37 「隠された家族」
ケンメリに乗り込もうとしたシレーナのケータイが小刻みに震えながら、ラプソティー・イン・ブルーを奏でる。
要件は、エルが貴也に知らせたのと同じ。
ラオからの知らせは、すぐにハフシにも伝えられた。
「死んだわ。昨日の男子生徒」
ハフシは奥歯をかみしめ、胸をぎゅっと握りながら下を向いた。
「やっぱり慣れませんね、このテの報告は。特にボクは医者です。医者にとって、零れ落ちていく無垢な命を見送るなんて…身を焼かれるくらいに、絶えられなく痛い…」
その姿に、シレーナはゆっくりと口をつぐんだ。
彼女はいつも思うのだ。
痛みを忘れた自分に、慰めをかける資格なんて、ありはしないのだ。と…
◆
貴也をピックアップするために、中央区の道路を西へと走らせるシレーナに、再度電話が。
相手は誰か、すぐにわかった。
「シレーナ」
――簡単だったよ。意外にね。
センターコンソールに置かれたケータイを拡声モードに。
聞こえてくるアナスタシアの声は、車内の空気と対照的に明るい。
その空気に、シレーナとハフシは一筋の、微かな光を見た。
――約束通り、こっちの仕事、手伝ってくれよ。といっても、ガーディアンがらみだから、どのみち、お前には声かけるつもりだったけど。
「ええ、そこはしっかりと。それで、いつも以上に仕事が早かった理由はなんです?」
――その前に、お前が探してた人物の正体を、ガーディアンのタブレットに送るぞ。
シレーナはケンメリ助手席足元に置いてあったタブレットを、ハフシに言って取り出してもらった。
送られてきたメールには、男の子の顔と名前、簡略な経歴が書いてある。
――ジョナサン・バイン。非行・補導歴なし。現在、アンジェ中等学園2年。トンプソン家には養子として入っている。因みに、バインは遠い親戚関係にある一家の名前だそうだ。
「つまり、彼は正確にはトンプソン家ではなく、バイン家の養子という事になるんですか?」
――戸籍上はな。ただ、バイン家の人間は後継者がいなくてな、血縁者は、5年前から認知症で、オパルス郊外のケアハウスに入っている、家長のアルフレッドしかいない。事実上滅んだ一家という事になるんだよ。だが、送った経歴の通り、彼の戸籍はオパルスにあるバイン家の住居にはない。グルナ区のロイス邸になってるんだ。
すると、シレーナは首を傾げる。
「変ね。さっき邸内で見たときは、彼の姿はなかった…本当に、そこに住んでるんですか?」
――マーズ社と関わりの深い、ある企業OBの1人に話を聞いたら、このジョナサンはロイスの元で暮らしているそうだ。現に、彼の姿を邸宅内で何回も見たと証言している。
「しかし、どうしてそんなややこしいことをしたんでしょう? 一緒に住むのであるならトンプソン家に養子として受け入れて、戸籍もその通りにすればいいことだし、第一に死に体となった、遠縁の一家に名を刻ませるというのは、違和感しかないですよ」
ハフシが言うと、アナスタシアは返す。
――確かに、私もそこに引っかかった。でも、ジョナサンが養子となった時期と、ロイスが現在の夫人と結婚…まあ、厳密に言えば再婚になるけどな。その時期が全く一緒であることに気づいてね。そこで調べてみると、ジョナサンは実は、再婚した夫人、エイダ・トンプソンの連れ子であることが分かったんだ。
だが、逆に分からなくなってくる。何故、実の母親は彼を息子ではなく、養子という立場にしたのか。トンプソン家は、関係の薄い一家に彼を入れたのか。そして一家は何故、ジョナサンのことをひた隠しにするのか。
靴が置いてあったという事は、少なからず、あの家にいた可能性は高い。それでなくても、アンジュ中等学園は土曜授業を採用していない学校だ。家の周りに遊ぶような場所もなければ、近くの駅まで歩いて30分はかかる。
否、彼どころか、シレーナが追っていたブルーバードの存在すら、そんな車は知らないと嘘をついたのだ。
何かがおかしいのは、素人にも分かる。
――その理由がね、シレーナ。君が最後に加えた注文の答えにつながってくるんだ。
「どういうことですか?」
――エイダ夫人はその昔、全世界のニュースを騒がせた、ある事件の関係者だったのさ。
◆
30分後、2人の姿は再びトンプソン邸にあった。
さっきと同じ応接室。
ロイスの対面には、シレーナとハフシ。挟むテーブルの上に置かれたハフシのスマホ。そこに映された紺色のブルーバードに、ロイスは目をやって黙り込んでいる。
もう、言い逃れはできない。
「どういう事か説明してくださいな」
さっきよりも鋭い眼で、睨みつけながらハフシが聞いても、ロイスはだんまりを貫き通す。
そこで、代わりにシレーナが口を開いた。
「黙秘ですか?」
「…私は何も知らない」
絞り出すように答えた。
「改めて陸運局にナンバーを照会しましたが、間違いなくミスター・ロイス、あなたが所有する車でしたよ? それだけじゃない。このブルーバードが停めてあった契約駐車場は、あなたの大学時代の友人が所有していることが分かりました。その友人に話を聞くと、ガレージに入りきらない車を置かせてほしいと言って、このスペースを契約したそうじゃありませんか」
「…」
「契約更新も4年前から継続している。これはブルーバードのナンバーを陸運局に登録した時期と同じ。つまり、あなたはこのブルーバードを4年という長い間、今日まで所有していたことになる。それなのにあなたはさっき、私たちに、この車は知らないし、見たこともない。陸運局の登録ナンバーはデタラメだと嘘を言った。
もう一度お尋ねしますよ。これは、どう言う事ですか? どうして私たちに嘘を?」
ロイスは言った。しどろもどろに。
「な、なかったんですよ。この車を置くスペースが」
「果たしてそうでしょうか? 現在自転車を置いているスペース。工具も乱雑に置かれている場所。そこを整理すれば、車1台ぐらい平気で入るのではありませんか? あのブルーバードは他の4台と比べて小さい。自転車や工具をしまうスペースぐらい余裕で確保できますよ」
「そ…それに、恥ずかしいじゃありませんか。高級車の横に古い車なんて」
「アストンの横にファミリーカーを置いてるのに、恥ずかしい、ですか…矛盾してませんか?」
再度、サイレンス。
「ミスター・ロイス。私たちは、あなたの美学や思考を否定するためにここにいる訳ではないんですよ? 何故嘘をついたのか、何を隠しているのか、それをあなたの口から聞きたいと言ってるんです」
「…」
「そうですか。なら、夫人から話を聞く必要がありそうですね」
途端、ロイスは顔色を変えて激昂した!
「妻は関係ないだろ! いい加減にしないか!」
「そうでしょうか?」
「なんだと?」
「この家にいるもう1人の住人。それはあなたの養子…いえ、再婚相手であるエイダ夫人の実の息子、ジョナサン・バイン。黙秘を貫く理由は、彼ですね?」
「な…何故それを…どうやって、その情報を!!」
狼狽する相手に、シレーナは眼鏡を外し、トドメをさす。
「ワタシ達を、甘く見ないでもらおうか」
さっきまでとは違う口調、目つき、雰囲気。
その瞳はロイスを貫き、逸らす事さえ許さない。
まるで、誰かと入れ替わったように……
「ワタシ達は学校の生徒としてじゃない。ガーディアン ―つまり警察官として、今、アンタの目の前にいる。どうせ、“こんなガキどうとでもチョロまかせばいい”とでも考えてたようだろうけどなぁ…甘いんだよ」
「……」
瞳が震える。狼狽。
「今のアンタには、2つの選択肢しかない。全てを正直に話すか、偽証罪でワタシに逮捕されるか」
「……」
「さあ、どうする?」
黙るロイス。
その瞳にシレーナが凝視する長い刻。
視線を逸らしたが最後、椅子から腰を浮かせると、彼に顔を近づけ、その沈黙と平静をシレーナは切り裂いた。鋭利な“ウィスパー”で。
「ワタシは分かってますよ。アンタには彼を守る気はないってことぐらい…」
瞳の振れ幅が大きくなる。
動揺。
「当てて差し上げましょうか? アンタにとって彼がどうなろうが、それはどうでもいい。だが、自分に火の粉がかかることは絶対に嫌だ。そう思ってるでしょ?」
「…」
「ワタシ達が来て、アンタの心は今、不安と焦燥に駆られている。それは自分の子どもの身を案じてるからじゃない。子供が逮捕されて、自分や自分の会社の名前に傷が付く事を恐れているからだ。だから、アンタは嘘をついた。だからアンタは何も喋らない。“親”が子供より可愛いから…」
恐怖。
汗と共に、それが滲み出ていた。
「違うか?」
ドスの利いた声。
完全に硬直した精神を、ハフシが彼の名を怒鳴る事で一気に崩す!
「ロイス・トンプソン!」
遂に楼閣は、溜息と共に崩れた。
「…もう、何もかもご存じなんですね」
「ええ」
その言葉を自白と取ったシレーナは、ゆっくりと眼鏡を耳へとかけ、さっきまでの眼光を吹き消す。
「あなたが、そこまでして彼の証言をしなかったのは、7年前の一件が理由ですね?」
うつむいたまま頷き、シレーナは、その事件を口にする!
「警察管理コード、4056779。通称、プロンバレーヌ山児童置き去り事件…ジョナサンは、その被害者ですよね?」




