スコットさん
今日も今日とて、トテトテと。
俺は、畑の周りを走っていた。
昨日行った一日の流れを、今後は日課にしていこうと考えている。
午前、走り込み(気の鍛錬)
午後、文字習得(思念に関するヒントを探るため)
夜、精神統一(錬気の生成)
クロネルやイザベルが休みで家にいる時は、無駄と分かりつつも魔法のイメージトレーニングをしようと思う。
これを行っていけば、少しはマシな人間になれるだろう。
「ゼェ―ハー!ゼェ―ハー!」
午前の日課をやり遂げ、肩で息をする。
次は、午後の文字習得だ。
クロネルに連れて行ってもらい、治療院へ向かう。
治療院に着くと、中にはスコットさんしか居なかった。
反射的に顔が引きつる。
昨日、あまり関わらないようにしようと決めたところなのに。
「おれ?今日はスコットさんだけですか?イザベルも仕事に行ったと思うんですが……」
クロネルが、キョロキョロと辺りを見回しながらスコットさんに尋ねた。
「ええ、イザベルもスージーも自宅訪問治療に向かいました。ちょうど、重なってしまって」
「そうなんですか。イザベルがいない時にまで預かってもらうのも悪いですし、今日はお暇させてもらいましょうかね。仕事の邪魔にもなるでしょうし」
ナイスだ、クロネル!このまま、お家に帰ろうぜ!
「ネロ君のことなら、構いませんよ。その子は賢いですから仕事の邪魔なんかしてこないですし」
そう言われると、クロネルがヘニャッとした顔つきになった。
「いやーバレてましたかー。そうなんです。賢いんですよねーネロは」
頭の後ろに片手を回して恥ずかしがってる。
親バカ発揮しすぎだろ。こっちが、恥ずかしいから止めて欲しい。
「ネロ君とは私もお話したかったですし、ちょうどいいです。私が責任を持ってお預かりますよ」
話あんの?嫌だわー。
「そうですか?すみませんね。じゃあ、お言葉に甘えてよろしくお願いします」
俺の気持ちを他所に、クロネルが俺の背中を押す。
「ほら、ネロ。ネロからもお願いしますだ」
「……お願い、します」
最悪だ。
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すぐに話しかけてくるのかと思ったが、予想に反してスコットさんは淡々と仕事をしていた。
俺は、いつもの椅子に座り絵本を眺めていた。
集中できない。
どうしても、気になってしまう。
話ってなんだよ。
するなら、早くしてこいよ。
そう思っていた矢先、スコットさんがカルテを見ながら何気なく話しかけてきた。
「そういえば、ネロ君は英雄に憧れているんだってね」
話ってそれ?昨日、あんなこと言っといて普通にそんな事聞いてくんの?
ますます、よく分からない人だ。
「あれは、父が勘違いしただけで、僕は正直そんなつもりはありません」
あっマズった。
スコットさんからイザベルにこの話が流れる可能性がある。
そうなると、クロネルにも話は行くだろう。
そんなことになったら、二人がガッカリしそうだ。
特に、クロネルが。
「そうだったのかい。まあ、クロネルさんなら早とちりしそうだしね。心配しなくても、この話はここだけにしとくから大丈夫だよ」
「あ、ありがとうございます」
「クロネルさんは家でも、あんな感じなのかい?」
「ええ、特に変わらないですね……というか、普通に話しかけてきますね。スコットさんは何がしたいんですか?」
またマズった!
焦れて自分から昨日の話題に触れてしまった。
すると、スコットさんは昨日も見せた穏やかな目でこちらを凝視してきた。
「自分の気持ちには正直になれたみたいだね」
「はい?」
「言葉の端々に棘を感じる。私を嫌悪している証拠だ。それに、言葉が流暢になっている。それが、君本来の姿だよ」
言われて気付いた。
確かに、言葉が緊張も無くスラスラ出ていた自分に。
驚きに言葉を失っているとスコットさんが続けた。
「初めて君がここに訪れて、イザベルと僕達との対応の違いを見てからずっと気になっていたんだ。どうにかしてあげたいなってね。昨日は酷い事を言ってすまなかったね」
「いえ、あの、その。なんで、あんな事言ったんですか?それに、僕が話せている理由もよく分からないんですけど」
すると、スコットさんはカルテを置きツカツカ歩いてきて、目線を俺に合わせた。
「君が、話す相手じゃなく人そのものを怖がっていると思ったからだよ。だから、私という人間をしっかり見てもらうために、敢えてああいう事を言った。君が今話せているのは、私という人間を嫌悪という認識で見て、決して怖がってはいないからさ」
つまり、俺が怖いと感じていたのは「人」という大きな枠組みのものであって、対個人として相手を何かしらの認識で見れば、話が出来るということか?
だから、自分の感情は素直に認めろなんてことを言ったのか?
相手を自分がどう思っているか、認識するために。
ただ、それならクロネルやイザベル達と最初に上手く話が出来なかった理由に説明がつかない。
俺は、話が出来なかった時でもあの二人は良い人間だと認識していた。
「スコットさんの言うことは分かりました。でも、納得は出来ません。僕は、初め両親相手ですら上手く話すことが出来なかったんです。二人は良い人だと認識していたのに」
「それなら、君に一つ質問だ。なぜ、今はあんなに仲良く話せるようになったんだい?」
「それは……あの二人が自分を受け入れてくれると思ったからです」
「君は、自分が嫌いなのかい?」
「好き嫌いで言えば、嫌いです。自分は、碌でもないところのある人間ですから……」
そこで、はたと我に返った。
こんな意見は、流石に賢い一歳児で済まされるようなものじゃない。
不信に思われる。
どう言い訳しようか悩んで口をつぐんでいると、スコットさんが変わらぬ穏やかな表情で「続けようか」と言った。
「碌でもないところは、誰にでもあるさ。でも、君はそれを悟られるのが怖いんだね。どうしてだい?」
何故だか分からないが、不信に思われない。
いや、思っているかもしれないがスルーしているのか。
この質問をして原因を探る感じ、過去にも似たような経験をしたことがある。
カウンセリングだ。
前世では上手く話せず意味は無かったが。
スコットさんは異世界のカウンセラーなんだろうか。
それにしても不味い。
次の質問に答えるには前世の事を話さないといけない。
正直に話せば、完全に頭のイカれた奴と思われる。
もう一歳児のレベルで収まる話は超えてしまっているのなら、それ相応の疑問をぶつけて話を逸らそう。
話は戻ってくるかもしれないが、言い訳を考える時間は稼げる。
「スコットさん、まず答えて欲しいことがあります。先ほど、僕が最初にここに来た時に母と自分たちとの対応の違いが気になったとおっしゃってましたけど、何故気になったのですか?僕は一歳ですよ。人見知りか何かだとは思わなかったのですか?」
すると、スコットさんはクツクツと笑いながら言った。
「君は一歳児じゃないだろう?」
絵本が手から滑り落ち、トンッという音が室内に小さく響いた。
今この人はなんと言った。
俺の事を一歳児じゃないと言った。
つまりそれは、俺が実年齢二十五歳の転生者だと分かっているのか。
いや、さすがにそんなはずは。
一歳児レベルにしては早熟なのを、そう表現しただけに過ぎないのかもしれない。
動揺する俺を他所に、スコットさんは相変わらず穏やかな表情でサラッと爆弾発言をした。
「君は、恐らく転生者だ。私と同じね」
「ッ!?」
動揺のあまり、椅子を降りて立ち上がってしまう。
そのまま後ずさり、背中が壁に当たった。
思考が纏まらない。
転生者?私と同じ?
つまりそれは……
「その反応を見ると、正解だったようだね。私は転生者だ。死んで気付いたら、この世界に赤ん坊として生を受けていた。前世の記憶を持ったままね。君もそうなんだろう?」
はっきりと言われた。
自分は転生者だと。
まさか、スコットさんが転生者だったなんて。
自分以外に転生者がいる可能性を失念していた。
質問の答えはどうする。
肯定するか?
いや、無理にでも否定した方がいいのではないか。
もし、クロネルやイザベルの耳に入ったら、二人はどう思う?
息子が実は実年齢二十五歳の自分達より年上の存在だったと知ったら。
拒絶されるかもしれない。
それは、今の俺には何よりも耐えがたい。
「テンセイシャ?初めて聞いた単語です。スコットさんテンセイシャってどういう意味ですか?」
スコットさんは、「ふう」とため息を一つまた語り出した。
「大丈夫。誰にも言わないさ。特に、イザベルやクロネルさんには。君の感じている懸念は、私も抱いた経験があるからね。」
同じ転生者。同じ経験。
その言葉の魅力に惹かれ、俺は肯定の意を示す言葉を吐いてしまっていた。
「何故、気づいたのですか?」
「転生者ではないかと疑ったのは、本がきっかけさ。君が初めてイザベルとここに来た時に見せた本への反応。それが、私に疑念を抱かせた」
本?確かにあの時本を読みたいと言ったが、それは好奇心旺盛な一歳児という見方も出来るのではなかろうか。
スコットさんは続ける。
「最初、イザベルと私達への対応の違いを見た時に、何か違和感を感じてね。あまりに賢く、他人に対して臆病なところに。天才で人見知りと言えばそれまでだが、どうも気になって君の行動を観察させてもらった。そして、矛盾を見つけたんだ。知っているはずのない本という物を指差して、それを読みたいと言った矛盾を」
「どういうことですか?あの時、僕はスージーさんに本を読み聞かせてもらったので、知っていても不思議じゃないと思うんですが」
「よく思い出してみて欲しい。スージーは本を君に読み聞かせる時なんと言ったか。彼女はこう言ったんだ。
“楽しいお話を聞かせてあげましょう”とね。つまり、本を読んであげるとは言っていないんだよ。その後もスージーは今読んでいるものが本だとは一言も言っていない。そして、イザベルの発言だ。君が思念を感じ取ることのコツを彼女に聞いた時、彼女は“ここには治癒魔法の本があるから”と言った。本のある場所までは指定していないのに、君は本を指差して読んでもいいかと聞いたんだ。後日、それとなくイザベルに君が来る前に本という存在を教えたことがあるかを聞いたよ。すると、私はないしクロネルもないだろうという答えを貰った。それで思ったんだよ、あの子は元々本という存在を知っていたのではないかと。そして、もしかすると自分と同じ転生者なのではないかと。それが、確信に変わったのはついさっきだ。とてもじゃないが、一歳児が自分は碌でもない人間だなんて言わない。それは、ある程度の年月を生きた人の考え方だよ」
「……」
スコットさんて何者?
いや、転生者か。
違う違う、探偵かなんかなの?
前世は、そういう職だったとか?
改めてスコットさんを見る。
黒髪を短めに切りそろえ、青い瞳を持った中肉中背のどこにでもいそうな男性。
とても、こんな推理をする人には見えない。
「スコットさんは、前世ではどんなご職業に就かれていたんですか?もしかして、探偵とか?」
すると、スコットさんは顔の前で手を振り、笑いながら言った。
「探偵?違う違う。僕はアメリカで精神科医をしていたんだよ」
道理で、最初のカウンセリングのような問いや、人を観察し探偵顔負けの推理が出来るわけだ。
「ネロ君は何をしていたんだい?」
「僕は、日本で大学を卒業して数年は小さな会社にいたんですが、その後退職して引きこもってました」
「うーん、君の心の傷はそのあたりが関係していると思っていいのかな?」
「そうですね。正確には大学時代からのトラウマですが……」
「そうか。なら、先ほどの話の続きをしよう。転生者同士の話もしたいが、まずは君が先決だ」
俺はそれに頷き、スコットさんに今に至るまでの全てを話した。
父親の死で、自分の言葉が怖くなったこと、その後就職した会社で陰口を言われ人間不信になったこと。
そして、この世界に来てクロネルとイザベルに心を許したこと。
同じ転生者。
しかも、相手は元精神科医。
最初の荒治療のような方法で、自分の言葉を話せるようにしてくれた経緯もあり、過去を話すのに躊躇いは無かった。
全て話し終えた後、スコットさんはカルテの置いてある机の所へ行き、何かサラサラと書き始めた。
そして、戻ってくると言った。
「つまり、君が人と上手くコミュニケーションを取れないのは、二つの要因があるわけだ。一つ目、自分の言葉が怖い。二つ目、人間不信。理論上は、この二つを同時に取り去ってやれば君は普通に会話することが可能になる。まず一つ目、自分の言葉が怖いというのは、自分を碌でもない人間と思っており、それを悟られるのが怖いからだ。そして二つ目、これはもう解決策がある。先程も言ったが、君が人間不信に陥っているのは人という生き物の有様が怖いからだ。つまり、人と大きく見るのではなく、ありのままの自分の感情で相手を判断し、個人として接すれば問題ない。それを踏まえた上で、普通に話すことが出来たクロネルさんとイザベルの事を振り返ってみよう。君は、この二人を大きく人として見ず、個人として見ていた。しかし、その時には、上手く話せなかった。何故か?一つ目の要因の、自分の碌でもないところを悟られるのが怖いという感情からだ。しかし、二人が受け入れる姿勢を見せてくれたことで、その不安はなくなり話せるようになった。さて、ここで疑問が挙がる。三人目に普通に話せた私だ。私は、二つ目の要因の人間不信という点に関しては、私を嫌悪させることで、個人として認識させ払拭している。しかし、一つ目の自分の碌でもないところを悟られるのが怖いというところは解決できていない。なのに何故か話せた。クロネルさんやイザベルのように受け入れてくれるだろうとも思っていない相手と。君は何故だと思う?ネロ君」
さすが、元精神科医だ。
感情を論理的に把握しようとしている。
前世でも治療を受けたが、ここまで丁寧に解説しながら治療しようとした人はいない。
そもそも、最初の荒治療からして普通の医者の所業じゃない。
この人、前世では凄い精神科医だったのかもしれない。
「最初は、イザベルの同僚だから、俺の事も受け入れてくれると思い話していました。でも、あの酷いやり取りの後はそんな考え全然無くて……嫌悪している相手には、どう思われてもいいやって気持ちがあったのかもしれません」
スコットさんが頷いている。
「うん、そうだね。そういう気持ちがあったのは確かだろう。それは、意外と良い考え方だと思うよ。自分が碌でもないと思った奴にまで、気を遣う必要はないのさ。昨日、最後に言ったよね。人は優しすぎると壊れてしまうって。常に周りに気を使って嫌われないように生きるのは、辛いんだよ。もちろん、そうやって生きている人はいる。それが悪いとも思わない。しかし、私は人間割り切ることも大事だと考えている。ネロ君も病前はそうやって生きていたんじゃないかい?病後の印象が強くて忘れているだけなのかもしれない」
割り切る……か。
確かに、病前は嫌いな奴は嫌いと思って接していたような気がする。
「確かにそうかもしれません」
「うん。ならこれからもそうして生きていけばいい。決して悪い事じゃない。しかし、今のままだとネロ君は自分を大いに受け入れてくれる人間と、嫌いな人間としか話せなくなってしまう。それは、問題だ。そこで、先ほど君に質問した、何故私と話せたかという問いの私なりの考えを述べたいと思う。私の考えは、ネロ君。君が変わりつつあるからさ」
「?」
「君は転生してから、人を決して遠ざけず避けず、どうにかしようと足掻き続けている。そして、少しずつだが成果も出ている。対人関係に限らず、走り込みや文字の学習なども始めて自分を高めようとしている。そんな自分を誇らしく思う自分が少しずつだが芽生えているんだよ。自信と言い換えてもいい。その自信が、自分で自分を肯定してくれているんだ。だから、私とも話せたんだと思うよ。理論上は、自分を碌でもないと思わなくなれば、言葉は話せる。でもねネロ君、自分を碌でもなくないなんて思ったら終わりなんだ。それは、本当に碌でもない奴だ。自分には至らない部分がある。それを自覚しているからこそ努力出来るし変わっていけるんだ。君は、変われる要素をちゃんと持っている。今やろうとしていることを、今の気持ちでやり続けてみなさい。そうすれば、それが自信になってきっと君を支えてくれるはずだ。もちろん、私も微力ながらその支えの一部になろう」
スコットさんは、あの穏やかな目で真っ直ぐにこちらを見つめながら言った。
俺はその目を見つめ返しながら、ポロポロと涙を流している自分がいるのに気付いた。
転生してから泣くのは、赤ちゃんプレイ以来だ。
思えば、前世からずっと張り詰めていたのかもしれない。
何故、俺はこんななのか。
何故、上手く出来ないのか。
答えの出ない問に悩まされ続け、試行錯誤するも上手くいかず、耐えながら過ごした日々。
今日、その答えを貰えた気がする。
そして、変わることのできる道も示してもらえた。
俺は、今日という一日を一生忘れないだろう。
前世では出会えなかったが、いるところにはいるのだ。
自分を救ってくれる人間ってのは。
「スコットさん、本当に……本当にありがとうございます!」
自然と頭が下がり、涙が床を濡らす。
俺はそれを眺めながら、深く深く頭を下げ続けた。