35 「突破口」
「そりゃあ、どの医者も黙秘するでしょうよ」
グルナ区を出て西へ走るシレーナのケンメリ。
中央分離帯のある、環状道と並走するバイパスを、ゆっくりと走っている。
依然として、どんよりした天気の下、ハフシは助手席で、エルたちの結果を聞いてぼやいた。
「エルの推理を否定する気はないよ。むしろ、ボクも同意見だ。でも患者の個人情報の保護は医者の義務だし、第一相手は妊娠し、主産したばかりの十代の少女。赤ちゃんのスベスベ肌よりデリケートな代物を、土足で入ってきた見知らぬ相手に、そうペラペラと喋る訳がない」
――なら、最初に言ってよ~。
エルは無線越しに、やる気ゼロ満載の気だるい声を上げた。
「仕方ないだろ? こっちだって話聞きに行ってたんだし、それに元々嬰児遺棄は、トラファルガーの管轄だ。忙しくて情報の引き次が上手くできてなかった。
今回は君にも僕にも非がある。それでひとまず、丸く収めよう。もめるのは、事件が終わってからでも遅くはないからね」
――ふぁ~い。
「もう少し、しゃんとする!」
ハフシに言われ、再度返事をするも、しゃんとせず。
まあ、こんな性格だからと―彼女自身も分かってはいたけど―ゆっくりと無線を置いて、シートにもたれかかった。
これで手がかりは、近代捜査が生んだ、素晴らしき―と言うと弊害が起きそうだが―科学捜査と、アナスタシアの報告に委ねられた。
2人の乗るケンメリはゆっくりと赤信号の交差点に差し掛かり、停車した。
「アナスタシアさんからの報告は、まだですか?」
「まだよ。公的機関が非合法に個人情報を収集してるんだから、そんな早く出てくるわけないでしょうに」
「公的機関ねェ…ところで、タカヤ先輩は?」
「今朝方、英欧橋中等学院のガーディアンに欠員が出てね、その補助に向かわせたわ。終わったら十文字館のカフェテリアで待機するよう言ってあるけど」
信号が青に。
ゆっくりとアクセルを開く。
刹那、1台のバイクが赤信号を無視し、交差点を突っ切る。
それも。かなりのスピード。
慌てて急ブレーキを踏んだシレーナは、右へと消えたバイクの後を、ハンドルを切り替えて追跡を始める。
「こんな時に、信号無視にスピード違反?」
「目の前の犯罪を無視はできないわ。一応、ガーディアンなんですからね」
中央区へと向かう片側2車線の幹線道路。
ケンメリはスピードを上げ、バイクに追いついた。
白のアメリカンバイク。取りつけられた大きな背もたれと、黒のフルフェイスヘルメットで、ライダーの人相は分からない。
「ハフシ、ランプお願い」
シレーナに言われ、ハフシは足元からブルーのシングルランプを取り出し、屋根に載せるとサイレンを鳴らす。
それでも、バイクに減速の気配がない。
それどころか、バイクのナンバーは不自然に折れ曲がり、前の数字が認識できないようにしてあった。
普通のバイクじゃないのは、一目瞭然。
――そこのバイク、路肩に寄せて停車しなさい。
と、ハフシの警告に素直に従っていたら苦労はない。
お返しと言わんばかりに、ライダーは振り返り、右手を挙げると、彼女らに中指を立てた。
アクセルをふかし、逃走!
「先輩」
「あれは、どうなっても構わないって意味ね。ハフシ、何かに捕まってなさい」
「え? ちょっと!」
アクセル全開!
「30秒で片づけてあげる!」
排気量が弱いのか、一気にバイクとの車間距離を詰めていくが、相手は二輪車。前を走る一般車両の間を、接触ギリギリの角度ですり抜ける。
1台。ケンメリがすり抜ける間に、バイクは2台。
また1台。今度は並走するパネルバンの間を通過。
グランツ港、産業道路へと接続する道路であるためか、トラックなどの大型車の通行が多い。
このままでは一般市民の車を巻き添えにしかねない。シレーナは追跡を中止…なんて、夏の警察特番のようなナレーションは、彼女らの脳内には存在しない。
売られたケンカは買う。あまりにもナチュラルでさっぱりした理論。
命ある限り、常に攻める!
「死んでも、文句言わないでよ!」
「ちょ、何する気ですか!?」
天井の吊り手にしがみつきながら、耳を疑うハフシ。
それは遅いと言うもので、シレーナはハンドルを切り、センターラインをはみ出した。
この先は暫く直線。対向車は、奇跡的にほぼ皆無。
真紅の悪魔は声を唸らせ、並列に走るコンテナトレーラーを追い抜かす。
1台、2台、3台。
見えた!
左側。正規の車線を走るアメリカンバイク。
前方に車はない!
シレーナはブレーキを踏みながらハンドルを急転回させスピン! センターラインを越え、真紅の車体が2車線を塞ぐ!
白煙と悲鳴を上げた悪魔に、バイクのみならず、後続車もすかさず急ブレーキ。クラクションが鳴り響く。
回避など無理な注文なライダーは、バイクをひっくり返し転倒。その場にバイクを捨て、走りだした!
助手席からハフシが飛び出す。
タックル! 押し倒し!
後ろから羽交い絞めにされたライダーは、歩道上に倒れ込む。
「暴れるなっ!」
体をばたつかせ抵抗する相手に一喝!
「るっせー、このポリがあっ!」
ライダーも、ヘルメットで声をくぐもらせながら悪態をつくが、ケンメリのサイレンで、しっかりとは聞こえない。
ハフシは、どうにかヘルメットを引きはがすように奪い取る。
中からテカテカに固められた金髪の若い男が現れた。タールのような嫌な臭いがハフシの鼻につんざく。
「はなせよっ! この野郎っ!」
「おとなしくしろっ!」
一方のシレーナも車を降り、無線を掴みながら叫ぶ。
「シレーナ、ワッパかけて!」
「時間は?」
「12時11分!」
「はいっ!」
スカートをめくり、右足の太ももに巻いたホルスターから手錠を取り出すと
「12時11分、道交法違反!」
そう叫び、ライダーに手錠をかける。
だが、それでも抵抗は止まらない。
直後、付近を走っていた市警のパトカーと、各学校に支給されるガーディアン専用車両である、番号付きの茶色いトヨタ パッソがサイレンを鳴らしながら、駆けつけた。
この道路沿いにある、学芸高等学園の捜査官の車だった。
パトカーを降りた市警の警察官は、逮捕した男をハフシの代わりに押さえつけた。
相手が女性ではなく、屈強な男になったのを見て観念したのか、一気に大人しくなる。
このまま道路を封鎖し続ける訳にもいかない。臨場した学芸高等学校のアイナ、ロウ各捜査官と共に、バイクを傍のコンビニ駐車場まで持って行き、そこで現場検証をすることとなった。
「先輩、このバイクって!」
駐車場に持ち込まれたバイクを見て、ハフシは気づいた。
車種はホンダ・ジャズ。ナンバーは上1桁がd-6。
そう、男子中学生が殺された時間、その現場付近で目撃されたバイク、それだったのだ。
シレーナはライダーの男をパッソの車内に押し込み、身体検査を2人に依頼すると、ハフシと共にバイクを見回した。
折れ曲がったナンバーは、ひとまず改造された形跡がないことが分かったが、他の車両から持ってきた可能性も高い。本庁交通課と運輸局に、ナンバーと車体番号で照会をかけた。
その結果は、先ず交通課から帰ってきた。ジャズに取りつけられたそれは、2か月前に朱天区で盗まれた別の50ccバイクのナンバープレートであることが判明したのだ。
更に女子捜査官である、アイナがシレーナに歩み寄る。
「学生証等の身分が確認できるものは、持っていませんでした。無論、免許もです」
「そう…」
「その代り、これが上着のポケットから」
そう言って手袋をした右手で差し出したのは、小さな密封型のビニル袋が5つ。その中には4~10mm四方の色鮮やかな紙片が入っている。
シレーナはすぐに、その正体が判った。
「アシッドか」
アシッド―通常の名前に置き換えるなら「LSD」、保健体育の教科書に則って言うなら「麻薬・違法薬物」である。覚せい剤やマリファナ同様ハード・ドラッグに分類され、幻覚や聴覚を始めとする身体の刺激の鋭敏化を主な作用とし、不眠、興奮、動揺、発汗等を副作用とするこの違法薬物は、末端価格が日本円にして1500~5000円程度と、他の違法薬物に比べ安価であるため、金銭的に余裕のない学生も手を出しやすい。故にグランツシティでは学生のLSD仕様のみならず、カラーギャングを主とする若者、学生間でのLSDの売買が問題となっているのである。
ガーディアンでも、ハーブと並んで、特に力を入れて警戒している薬物である。
「使ってるの?」
聞くと、アイナは首を横に振る。
「分かりませんが、受け答えはしっかりしてますし、動揺や発汗といった使用者特有の副作用は、見受けられませんね」
「成程ね」
「どうしましょう? こちらで捜査するのか、それとも市警に捜査権を渡す方が良いのか」
「そうね…どちらにせよ、彼の乗っていたバイクは、私たちが捜査中のある事件に関与している可能性がありますから、ガーディアンの介入する余地はあります。でも、薬物捜査、とりわけ薬物の元締めへの捜査となると市警に頼らざるを得なくなりますし、現段階で容疑者が、学生捜査官の介入の絶対条件である“相手が18歳以下の学生である”か分からないところがあります。なので、ここは一旦、市警四課に捜査権を委譲しましょう。事情は私が話すわ」
「分かりました。しかし、凄いですね」
感嘆するアイナ。シレーナは首を傾げた。
「何が?」
「あ、いえ…こういう警察とのやり取りって、今までしたことなくて…でも、シレーナさんはこう、テキパキと指示を出したので、すごいな…って」
「ありがとうね」
表情を変えずに返すシレーナ。すると
「警察とよく協力とかするんですか? こういう時、どうすればいいのか、参考に聞いていいですか?」
アイナの真剣なまなざしに、シレーナは振り返って言うのだった。
「タネもシカケもないわ。ただ常に、日頃の仕事をしっかりやること。ただそれだけよ」
◆
「日頃の仕事ねェ…」
ケンメリにもたれかかるハフシは、独り言のように呟く。
それが聞こえていたのか、シレーナはハフシに言った。
「ガーディアンも警察も、両方に共通しているのは“人々の安全を守っている”という強力な抽象化されたプライドよ。でも、警察官の方が、市民からの信頼が薄れ始めているにも関わらず、そのプライドはご立派な程高い。むしろ、ガーディアンはただのお遊戯で“人々の安全”ってやつを守ってるのは俺たちだっていう威圧的で上から目線な部分すらある。
そんな連中に対して、やることはただ1つ。“何もしないこと”よ。ただ日頃の仕事をしっかりやって、万が一に備える。口ではどうとも言えるけど、私たちの仕事は実力こそが武器であり必需品」
「ですね。こちらが実力のある捜査官だと、相手も認識すれば、捜査協力をせざるを得ない…か」
「それに、学校や少年絡みの犯罪捜査は、こちらが警察の少年課以上に上手。警察もガーディアンに頼らざるを得ない部分も出てくる」
「どのみち、お互いに“支え合って…”って話になるのか」
ハフシは両手を空に伸ばし伸びをする。
「まあ、陳腐と言うか妥当な言葉を使うなら、そうなるわね」
「で、ボク達はどう“支え合って”いきますか?」
「麻薬捜査はひとまず市警に任せる。あの男が18歳以下の学生なら、事件はガーディアンとの合同捜査。それで一旦は処理を終える予定よ。ただし、バイクの所有者が判明次第、こっちに一報入れるように釘を打つわ」
「了解」
シレーナはもう一度、男が乗っていたバイクに目をやった。
(捜査はいくらか進んだけど、まだ容疑者の姿すら見えてこない。このバイクが、事件解決の突破口になることを、祈るしかないわね)




