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再会

 詩音と民生はもうすぐ東京へ帰る時間だった。ホッとしたひと時が流れていた。そのとき、民生は、詩音が彼自身を見つめているのに気づいた。その視線は、高校での再会の時の、驚きを含んだ優しく少しはにかんだあの彼女の視線と同じだった。

………………………


 民生が再び詩音を見かけたのは、入学したさいたま市の高校であった。

その学校は、埼玉県、関東一円でもよく知られた新鋭の進学校である。彼ら教師は、公立には無いきめの細かい指導と、生徒たちの心を掴む熱意を有しており、公立はもちろん他の私立高校からも一目置かれる存在だった。しかし、この高校は武道にも長けている。全国大会に出る生徒らは、この学校のモットーである文武両道を体現していた。


 詩音にとって民生との再会は数少ない甘酸っぱい記憶の一つになるが、民生と詩音は互いを意識したのは入学して一ヶ月ほどしてからである。詩音と民生が言葉を交わしたのは、それぞれが同じクラスの友人達と上尾のスケート場に遊びに行つた時のことだった。詩音はおとなしい女子同士だったが、民生は男女混合の仲良しグループだった。制服ではなかった彼等は、相手のグループの中に見知っている顔があったことで、少し経た時には同じ高校の異なるクラスのメンバーであることはわかっていた。その時に、民生は詩音を見出していた。

孤独感が漂っていたあの頃とは異なって、大人しいながらも友人達との会話を楽しんでいるようだった。


「田山さん?。」

「えっ?。」


 詩音は思わず振り返り、背後にすらりとした男子生徒が立っていることにやっと気づいた。詩音は幼い時の瘦せぎすのまま、少し背が大きくなり、胸部がふっくらした程度だった。しかし、民生は一年半ほどで二十五センチほど足が伸びており、詩音にとって直ぐに民生であることは分からなかった。

「……上原君?。」

 民生は、詩音が口をきいてくれたことが意外だった。寡黙だった詩音は今は、少しはにかみながらも話すようになっていたようだった。それでも寂しげなそして恥じらう雰囲気が強まったようにも思われた。

 入学して成績のよかった民生は、国立受験クラスに進んだ。それは、地方の国立大学を目指した進学クラスだった。しかし、このクラスの上に、国立選抜、先進選抜、特進選抜と、まだまだ三つも上のクラスがある。民生が少々驚いたことに詩音は彼のクラスより二レベル上の先進選抜クラスに在籍していた。しかも特待生であった。


「田山さん、あれから東京へ引っ越したと思ったのだけれど……。」

「久しぶりね……。そう、引越したわ。それから、わたし、苗字が変わったの。辻堂に。」

 詩音の笑顔から語られた言葉に、民生はさらにショックを受けて体の幹が折れてしまったように感じた。民生は自分がそんなにがっくりしてしまったのにも、驚いていた。

「えっ。結婚したの……。」

 この言葉が民生の驚きと重い失望感、民生の全てをあらわしていた。

「け、結婚⁈」

 詩音のこの短い戸惑いの返事を聞いていないのか、早とちりの民生はもう立ち去ろうとしていた。周りにいた民生のクラスメイト達も、民生の姿に驚いていた。

「どうしたんだよ。昔の彼女だったのかよ?」

「いや、そんなことは…。」

 そう言いつつも、民生は自分がそんなにがっくりしてしまったのにも、驚いていた。詩音は、端正な彼の狼狽振りに驚いたものの、民生の後ろから追いかけて思わず彼の手を取っていた。その目は、待ってよ、と言っているようだった。その反応に二人とも驚いていた。

「ええと?」

「祖父母と養子縁組して、苗字が変わったの。」

「そうだったんだ、まだ、誰のものでもなかったんだ。よかった。」

 民生は無意識に素直にそう言っていた。

「どうしてそんなこと……。」

 詩音は、民生が思わず心情を吐露したことに驚いて、昔のようにまただんまりになってしまった。民生は、これらのやりとりが場違いなことに気づき、顔を真っ赤にして黙ってしまった。

 しかし、彼らの代わりに周りの男女達が黙っていなかった。

「ねえ、辻堂さん、あの人は誰なの?」

「引っ込み思案に見えたけど、かっこいい彼氏がいたなんて。」

「おい、民生、よかったな。」

「彼女、オーラを感じるぜ。」

彼女は民生くんの知り合いなの?

彼女たちは先進選抜でしょう?

 二人に対する少しばかりの嫉妬と羨望の込められた声の中、いつの間にかカップルが作り上げられていた。しかし直ぐに、民生は養子縁組が何を意味するかを改めて考えた時、詩音の複雑な家庭環境を思い出していた。それだけに、このにわかカップルは、それ以上に盛り上がることもなかった。それよりも民生の中では、詩音の昔から変わらない生きる姿勢に思いを馳せざるを得なかった。詩音も、民生の頭の回転の早さと配慮の術を思い出しながら、民生を見つめていた。その目は少々苦笑と言うべきか、微笑みが混じっていた。


 そんな再会もつかの間、新入生達は全てが直ぐに初めての中間テストの熱気につつまれてしまった。やがて、順位が張り出され、そのトップに辻堂詩音の名前が掲げられていた。詩音が、上の特進選抜のクラスを抑えて最上位に居ることを見出した時、民生が眩しかったと感じたのも無理は無かった。詩音のクラスメイトでさえ詩音に一目を置くようになっていた。 言われてみれば、詩音は努力家の片鱗を小さい頃から見せていた。幼い時のその額の汗の姿を見ただけで、民生はその時すでに彼女を好きになっていた。彼自身が彼女の努力のさきにいつも輝く幻を見ていたからだった。しかし、この時の民生にしてみれば詩音が手の届かないところへ行ってしまったようにも感じられていた。

「一番だね。すごいな。」

「上原君も頑張っているでしょ。」

「僕は君に及ばないなあ。はるか上の憧れの人だよ。」

「そんなこと…。」

 詩音は民生との間に少しばかりの距離を感じていた。目を合わそうとしない民生に、詩音は言葉を投げかけていた。

「待って。」

「えっ?。」

「私が一番を取ったから嫌われるの?」

「そうじゃなくて……」

 民夫は詩音の察しの良さに驚いていた。詩音はいつの間にか自分の立ち位置が変わってしまったことに戸惑っていた。特に民夫の自信なさげな態度に詩音は戸惑いを隠せなかった。しかし、民夫が中学の時に詩音のために詩音の母親を探し当てたり、窘めたりした行動力に驚き、引け目を感じていたことを思い出していた。

「先生の表情と言い方の変化を見ていると、何処が試験に出るかわかるわよ。」

 民夫は詩音のアドバイスをなるほどと思ったが、実際には難しいことで、民生は授業について行くだけで精一杯だった。数学教師からの指摘は厳しく、数学の補習を受ける毎日だった。他方、詩音は毎日放課後の自習を済ませていた。というより、周りのお節介もあって、詩音は補習を受けていた民生を、毎回校門前で待っていたのだった。二人が大宮の改札でそれぞれの家路に分かれてきた後、詩音の心の片隅に、新たなの暖かい脈動が生まれていた。

 詩音が堀切の自宅に帰り着くと、詩音は宏に声をかけるのが習慣だった。宏はここ数日の詩音の上気した顔を見逃さなかった。それは父親の直感というよりは、大切に思い続けている者に向けた控えめな慈愛だった。そして、それはもう、自分がそばにいなくてもいい頃合いだと悟った時だった。

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