レッサードラゴン
空から咆哮が聞こえた。
上を見上げると、赤い巨体がこちら目掛けて降下してくる。
アンネさんが、絞り出すように言った。
「逃げろ……早く子供達を連れて逃げろ!ここは、私が時間を稼ぐ!」
「そんな!なら、僕も残ります!」
俺がそう言うと、イザベルが血相を変えて、「何言ってるの!?ネロ!」と叫ぶ。
アンネさんが勤めて冷静に説明する。
「レッサードラゴンは、S級冒険者が数人がかりで倒せるかどうかの相手だ。魔法しか使えないお前が一人増えたところで、なんの役にも立たん。もしも、一人で状況を打開出来るとしたら、それこそ英雄級の強さを持つ者だけだ」
そんな……なら、アンネさんは……
俺が最悪の結論を悟った時に、クロネルが前に出てアンネさんに並んで立った。
「なら、英雄の俺は戦わないとですね」
そう言って拳を鳴らしている。
アンネさんが「分かっているのか?」と声を掛ける。
それにクロネルは「俺だってそんな馬鹿じゃないですよ」と軽口を叩く。
イザベルがクロネルに向かって呟く。
「クロネル……」
クロネルは振り返りイザベルに優しく言葉を贈る。
「俺は、お前の英雄だろ?ここで戦わないでどうする。……ネロを頼んだぞ」
イザベルは俺を抱きしめながら、キュッと口を引き結び決意の表情を見せた。
「ええ、分かったわ。愛しているわよクロネル」
「俺もだ」
そう言ってクロネルはニカッと笑った。
そして、俺にも言葉を贈る。
「ネロ、父さんはな、実は英雄になりたかったんだ。愛する人を守れるような、そんな英雄に。だが、結局イザベルの英雄にしかなれなかった。俺はそれで十分満足している。だがな、ネロ。お前は違う。お前は、なれる。俺が目指した英雄に……なれよネロ、本物の英雄に」
「父さん……」
いいのか。これで、いいのか。
大切な人を守ると決意したばかりなのに……
治癒魔法で二人を癒すぐらいは出来るのではないか?
大した攻撃魔法は使えないが、牽制だけでも出来るんじゃないか?
いや、でも錬気の練れない五歳児の機動力では邪魔になるだけか……
しかし……
そう逡巡する俺を他所に、赤い猛威が孤児院を破壊し地上に降り立つ。
アンネさんが剣を構え、クロネルが拳を握る。
そして、あっけない。
あまりにもあっけなく残酷な結末がその後に待ち構えていた。
レッサードラゴンがその長い尻尾を振るって攻撃を仕掛けてきた。
アンネさんが、それをいつものように受け流そうとするが吹っ飛ばされる。
そして、クロネルも避けようとするが、足に掠り肉がごっそりと持っていかれる。
その尻尾は勢いを止めることなく、俺の目の前まで来て……
「ネロ!」
暖かい何かに包まれたと思ったら、頭の上で凄まじい風切り音が聞こえた。
頬に暖かい何かが飛び散ってきた。
何だろうと思い、手に触れて確かめる。
血だ。
血が俺の頬に大量に付着している。
それは、今も絶え間なく飛び散ってきていて……
それは、俺の頭の上から飛び散ってきているもので……
俺は、上を見上げる。
すると、そこには何も無かった。
心配してくれるあの顔も、微笑んでくれるあの顔も、愛してると言ってくれるあの顔も……
「あああああああああーーーーーー!」
俺は、発狂した。
イザベルイザベルイザベルイザベルイザベルイザベルイザベルイザベルイザベルイザベルイザベルイザベル!
嘘だ!嘘だ!こんなのは嘘だ!
必死に治癒魔法をかけるが、なんの効果も無い。
しかし、構わずかけ続ける。
遠くで、クロネルが「イザベル!」と叫んでいるのが聞こえる。
アンネさんが「ドット!皆を連れて早く逃げろ!」と言っているのが聞こえる。
今はどうでもいい。そんな事どうでもいい。
イザベル。イザベルを治さなきゃ。
そうだ!顔!
顔があれば何とかなるかもしれない!
辺りを見回す。
すると、あった。
顔が。
ぐちゃぐちゃにひしゃげ、醜く歪み壊れた顔が。
あの綺麗だった顔の面影など欠片もない顔が。
もう生気など微塵も感じられない顔が。
俺は、それを見てようやく分かった。
イザベルがもう、元に戻らないことを。
その瞬間、頭が真っ白になった。
「ピラルカ、もう戻っていいぞ」
「いいの?いいの?」
「いい。もう、どうでもいいんだ」
「わかった。わかった……」
そうして、俺の気力を表すかのようにピラルカは消えた。
後ろで、マリエラの精霊のルーナが「ミドルライトシールド出来たよー!」と言って、畳一畳ほどのそれにドットとノインがリズとコナーを乗せた。
俺は、その後放心状態のままドットに引きずられるようなかたちで手を引かれ村の中を走った。
村は酷い有様だった。
至るところが火の海で、怪我をしている人や、火に包まれ絶叫している人、そして死んでいる人がいる。
イザベルも死んだ。
俺を守って死んだ。
何が大切な人を守るだ。
俺は、何も守れない。
前世でも、この世界でも俺は守られて人を殺すんだ!
こんな……こんなことなら!
転生なんかしたくなかった!
イザベルとクロネルとの優しい日々なんていらなかった!
なあ、神様。
なんで俺を転生させたんだよ。
この残酷な世界で生きていくのになんの意味がある?
なあ教えてくれよ。
頼むよ……
そうしていくら走っただろう。十分、ニ十分、それ以上か。
そして、残酷な現実はまたもや空から降ってくる。
村の入り口が見え始めた時、そこに立ち塞がるようにレッサードラゴンが降り立った。
それを見て、放心状態だった俺の目に怒りの炎が宿った。
「なんなんだよ……なんなんだよ!お前は!」
そう言って拳を握りしめる。
ふざけるなよ!どれだけ俺達を苦しめれば気が済むんだ!
お前がここにいるって事は、アンネさん、そしてクロネルも……
「くッ!」
悔しさから、歯を食いしばる。
アンネさんは厳しいながらも優しい人で、俺のたった一人の師匠だった。
クロネルはいつも明るくて情に厚くて、馬鹿なところもあるが、それいうところも俺は好きで、一緒にいると楽しい奴だった。
二人とも俺の大切な人だった。
このままこいつに大事な人を奪われ続けていいのか?
このまま守られて人を殺すばかりで良いのか?
俺は、周りの子供達を見る。
俺が放心状態で水魔法を使って消火しなかったために、皆火傷を負っている。
何をしてたんだ俺は……
脳裏に、クロネルの最後の言葉が蘇る。
「なれよネロ、本物の英雄に」
レッサードラゴンは英雄級の強さを持たないと、太刀打ちできない。
周りには村で一緒に過ごした子供達。
この世界で出来たかけがえのない友達達。
これ以上失いたくない人達。
その人達を守る為に英雄級の強さが必要というのなら……
なってやるよ……
俺は、腰の剣をチャキリと抜き、口の端をわずかに上げ呟いた。
「英雄ってやつになってやるよ」
そして、錬気を練り全身に行き渡らせる。
目に見える程の高密度の錬気が身体から立ち上る。
クロネル見ててくれよ。
お前の望んだ英雄が生まれる瞬間だ。
そしてイザベル、いつものように微笑んで見守っていてほしい。
俺は、必ず勝つから。
そして、子供達の前に進み出る。
「ネロ……」
ドットが小さく声を掛けてきた。
「ドット、済まなかった。もう、大丈夫だ。皆を後ろに下がらしてくれ。戦闘の余波で巻き込んでしまう」
ドットは動揺しながらも頷く。
「ああ、分かった。頼んだぞネロ」
「ああ、任せろ。今度こそ、今度こそ守ってみせる!」
限界密度の五十パーセントで、A級冒険者のそれと言わしめた俺の錬気を、今は七十パーセントで練っている。
それが、身体の動きを調節できる限界だ。
だが、この錬気の強さは五十パーセントの比じゃない。
そして、それにアンネさんに教わった剣術が加わる。
勝てる見込みはある。
「覚悟しろよクソトカゲ!」
そう言い放ち武器強化を行い、俺はレッサードラゴン目掛けて突っ込んだ。
足を踏み込んだ時のドンッ!という音が鳴った瞬間にはレッサードラゴンの鼻面まで迫り、まずは一発。
横っ面をはたくように剣を切り込む。
レッサードラゴンの顎が深く切り裂かれる。
レッサードラゴンは苦痛に喘ぐように咆哮を上げ、目も前の俺を見据え、噛み砕かんとその顎を大きく開け迫ってくる。
すかさず、レッサードラゴンの鼻先目掛けて剣を振るい、肉に食い込んだ剣を支点に空中で縦に回転しながら舞い上がり、ドラゴの攻撃を躱す。
そして、スタッっとドラゴンの鼻の上に乗る。
俺の視線とドラゴンの視線が交差する。
「まずはその目、貰った」
そう言って、レッサードラゴンの左目に剣を突き立て抉り出した。
レッサードラゴンが絶叫のような咆哮を上げ、尻尾をバンバン鳴らし大暴れする。
それと同時に一度レッサードラゴンから離れる。
子供達から離すために村の外側に着地した俺は、レッサードラゴンの様子を眺める。
いける。
レッサードラゴンは俺の速さについてこれていない。
左目も奪ったので、ここからは相手の左側に常に回り込みヒットアンドアウェイで攻撃を仕掛けていく。
それで、削りきってやる。
そこから、俺の猛攻が始まる。
左側に回り込み胴を切りつける。
レッサードラゴンが暴れ、爪を振るうが瞬時に後ろに下がり回避する。
今度は足、レッサードラゴンがたたらを踏んで叫び声のような咆哮を上げる。
次に、イザベルを亡き者にした忌まわしい尻尾。
切り落とさんばかりに剣を振るい、深く切り込みを入れる。
レッサードラゴンが暴れ、切り込みを入れた尻尾でもって俺を弾き飛ばそうとするが、後ろに下がり回避する。
それを繰り返していき、次第にレッサードラゴンの身体が血に染まり、動きが鈍くなる。
このままいけば勝てる。
そう考え、再び攻撃を仕掛けようと足を踏み込んだ時、レッサードラゴンが血走った片目で俺を見据え、その喉を膨らまし顎を大きく開けた。
その瞬間、目の前が炎に埋め尽くされる。
即座に横に逃げるが、炎の範囲が広すぎる。
足が炎に飲み込まれ、肉が焼けた。
「ぐッ!」
なんて火力してるんだ。
俺の錬気を持ってしても防ぎ切れない。
これは、まともに食らったらヤバイ。
そう考え、接近戦でブレスを吐かせないように立ち回る作戦に変更する。
レッサードラゴンの左側に回り込み、腹を切りつけようとする。
だが、それにレッサードラゴンが反応した。
尻尾を大きく振るい、攻撃を仕掛けてきた。
俺はそれをまともに食らって吹っ飛んだ。
内臓を揺るがすような衝撃が身体を襲う。
地面に転がりながら考える。
先ほどのブレスに足が焼かれたせいで、速さが落ちている。
そのせいで、反応され攻撃をもろに受けた。
ブレスと同様、尻尾の攻撃も俺の錬気を貫いてくるほど強い。
何度も食らえば動けなくなる。
早さだけでは、ダメだ。
アンネさんとの鍛錬を思い出せ。
相手の攻撃を躱し受け流し、反撃する。
この三年半で培った技術を全てぶつけろ!
俺は、立ち上がりドラゴンを見据える。
そして、わざとスピードを緩めレッサードラゴンの左側に回り込む。
ドラゴンが、易々と反応し右の爪で俺を切り裂こうとするが、俺はそれを右に受け流し、レッサードラゴンの右側に回り込む。
そして、胴体に切り込みを入れる。
そして、即座に少し離れる。
それと、同じような事を繰り返す。
爪を牙を尻尾をわざと攻撃させ、それを躱し、受け流し反撃する。
距離を取り過ぎないように気を付け、ブレスが来そうになったら、顎を蹴り上げ中断させる。
何度か攻撃は受けたが、どれも致命傷は避けている。
それでも、全身は血に染まり息は荒くなっていた。
だが、それはレッサードラゴンも同様だ。
あと、一歩。
そう思ったところで、レッサードラゴンが空へと飛翔した。
まずい!
そう思い、俺も即座に地面を蹴り空中に上がる。
レッサードラゴンは俺の予想通り、空からブレスを吐くつもりだったのか喉を大きく膨らましている。
あそこから、ブレスを吐かれたら子供達が危ない。
「させるかー!」
空中に飛びあがった勢いのまま、レッサードラゴンの顎に膝蹴りを入れブレスを中断させる。
そして、レッサードラゴンの顔を掴み、それを下に引き寄せるようにして、レッサードラゴンよりも上空に舞い上がる。
そこから、渾身の力を込めて背中目掛けてかかと落としを食らわせた。
レッサードラゴンが凄まじいスピードで落ちていき、ドーンッ!という音と共に地面へと叩きつけられ地面が陥没する。
今の一撃で相当ダメージを食らったのか、立ち上がろうとしているが、動きがかなり鈍い。
しかし、のっそりとその鎌首をもたげ、上空に未だ滞在する俺を見上げて喉を膨らませた。
「しまった!」
そう叫んだ後、空中では避ける術の無い俺をブレスの炎が容赦なく包んだ。
「があああああ!」
全身を熱さではなく、痛みが襲う。
無数の極太の針で、貫かれているのかと思うような痛みだ。
気を失いそうになるが、歯を食いしばり何とか耐える。
ブレスが止み、ボロボロになった身体が地面へと落下し、ドンッ!という音を響かせ小さなクレーターを作った。
子供達が「ネロ!」と叫んでいるのが聞こえる。
受けたダメージが大きく身体が動かない。
俺は、地面に這いつくばりながら虚ろな目でレッサードラゴンを見据える。
すると、そのレッサードラゴンは、俺を無視して先ほど叫んだ子供達の方を向き、そちらへとゆっくり歩み寄って行く。
「嘘だろ。待て。待ってくれ。待てよ!俺は、まだ死んでないぞ!俺が先だろうが!こっちを向けよクソ野郎!」
大声で叫ぶが、レッサードラゴンは意に介さない。
嘘だろ。嘘だろ。ここまできて失うのか?
何も。何も守れずに終わるのか?
俺は、そこまで力の無い人間なのか?
ドット、ノイン、マリエラ、そして気絶しているリズ、コナーを見る。
周りは火の海で逃げ場はない。
させない!させない!絶対させない!
イザベル、クロネル、アンネさんが繋いでくれたこの命を燃やし尽くしてでも守らなきゃいけない!
俺は、錬気を練る。
限界密度百パーセント。
その錬気があれば、このボロボロの身体をねじ伏せて動くことが出来る。
しかし、これを練るには時間が掛かる。
間に合うのか?
いや、間に合わせてみせる!
レッサードラゴンと子供達とはまだ距離がある。
その間に練りきってみせ……
そう決意した時、レッサードラゴンがその大きな喉をゆっくりと膨らまし始めた。
嘘だろ。おい。
ダメだ。さすがに、間に合わない。
どうする?どうする?どうする?どうする?
そ……そうだ!
魔法!魔法だ!この距離でも攻撃できるのは魔法だけだ!
手をわずかに上げ、水球を作ろうとする。
だが、魔法は発生しない。
なっなら、ピラルカ!ピラルカに魔法を使って貰えばいい!
「ピラルカ!来い!」
錬気と魔法は同時に使えない。
それを忘れるほど俺は混乱して叫んでいた。
「クソ!クソ!クソ!」
もう、無理なのか。
俺には他に手立てが無いのか?
ダメージのせいか、スローモーションのようにゆっくりとドラゴンがその喉を膨らましていくのが見える。
まだだ!まだだ!まだだ!
俺には、まだ力が残っている!
あいつを呼び出せばいいんだ!今ここで!
上級精霊のリフリカを!
リフリカならピラルカ以上に強力な魔法を使えるはずだ!
それで、あいつを仕留められる!
イメージするのは、煌めくような緑の髪に、背中に生えた炎のような羽、そして赤と緑のオッドアイ。
俺は、渾身の力で叫ぶ!
「来い!リフリカ!」
しかし、当然のごとくリフリカは現れなかった。
「なんでだ!なんでだよ!俺はもう失いたくない!俺の力不足で人を殺したくない!大切な人が死ぬのを見たくない!来てくれ!来てくれよ!リフリカーーーー!」
喉が張り裂けんばかりに叫んだ声が周囲に響く。
しかし、何も起こらなかった。
「なんでだよ……」
無力感に打ちひしがれ、ポロポロと涙が俺の頬を伝う。
その時――下腹の辺りに渦巻く念魔力を感じた。
意識がスーと深く沈み込み視界が暗転する。
暗闇の中、先に小さな火の光が見える。
視界の先の小さな火は、風を受けて徐々に勢いを増していく。
轟々と轟々と。
たちまち大きくなった火は、やがて炎となり視界には収まりきらない程大きさを増す。
そして、その炎はこちらを飲み込まんと迫ってくる。
しかし、炎は今まさに飲み込まんとする我が身の一歩手間で止まり、急速に勢いを失っていく。
それは、鎮火ではなくまるで炎が凝縮されていくような……
風が、その炎を囲うように吹き荒れる。
やがて、炎と風は収束していき、人型を象った。
後ろ姿から美女のそれを思わせる。
そして、こちらに背を向けていた美女がこちらを徐に振り返り……目が合った。
それは、赤と緑の瞳を持つ絶世の美女だった。
その瞬間、爆風と共に渦巻くような炎の柱が上空へと立ち上った。
熱波がこちらへと押し寄せてきて、腕で顔を覆う。
レッサードラゴンもそれに気を取られ、ブレスを中断する。
徐々に、炎と風が収まり中から人の後ろ姿が露わになる。
それは、イザベルと同じぐらいの身長と煌めくような緑の髪を持つ人だった。
風に煽られ、着ているスカートが捲れる。
視界に映ったのは、紫のパンツ。
その紫のパンツをはいた主は振り返り、赤と緑の瞳で俺を見据えてこう言った。
「後は私に任せなさい!」
俺は、茫然としながらその美女に向かって呟いた。
「リフ……リカ……?」
レッサードラゴン単騎討伐で英雄級。
ドラゴン単騎討伐だと、英雄の中の英雄でルクスのように伝説級の英雄と呼ばれます。




