9 「探偵と電話」
シャンデリアと古風なランプ型の電灯が、赤茶けた空間に一層の重厚感と豪華さを加える。床には赤い絨毯、その上に配置されたバーカウンターとモダンなテーブルとチェア。何より中心部の踊り台には漆黒のフォードT型が置かれ、夜にもなればジャズの流れるオトナな空間に。
そこに置かれたラウンドテーブルの1つを取り囲む3人…ん? 3人?
「――という事なんだけど」
「へぇ~」
ウェーブした紫色のロングヘアー、少し眠たそうな眼をした東洋系の制服少女。
しかし、この制服に貴也は見覚えがなかった。それに、この少女は何者なんだ?
さりげなく彼はシレーナに聞いてみた。
「彼女?」
すると、少女はシレーナとは違いニコッと微笑んだ。そして、おっとりした口調で
「初めまして。私立探偵の地井春名と言います。気軽にちいちゃんって呼んでください」
「ちい…ちゃん…」
「はい」
貴也が困惑していると、横でシレーナが囁く。
「大丈夫よ。彼女は私たちの仲間よ」
「でも、私立探偵って……シレーナは警官でしょ?どうして、私立探偵に協力を仰ぐんです?」
すると
「彼女はサイコ・ディテクティブよ。それも、ОCPの」
「そんな……まさか!」
サイコ・ディテクティブ、それは私立探偵の中でも心理学-特に犯罪心理学を習得し取り扱う者にのみ与えられた最高位の資格。そうは言っても漢検1級やTOEIC990点といったものと比べて、遥かに重さが違うのだ。大学修学程度の心理学の知識と、捜査方法など各種探偵スキルの必修、それをクリアしても医師国家試験より難関な認定試験が立ちはだかるといった具合で、そう簡単に手に入れられるものではない。サイコ・ディテクティブの肩書を持つ探偵、それは実力、能力共に一流であるという証。
「というと、彼女は……」
「ん?私たちと同年代よ」
「だけど、制服」
すると、地井は言った。
「イマドキ、制服もファッションの時代ですよぉ? この服は、どこかの学校のじゃないんです。ちいちゃんも、フリースクールに行きながら、ここに事務所を構えさせてもらっている身なんです」
「フリースクールの高校生探偵……それにOCPの使い手。すごい」
感嘆する貴也に、地井が話す。
「じゃあ、お話聞かせてくれるかなぁ。えーっと……」
「貴也です。佐保川貴也」
「よろしくね」
これで自己紹介は終わり。
口から一つ目の単語が出かかった時、疑問が起きた。
「どうして、地井さんを呼んだんです? 話を聞くなら、シレーナだけでも」
「私の口の悪さは、さっきの車内で味わったはずよ。こんな棘のある女より、柔らかい乙女が話した方がスムーズに物事が運ぶってやつよ。それに……」
「ん?」
何かを話しかけてシレーナが口を閉ざす。
「兎に角、あなたが今朝貰った電話ってのを、話して頂戴な」
そう言われ、彼は頷く。
1人のメイドがアールグレイを運んできてから、貴也の話が始まった。
「朝の5時頃でした。突然彼女から電話があって―――」
◆
同日午前5時
佐保川宅
朝陽が全てを万遍なく目覚めさせるには……って、この表現はもう使ったか。
兎に角、朝と呼ぶにはまだ早い、そんな時間。
無論、貴也も布団の中だ。6畳1DKのアパートに、突如電話の着信音が響いた。
「誰だよ」
耳どころか、レム睡眠中の脳内すら犯す大音量。
不機嫌に目覚め、枕元のスマートフォンを手に取ると、その画面には伊倉ユーカの文字。
「ユーカ。どうしたんだ?」
画面をタップし、耳に当てる。
「もしもし?」
――あ、貴也?
「どうしたんだよ」
彼は布団から起き上がると、壁に掛けられた時計を見る。
「まだ5時過ぎだよ。何かあったのか?」
少しの沈黙後、受話器の向こうから聞こえたのは
――私、殺されるかもしれない。
「は?」
突然の言葉に、彼の思考は追いつかない。豆鉄砲を食らうとはまさにこう言った具合なのだろう。
「お前、朝から冗談なんて」
――冗談なんかじゃないわよ!
声を荒げるユーカ。
しかし、彼にはユーカが命を狙われる心当たりがまったくと言っていいほどなかった。
美人でいつも流行に敏感な優等生。学校でも、その気さくな性格からか、周りに寄って来るのは男子だけでなく女子も大勢いた。まあ、ガーディアンという役回り上、恨みを買うような場面に遭遇することもしばしばあった。それでも、これまで殺されそうなほどの事態には出くわさなかった。
「殺されるって…誰に?」
すると、ユーカは言った。
――リッカー……リッカー53よ。私、奴の正体に気付いたの。
「なんだって!? あの連続通り魔に?」
貴也も、その名前ぐらいは知っていた。否、今のグランツシティで、この犯人の話題を口にしない学生は、ほとんどいないだろう。
「でも、あいつは警察でさえいまだに手がかりを掴めていない、正体不明の……」
――いえ。あんな奴、正体不明でもなんでもなかったのよ。
「自信はあるのか?」
―― 十中八九ね。フフッ。
ユーカは声を殺しながら笑った。そんなに楽しいのか?
「わかった。兎に角、警察に連絡して、この事を」
貴也の話を打ち切る。
――それはやめてっ!
「え?」
凄まじい剣幕に、当の貴也も驚きを隠せない。
――あ、いえ……まだ、犯人だって確証はないわ。私だってガーディアンの端くれよ。ヤバいことになったら、すぐに電話するわよ。
それに、電話しても、全てが闇の中へ落ちるだけ。
「闇の中……」
――もう時間ね。いい? 午前7時になっても私から連絡がなかったら、すぐ警察に連絡して。何かあったと思っていいから。
「おい、やめろ。相手は通り魔だぞ! 何をされるかわからないんだぞ!」
――いいえ。大丈夫よ。絶対に……。
その自信は、どこから出てくるのか。
「せめて……せめて、どこの誰なのか言ってくれないか」
すると彼女は、こう言った。
――All mirage. Magic of persona.
最後に
――I love you, Takaya.
囁きで通話は途切れた。
官能的な声に貴也は、心揺れた。
それは寝起きで頭が働きかけたためか、思春期の青少年独特のものか。否、仕事や同級生という垣根を、いつの間にか自分が越えようとしており、それを彼女に伝えるか否かで揺れ動いていた背景が故の心情だったのだろう。
彼女も、もしかして自分と同じ気持ち。
だが、それ以上に貴也は、リッカー53との対峙に不安を隠しきれなかった。
ガーディアンといっても、やっていることは風紀委員の延長線。凶悪犯に会うなんてそんな大それたこと、したこともない。
電話を布団の上に放り出し、天井を見上げる。
(大丈夫だろうか…アイツ)
しかし、その不安は分署からの緊急通告で、現実のものとなった。
ここで貴也の回想は終わった。連絡を受け駅に向かうまで、彼の頭は白とも混色ともいえない色でかき回されていた。記憶すら月へ吹っ飛んでいる。
■
「なるほど、そうでしたか……」
おっとりとした口調で、地井が答えた。
「ところで、リッカー53って何者なんです?」
ひょこっと地井の後ろから顔を覗かせた緑のメイド服を着た女性。シレーナや地井より年上だが、あどけなさが残る顔が特徴的。
「そうね。ここで、今までの事件を振り返りましょうか」
その言葉に、貴也は抵抗を見せた。傍には民間人がいる。容易に捜査情報をおおっぴらにすることはできない。
貴也も、この「リッカ―53」がガーディアンと警察しか使用していない俗称であることを、知り合いの別のガーディアンから聞いている。
「あ、あの…」
「どうした?」
「いいのか。民間人がいるのに」
すると、シレーナが鼻で笑った。
「ここはメイドカフェであると共に、地井の探偵事務所よ。忘れたの?」
「ああ」
「それに、ここの店長は元ガーディアン。店員も事情を知っているわ。
彼女はダナ。こう見えて、このメイドカフェのフロアリーダーよ」
そう言って、シレーナはアールグレイを一口飲んで話す。




