじっと見つめていた。



 まぶた越しの吹きかかる吐息の熱で、ギルダスの夢は終わりを告げた。

「――もう一年も経つってぇのに……」

 疲れたように呟くと、近くで身震いするような気配がした。

 まぶたを開くと、すぐ側に人の顔があった。暗闇に慣れた目が、その輪郭をうっすらと捉える。

「リリーネ、か?」

「――っ!」

 声をかけられたその人影は、ばっと飛び退くと、慌ただしい足取りで部屋を出ていってしまった。

 一人取り残され、閉められたドアを見て釈然としない気持ちになった後でギルダスは深々と息を吐いた。

 体を起こしても痛みはなく、若干の倦怠感けんたいかんが残っているだけだ。

 窓から射しこむ月明かりが、もう夜になったことを告げていた。

「――もう、問題はないようですね」

 ドアが開かれると同時に、聞き慣れた声が耳朶じだを打つ。

 ドアを開けたまま部屋に入ってきたリゼッタがベッドの側に立ち、

「念のため、少し診させてもらいます」

医者が病状を俯瞰ふかんするような眼差しで、そう言った。

「ああ……頼む」

 頷いたギルダスの顎に、ほっそりとした手が添えられる。そのまま持ち上げられ、蒼い目が真っ直ぐにギルダスのそれを覗きこんだ。

 吐息のかかる距離で、リゼッタはギルダスの目を通してなにかを見ていた。おそらく――ギルダスの内にいるもう一人を。

 それほど時間はかからずにそれは終わり、リゼッタは顔を離していつものように素っ気なく告げる。

「異常は見当たりませんでした」

「そうか……」

 もう慣れたとはいえ、安堵する瞬間だった。

 ほっと息を吐くと、リゼッタがさもついでのように言葉をよこす。

「それと、起きたらサフィーナが部屋に来てほしいとのことです。話があると」

「ああ、わかった」

 余計なことを喋る気力もなく、最低限の返事をすると、リゼッタはもう用がないとばかりに出ていきかけ、

「……あまり、無理はしないでください」

なにかに耐えるように、そう呟いた。

「……あ? なんか言ったか?」

「あまり、面倒をかけないでくださいと言ったんです」

 声が小さすぎて聞き取れなかったギルダスの問いにぶっきらぼうに答え、リゼッタは振り返る素振りも見せずに部屋から出ていく。

 一人取り残されたギルダスは、忌々しげに顔を歪めて呻いた。

「……おまえはなにがしたいんだ? クソガキ……」

 胸に指がめり込むほど強く掴み、夢の中で思っていたことを実際に口に出す。

 掴んだ部分は痛むが、気を失う直前に感じていた痛みとは比べようもない。

 答えなど望めるはずもなく、ギルダスは諦観に目を伏せて手を離した。見下ろす胸には、赤黒く痣が残っていた。


 ギルダスが廊下に出ると、そこはすでに掃除されたあとだった。

 死体はおろか、血痕や血臭も残っていない。とはいえ壁に刻まれた傷跡だけはどうにもならなかったらしく、そこかしこに今朝の惨劇の跡が残っていた。

 体の状態を確かめるようにゆっくり歩いていると、立ちふさがる人影に行き詰まった。

 腰に手を当てたサーシャが唇を引き結んで、ギルダスを見下ろしている。

「なんだ?」

 ギルダスが怪訝けげんに見上げると、サーシャがまなじりを吊り上げて口を開いた。

「あんたねっ、なに考えてるのよ!」

 噴き出した怒声が、ギルダスに叩きつけられる。

「あァ?」

「あァ?、じゃないわよ! 上手くいったから良かったものの、リリーネが殺されてたらどうするつもりだったの!?」

「……ああ――」

 リリーネを人質に取られ、レイゾを脅し返したときの会話をドア越しに聞いていたのだろう。

 気づけば、サーシャだけではない。ドアを少しだけ開けて、非難を訴える目がいくつもあった。

「はぁ……」

 髪を掻き回してギルダスはため息をつく。

 その態度がかんに障ったらしく、サーシャは激昂げっこうして声を張り上げた。

「あんたねっ、わかってるの!? 娼婦なんて、顔に傷が残ったらそれでおしまいなんだからね!」

「なら――」

――どうしろってんだ!

 反駁はんばくしかけ、サーシャの怒りが自分が死にかけたときよりもはるかに激しいことにギルダスは気づいた。なぜかはわからなかったが、くすぶりかけていた苛立ちが消えていく。

「……なによ?」

 とはいえ向こう側の怒りが収まったわけでもない。弁明するのも面倒だし、どう言ったところで納得はしないだろう。

「悪いな。文句は後で聞く」

 ギルダスは何気ない動作で、廊下を塞いでいたサーシャの横をすり抜けた。

「……え? ちょ、ちょっと――」

 唖然として振り向くサーシャに、牽制けんせいの一言を放っておく。

「サフィーナに呼ばれてるんでな」

 唇を尖らせて、サーシャは口をつぐむ。背中に突き刺さる剣呑な視線が、不思議と不快に感じられなかった。


 キズだらけになったサフィーナの部屋のドアに手を伸ばしたギルダスは、途中でその動きを止めた。

「――」

 中から複数の気配と、話し声が聞こえる。

 ……来客中か?

 少し躊躇ちゅうちょしたものの、呼んだのはサフィーナだと思い直してギルダスはドアを開いた。

「あら」

「……!」

 予想だにしていなかった光景に、ギルダスは咄嗟とっさに『魂精装具ソレスタ』を具現化しそうになる。

 首を傾げてこちらを見るサフィーナ、これはいい。

 問題はその対面に座る人物だ。

 数時間前に剣呑な事態になりかけたローグという男がそこにいた。その後ろには、彫像のように微動だにしない精錬者の若い男がいる。

 ローグはギルダスを見ても穏やかな微笑を崩さず、もう一人にいたっては視線を動かしただけで向き直る様子もない。

 ギルダスの警戒に気づかないはずもないが、サフィーナはそのことについて言及はしなかった。

「もう大丈夫なの?」

「……なんとかな。ま、持病みたいなもんだ」

 二人の男を視界に入れたまま――いつ動かれても対処できるように――ギルダスは肩をすくめる。

「まあ色々と訊きたいことはあるんだが――まず、こいつらは誰だ?」

 対面のローグと目を合わせて、サフィーナはいつもとは違った笑みを浮かべた。ローグも同じように笑う。

「紹介が遅くなったわね」

 そしてどこか誇らしげに言った。

「彼の名前はローグ。以前に私が話した、フォルテンの裏勢力の中でも、最大の権勢を誇る組織を一手に取り仕切る男よ」

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