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2話

《――確かあの後、二人とも怒られましたね。ユリウス様ははぐれたことを、そして私は勝手に外に出たことを。そういえば、怒られている最中にあなた様が私に笑いかけてきて、思わず笑ってしまったじゃないですか。あなた様が帰られた後、お父様とお母様からたっぷり怒られたのですよ。どうしてくれたのですか、もう。


 ……その後ですね、私たちの婚約が決まったのは。あのときは本当に嬉しかったのです。だって、私、あなた様のことが好きでしたもの。たぶん、一目見たときから、ずっと。当時は無自覚でしたけど、八歳の頃、ようやっと自覚しました。……本当に、あのときはすみません。ただ、逃げ出してしまいたくなるくらい、あなた様のことが好きで、だけどその気持ちを持て余してしまっていたのです――》






 その日、レイチェルは自室のソファーに座りながら、そわそわとした雰囲気を醸し出していた。手に持った本に視線を落としているがページはいっこうに捲られず、足はブラブラと揺れており、ドレスと同じ紫色の、ヒールのついた靴が見え隠れしていた。口元には笑みが広がっており、何かを待ち望んでいるよう。


 それもそのはず。今日は一ヶ月に一度の、レイチェルがユリウスに会える日なのだから。


 婚約を結んだあと、自然と一ヶ月に一度、ユリウスと彼の父がレイチェルら一家を訪れるようになった。冬のときや災害のときは途絶えるものの、なるべく来てくれて、確か今日で十回目。それだけ経ったのに、レイチェルは彼と会うことに慣れることなく、いつも嬉しくて、嬉しすぎて……。


 そのとき、遠くから、何やら小さくざわめきが聞こえてきた。それと、馬車の進む音も。この子爵邸は国の端にある領地内にあるため、滅多なことでは馬車を持つ貴族がやって来ることはないし、商人が来るのはいつものことだから、こんなふうにざわめくことはない。つまり、――。


 レイチェルはソファーに本を置くと、そそくさとベランダへ向かった。彼女がそう行動するのを予測していたかのように侍女が傍へ控えていて、ベランダへの扉を開ける。そんな侍女に心の中で礼を告げながら身を乗り出し、屋敷の門の方を見た。そこには一台の馬車があって、今まさに人が降りてくるところだった。降りてきたのは二人。黒髪の、でっぷりとした体型の男性と、男性とは似ても似つかない、麗しい黒髪の少年。ユリウスだ。


 彼を見た瞬間、レイチェルの胸が高鳴った。熱が体中を駆け巡り、内側から焼く。だけどそれは決して不快ではなく、むしろどこか心地よくて……。

 ぼうっと彼の方を見ていると、ユリウスがつい、と視線を動かし、こちらをまっすぐ見つめてきた。視線と視線が絡まって、いっそう体が熱を持つ。心なしか、心臓の音も早くなった気がした。


 そんなレイチェルの様子に気づくことなく、ユリウスはにっこりと笑いかけ、手を振ってきた。……もうだめ。レイチェルは小さくてを振り返すと、すぐさま自室へ戻った。ドレスの裾を翻してソファーに座り、熱くなった頬を押さえてうつむく。


 胸がドキドキして、切なくて、どうにかなってしまいそうだった。いつもそう。彼を見るたびにレイチェルの体は彼女自身のものじゃなくなったように勝手に反応し、何もできなくなってしまう。

 はぁ、とため息をついた。


(本当はもっと話したいのだけれど……)


 いざ彼を前にすれば口はなかなか動かず、首を振ったりするので精一杯。なんとかしてこれを解消したく、とりあえず遠目でもちゃんと挨拶をしようと思ったのだが……無理そうだった。そもそもあの距離では声は届かない。

 憂鬱で、もうひとつため息をつけば、「あらあら」と侍女が言った。


「本当にお嬢様は、ユリウス様のことが大好きなのですね」

「え……?」


 侍女の発した言葉に、レイチェルは思わず顔を上げて彼女を見た。ニコニコと笑っていて、とても嬉しそう。それは別にいい。ただ……。


(好き……?)


 どきりとした。何故だかそわそわする。きゅ、と胸が締まって、落ち着かなかった。

「えー」とか「うー」とか小さくつぶやいていると、部屋の扉が叩かれた。おそらくユリウスたちが来たから、応接室に呼ばれているのだろう。そのことにほっとしながら、レイチェルはソファーから立ち上がり、扉へ向かった。


 扉付近にいた侍女がノブを回す。部屋の外にいたのは執事の一人で、「旦那様が、応接室に来て欲しいとのことです」と言った。それに頷きながら、レイチェルはゆっくりと歩き出した。

 その途中で、ぽつりとつぶやく。


「好き……」


 好き。確かにレイチェルはユリウスのことが好きだ。両親も、この屋敷にいる全員も、みんな好き。だけどよくよく考えてみれば、ユリウスに対する〝好き〟と他の人たちに対する〝好き〟は違っていて……。

 心臓が一際強く脈打った。彼が傍にいないにもかかわらず、ひどく全身が熱い。まるで熱を出してしまったかのよう。うう、と心の中で呻いた。


(これって、もしかして……)


 そんなことを思いながら百面相をしていると、ちょうど応接室に着いた。心の準備をする間もなく、隣にいた執事によって扉が開けられる。思わず心の中で叫んだものの一度開かれた扉は戻らず、レイチェルは真っ赤な顔のまま部屋の中に入ることとなった。


 執事が「お嬢様を連れて参りました」と告げれば、ユリウスがこちらを向いた。どきりと胸が跳ね、体の中の熱がいっそう高まる。思わずうつむいた。……耐えられない。

 執事に促されて両親の隣に座るけれど、ユリウスの視線が熱くて、彼らがユリウスの父と何を話しているのかはまったく耳に入らなかった。それくらい、平静ではいられなかった。


 ……これは確かに、恋、なのかもしれないわ。いいえ、きっとそう。だってこんなにおかしくなるんだもの。真っ赤になった頬を隠しながら、レイチェルはそう思った。むしろどうして今まで自覚していなかったのか不思議なほど、これは〝恋〟だった。

 うう、と小さく呻く。自覚すると、彼の視線がより熱くなった気がする。どうしても彼のことを意識してしまい、なかなか周囲のことが頭に入らなかった。



 だから、父が提案してきたもののその内容を聞きそびれてしまい、曖昧に頷くことしかできなかった。

 そして何故か、レイチェルはユリウスと一緒に、二人きりで庭園に行くことになってしまった。



(ど、どうしよう……)


 心の中でレイチェルはつぶやいた。それしかできなかった。頭の中はもう大混乱で、何をすればいいのか全く検討もつかない。だからただ黙って、ユリウスに半歩遅れて歩くことしかできなかった。


 すると突然、ユリウスの足が止まった。レイチェルも慌てて立ち止まり、彼を見上げる。彼はどこかを見つめていて、その視線を追うと、そこには桃色のコスモスの咲く花壇があった。首を傾げる。どうしたのかしら?


 そんなレイチェルの様子に気づいたのか、ユリウスは彼女を見下ろし、曖昧に微笑んだ。そしてそっと髪の毛に触れてくる。心臓が早鐘のように暴れ回り、体を内側から揺らした。髪の毛も感覚がないはずなのにひどく熱くて、おかしくなってしまいそう。


 だけどそれだけでは終わらなくて。ユリウスは腰を曲げると、「レイチェル――」と耳元で囁いた。甘美な響きが耳朶を打ち、心臓が一際強く脈打つ。ビクリ、と肩が跳ねて、レイチェルは思わず体をひねった。ユリウスの顔が目に入る。彼は驚いたように目を見開いていて、その顔には傷ついたような色が見えた。


 そのことに罪悪感を抱きながらも、レイチェルはくるりと踵を返して屋敷の奥へと向かう。全身が熱くて、おかしくなってしまいそうで、耐えられなかった。

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