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風の学園 二

「私は宏さんが好き。それにこんなつまらない私を宏さんが一番受け入れてくれてます。それなのに、こんな障害にしたのは私が悪いんです。だから、私は宏さんのためにこれからの私を捧げて生きると決めたんです。だから、一生結婚しない。」

 詩音は、今までにない強い調子で宏に食い下がった。

「それは違う。事故は君のせいじゃない。……それから他の人だって君のことをわかっている。淑姫だって、三田の友人たちだって……。それに、こんな死に損ないより、君にはもっとふさわしい男がいるはず。」

「そんな人はいません。だれですか教えてください。どこにいるのですか。」

「いや、今は……。でもね……。」

「私の愛する男の人は、今目の前にいる宏さんです。」

 宏は詩音の考えが宏の予想を超えたところにまで展開していることに、そしてその意志の強さに驚いていた。宏は、愛に飢えている少女の剣幕に押されて黙ってしまった。


 数日たった。詩音の母綾子の父母、辻堂夫妻の住所は、程なく伝えられてきた。渋谷から近い中目黒に住んでいるとのことだった。早速、と思って一緒にいたいと思うべき相手はフィアンセだという話題まで持ち出して、詩音を説得しようとしたところ、逆に彼女の新しい考えに戸惑っていた。

 宏はしばらく黙って考えをまとめ直した。彼女の頑固さと展開の速さは、母親譲りのようだった。しかし、それは多分詩音の最も嫌うことだろうと思われた。それをあえて指摘し、冷や水をかけるしかなかった。

「詩音さん、あなたの母親そっくりだね。」

 やはり、詩音の顔色が変わった。宏は畳み掛けるように指摘をした。

「彼女はそうやって人の言うことを素直に聞かない。そうやって先走って今に至っている。」

「そんなこと……。」

「いや、君はまるで綾子そっくりだよ。」

 詩音は黙っていた。

「よく考えて欲しい。私は決してあなたを見捨てない、と言ったよね。でも、私が貴女を愛していることであってあなたの愛を求めてはいない……。」

 詩音はその言葉に食いついた。

「愛してくれているなら、わたしをひとりにしないで。私を離さないで。」

 詩音は今までにない勢いで、強引に宏に抱きついていた。宏は慌てたが、それでも噛んで含めるように低い声で語りかけた。

「よく聞いて。君は、ここに来てからよく話せるようになったね。僕を相手に話すことを学んで来たし、気持ちを素直にぶつけられるようになった。それは君自身を助けることになるよ。それから……君を見捨てないということは、君を恋人にすることじゃない。ましてや妻にすることじゃあない。君から何も貰うことはなく、ひたすら君を見守り支え続けることだ。そう、やはり僕は君の父親であるべきだよ。」

「でも、宏さんは私のお父さんじゃない、私が愛しているひと……。」

 詩音には、端正な宏の顔しか目に入らなかった。宏は詩音に微笑んでたしなめるように言った。

「ほら、また僕にすがりつきたいという顔をしている。だから、一緒にいると危ないんだ。今はこうさせて欲しい。」

 宏は詩音の顔を見ながら、ゆっくり言った。

「泰造おじいさんのところへ行こう。」

 詩音はそれを聞いておどろき、目から涙が出てきた。

「おじいちゃん……。」


 父親宏のアパートを後にし、二人は、三河島から南千住経由で中目黒へ向かっていた。

「大きな荷物は、私が後で送るよ。」

 宏は詩音にそう言いつつ、日比谷線の中目黒から、東山へと向かっていた。その東山には、青学の客員教授となっていた祖母悦子と付属校のチャプレンとなっていた祖父泰造の家があると聞かされていた。

 中目黒駅に着いた頃には、つるべ落としの日はすっかり暮れていた。目黒はひらけた都会らしく、新年商戦真っ盛りの駅前は自家製パンやケーキ屋、レストランが駅前通りの華やかさを盛り上げていた。また、しゃれた雰囲気の駅周辺から一歩入り込み、坂を大きく登り入ると、周りの家も鴻巣の三田や三河島ではあまり馴染みのないデザイン住宅であり、そんな家々が街並みを整えていた。その丘に上っていったところにその家はあった。

「ここが君の祖父母の家だね。」

「でも、急な訪問だと迷惑ではないかしら。」

「迷惑も何も、彼らは君のことをいつも心配しているさ。」

「私に、この敷居をまたぐ資格があるのかしら。私はおじいちゃんとの約束を守れなかった。辛い時に泣いてしまったわ。」

「そんなことでだれか愛するものを追い出すかい?。」

「でも、お母さんのところでは私がいたから….…お金を渡してしまったから、お母さんをダメにしてしまったし、お父さんのところへ行っても事故が起きたし、さらに私が原因で問題が起きているわ。」

「君が問題を起こしているわけではないことを、私は知っているよ。」

「なぜそんなことが言えるの?。事実として、私がいると必ず問題が起きているのよ。私は疫病神なのよ。」

 詩音は思わず悲痛な声を上げていた。そのとき、目指す家で玄関の鍵を開けて門外の詩音たちをを覗く男の影が見えた。詩音は思わず挨拶をしていた。

「すみませんでした。」

「その声は、詩音じゃないか?。どうしたんだ?。よくここがわかったね。」

 詩音が特徴的な高い声だったため、泰造は若い女が詩音であることに気づいていた。

「すみません。二人で騒いでいて。」

「ん?。二人?。もう一人の方は!。宏さんじゃないか⁈。」

泰造は、おどろき怪しんだ。

「詩音や。取り敢えず、家の中へお入り。」

「でも、私はここに来る資格なんてなかった……。」

「何を言っているんだ?」

「わたしは、おじいちゃんとの約束を守れなかった。それに周りに不幸を持ち込むだけ。わたしはここに来る資格はないし、ここにきてはいけなかった。」

「どうしたんだ、なぜそんなことを言っているんだ?。取り敢えず、家にお入り。」


 祖父母の家は、瀟洒な造りで、吹き抜けとその螺旋階段室の周りに一階と二階の部屋が面していた。泰造は、リビングに詩音を導き入れた。奥の部屋からは悦子の声が聞こえてきた。

「あなた、誰だったの?。」

「ああ、詩音だ。そして、宏さんだ。」

「ええ⁉︎。どうしたのよ。綾子はどうしたのよ?」

 詩音から綾子と詩音の毎日の生活を、また綾子の許を出たことが、語られた。綾子のギャンブル依存症は泰造や悦子の想像を超えていた。その後を受けて、宏は児童相談所から連絡を受けてからの一部始終を手短に報告した。児童相談所の処置で、親権が宏に移っていたことも、泰造や悦子にとってはおどろきだった。


 詩音の生活は、宏のサポートを受けながら中目黒の祖父母の家で落ち着くこととなった。また、詩音は、近くの東山中学校に通い始めた。しかし、そこも安住の場所ではなかった。新年度を迎える直前の三月末、どこから聞きつけたのか、綾子が訪ねてきたのだった。綾子は表札を見るなり、鍵のかかったドアを叩き続け、ドアを開けた悦子と鉢合わせとなった。やはり、悦子と綾子との激しいやり取りが起きた。

「綾子⁉︎」

「詩音がここにいるんだろ。返せよ。」

「ここにはいないわよ。居たとしても会わせない。子供が爪に火をともすようにして稼いだ金を横取りしてギャンブルに全部使っちゃうなんて、親の資格は無いわよ。」

「そう言うお前ら。あたしをこんな苦しい人生にしたのは、お前達だ。」

「貴女は素直でなく、頑固で我慢をしようともしない。私たちは何度となく警告して来たはずです。」

「だからって、親、親と勝手に宣言するなよ。あたしだって詩音の親だよ。」

「あなたにはもう親権はないはずよ。」

「誰がそんなことを言ったんだ?。詩音か?宏?。詩音がいないのにお前達が知っている、と言うことは、宏が言ったんだな。と言うことは詩音はまだ宏のところか?」

 綾子は悦子に掴みかかり、もみ合っていた。彼女らが言い争うその間に泰造は詩音とともに勝手口から家を出ざるを得なかった。

「あたしが苦しんでいるのは、お前達のせいだ。借金ぐらい肩代わりしろよ。」

 詩音はそう叫ぶ綾子の声を聞いた。悦子は綾子のギャンブルの借金返済を拒否し、綾子は衝動的に悦子を叩いていた。綾子が諦めて出て行った後には、悦子が脳梗塞を発症して倒れていたという。


 泰造が詩音を連れて行き着いたところは、葛飾区の同潤会住宅の一角であった。黒塀に囲まれた大正末期の住宅街が並ぶ静かな道に入り、その一角にある下り松のある瀟洒な門を入ると、引き戸の玄関があった。玄関に続くうす暗い廊下を進み、勝手にどんどん入り込んでいく泰造の後を、詩音は恐る恐る付いていった。板張りの東南向きの書斎付き部屋に入り込むと、そこには果たして宏がベッドに寝かされていた。

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