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9.策謀と制約と(1)

 白刃がリリーネの胸に迫る。ギルダスが背中の短剣に手を伸ばす。

 短剣を引き抜かれ、ギルダスの手から投げ放たれる。切っ先が、リリーネに突き刺さる。

 そのいずれよりも早く――

 ヒュッ、と音がして、男の首を横断するように線が走った。

「なっ……!」

 その線から赤い液体が溢れ出し、

「……へ?」

男の呆けた声に合わせたように、その頭だけが転がり落ちる。

 頭部を失った体がゆっくりと前のめりに倒れ、ギルダスは咄嗟にリリーネの腕を取って体を抱きよせた。

 思い出したように噴き出した血が、二人の体を赤く染めていく。ギルダスは反射的に腕で顔を庇い、目を凝らした。

 血煙の向こう側に、人影が見える。

 最初に目に入ったのは、無機質な瞳だった。

「――っ」

 ギルダスの思考が、一瞬で鮮明になる。

 男の立っていた場所からわずかに離れて、剣を振り終えた状態で静止している若い男がいた。

 ……こいつァ……。

 人ひとり殺した後だというのに、男は眉ひとつ動かしていなかった。リゼッタのように、無理に抑えている感じでもない。無表情というわけでなく、感情そのものが感じられなかった。

 相当に慣れているか、もしくは“壊れている”。

 血払いをして、男が奇妙な形状の剣を下ろす。

 細見の、わずかに反りが入った片刃剣。刺突剣のようにも見えたが、その剣には切っ先がなかった。斬撃専用らしい。

 その色は、純白にはほど遠い濁ったような白。そんな色の剣が、ただの剣であるはずもない。『魂精装具ソレスタ』だった。

 それは今さら驚くことでもない。ギルダスが脅威に感じたのは、太刀筋がまったく見えなかったということだ。

 首なし死体を見ると、その傷口は驚くほどなめらかだ。よほどの使い手が切れ味の良い刃物でやったとしてもこうはならない。

 ……なに者だ、こいつは……?

 男が顔を上げた。ギルダスと男の双眸が、正面からぶつかる。殺気の残滓に、肌が泡立った。

 血臭に息が詰まりそうな空間に、場違いなほど落ち着いた声が響いたのはそのときだった。

「――切迫した事態だったのでね。少々、手荒い手段を使わせてもらった」

 目の前の男ではない。

 そのさらに後方から、ゆったりとした足音が近づいてくる。

「ひぁ……!」

 レイゾが小さな悲鳴をあげてへたり込み、白の『魂精装具ソレスタ』の男が体を横にずらす。

「それほど長く留守にしたつもりもなかったんだが。私のいない間、ずいぶんと色々なことがあったようだ」

 旧友に向けるような穏やかな眼差しが、立ちすくむゼノを捉える。

「久しぶり……と言うほどでもないか? ゼノ」

「ローグ……なんでテメェがここに……」

「私がいると、なにか不都合なことでもあるのかな?」

 からかうような、涼やかな声音だった。

 奥から歩み出てきたのは、この町には不釣り合いな風貌の三十代半ばの男だった。香油で髪を後ろに撫でつけ、華やかな舞踏場こそふさわしい正装でその身を飾っている。そしてそんな装いが生まれついてのもののように似合っていた。

 男――ローグは、自分の言葉になにかを思い出したかのように頷き、さらりととんでもないことを口にした。

「そう言えば――今日、なぜか“たまたま”私の管理している区域が、何者かに一斉に襲撃を受けてね。もちろんすべてを撃退させてもらったが、おかしな偶然もあるものだ」

 こともなげに言ったその言葉に、ゼノの目が限界まで開かれる。

「おまえ……最初から知って……」

「なんのことかな? 言ったはずだ、おかしな偶然、と。困ったことに、襲撃を指示した者についてもなにもわからずじまいだったが。襲撃者はすべて殺すか取り逃がしてしまったようなのでね。……ふむ、そう思えば――ゼノ、君がここにいるのも、これもまた偶然なのだろうな」

 その口調は決して威圧的ではない。なのに、誰もかもが言葉を封じられたように押し黙っていた。レイゾも、ゼノも例外ではない。

 ギルダスだけが、ローグと、後ろで影のように佇む男を注視していた。

 血だらけになった廊下を見渡し、ローグはさも困ったように眉をひそめた。

「さて。見ての通り、ずいぶんと汚してしまったのでね。その片付けもあるし、個人的にサフィーナとも話がしない。すまないが、お引き取り願えるかな?」

「……っ!」

 ゼノの人を殺せそうな眼を向けられても、ローグは微風が吹いた程度にしか感じないらしい。ゆっくりと、含むような言い方で再度問う。

「もう、君がここにいる意味もないだろう?」

 質問の形をとっていながらも、言っていることは明白だった。

「く……」

 ゼノの肩が力なく落ち、『魂精装具ソレスタ』が粒子に還って空気中に溶ける。

 重い足取りで階段に向かい――ギルダスの曲剣がその進路を塞いだ。

「俺がおまえを、生かして帰すと思ったか?」

 ゼノの表情が凍りつく。盛んに目を動かして、ギルダスとローグへ交互に目をやった。

「て、テメエら仲間じゃなかったのかよ!?」

 悲鳴じみた叫びに、ギルダスは眉をひそめた。

 仲間……?

「私としては、彼に死なれると困るのだがね」

 事の推移を興味深そうに見守っていたローグが、口を挟んでくる。

「関係ねぇな」

 ギルダスは一瞥をくれて、吐き捨てた。

「あんたがどこのどなた様か知らねえがな、いきなりしゃしゃり出てきて場を好きに仕切ってんのは気にくわねぇ。いまは引っ込んでろ、こいつは殺す」

 なぜかは知らないが、この男はすべてを――目の前の首なし死体も含めて、なにもなかったことにしようとしている。偶然という理由付けをして、なにもかもに目をつむらせようとしていた。

 それはいい。だがゼノを見逃すことだけは、理由も知らずに納得できる話ではなかった。

――いや。どんな理由があろうが、納得はできるはずがない。

「君がどうしても我を通すと言うなら、こちらも穏便な手段を選んでいられなくなるが」

「やってみやがれ」

 ……俺はなにを言ってる?

 口では頑強に拒みながらも、ギルダスは自分の態度に疑問を覚えていた。

 この場でゼノを見逃したとしても、面倒なことにはなるだろうが依頼内容には抵触しない。依頼は『背徳の楽園』の用心棒だ。ゼノがこれ以上暴れる意思がないのなら、ここで拒むことの意味はない。

 むしろ、白い『魂精装具ソレスタ』使いを敵に回さなくてすむ。

 あれは正面きって戦うには分が悪い。ゼノなどとは比べものにならないほどだ。強敵を前にして殺気立っている? バカか。意味もなく敵を増やすほどの愚行はない。なにより、命の取り合いを生きがいにしている戦狂いというわけでもない。

 それに、さっきからもって回った言い方をするあの男。

 ローグというあの男の素性がわからないうちに、敵に回すのは賢い選択とは言えなかった。後のことを考えたらここは、見逃すべきだ。

 それらはすべて理屈だ。打算的な思考の結果だ。傭兵として出した結論を押しのけるだけの事情はない。なのに――心の淵から訴えかけるものがあった。

 打算? 理屈? 

――いや、そんなことはどうでもいい。俺はこいつが――

 ……どうでも、いい? まずい、これは――

 思考と感情が乖離かいりしている。頭の中の冷静な部分が、心当たりのある現象に警鐘を鳴らす。それすらも無限にわき出す猛り狂う感情に塗りつぶされていった。

 リリーネを抱きしめる腕に力が入る。さっきまでのなにかに耐えるような泣き顔が、頭にこびりついて離れなかった。

 あの泣き顔の元凶は誰だ? 決まっている。ゼノだ。

 それをむざむざ見逃すのか? ここまできて?

 ありえない。俺はこいつが許せない。

 許せなくて? それでどうする?

 ……決まっている――


「ク、クク……」

「ヒ――」

 ゼノの首に喰いこんだ刃が、皮を裂き肉の筋を断っていく。熱を残した血液が、刀身を伝って鍔元にたまっていく。

 体の奥底からわき上がる激情のすべてが、純粋な殺意に収束されていく。

 譲らない意思をこめて、ギルダスはローグを睨みつけた。ローグの微笑が消える。ゼノ相手にはあった余裕が、なくなっていた。

「……スレイ」

 呼びかけに応じて、傍らの男が腰を落とす。溜めの姿勢。

 空気が張り詰める。身を斬るような緊張感に、全身が浸される。

 久々に味わう感覚に、ギルダスは乾いた唇をそっと舐めた。

「……死ね」

 半ばかすれた声が囁く。それが自分のものだと、すぐには理解できなかった。

「――待って」

 一触即発の空気を、艶やかな声が緩和した。

「……あんたか」

「サフィーナ」

 いつの間にか部屋から出てきたサフィーナが、殺気渦巻く中心へと近づいてくる。

 周囲にはゼノの手下たちがひしめいているが、空気に呑まれて動く気配はない。

 サフィーナも、男たちなど目にも映っていないような態度だった。若干青ざめてはいるものの、気遅れした様子はない。

 普段と変わらない官能的な表情を見て、ギルダスの抱えていた殺意がほんの少しだけやわらいだ。

「とりあえず、リリーネをそろそろ放してもらえるかしら? その娘――気を失っているわ」

「……あ?」

 言われてみると、胸中のリリーネはぐったりして身動きひとつしていなかった。

 ……無理もねえか。

 何人も人間が斬殺される場面を見た上に、自身は人質にされたのだ。これだけのことが立て続けに起これば、気絶しない方がおかしい。

 ギルダスはしがみつくリリーネの手を、そっと引き剥がした。

 隠れていた顔が露わになる。血色を失った唇を震わせ、目元が濡れているその有様は悪夢の最中にあるようで、ギルダスの胸がチクリと痛んだ。

 そのまま床にそっと横にしようとして、

「キィヒャハハハアァッ!!」

耳をつんざく狂喜の声とともに、ゼノがサフィーナに飛びかかる。

「――っ!」

 ギルダスの曲剣が首を浅く切ったが、その動きは止まらない。

 無傷なほうの腕がサフィーナの首に伸ばされ、

「……フッ!」

脇腹に衝撃を受けて、ゼノは口端を吊り上げたまま吹き飛ばされる。

「ケッ……ハ……」

 そのまま壁に全身を打ちつけて、ピクリとも動かなくなった。

「――雇い主に別の依頼を手伝わせるとは、どういう了見ですか?」

 サフィーナの後ろからゼノを蹴り飛ばしたリゼッタが、氷の眼差しでギルダスをたじろかせた。

 が、すぐにギルダスの顔に浮かんだ焦りの感情が薄れ、代わりに冷酷な殺意を放つそれに変わる。その殺意の向けられる方向を見て、リゼッタの表情がいつもより硬いものに変わった。

 無言のままゼノに近づくギルダスの耳元に口を寄せ、その手を握った。

 振り払おうとする手を持ち上げ、リゼッタは“力”が流しこむ。熱に浮かれる頭を覚ますような、力の奔流。

――ピクン。

 体を震えさせて動きを止めたギルダスに、そっと囁いた。

「“引きずられて”いますよ」

 ストン、とリゼッタの言葉がギルダスの胸の内に収まった。

 さっきまで体の中を渦巻いていた熱が、急速に冷めていく。

「くっ……」

 振り向くと、リゼッタの冷やかな双眸が睨みつけてきた。

「……戻ったようですね」

「……ああ」

 ゼノに向けていた殺意が霧散し、かわりに胸に刃をねじ込むような激痛が襲ってきた。“反動”だ。

「ぐっ、が……」

 耐えがたい苦痛に額を脂汗で濡らし、ギルダスは声を絞り出す。

「悪い……手伝い、ついでに……あとは、任せた……」

 それが限界だった。

 痛み以上に強烈な衝動に、ギルダスの意識は呑みこまれていった。

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