プラスチックボディ、プラスチックマインド
私達は彼らを、どう使ってやればいいのでしょう。
私は消しゴムである。名前はまだないが、持ち主の書き間違えた名前は幾度となく消してきた。
私は過ちを消す為の存在であるが、過ちを正した事はない。正すのはいつも持ち主の頭である。間違えたのも持ち主の頭である筈なのに。それが少しだけ気に入らない。
それでも私には私の誇りがある。消しゴムとしての誇りが。たとえ自らに何の原因もない持ち主による過ちであったとしても、私が消しゴムとして求められ続ける以上、その役割を果たす。
だが、誇りを保つ為には、文字通り身を削らなければならない。生まれた当時は滑らかな面と鋭くも優しい角を持ち、よれもくすみもない紙ケースを纏っていたが、今となっては見る影もない。面はべたつき、角もすっかり丸くなり、紙ケースも縮みゆく我が身に合わせて切り揃えられてしまっている。使われ始めた頃は、消す度に丸みを増していく角を惜しむように見ていた持ち主も、すっかりぞんざいに扱うようになってきた。惜しむ角も既になく、黒ずむ面も気にしない。過ちを消した後は、机上に投げ捨てられる。依然衰えぬ弾性故に机から落ちようものならば、舌打ちと共に煩わしげに掴み上げられ、また同じように投げられる。
使われる程に扱いが雑になっていく。我ら文房具に限らず、何においてもそうなのだろうが、私と感情を共有する存在が身近にいた。同じ筆箱を住まいとする、鉛筆だ。
すらりと長く、艶めき、麗しい彼女もまた、私と同じように身を削る。鮮やかな緑にコーティングされた外見を削り上げられれば、黒く鋭い芯と、美しい木目があらわになる。
私にも角はあるが、しかし直角よりも鋭くなく、おまけに硬くもない。消しゴムである私では持ち得ない魅力を持つ彼女に、私は憧れていた。そして彼女もまた、柔らかい私に憧れていたらしい。日に日に丸みを帯びていく私を見て、「可愛らしくなっていくのね」と微笑んでくれたのは彼女だけであった。
だが、私が丸く短くなっていくように、彼女はただただ短くなっていった。
鋭かった芯は丸くなるが、削られる事で再び切れを取り戻す。だが、見上げるばかりであった背丈は、みるみる縮んでいくのだ。実はそれだけではない。端正な六角の身体は、所々が凹み、抉れ、歪んでいった。
その身体の変化が、彼女の心をも変えてしまった。
凛々しかった佇まいはすっかり鳴りを潜め、持ち主に使われる事を恐れ始めた。私も同じように、どころか誰もが変わっていくというのに、まるで自分だけが悪化していくように嘆くのだ。
また縮んだ。
私が消えていく。
こんな私を見ないで。
彼女の姿は痛ましくて、とても見ていられなくて、私は彼女への憧れを忘れようとした。
忘れようとしてすぐに、彼女は私の傍から消えた。
随分と小さくなってしまっていたが、なくなるにはまだ早かった筈だ。彼女はまだ働けたが、それだというのに、消えたのだ。
そして彼女と入れ替わるように、シャープペンシルなる輩が入り込んできた。
そいつは、まるで彼女を意図的に醜く再現したような奴で、身体の各部が異なる材質で構成されていた。硬い部分が殆どであったが、その硬い部分の中でも差異があったり、どころか私よりも柔らかい部分があったりもした。余りにも異質で、誰もが敬遠していた。
中でも私の態度は群を抜いて悪かったと思う。あちこちで感触が異なるそのばらつきが気に入らなかったし、彼女とどこか似ているところも、あまつさえ役割が全く同じだったところも不快だった。たとえ私の役割であろうとも、奴の引いた線を消さなければならない事が嫌だった。
そしてある日、私は新しい嫌悪点を見つけた。奴には、消しゴムが付いていたのだ。
私よりもずっと小さく、粗末なその消しゴムは、いつもシャープペンシルの裏に隠れていた。私は同じ役割を持つ者がいる事についても不服であったが、何よりも癪に障ったのが、私よりもずっと劣るそいつに役割を取られた時があった事だ。
ある時持ち主は、筆箱の中からシャープペンシルだけを持っていった。シャープペンシルが持ち出されるという事は、裏に隠れている奴も一緒である。暫くしてシャープペンシルが戻されると、惨めなあいつが僅かに削れていたのだ。消しゴムが削れているという事は、使われたという事。つまり、私を差し置いて奴が使われたという事だ。
奴は満足そうに「やっと使ってもらえた」と言った。「これで僕も一人前になれた」と。
それをシャープペンシルの奴が褒めるものだから、かつての彼女と私の思い出を踏み躙られているようで、堪らなく不愉快だった。
だが私は、冷静に奴への感情を認識していた。
嫉妬だ。
シャープペンシルと奴は、一体だった。彼女と私の関係は最期まで別々であったというのに、奴らは最初から一緒だった。その差異が、関係が、堪らなく憎たらしく、堪らなく羨ましかった。
だが、その彼女はもういない。
その事実が私の嫉妬を冷ますまでに、そう時間はかからなかった。
持ち主は、よく必要でない事を書こうとする。
書く事に使われるのはシャープペンシルであるが、消すのは私である。ノートの端に何かを書いては、おもむろに私を使って消す。その度にシャープペンシルの奴は内に込められた芯を消費し、私はその身を削られていく。そしてノートもまた、美しい白さを汚されていく。
一体これをして、何の意味があるのだろうか?
残さないものに我々を消費する事に、我々が消費される価値があるのだろうか?
「我々は文房具だ。持ち主に使われる事こそが存在理由だ」
ホチキスが言う。彼は逞しい身体を有しているが、使われる事があまりない。使われる事なく、握られる事なく、その身体に小さな傷だけが増えていく。
私にだって、そんな事くらいわかっている。だからといって、問わずにいられるのか? もし無駄な事に消費されているというのならば、そんな事は虚し過ぎる。我々は消耗品だ。使われる度に、終わりに近付いていく。彼女のように。
そんな事に私を使わないでほしい。こんな事ならば、シャープペンシルにへばりついているあいつにこそお似合いだ。
そう考えて私は、思い留まった。
もし私が使われなくなったならば、どうなるのだろうか?
役割の全てをあいつに奪われたとしたのならば、私はこの筆箱にいられるのだろうか?
筆箱から外に出られたのならば、また彼女に会えるのだろうか?
だけど私は、何故だかどうしても、そう思えなかった。内にもやついた感情だけが残ったが、まだ先の事だと言い聞かせ、意識して考えないようにした。
だが、その時は思っていたよりもずっと早く訪れた。
この頃、私を掴む持ち主の指に力が入るようになっていた。
二本の指先にきつく締められるが、そんなに身体は歪まない。
違う、歪んではいる。歪んではいるが、縮まった身体では、生じる歪みすらも小さくなってしまっていたのだ。
彼女の姿を思い出す。見上げる程ではなく、すっかり小さくなってしまった彼女を。
私も、彼女のようになっているのだ。
大きくはなれない私だから、彼女と同じように小さくなれる事だけが、唯一真似出来る事であった。彼女に近付いたとも言える筈なのだが、嬉しいとは感じなかった。何だか何もかもが大きく感じていて、落ち着かなかった。だが、持ち主にいつものように机上に投げられ、記憶よりもずっと軽く転がっていく自分を認識した時、大きく感じていたのではなく、私の認識自体が小さくなっていたのだと理解した。
私が小さくなっていく。
私が縮んでいく。
私が、無くなっていく。
その時になって初めて、私は彼女の恐怖を理解した。
自分という存在が無に近付いていく事。それがこんなにも、恐ろしいとは。
私たちは消費される存在だと理解していたつもりであったが、全く認識が甘かった。だから、私は彼女から距離をおいてしまったのだ。
分かりきっていた事じゃないかと。
何もかもがそうなっていくんじゃないかと。
自分だけがそうじゃないのにと。
私は自分の存在すらもわかっていなかった。どころか彼女の苦痛すらもわかってやれなかった。
打ちのめされる私は、筆箱からつまみ出される。入れ替わるように入って来た者は、長方形の形をしていた。
滑らかな面、鋭くも優しい角、よれもくすみもない紙ケース。
いつかの私の姿と全く同じだった。
私が彼を見たように、彼も私も見ていた。
間違えて書かれた文字を見る時よりも、その間違いを消してこの身を離れた消しカスを見る時よりも、遥かに冷酷で、残酷な目で私を見送った。
私は自らが投げ込まれる先を見た。紙屑だらけの暗い穴。彼女の姿は見当たらなかった。
私は視線を戻したが、彼はもう私を見てはいなかった。
「君もいつか、私のようになるんだよ」
私は新しい私に向かってそう言ったが、小さく嘲笑されただけだった。
持ち主の手から離れ、大きな口へと落ちていく。
幾度となく体感した筈の落下だったが、最後まで味わうよりも先に、消しゴムとしての私の一生は終わった。
最後まで使い切ってやれなかった事が、結構根強く残り続けているのです。