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風の学園 一

 打ち合わせをしていた一同の緊張はすっかり解け、ゆっくりした日差しが辺りを満たして来た。離れの方から、祖父を呼ぶ声が聞こえた。いまは介護度三となって体が不自由な祖母の悦子だった。

泰造は、詩音と民生を離れに案内した。半身不随となって長く車椅子生活を過ごしてきた悦子だったが、話す能力は健在だった。悦子は詩音と民生を目の前にして泰造さえあまり見たことのない穏やかな表情を浮かべていた。

「ここまでよく来られたわ。」

詩音は頷き、民生も答えていた。

「でも、二人で歩いてきたので、長くは感じませんでした。」

「そうよね。あなたたちは、幼い頃から今までもこれからも、二人なのね。私たちも八十五を超えて老い先は短いけど、確かに歩めて来れたわ。息子たちには先立たれ、娘は身を滅ぼしてしまったけれど、でも孫のあなたたちは、私たちの希望をかなえてくれたわ。多分、初めからこんな風になることを予定されていたのね。あなた達はこれから先、死さえも超えて永遠に一緒に居ることになるわ。」

不思議な言葉だった。悦子は遠くを見るように視線を泳がせていた。詩音は、それに視線を合わせるように、宏の許から祖父母達に再会した時のことを思い出していた。


………………………


 宏は看病疲れのまま、買い物へ行くと言って出かけ、帰ってこなかった。外の雨は雪に変わっていた。暖かい部屋の中で、詩音は時計の音とともに、安心感に漂いながらぼんやりしていた。未明になった頃、若い詩音はすっかり元気になっていた。

宏さん、遅いなあ。そんなことをぼんやり考えていたとき、突然電話がかかって来た。警察だった。

「田山宏さんのご家族ですか。宏さんは交通事故で、三ノ輪病院にいます。スリップした車にはねられて……。」

「えっ。」

 宏は、先ほどまで、熱に苦しんでいた詩音を熱が下がるまで介抱していた。そして、取り乱した詩音を落ち着かせて出かけたはずだった。先ほどまで介抱してくれた宏の腕、首、耳元の声まで、未だ生々しく覚えている。

「事故で病院へ?。そんなことって。」

熱は下がったものの、未だ少しふらふらしている。

「とりあえず、落ち着かなきゃ。」

 朝となり、詩音は簡単に朝食を作れるほどまで回復できていた。そのあと入院のために用意をしようと父の部屋に入り込むと、そこには父が昨日までの感冒で詩音が入院することを考えていたのか、父が用意していくれていた保険証や財布に入った札束が机の上のカバンに入れられていた。着替え以外はもう用意する必要がなかった。

 朝靄の中で教えられた病院へ駆けつけると、包帯と点滴などで覆われた宏が集中治療室に寝かされていた。既に緊急手術は終わったあとだった。命は取り止めていたが、軽い脳出血とまだ残されている血腫が脳を圧迫しているとのことだった。つまり、しばらくは入院することになるという。

 しかし、その後のことは、詩音には想像もつかなかった。まず入院手続きは、ハンコや保険証が必要だと言われ、また着替えや洗濯物、貴重品の管理など、さまざまなことが中学生の詩音の目の前に並べ立てられ、メモ書きするだけでも、大変な作業だった。また、与えられた個室は一日の利用額が詩音の二月分の食費に相当する額だった。しかし、慣れていない詩音故に驚き、困惑したことだったが、全ては宏の用意していたカバンの中の書類と財布の現金でほとんど間に合い、問題はなかった。ただ、入院に保証人が必要だったが、見当もつかなかった。また一人で、入院中の世話や退院後の毎日の生活をできるのだろうか。


 宏のカバンには不動産投資会社の名刺と、お花茶屋伝道所書記という名刺があった。思い切って電話連絡を入れていた。お花茶屋伝道所に電話をすると、電話口に女性職員らしき人が風の学園と名乗った。詩音は間違い電話をしたと驚いて電話をきってしまった。他方、事情をわかってくれた会社からは部下という人が来て、宏が経営陣であり配当で生活できること、生活場所は相談してほしいことを伝えて帰っていった。これらの事務をなんとかこなして気づいたら、もう冬の日はとっぷりと沈んでいた。

 詩音は、二日後から学校へ復帰した。なんとか十二月の期末試験を受け、そのあとはホッとしながら宏の病室から学校へ通いながら過ごしていた。

 一週間後、クリスマスイブとなった。もう冬休みになる。病室にはクリスマスのケーキが配られ、看護師たちのクリスマスキャロルが響いていた。室内にいても、遠くの声の響き、天使のような透き通った声と、低い微かな声が重なっているように聞こえた。それは、目覚めた宏の声だった。詩音はそれに気づき、宏のそばに座って手を握った。

「あれは賛美歌?。あれ、詩音さん?。ここは?」

詩音は、宏の教会書記という肩書きを思い出していた。

「教会ではないですよ。病室です。」

「何故ここに?。きみを部屋で寝かせて外出してからの記憶がない。学校はどうしたの?」

「今日はクリスマスイブです。もう明日は終業式で、冬休みになります。」

 その日のうちに、宏は医師から症状とリハビリ、後遺症の説明を受けてから、しばらく考え事をするように黙していた。詩音は不安そうな顔をして宏の言葉を待っていた。

「……詩音さん、僕はろくに体が動かないらしいよ。退院後も障害を受けた箇所が左半身に繋がっているため、動かないらしい。風呂だって介助が必要だしね。分かるね。」

宏は噛んで含めるように、詩音に話しかけていた。詩音は宏の話し方から身構えて話を聞いていた。

「……だから、君には迷惑をかけたくない……。」

この言葉が終わる前に詩音は畳み掛けるように宏に言い出した。

「でもわたし、食事も作れます。看病もできます。東京に来る前は、働かない母の代わりになんでもやって来ました。家事は全てやります。働きにも出ます。今更『さよなら』なんて言わないでください。」

宏は詩音の剣幕に押されていた。

 宏は、宏の入院の後に起きた、今まで寡黙だった詩音の変化に、驚きもした。確かに詩音と同居すれば、頼りにすることも可能だろう。戸籍上の娘でもあるから、問題視はされないだろう。しかし、実の娘ではないことが分かった今は、一緒に暮らせば詩音のためにならないと確信していた。だから、事あるごとに詩音を説得しようと試みていた。

「でも、僕は君の血の父親ではない。血の繋がらない男と女は他人同士だ。親戚でもない男女が一緒に暮らすのは……。」

「でも、戸籍上は親子です。だから問題はないはずです。」

「法律上はそうだけれど。僕は男だよ。君にとって他人の男は……。」

「でも、何も心配するなと言ってくれたじゃやないですか。」

「そうだよ。だから、君の肉親を探して……。」

「どんな人かも知らない人に、わたしを渡すんですか?。」

「それは違う。君には肉親の愛情が必要だ。だから、その人たちと一緒に…………。」

「どうして一緒にいてはいけないんですか?」

「だから僕は君に迷惑をかけたくない。」

「誰がいつ迷惑だなんて言ったんですか?」

 また、いつもの堂々巡りになりそうだった。そうなると、詩音は宏の首に抱きついて、宏を黙らせるのだった。

「わたしをひとりにしないで。」

宏は、その度ごとに詩音を説得するのをあきらめた。しかし、なんとか幼い詩音が半身不随の三十男に縛られないようにする工夫を考え続けていた。


 年は開け、宏は退院し、二月下旬となった。新年度のさまざまな取り組みが一人一人の心まで、新しいことに準備するよう促す季節だった。お花茶屋伝道所の役員会メンバーも、新年度の役員人事の相談のため、動けない宏の家を訪ねていた。その折、山形牧師は三十代半ばを過ぎてもずっと独身でいたと思われた宏の家に、中学生に見える若い女性がいたことに驚いていた。彼らは風の学園というフリースクール兼学童保育所を運営していたため、中学生を見慣れていた。そのため、詩音が中学生であることがすぐわかったようだった。

「田山さん、あの若い方は?。怪我を際に電話をくれたのは、しっかりした口調から大人の女性、会社の人だと聞きました。でもあの女性は中学生か高校生ですよね。どういうこと?」

「実は、わたしの娘です。ずっと会っていなかったんです。児童相談所から相談されて、別れた妻はギャンブル依存症になっているとかで、そこからこちらにきたんです。親権をわたしが持つことになって、……。別れた妻は、実は辻堂夫妻の娘です。」

山形牧師は絶句した。

「えっ、あの、確か教育評論家の辻堂悦子さん?。ご主人はチャプレンをされていたはずでした。しかし、今は確か引退なされているでしょうね。」

「今では元妻とご夫妻とは絶縁状態にあるようで………。わたしはご夫妻がどこにいるかも知らない状態です。」

「調べてみましょう。」

山形牧師はそう言って田山の部屋を後にした。

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