44 「西分署」
グルナ区のトンプソン邸に到着すると、息子のバークが応対した。
ロイスは2人と入れ替わるように出ていったそう。場所はジョナサンと思しき焼死体が収容された西分署。
ジャージ姿の彼は、これから友人と半日、野球の練習に行くと言う。
「彼が心配では?」
「さあね。あの人とは関わるなってパパから言われてたから、遊んだこともないよ」
そう言うと、自転車にまたがって屋敷を後に。
2人もまた後戻り。
◆
AM7:43
西分署
琴真川に架かる環状道橋梁。その傍に市警西分署が建つ。
シルバーのアストンマーチン V8 ヴァンテージが正面玄関横に。その向かいにワインレッドのケンメリGT-Rが突っ込むと、シレーナと貴也が分署に入った。
無機質な廊下。霊安室から丁度、ロイスが出てきた。
「また君達か」
呆れたような言い草で出迎える。しかし、まかりにも自分の子供が命を絶ったのなら、自然的な反応だろうか。
「毎回すみませんね」
「で、一体何の用だ? あの死体は間違いなく、奴だ」
「そう断定した根拠は? …大変失礼とは思いますが、私も遺体を拝見しました。身体は業火に焼かれて炭化し、性別の特定も外見では困難な状況です。それでも、あの遺体を彼と断定した理由は何ですか?」
「なんでもいいだろ」
「それでは通りません…分かりました。担当者に経緯を聞いてきますので、それまで待機願えますか?」
シレーナの言葉に、ロイスが怒る。
「はあ? なんで、そんなことしなきゃならん!」
「ガーディアンは青少年の自死事案に介入し、その原因を多様な角度と客観性を以て、根本的なところまで捜査するよう、青少年刑執行法、通称“ガーディアン法”によって指定されています。その上、ジョナサンは我々が追っていた最重要人物でした。ですから、彼が自ら命を絶った原因を、奥の奥まで追究する必要があるんですよ」
「でも、任意なんだろ?」
「いいえ。捜査上必要な聴取です」
「では、令状を取りたまえ」
「何故です? これは自殺事案ですよ?」
と貴也が言うと、吐き捨てた。
「だからなんだ。アレが何故死んだのかなんて、どうでもいいことだ」
「アンタ、彼の父親だろ!」
「タカヤ。言っても無駄よ」
シレーナが彼の肩を叩き諭すと、耳元で密かに会話を始める。
「でも…!」
「昨日言ったでしょ? あの男は、ジョナサンを自分の子どもと見ていないって。何を言っても無駄よ」
「どうして、そう断言できる。もしかしたら――」
「あの男が…」
その時、貴也は初めて目にした。
眉を寄せ、下唇を噛む仕草。
「あの男が纏ってるものはね、同じなのよ…私が…私がかつて、“両親”と呼んだ存在と…」
「ええっ!?」
「だから分かるの。あの男が何を考えているのか、何を見てるのか。ジョナサンを、どう思っているのかも…私も、そうだったから」
「シレーナ」
彼女が貴也に初めて見せた影、否、狂気と陰惨を纏う彼女からすれば、それは光とでも変換すべきか。
兎に角、貴也は困惑するしかできなかった。
それを切り裂く、ロイスの声。
「もういいかね?」
シレーナが間髪入れずに切り込む。
「では、彼と最後にあった時の状況を。それだけ聞けば、後はこちらで捜査しますから」
ロイスは話し始めた。
「まあ、昨日の段階からおかしいとは思いましたけど」
「どういう事です?」
「日が沈んで少ししてからだったよ。突然にアイツは涙を流しながら、こう言って玄関を出たんだ。
“お父さん、お母さん、今までありがとう”とね。まあ…今まで私を“お父さん”とも呼ばなかった奴が変だなとは思ったけど、その時はどうとも思わなかったからさ。
そんで今朝、このありさまさ」
「ちょっと待ってください。仮に日没直後だとしても、今際の際から車が炎上するまで、12時間ほどありますよ。その間に捜索届を出すなどの対応を取らなかったんですか?」
「すぐに帰ると思いましたし」
「普段なら取らない言動、行動があったのに…ですか」
「ええ。それに深夜に帰ってくるなんて、日常茶飯事でしたし」
「分かりました」
その時点で、シレーナは断固と言い放つ。
「この自死案件は、最優先事案としてガーディアンが捜査を行います」
「何故だ!」
「分かりませんか?」
「ああ、分からんね。奴は私の“家族”だ。奴の事は“家族”であるこの私がよく知っている」
「いいや、違うね」
シレーナが眼鏡を外し、断罪する!
「お前にとって彼は“家族”でもなんでもない。当ててやろうか。“野良犬”だよ。飼うつもりはないが、家に居座ってしまった薄汚い“野良犬”さ。だからエサを巻いたんだろ? カネっていう残飯の混ぜ物をさ」
「ふざけるな。奴に与えたカネは、息子に与えたそれより多いんだ! それを残飯の混ぜ物だと? 言葉を慎め!」
「取締役のアンタに、いい事を教えてやるよ。
世の中にはね、二種類のカネしかないのさ。
あったかくて綺麗なカネと、冷たくて臭いカネ。
そいつは使う目的と、使う奴によって変わってくる。丁度、モルヒネが鎮痛剤にでも麻薬にでも変貌するのと同じでな。
ならば、お前がジョナサンに撒いたのはどっちだ?」
ロイスは黙った。
論理線を一瞬で破壊する、否、自らの敗北を示す白旗の一句を、選択し、歯ぎしりで堰き止めて。
「どのみち、昨日からの話を聞く限り、ジョナサンが虐待を受けていた可能性は濃厚ですから、その線で今後は捜査を続けていくことになるでしょう」
「テメエっ!」
本性を見せたロイスは歯をむき出しに怒る。
その姿に、付き添っていた警察官も身構えた。
「テメエに、奴の何が分かる! 会ったこともない奴の事を、一体どこまで分かってるって言うんだ? 知ったような事を言うんじゃねえや!」
「ああ、分からんさ。だがな、お前の言葉を借りるなら、ワタシも、こうだと言えるぞ?」
「んだとぉ…」
「ワタシは女子高生でもガキでもない。警察官だ。どんな形だろうが、犯罪に関しては“警察官”であるこのワタシがよく知ってる」
「黙れ! 黙れやぁ!」
その一句を飛ばした瞬間、周囲の警察官が抑えにかかった。
シレーナに襲い掛からんとする勢いに。
「また、お話を聞きに行くことになるでしょうから、その時は、よろしくお願いしますね」
眼鏡をゆっくりとかけながら、彼女は貴也を連れて来た道を戻っていく。
それをロイスは恨めしく…ではなく恐れながら見るしかなかった。
組み立てたシナリオが崩壊する危険性に。
◆
ケンメリに乗り込んだ2人。
すかさず、貴也が切り込む。
「どういう事なんだ、シレーナ。君は一体…」
だが、彼女はクールに返す。
忘却の彼方と言わんばかりに。
「レディの過去なんて、簡単に詮索するもんじゃないわよ」
「でも!」
「今は目の前に集中しなさい。これで分かったはずよ。あの男はジョナサンを家族とは思ってないし、遺体の確認も、ストーリーもデタラメだって」
「じゃあ…!」
「恐らく、警察に目を付けられたと知って、彼に自殺を強要したんでしょう」
「待ってくれ、ロイスがジョナサンを――」
シレーナが遮る。
「手にかけたとでも言いたいの? それはないわ。あそこまで金に執着する人物よ。自分の地位や家系に関しても、人一倍のプライドと上から目線を振りまくはずよ。となれば自分や家を破綻させるような行動は絶対に取らない。人に頼った可能性もあるけど、そこから情報が漏れたり、逆に脅される可能性がある。そんなリスキーなことはしないわ。それが会社経営者であるなら尚更」
「確かに。問題は、彼が強要された通りに、本当に死亡したのかどうか…」
「それは司法解剖を待ちましょう。それと、ロイスには見張りを付けた方が良いわね」
「どうする? M班でやるのか、分署に任せるのか」
「そうね…ラオは蛇華の捜査に回したし、ハフシたちはエマに…」
しばらく考えて。
「タカヤ、エルとメルビンに連絡して。“ゾディアック”を“アルティザン・サンク”に着替えさせたのち、トンプソン邸の見張りを敢行、って」
「えっ…え?」
「いいから」
「はい、分かりました」
シレーナはエンジンキーを回す。
「今度はジョナサンの学校に行くわよ」
「アンジェ中等学園は、歴史地区のすぐ近くだったな」
「だいぶ、地理も叩き込まれたみたいね。いい心がけよ」
車が動き始める。
環状道を走る横顔を見て、貴也はフラッシュバック。
今なら、その光景が、その言葉の意味が、その時の瞳が、理解できる気がした。
いつぞやかの夕刻。この車で、群青の瞳の少女に銃を向けられた、あの時を―――。




