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その壱 白玉君のアルバイト

自分はどんな人間かと聞かれたら、さて、なんと答えるだろう。

白玉(しらたま)君はよくそんなことを思ってぼんやりしていた。

学校での成績は良い方だろう。自分は病気やけがなどをせず、健康や安全には気を配っている。協調性もあると思う。友達もたくさんいるし、もちろんそれは自分の一方的な独りよがりかもしれないけれど、今のところ、そんな高校一年生の生活に満足していた。それが自分というこの世で唯一無二のあらましであった。

―――ほんとうに?

もし、自分と全く同じ返答をする人がいたらどうだろう。白玉君は自分と区別をできないその人たちの間にいて、はたして自分の名を名乗らずにその人たちとの違いを説明することなどできるだろうか。


つまりそういうことである。

このたいへん暑い夏の朝、決して下の名を自ら名乗り出ることなどしない白玉君が、夏服のネクタイをゆがませたまま、せかせかとして混んだ電車に飛び乗ってみるのも、そのような説明できる要素を自身に加えたいからだった。


車内に入ってすぐのつり革には、中学時代によく知った友達がつかまっていた。思わず声を上げて、お互いに掌をパンとかち合わせる。残念ながら彼とは違う高校へ進んでしまったけれど、いまでもこう、会えば懐かしげに言葉を交わし、そしてぷにぷにしたほっぺを撫でられる―――――まったくもう、白玉などとはよく言ってくれたもので、その身体も顔も性格も、みんな白くてちいさくて丸っこい感じのする男の子に育ってしまった。とはいえ、べつに太っているわけでもなく、いわゆる可愛らしい類の童顔で、今でもクラスの友達にからかわれたりもしているけれど。

「え、まじ? 白玉おまえバイトするの?」

「う、うん。今日から、夏休みの間だけ」

そうした自身の不満に覚えがあるからこそ、こう、あえて自らを変えてみようと思い至ったわけなので。

「……ほんとうに大丈夫かよ。心配だな。とにかくさ、知らない大人について行ったりしちゃだめだよ」

「あのね。子供じゃないんだから」

「あと、お菓子をあげるとか言われても……」

「もう、うるさいって」

友達はよく笑ってくれる。

そのバイト先に選んだコンビニも、駅にほど近い便宜(べんぎ)の良いところではなくて、国道沿いの、ちょっと(いか)ついトラック野郎がよく集積するところだった。


なんでわざわざそんな辺鄙(へんぴ)なところを選んだのか。

なんたって、この白玉君にとっては生まれて初めてのバイトになるのだ。慣れない作業にあたふたする中でまかり間違ってクラスメートなんかにばったり出くわしてしまったら、あっというまにその無様な姿がいろんなところに拡散されて、きっと大恥を()くことになるにちがいない。それを恐れての選択だった。

けれどもこう、テストを終えた後の御為(おため)ごかしのような授業の後に、てふてふ歩かねばならない道程(みちのり)のことを思うと、いささか長すぎるような気もしてきて、はやくもこのまま家に帰ってしまおうかな、なんて思いにも駆られたりしていたけれど―――。

まあ初日だけでもがんばって通うことにしたのである。


そこの矢木澤(やぎさわ)という若い店長は二十代後半くらいの軽薄そうな、とまでは言わないけれどまあそんな感じの無精ひげのお兄さんで、白玉君はちょっとほっとしていた。あまり年齢が離れていると何かを聞くにしてもその性格からきっと物怖(ものお)じしてしまうのだろうし、この人ならば困ったときにも頼れそうだと安心できたからである。

とにかく最初はただ忠実に覚え込めばいいということで、まずは勤怠(きんたい)管理から教えられる。ここのコンビニはタイムカードではなくて、SCとかいうパソコンに名札の下のバーコードを読み込ませることで出勤扱いとなるらしく、そのあとはレジの扱いを覚えることになるのだけれど、この白玉君にかぎっては、レジの横に立たされての挨拶の徹底となってしまった。

「イラッシャイマセ」と「アリガトウゴザイマシタ」の繰り返しである。

たったこれだけのこと――――まあよくわからない無我夢中の間に初日のバイトは終わってしまうのである。ただひたすらに頭を下げていただけのような気もするけれど、こんなことでもお金がもらえるというのだから、なんだか不思議な気分であった。


初日が過ぎるとちょっと恐れの気持ちも軽くなって、授業でパソコンを扱うことに比べればレジ打ちもさして手間はかからない。その物覚えの良さに店長さんも感心していたようで、褒めるたびにほっぺを撫でてくる。頭ではなくほっぺを撫でてくるのである。

白玉君を褒めているというよりは、むしろ上手に教え込んだ自分へのご褒美のつもりのようで、その感触を楽しんでいるらしかった。


それから三日ほどたち、公共料金などのイレギュラーな作業をのぞけば白玉君もなんとかひとりでできるようになっていた。ただ、相も変わらずタバコの銘柄を覚えるのがダメで、しかも客層が客層だけに幾度も店長さんのヘルプを仰ぐ始末である。

番号と銘柄をノートにメモして覚え込んではいたものの、とっさにはどうしても出てこなくて、名前ではなくなんで番号で言ってくれないのかナと、ちょっと恨めしくも思っていた。

「はは、キミはタバコを吸わないからな。ま、人間、興味がなければそんなもんだよ」

そしてぷかぁっと、器用に輪っかを立ち昇らせる。

「矢木澤さんはタバコが好きなんですか?」

「んー、オレ? 嫌いだよ。大っ嫌いさ」

などと言うわりには、ずいぶん心地よさそうに(きっ)しているのだけれど。

「フフ、大人になるとね、嫌いなものも好きにならないといけないんだよ。そのうちキミにもわかるさ」

「そう、なんですか?」

この店では裏手の勝手口のドアを開けたところが喫煙所代わりになっていた。

といっても使用しているのはもっぱらこの店長さんだけで、まあ、店への扉は締め切っているから風が逆流することなどしなかったけれど、そこまでの短い廊下の真ん中あたり、むかって右側の細長い事務卓を据えた小部屋が煙の避難所……もとい、休憩所になっていて、そこから白玉君が顔を覗かせていると、店長さんはいきなり笑いだすのである。

「いやいや、こりゃあ失礼。そんなところからあんまりにも質朴(しつぼく)そうな顔を見せられてしまうとね。ほんと、キミは可愛いねえ」

「か、可愛いって!」

「ははは、まあまあ、怒らない怒らない。オレたちくらいの齢になるとね、どうも思ったことが腹をついてでてきてしまうんだよ」

白玉君がどうにも承服しかねる表情で店長さんを見ていると、

「なら、キミは好きな人に正面切って好きだって言えるのかい?」

なんてことを言う。

そんなことを突然尋ねられて、白玉君は思わず赤玉君になってしまうのだ。

「おやおや、なんだかキミには心当たりがありそうだね。ふうん、へえ、それはそれは。で、キミの好きなその彼女はどんな娘さんなのかな?」

「ち、ちがうって! そんなんじゃないですよっ、ただ、ちょっと……」

両手をあげて精いっぱいふりふりとやって、そんな慌てる姿がまた店長さんには面白いらしく、よく笑うのである。

たしかにこの白玉君もちゃんとした男子であったから、クラスの中に意中の娘のひとりやふたり、いてもおかしくはないのだろう。けれどもそのお相手というのはとてもじゃないけれど気軽く声をかけられるような()ではなくて、いわゆる高嶺(たかね)の花。遠くからただ眺めていているだけでも、いつのまにかに惹きつけられて、その彼女の瞳がちょっと自分の周囲にあるだけでも、羞恥に我慢のできなくなるほどであったから。

「ふふ、そういうことにしといてあげるさ」

まあ、ともあれ。

店長さんからのそうした追求を(まぬか)れたと思うと、白玉君もほっとひと安心なのである。

そうして休憩時間も終わり、店の方へ戻りかけたところで――――


ぶるん、ぶるん、ぶるるるるん――――


なんだかとても排気量の大きそうな声の自動二輪車が裏手にやってくる。

――――声だって?

そう、うるさいのは運転している者の声であって、自動二輪車そのものはたいへん小さいステップスルーのスクーターなのであった。

そんなものが戸口の真正面までやって来ると、きゅるきゅるといきなりのアクセルターンを披露(ひろう)する。

「うわっ! 石が飛んでくるっ、石が!」

店長さんが尻を向けての抗議の声である。

ふだんからあまり掃除をしていない場所だったから、そこのアスファルトの埃がいっせいに宙に舞ってしまって、しばらくは白玉君の視界も遮られたままでいた。

「ケホッ、ケホッ、すごいこれっ」

そうして身体についてしまった埃をはらっていたところで、騒々しい音の合間から可愛らしい声が聞こえてくる。

「ふふふふふ、ごめんごめん」

スクーターの主は愉快そうに笑いながら、ピンクのヘルメットを両手で持ち上げた。とたん、豊かな髪が柔らかい線を描いてどっと垂れこぼれてきて、その背に肩に一斉にふりかかってくる。

彼女が二、三、首を振るうとまん丸な感じの瞳がこう、知らない男子を発見して、最初はびっくりしていたようだけど、髪を手で()くころにはすっと細められていた。

「へえ……」

なんの予告もなしに顔を近づけられて、白玉君の胸もやや高鳴る。

そして、その()の肌のきめがじつに細やかで、きれいにすっと()った睫毛の色かたち、淡い色のふっくらした唇、ちょっと離れて見回すと、その容姿がたいへん可愛らしいものであるということに気づくのだった。

自分と同じくらいの(とし)らしいから、もう少し経てば、それが美しいの形容に取って代わるのかもしれないけれど。

「あ、あの……君は、だれ?」

「うん? あたし?」

大きな眼をくるくるさせる娘からは、お花のようなやわらかい匂いの良い感じがしていた。

「そうね、皆からはマーリって呼ばれているけど、なんなら真理でも(まり)でもかまわないわよ。キミが呼びたいように呼んでくれれば」

白玉君が眼を白黒させていると、後ろから笑い声がする。

「ははは、ちょっと変わっているだろう? 初めて会うやつには、いつもそんなことを言って惑わせているんだよ。つまりまあ、そうした反応でもってその相手の人となりっていうやつを(さぐ)っているらしいんだな」

「いいじゃない、別に。あたしの勝手でしょ。それよりもキミ、前にあたしと会ったことはない?」

「い、いえ、初めてだと思いますけれど」

ほんと、思いもかけずにこんな近くで可愛い娘の顔を見ることができたものだから、彼もまた幻影ではないかと思ったほどである。

「そっかあ、思い違いかなあ」

それでも、マーリは納得しかねる顔でいた。

「一度、どこかで会ったような気もするんだけどな。まあいっか。キミに関してはそんなこと必要ないかも。だってほら、こんなに可愛いんだしねっ」

そしていきなり白玉君を抱きしめてくるのである。はてさて、このときの彼はどう思っていたのだろう。いや、どう感じていたのか。

なんだかごつんと彼女の胸骨が痛くって、むしろ自分の頬の方がよっぽど柔らかで温かい。

「おいおい、マーリ。キミのその平たい胸になんか抱かれたって、喜ぶ男子なんか―――」

そこで不意に店長さんの言葉が途絶える。

「ね、名前は?」

「え?」

「キミの名前だよ。いくらなんだって、いつまでもキミとかあなたじゃだめじゃん?」

そう言われればまったくその通りなので、白玉君はおずおずと返事をする。

「あ、あの、白玉、です……」

「へえ、もちもちしてそうで可愛いらしいものねえ。まったくもう、なんでこんなかわいい男の子がいるって教えてくれなかったんだろ。ダメな店長さんね。知っていたなら大学の授業なんてほっぽって飛んで来たのに」

「えっ、大学?」

思わず彼女の胸から顔を上げた。

「そうだよ。これでも大学二年生。ちゃあんと成人しているんだから」

「ええーっ!」

白玉君は彼女のお顔をあらためて拝見してみる。肌のきめだけはきちんと整えているけれど、アイラインをいじるどころか眉描きも紅さえもしないで済ませており、なおかつこの幼い容姿なのだ。

「……まあ、そうした反応にもちょっとは慣れているけどさ」

「ああっ、ごめんなさい!」

彼はすぐさまお詫びする。とはいえ、下には下がいるものだなあと変な感心をするのである。

「つまりはオレの大学の後輩、ってことになっていて、そしてうちの店のアルバイト店員でもある。ま、仲良くしてやってくれ」

「そうよ、仲良くしてあげましょう」

「あ、でもマーリ。彼氏、好きな()がいるみたいだぜ」

と―――、店長さんはなにか顔に投げつけられでもしていたのか、その歪んだ顎を矯正しながらよけいな事を言う。

「ちがうって、いませんてばっ!」

「あれ、そうだったかな?」

「そうです!」

白玉君はその片恋の相手の姿をこっそり脳裏に描きつつも、夢中で否定した。

マーリがじいっと覗き込んでくるのには、ちょっと往生(おうじょう)してしまったけれど。

「ふうん。なら、いいよね?」

「え?」

「だってさ、こう、隣に並んでいても、誰も不審がらないでしょ? あたしが大学の男子と街中を一緒に歩いていると、ほぼ間違いなく補導員や警察官に呼び止められちゃうんだよ。そのせいで未だ彼氏を確保できないし、キミが彼氏になってくれたら、あたしも大助かり。それ以前に、なんたってキミは可愛いし。ね?」

「え、えええ!」

と、思わず大声をあげていると、

「なあに、なにか不満でもあるの?」

などと怖い目つきで応じてくる。

「い、いえ、そうじゃありません……」

白玉君はひどく怯えながらも、自分だってもう高校生の立派な男子なのだし、そう、気概(きがい)を奮い立たせて……。

「大丈夫だよ。白玉君が何のためにこのバイトを始めたのか知らないけれど、こうしたお付き合いも、バイトと同じで社会に出るためのお稽古ごとだと思えば、ほら、そんなに思い悩む必要はないでしょ?」

そう考えれば、なるほど自分のやろうとしていたことに(かな)う話なのかもしれない。けれども一人の女の子……いや女性をまるで試供品のように扱うことに、白玉君はひどく抵抗があったので、

「なら、はい、わかりました。お願いします。けれど―――そう、そうですっ、つきあうのなら、僕はちゃんと好きになりたい」

などと言ってしまって、マーリをたいへんなことにさせてしまう。

たったこれだけの言葉だけでも彼女を喜ばすに十分だったけれど、まだまだ、白玉君にはその理由がわからない。

とにかく、こうしたことでひと夏のファンタジーめいたお話が始まってしまうのである。


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