29 「怪我」
その炎は、市道にいた警察官も目の当たりにしたという。無論、到着したエルも。
パトカーのヘッドライトに照らされたパッカードから降りた彼は、癖でもある「嫌な予想」が働いた。
2人はもしかしたら…。
◆
彼我の銃弾、そして刃が舞い上がる刻は、既に消失。
粉じん爆発は広場を中心に、一区画の半分を焼き尽くしていたのだ。
炎上した建物。瓦礫に埋もれた中から咳き込みながら現れた人影。
ホコリ舞う中――
「タカヤ、生きてる?」
「なんとかな…おうっ、全く…」
シレーナに腕を掴まれて立ち上がった貴也は、肩に付いたホコリをむせ返りながら拭った。
「あのカトーマスク・カップル、事前に俺たちを丸焼きにする準備をしていたのか?」
「程よく壊れた壁に、台車に乗った小麦粉。撃ってと言わんばかりに置かれたオート三輪…確信犯なのは確かだな。考えたのは…恐らくあの女」
「何者なんだ?」
「そりゃあ、連続児童暴行犯、いや、もう“暴行殺人犯”か。それが正体でしょ」
「そうじゃなくて…シレーナ?」
貴也は気づいた。
右手の甲に、真っ赤な口が見える程の大きな裂傷ができ、そこから血が流れ出していた。
どうやら、シレーナは知ってるらしく、平然と手を上げた。
「ああ、これ?」
「ケガしてるじゃないか! 扉の破片が飛んできたのか?」
「大したことない」
そうは言うものの、指先からは血が滴り落ち続ける。
やせ我慢でもない。自意識過剰でもない。
感じないのだ。
痛覚が。
貴也も改めて、その現実を突きつけられる。
だが、ファースト・コンタクトでの告白で脳は理解していたが、その無痛容量の大きさに呆然と、そして愕然としていた。
彼女のそれは、ここまで大きな“傷”だったなんて…。
「っ! タカヤ、何を?」
動揺するシレーナは、彼に問うた。
彼女が見たことが無い、他者の行動。それはイコール、理解不能な行動。
貴也はすぐさまネクタイを解き、手の甲に巻き付けた。
「動くなよ」
ギュッと手を縛り上げると、ネクタイの両端を結んだ。
「応急手当はしたけど、すぐに病院に行った方がいい。エルかラオに相談して――」
「大きなお世話。どうしてこんなことするの?」
途端。
彼は目を逸らすシレーナの肩を掴み、開口一声。
「君が怪我をしているからに決まってるじゃないか!」
「ワタシが、オンナだから? それとも、パートナーだから?」
「違うよ。シレーナ」
優しく、柔らかく、彼女の瞳に訴えた。
「理由なんてないよ。ただ君が、傷ついているから…それだけだよ」
なんだろう。
この不思議な気持ち。
自分の胸に、見えない鋭角状の何かが突き刺さったみたいで…いいえ、心臓というより、ココロと言うべきでしょうね。物体的にではなく、精神的な解釈で。
でも、それが一体どこから来るのか、どういう意味を持つのか、どうすればいいのか。
“ワタシ”には分からない。
もしかしたら、“私”に聞けば何か分かるのかもしれない。
…いいえ。彼女も同じ。何もわからないはず。
どうすれば。
もしかして…タカ――
「シレーナっ! タカヤっ! いたら返事しろっ!」
意識が強制的に引き戻される。
エルの声だ。
ワタシの意識が、私から遠ざかる。
◆
「ここだよ、エル!」
貴也が叫ぶと、すぐに出口の向こうから見慣れた緑色の髪が覗いた。
「無事だったか!」
「俺はいいけど、シレーナが手を…」
エルは2人に近づき、ネクタイを巻いた右手を見た。
元々赤い学校指定のネクタイだが、それが更に朱色を帯びていた。
それでもシレーナだけでなく、エルも平然としている。
「確かに出血が酷いな。ケガの状況は?」
「裂傷だよ。多分、飛んできた破片で…」
そう言うと、貴也は口をつぐんだ。
あの時、彼女は自分を引っ張り抱きしめた。その直後に爆発が――。
シレーナがいなければ、今頃……だから、この怪我は自分の責任だ。
彼は罪悪感に苛まれていたが、それと同時に、別の事も考えていた。
やはりシレーナは、残酷な女の子じゃないのかもしれない。
そうでなければ、自分を置き去りにして逃げてしまえばいいのだから――安心感。彼女に対して、そして“自分”に対して。
「どうする? シレーナ」
「これくらいの傷なら、アイアンナースで応急処置をすれば何とか」
彼女の言葉に、貴也が口を挟んだ。
「おいおい、車があるなら、それで病院に――」
「あの車は、パトカーであり救急車。それも軍事レベルの事態に対応できる特殊車両なんだ。軽度の手術なら、車内でできる」
「マジかよ…」
驚嘆する貴也を横に、エルはシレーナに聞いた。
「何があった?」
「犯人と思しき2人組と交戦…彼らが粉じん爆発を仕掛けたのよ」
彼女は、胸ポケットに差していたオーバルフレームのメガネを掛けながら話す。
あの衝撃でも、フレームどころかレンズにも傷はなし。
「というと、その2人が」
「ええ。連続児童暴行事件の犯人。そして、昨日の殺人事件の犯人と見て間違いないわね」
「殺人を犯しておきながら、その翌日にこの事件…犯行のサイクルがどんどん狭まってるな」
「次の犯行も、時間の問題ね。エル、教科省に緊急連絡。グランツシティ全域の小中学校に、集団登下校及び保護者による自動車送迎を行うよう、各学校に通達を出すように。加えて、各ガーディアンにコード・ピンクを伝達」
「コード・ピンク…警戒令第二段階か」
「ガーディアンに所属する生徒と、ボックスに対して出される警戒令だったよな。確かピンクは、重大事案発生の危険性あり。各捜査員は所属学校の生徒に対し、神体及び財産への被害が起きないよう警戒を行え…か」
「はい、よくできました。タカヤ君」
と、同時に現場へと市警の警察官、消防隊員が到着。
「ここは市警に任せて、下へ降りましょうか」
右手をふわりと夜空に掲げ、戦乙女は瓦礫を踏み鳴らした。




