31 「誓う者、追う者」
その高揚感から来る衝動に身を任せた後、過剰分泌されたアドレナリンは身を潜め、終始音楽が流れていたことも、自らの姿が生まれたままであることも忘れていた。
「どうした?」
白いシーツにくるまった私の耳に、聞きなれた低い声。
でも視界には白い部屋の壁紙。
「ゴメン、痛かった?」
少女は首を横に振る。
でも…それは嘘。痛くないと言えば嘘になる。
「ううん」
本当は動きたくない。お腹がズキズキと痛い。
出産から間髪入れずに、私は抱かれた。
でも、何故だろう。辛いというより、嬉しい。
アイツとの日々が狩猟に似た男性欲を満たすだけの暴力的な同人漫画であるなら、この一瞬は甘い言葉と曲線美で醸し出される少女漫画の1ページ。
長く宿された悪魔を墜した悦びに、身体がうずいている。そう感じている。
あれだけ暴れたのに。
まるでヤンチャな子供。
でも、彼に
無理を言って処置をしてもらったし、今日だって寂しい想いを満たしてほしいために来てくれた。
警察にマークされたかもしれないのに。
彼は…弟くんは私のために来てくれた。
だから…
「守ってあげたい…愛おしい…」
「ん?」
「…大好きだよ。弟くん」
背後から包まれる温もり。
「俺もだよ。エマ姉…」
そして、私はこぼす。
「あの歌」
「今日もかい?」
「うん。聴きたい。弟くんとだから、一緒に聞きたい」
弟くんは私から離れると足元のズボンに手を伸ばして、音楽プレイヤーを取り出してくれた。
もう一度抱きしめながら私の耳元においた小さな箱。
郷愁を誘うオルガン…昼下がりを思い起こす、優しいギターと声。
ビートルズの「Strawberry Fields Forever」
私たちを繋ぐ、かけがえのない歌。
「いい気持ち…やっぱり、この時間が、落ち着く」
「うん。たまに思うんだ。もっと早くに知り合いたかった…それも…こんな残酷な運命とは関係ない輪廻の中で」
「エマ姉」
抱きしめる手は、小刻みに震えている。
たとえ残酷でも、過ごす時も場所も、かけがえのない楽園。
この感触。匂い。私が初めて心から理解できた“愛”っていうもの。
絶望しか知らなかった世界に共鳴する、同じ光、同じ闇。
もっと一緒に…いいえ、永遠に繋がっていたい。一緒に楽園で過ごしたい。
でも、そうなるか分からなくなってきた。
弟くんはあの日以来、どことなく動揺を隠せずにいる。今も体を震わせて私のぬくもりに逃れてる。
“初夜”を経験したから。ころした経験をした“初夜”――。
アイツの悪魔を初めて堕胎したあの日。私も弟くんのように震えた。怖くて怖くて、どうして震えた。
もう2人も堕胎している私はどうとも感じなかった。私は異常なの? …そんなはずはない。だって、異常なのは世の中。私たちをゴミとしてしか見てこなかった世の中。
でも、ゴミ溜の中にそびえる塔は、既に崩れてしまった。
泣くことはない。死ぬこともない。2人で決めた。
あの約束を守るだけ。
彼らを悲惨な未来から救い出す約束。
だから…2人の向かう道がようやく見え始めた今だから、私は強く思う。
弟くんのためなら、私、なんだってする…。
あの2人は、私たちの姿を見ている。
今度会ったら、あの女の―同じ匂いのする魔物の息の根を、確実に止めてやる。
守るの。そして一緒に行くの。
2人だけの永遠の楽園―Strawberry Fields―に。
◆
PM10:00
グランツシティ某所
暗がりの中、仄かに――という表現にしては煌々過ぎる光源。単一且つ規則的ロジックを奏でるキーボードの前に並んだ。3台のデスクトップ。
足元でレノボのマークを付けた筐体が、並列に悲鳴を上げる。
その一つに、USBメモリを差し込む。512GBという超巨大容量のそいつを読み込むと展開。データ許容量限界を示す赤いバーをクリックし、中のソフトを解凍。
右のモニターに展開させ、右手でコインチョコの包装を解きながら、更にキーボードの演奏を続行する。
「どうかしら?」
肘掛椅子の背後から近づき、覗き込むように座る人物へと問うたシレーナ。
相手はチョコを口の中で転がしながら、声変わりすらしたかどうか曖昧な、幼い声で答える。
「多角度画像自己解析ソフト“ヘッジスカル ― ver4.3”を走らせてみましたけど、グランツ第四公園駐車場、トンキイマート クロガネ5丁目店、水瓶人民市場業務用駐車場の防犯カメラに映った3つの車は、98.7%の確率で同一車両であると言う結果が出ました。ナンバーも下の上三桁が同じですから、ほぼ100%と見て間違いないでしょうよ」
「成程ね。あーあ、科捜研に回さず最初からこっちで解析してもらえばよかった…まあ、兎に角、ご苦労さん」
「いえいえ。こうでもしなきゃ、M班から追放されかねませんから…お返しします」
相手は別のUSBメモリを、シレーナに差し出した。
こちらは32GBと、許容量は多いのだが、それでもこのパソコンの前では曇ってしまう。
「可愛げのないガキだこと」
「どうとでも言ってください。教科省と警察庁のガイドラインに違反している立場に、ボクはいる。その中でアナタ方と同じ仕事をしている。そういう身なんですから」
「または、超法規的な司法取引ともいう。君みたいな子が国外に流出すれば、今の時代、国際的脅威になりかねないし、君はその歳でもう前科者だ。だから、アナスタシアさんと私の司法取引によって、今の平和な生活が約束されている」
相手は鼻で笑う。
「此の国から出る気はありませんよ。今のところはね。ボクがCIAやシリコンバレーの誘いを蹴った理由を、貴女は忘れた訳ではないでしょ? アナタはとても興味深いヒトだ。言うなれば生きるデータ、そして自己増幅を無限化させるデータだ。アナタを回収してデータベース化することは、どこかの国に行って訳も分からない仮想敵国とやらを攻撃するより、よほど面白い」
それにシレーナはため息で応えた。
「やっぱり分からないわね、君って子は」
「理解されなくて結構」
「そろそろ電源切ったら? 叔父さんが呼んでたわよ。もう寝る時間だって」
「そうですか。貴女もそろそろ、出ていかれたらどうです? もう用事は済んだんでしょ?」
「言われなくとも…ああ、メルビンが心配していたわよ。電話でも入れてあげたら?」
「言われなくとも、そのつもりですよ」
シレーナはそう言って、お返しとばかりに呟く相手に手を振りながら外へ出た。
一軒家に隣接するコンテナから出た途端、まだ涼しい春の風が、彼女の身体を吹き抜けるのだった。
その風を見送るかのように空を仰ぎ、電話をかける。
「ハフシ、結果が出た。2つの事件は間違いなく同一人物が関与している。明日、敵陣に乗り込むわよ」




