43 「炎上」
日曜日
AM6:23
空が白から青、橙へ変わる中、亜麻色の髪の乙女は、バスローブに身をくるみ、その寒さに目をさました。
覚醒後の脳が、視界を捉え情報を変換して、彼女はようやく自分のいる場所を認知する。
そこはベッドではなく床。
ゴミや本が散乱するフローリング。その窓際で、まるで羊水に浮かぶ赤子のようにまるまっていたのだ。右手親指をしゃぶりながら。
傷を負った手は、既に完治していた。通常ではありえない早さで。
ふやけた指先を見て、少女は呟く。
「また…やっちゃった…」
頭を鈍痛が警告音を打ち鳴らしながら、脳を溶解させていく。
その不快な感覚が、今の彼女には心地よい快感。
刹那。切り裂くように、ラプソティ・イン・ブルーが鳴り響く。
ゆっくりと、手元に置かれていた小さな箱を取り上げ、横になったまま耳元に。
「シレーナ…」
だが、次の瞬間、彼女は血相を変えて起き上がることになった。
「爆発!?」
◆
AM7:01
西区五丁目
琴真川河川敷 花菱鉄道西牡丹線第三橋梁
グランツシティを西から東へ横断し、南に接する首都オパルスを突っ切り、グランツ湾に注ぐ第一級河川。それが琴真川である。
その河川敷は、朝陽が照らす中、それ以上に明るいパトランプが煌々と回転を続けていた。
アラヤド駅から西へ伸びる私鉄、花菱鉄道西牡丹線。その橋梁付近で早朝、事件が起きた。
午前5時45分頃、橋に差し掛かった上り普通電車の運転手が、河川敷で炎上する自動車を目視。直ぐに総合指令所に連絡した。通報を受けて警察や消防が到着した時には、車は火柱を上げ小さな爆発を繰り返していた。
シレーナが貴也と共にかけつけた時、消火活動は終えていたものの、まだ上空には黒煙がくすぶっていた。
やはりと言うべきか、地理上近いからだろうか。消防車両の中にアイアンナースを見つけ、2人はいざ、現場へと向かっていく。
土手には大勢の野次馬がたむろし、警察官がブルーシートでそれを防いでいた。
「ハフシ! サンドラ!」
シレーナが呼びかけ、近づくと…
「まさか…」
「ボクも、嘘だと信じたいですよ」
河川敷に整備された草野球のグラウンド。
周りの砂や雑草を焼いて、その残骸はくすぶっていた。
小型セダン。足元には焼けたナンバープレート。
そう、この車こそロイス・トンプソン名義のダットサン・ブルーバードだったのだ。
更に悪いことに――。
「運転者は?」
「そこにいますよ。黒こげになってるけど」
見ると、運転席にブルーシートがかけられていた。めくると、炭化した遺体がそこにあった。座ったまま頭と両腕を丸め、いわゆるファイティングポーズを取っている状態。身元すら判別できない程の損壊状況だった。
「自殺?」
「現状を見る限りでは、そう考えるのが妥当ですね」とサンドラ
すると、シレーナは言った。
「至急、この遺体を司法解剖に回して」
「ええ、その予定ですけど…先輩はこれを、どう見ます?」
「この遺体がジョナサンである可能性も捨て切れはしないけど…彼が、そう簡単に命を絶つとは考えにくいわ」
「そう言える、根拠は何です?」
ハフシが聞くと、シレーナはこう切り込んだ。
「ねえ、ハフシ」
「はい」
「人はどうして、何かを食べると思う?」
「えっ!?」
唐突の言葉に、彼女は戸惑う。
それは禅問答にも近い、抽象的な哲学。
無論、答えなどない。否、存在はするだろう。あるとすれば、それは投げかけた者の物差しであり、宗教であるからだ。
「ボクはこう思いますよ。生きるために…」
「そう。生き物が生き物を口にする。それは生命の等価交換に他ならない。イコール生きるため、よ。
なら、ジョナサンの行為はどう見る?」
「食人…ですか?」
「昨日帰って調べてみたわ。あの山では年中、何らかの草木が茂り、その八割以上が人が口にしても害の無いものよ。小動物も魚類も多数生息していた。子供でも手に入れることは可能だったはず。それなのにジョナサンが同族を襲い、食らったのは何故か」
「……」
「同族を食らう。それは過剰な等価交換。さっきの方程式に当てはめるなら――」
「生への過剰な執着」
「そういうこと。そこまでして生きたいと本能が叫んだのよ。そんな人物が自ら命を絶つとは思えない。だから私は、彼が自殺したか猜疑心に駆られているのよ」
「しかし、仮にそうだとしたら、ジョナサンは一体どこに?」
暫く沈黙すると、シレーナは叫んだ。
「タカヤ! エルに電話して彼を叩き起こして。アイツの事だから、箱庭で寝てるはずよ」
「了解!」
「起きたら、例の少女の検索結果を聞いて」
向こうに駆けた貴也を見送り、彼女は続ける。
「ハフシはサンドラと一緒に、その少女と接触して。表面上は嬰児遺棄事件でね。この車に同乗している映像が残ってるから、彼女とジョナサンが繋がってるのは確か。だから――」
「彼の事も聞いてきます。シレーナ先輩は?」
「トンプソン家に話を聞きに行ってから、アンジェ中等学園に」
「分かりました」
「ラオには昨日、メルビンと共に蛇華に関する情報を収集するよう言ってあるから」
しかし、ハフシは思うところがあった。
「チイはどうします?」
「その少女と合わせたいところだけど、彼女は面が割れてる。もし少女が一連の犯罪に関与しているとなると、後が厄介になる。彼女には本業に向かうよう指示を出すわ」
「了解しました」
指示を出すと、シレーナはワインレッドのケンメリに乗り込んだ。
エンジンをかけると同時、貴也が助手席に乗り込んだ。
「少女の身元、判明したよ。防犯カメラ映像との照合に時間がかかったそうだけど…もうすぐ、ガーディアンのタブレットに情報が」
すると、センターコンソールに挟んでいたタブレットが電子音を鳴らしながら起動する。
貴也が差し出したそれに、写真とプロフィールが映し出される。
「エマ・ルイーザ。市立北高等学園1年。住民票によると、住所は北区五丁目17-3となってます」
「補導歴があるのね」
「ああ。2年前に英欧橋の“アニメ街”で補導されたのが最後みたいだけど」
「ふうん」
彼女は相槌を打つと、ギアとブレーキを入れ替え車を発進させる。
「補導歴が突然途切れたのは気になるけど…そこはハフシ達に任せましょう。私たちは、ジョナサンを追う。ただそれだけ…」




