師匠
クロネル自爆事件の翌朝。
いつものごとく、俺はクロネルと一緒に畑にいた。
「父さん、ちょっと錬気関連で相談があるんだけど……」
「ん?なんだ?父さんに答えられることならなんでも答えるぞ!」
満面の笑みだ。
息子に頼られるのがよっぽど嬉しいのだろう。
強くなる関係の事だし尚更。
「錬気は昨日の通り練れるんだけど、肝心の身体強化が出来ないんだよ……錬気を身体に行き渡らせようとしても、全然動いてくれないんだ」
すると、クロネルはあっけらかんと言った。
「そりゃお前、あんな固い錬気じゃ動きは鈍くなるだろう。少し、錬気の密度を下げてみりゃあいい」
すんなり答えが出た。
なるほど、そういうことか。
イメージとしては、チューブから出したての絵の具は固くて伸びないけど、水で薄めて柔らかくすれば伸びるって感じかな。
今まで、身体強化は錬気を完全に練れてからと決めていたから、途中で身体強化を試みたことが無かった。
それが、仇になったわけだ。
「ありがとう父さん!やってみるよ!」
「おう!やってみろ!それにしても、相談ってそれだけか?」
「それだけだけど?」
「そ、そうか……」
クロネルは寂しそうに、畑で仕事を始めた。
背中が、もっと頼ってくれてもいいのにと語っていたが、俺はそっとその背中に別れを告げた。
すまんなクロネル。
だって、他に聞くことが特に無いんだもん。
ともかく、答えはもらえた。
後は実行あるのみ!
早速錬気を練る。
大きさは、ソフトボール大、いやこれ魂の大きさなんだっけ?
なら、魂の大きさになるまで。
いつもなら、ここからさらに気と魔力を送り密度を上げるのだが、それをせずに全身に行き渡るように動かしてみる。
すると、嘘のように錬気が全身に行き渡った。
で……出来た!やった!
俺は喜びからその場で飛び跳ねた。
瞬間、景色が変わっていた。
村の奥が見渡せ、近くにあった木のてっぺんが真横にある。
空を飛んでいる鳥さんと、「あっどうも」てな感じで挨拶しつつ、俺は落下を始めた。
「ああああああーーー!」
どうする?どうする?どうする?
このままじゃ地面に激突する。
十メートルは飛んだんじゃなかろうか。
そんな所から落ちたら、二歳児の身体では骨折は免れない。
仕方ない。
骨折ならイザベルが治せる。
ここは、足を犠牲にする覚悟で着地だ!
地面を睨み、足から地面へ。
ドンッ!
あれ?聞き間違いかな?
ボキッ!とかバキッ!じゃなくて?
そこには、平然と地面に立つ俺がいた。
身体強化。恐るべし。
その後、クロネルが血相変えて走ってきて「なんだ今のは?大丈夫だったのか?」と慌てた様子で言った。
俺はそれに「初めての身体強化で調節が出来なかったんだ。怪我もないし大丈夫だよ」と返し、クロネルを宥めた。
そして、現在だが。
俺は、畑の周りを疾走していた。
残像が残ってもいいほどのスピードじゃなかろうか。
見える景色は凄いスピードで後ろに遠ざかっている。
まるで、新幹線から見る景色だ。
そんなスピードなもんだから、カーブなどを曲がり切れずに何度も木にぶつかる。
しかし、被害に遭うのは木の方である。
俺がぶつかったところが抉れ、窪んでいる。
持久力も大したもので、あれだけ休憩していた午前の走り込みを一度の休憩も無しに走り終えた。
このように、身体強化の効果は凄まじい。
身体が羽のように軽く、また力強くなる。
だが、いつもの身体の状態と違い過ぎて調節が難しい。
これからは、走り込みを身体強化の状態で行い慣れていこうと思う。
お昼になり治療院へ向かう途中に、クロネルは「凄いな」「やはり英雄」という単語を連呼していた。
治療院へ着くと「治癒魔法の手引き」や「薬草大全」を読みつつ、文字を書くことも始めた。
最初は、カルテに使っている羊皮紙を使わせてもらおうかと思ったが、高価そうなのでやめた。
結果、治療院の入り口で絵本と棒切れを持ち、地面に文字を書くことになった。
入り口とは言え、目の届かない外にいるので治療院の人は最初心配していたが、身体強化の話をすると、皆ある程度安心してくれた。
俺が、そんじょそこらの危険には対応できると思ったのだろう。
夜は、変わらず精神統一だ。
錬気は限界まで練ることが出来た。
しかし、その限界の状態で身体強化は出来ていない。
今日の錬気の練り具合なんて、最高密度の二十パーセントくらいだろう。
なので、今日からの精神統一は百パーセントの状態での身体強化を目指すものにする。
せっかくある力だ。
最大限活用できるようにしたいと思う。
ということで、日課に変化が出来た。
午前、身体強化での走り込み
午後、文字の書き取り
夜、精神統一(限界密度の錬気での身体強化)
このサイクルを続け、俺は二歳半になった。
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ある日の夕食の席での事。
腕を組みながら、クロネルが言った。
「ネロ。明日の午後、畑で会わせたい人がいる」
俺は、スプーンに乗った飲みかけのスープをグイッと飲み干しクロネルに尋ねた。
「誰なの?会わせたい人って」
「俺の師匠だ!」
ふんっと鼻息を吹き出しながら、クロネルは答えた。
「それって、前言ってた父さんに錬気を教えたっていう元剣士の人?」
「そうだ!身体強化も出来た今、英雄になる為には剣術を学んだ方がいいと思って頼んでおいた!」
そんな俺に相談も無しに……
しかし、英雄はさて置き、俺も剣術は学びたいところだ。
「そっか、わかった。それじゃ明日は午後に畑に向かうよ。母さん、午前は治療院に行ってもいい?」
俺はまだ二歳児だ。
家に一人でいることは出来ないので、必ずクロネルかイザベルの傍にいないといけない。
朝から午後まで畑に居てもいいが、文字の書き取りもしたいので、イザベルに確認を取ったのだ。
「ええ、いいわよ。なら、明日は母さんと一緒にお家を出ましょう」
そんなわけで、明日はクロネルが師匠と仰ぐ元剣士の人と会う事になった。
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翌日、治療院から畑へ向かうと、クロネルの他に、もう一人女性が立っていた。
真っ赤な赤毛で釣り目がちな目、一目見ただけで気が強いのが分かった。
「おーい」と呑気に手を振るクロネルに対して、両手に木剣を持ち仁王立ちしている。
一抹の不安を覚えながらも、イザベルに手を引かれ二人の傍まで到着する。
「お久しぶりです。アントワネットさん」
えっ何その扇子で口を隠しながら、おほほって笑ってそうな名前!?
全然イメージと違うんですけど!
「その呼び方はやめろと言っているだろう。アンネと呼べ」
「ふふっすみません。つい」
あっこれわざとだ。イザベルのちょっと黒い部分を見た気がする。
「全くお前は昔から変わらん。その小さいのがお前の息子だな」
すると、イザベルが俺の背中をそっと押して前に出した。
「はい、そうです。ネロ、ご挨拶なさい」
もう以前のような人に対する恐怖はない。
この人は怒らしたら怖そうだけど、大丈夫だ。
これから、指南を仰ぐわけだし挨拶は丁寧にいこう。
「どうも初めましてアントワ……アンネさん。ネロと言います。今回は指導の件、受けて頂きありがとうございます。精一杯取り組まさせて頂く所存ですので、どうぞよそしくお願い致します」
ペコリと頭を下げる。
すると、アントワ……アンネさんは、驚いた様子でクロネルの方を見た。
「ホントにお前の息子なのか?イザベルに浮気でもされて出来た子じゃないのか?」
「なっなんてこと言うんですか師匠!正真正銘、俺の息子ですよ!ほら!目の所なんかそっくりでしょう!」
そう言って、自分と俺の目を指差すクロネル。
「そんな、必死になるな。冗談だ。【愛の茂み】で結ばれた話は私も知っているからな」
すると、クロネルとイザベルは顔を赤くし、俯いた。
えっ?ちょっと待って。
俺ってまさかお空の下で出来た子だったの?
クロネルはなんとなく分かるけど、イザベルがそれを了承するとは。
「あッダメ!人が来ちゃう!」「でも、それが興奮するんだろう?このド変態が!」
てな感じで、言葉攻めも踏まえて楽しんだんだろうか。
あっやべ。ちょっと興奮してきた。
そんなピンクの妄想をしていると、イザベルが早口気味に言った。
「そっそれじゃ、私は治療院に戻らないと!後は、よろしくねクロネル。アンネさん、どうか息子のネロをよろしくお願いします。それじゃっ失礼します!」
そういうと、ダーッと治療院の方へ走っていってしまった。
クロネルもわざとらしく頭を掻きながら言う。
「それじゃ、師匠。俺も仕事がありますんで、後はよろしくお願いします。ネロは、賢いし強いんで遠慮せず鍛えてやって下さい。で、では」
そう言葉を残し、畑の方へと消えた。
こりゃ、お空結合説は確定だな。
しかも、さっきのアンネさんの言い方だと結構な人に知られているらしい。
どんだけ楽しんだんだよ。
二人が逃げたおかげで、俺とアンネさんの二人っきりだ。
何を話すか迷っていると、アンネさんが口火を切ってくれた。
「全く、相変わらずあの話には弱いな、あの二人は」
そりゃ得意だったら、手のつけようのない変態か、その道のプロでしょう。
「ネロと言ったか。ともかく、少し開けた場所に行くぞ。そこでまずは、お前の実力を見てやる」
そう言って、アンネさんは獰猛に笑った。
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俺は今、畑の近くの広場のような場所で、木剣を片手にアンネさんと向かい合っている。
木剣など、生前でも持ったことがない。
意外と重い。
こんなの人に叩きつけていいのだろうか?
ただ、この木剣を手渡される前に、アンネさんにはこう言われた。
「私はこう見えても、元はB級冒険者だ。身体強化を覚えて半年のひよっこには、絶対に負けんから遠慮せずかかってこい」
冒険者はランクが決まっており、高い順からS、A、B、C、D、E、Fとなっているらしい。
アンネさんはB級なので上から三番目の強さという事になる。
先の自信満々な発言からしても、なかなかの実力差なのだろう。
ここは、胸を借りて全力で行きたいと思う。
向かい合っているものの、アンネさんは片手で剣を緩く構えているだけで、動く気配がない。
恐らく、俺に先手を譲っているのだろう。
待ってくれているなら好都合。
その時間を有効に使わせてもらおう。
俺は、胸の中で錬気を練る。
限界密度の十、二十、三十パーセント。
走り込みをして自由に動けるようになったのは、ここまでの練度だ。
今回はそれをさらに練る。
四十、四十五、五十パーセント。
今は、これがギリギリ身体強化出来る練度だ。
だが、身体強化をするには時間もかかる上、この状態で身体を動かしたことはないので、動きを調整出来ない。
なので勝負は、単純な動きでつけたいと思う。
真っ直ぐ突っ込んで殴る。
それだけだ。
錬気は練れたので、身体強化を行っていく。
俺がじっとしていると、アンネさんが焦れてきたのか声を掛けてきた。
「来ないのか?なら、私からいくぞ?」
その言葉が終わるか否かの所で、強化が完了した。
瞬間、躊躇わず全力で地を蹴り突っ込む。
後方で地面がバガーン!と爆ぜた。
前へ踏み込んでくるアンネさんへと、弾丸のように迫る。
「ッ!?」
アンネさんの表情が一瞬で驚きに染まったのが見えた。
目の前まで迫った所で、木剣を頭目掛けて……いや、肩を目掛けて振り下ろす。
ドゴ―ン!
地面が小さく揺れた。
手元を見ると、木剣は地面に小さなクレーターを作り、握っていた部分だけを残し、粉々になっていた。
「な、なんだ今のは……」
アンネさんは、冷や汗を流しながら、俺の木剣を受け流した形で膝をつき、荒い息を吐いていた。
あれを受け流すとは、さすが剣士だな。
俺なら、見ることも叶わないのではなかろうか。
「全力でとおっしゃられたので、今できる最大の身体強化で突っ込んで殴らせてもらいました」
「なんて、錬気だ。クロネルから聞いていたが、まさかこれ程とは……念のため多く錬気を練っていて良かった」
「そんなに凄いんですか?」
すると、アンネさんは何を言ってるんだ?という顔をした。
「お前、自覚がないのか?あーそういえば二歳だったな。お前の速さと強さで動けるのは、冒険者で言うとA級並みの奴だ」
上から二番目の強さの部類か。
確かに、凄いのかもしれない……ただ。
「今のはホントに全力で、身体強化するのにも時間がかかりますし、動きの調節も出来ません。今回は、アンネさんが待ってくれたのと、単純に突っ込むだけだったので使えただけです。強化するのに時間をかけずに、身体を自由に動かせるとなると、さっきの六割程の強さになると思います」
「そうか、なら私が教えるのはその六割状態での動きになるな。正直、先ほどの動きの奴には、剣術の型などは教えられても、実践形式の乱打り稽古などの相手は私では出来ない」
アンネさんは地面についていた膝を上げると、自嘲気味に笑いながら俺の頭に手を置いた。
「それにしても、侮ってすまなかった。それと、力不足ですまない。こんな私だが、剣術を教わる気はあるか?」
「二歳児相手に謝らないで下さいよ。それに実力不足なんかじゃありません。さっきの受け流し凄かったです。僕もあんな風になりたいので、是非剣術を教えて下さい」
「お前はいろいろと二歳児とは思えないな」
そう言ってフッと笑うアンネさん。
そして、目線を俺に合わす。
「分かった。では、私の出来る限りを持ってお前に剣を教えよう」
こうして、俺はアンネさんの弟子となった。
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アンネさんとの剣術の稽古で、一日の流れに変化があった。
午前、治療院滞在(文字習得が完璧になったので正直暇)
午後、三時頃まで、剣術の稽古
それ以降、身体強化での走り込み(錬気の密度を三十パーセント以上にした状態)
夜、精神統一(限界密度での身体強化)
アンネさんの稽古は弟子となった翌日から本格的に始まった。
アンネさんも仕事があるので、剣術の稽古は三時ごろまでだ。
(ちなみに、アンネさんは村の自警団のような仕事をしているらしい)
稽古の内容は、まず素振りや型を教えてもらい、最後に実践形式の乱取り稽古を行う。
剣術は奥が深くて難しい。
素振り一つとっても、剣先をブレさせずに、刃に力を真っ直ぐ乗せなければいけないが、これがなかなか出来ない。
何度も「ダメだ!」と叱責される。
また、乱取り稽古ではアンネさんにボコボコにされる。
ただ、それでも手加減してくれているのだろう。
打ち身程度でその後の行動に支障はない。
錬気の練度を三十パーセントでやっているとは言え、実力の差を感じる。
いつか、剣術で圧倒したいものだ。
このように剣術も加わって、より身体を鍛える毎日を送り三歳が近づいた頃、俺はある事件をきっかけにリフリカの正体を察することとなる。




