28 「交戦!」
悲鳴が消えた先は、階段が続く路地から。
互いに視線を合わせると、シレーナはゆっくりと両目を瞬いた。
以前、彼女から聞いた「警戒」の合図。
貴也は頷き、先を行くシレーナの後ろを、ゆっくりと進んでいく。
シレーナの銃に取りつけられたライトが、その先を照らす。
彼の足元、そして背後は闇。
どこから聞こえた声なのか。相手はどこにいるのか。
男の手にはやはり小さいSIG ザウエル P230を握るその手、小刻みな振動がシルバーの銃身にまで伝わる。
「深呼吸しろ。流れ弾撃ちこんだら、殺すからな」
「大丈夫だよ。大丈夫」
「どの口が言ってんだ? 手が震えてるぞ」
一度も振り返っていないはずのシレーナが、彼の状況を読み取った!
最早、獣並み…というより獣そのもの。
彼女の前で、ごまかしなど御粗末。貴也は銃を降ろすと、口で呼吸し鼻から息を出して、その恐怖を押さえこんだ。
カツ…カツ…と、石段に革靴が小さく音を刻む。
貴也が気づいた時には、石段は終わり、窓の少ない建物が集中するエリアに到達した。
生臭い―しいて言うなら動物性の臭いが鼻をつく。
どうやらこの辺りは、階下の商店が食品倉庫を置いているエリアのようだ。
眼前に現れた開けた空間。正方形に切り取られたそこは4本の路地がぶつかり、中央には市場の象徴なのか、水瓶を持ったブタの銅像が置かれている。
向こうから、嗚咽とすすり泣く声。
ライトに照らされたのは、像の傍でうずくまる制服姿の少女。乱暴されたのか革靴や靴下が散乱し、両手で顔を覆っている。
「大丈夫か!」
咄嗟に貴也が銃をしまって走り寄る。
「ガーディアンだ。もう心配ないよ」
「ううっ…えううっ…」
恐怖心からか、体も震えている。
しゃがみ込み、彼女と同じ視線に。
「何があったんだ?」
「知らない男の人が、突然馬乗りになって…」
「男の人…その人は、どっちに?」
真摯に彼女に寄り添う貴也に、シレーナは違和感を覚えた。
それが何故なのだか、導き出すのに時間がかかってしまった。
そう、おかしいのだ。
彼女の傷は、今までの事件の、どの被害者のものよりも軽度であったし、逃走中の犯人が行きがけの駄賃と言わんばかりに通行人を押し倒すだろうか。
そして、何より大事なこと。
この一帯は夜間立ち入り禁止エリア。
その上商店しかない。家に帰る途中なんて口実は絶対に通用しない。
だとすると、この少女は――。
「タカヤ! 離れろっ!」
本能が一斉に警告を鳴らす。
目を見開き、躊躇することなく左手を伸ばす。彼の襟首を掴むと、一気に後ろへと引っ張った。
直後、彼の頬を掠める一発の銃弾!
貴也が後頭部から盛大に倒れ込む頃、シレーナは銃の引き金に指をかけ、暗闇に照準を定めた!
「シレーナ?」
「そいつは獣だ。被害者なんかじゃない!」
混乱する貴也、その耳に今度は狂ったような笑い声。
彼もまた、しり込みしながら退く。
眼前に立ちあがった少女。笑い声をあげる者の正体だった。
「引っかかると思ったのに…」
「アンタは臭わせすぎなんだよ。バイオレンスな臭いを」
彼女の睨む先で、少女は暗闇に溶かしていた横顔を、こちらに向けた。
茶髪の向こうから、カトーマスクに目元を包んだ女子校生。右手には妖しく光るダガーナイフ。
だとすれば、銃を撃ったのは…!?
「そういうアナタはどうなの? 臭うわよ。暴力と焦燥、そして快楽の臭いが…」
「フンッ。だとしても、アンタと傷をなめ合う気はないさ」
「へえ、強がりなんだ。隠したって無駄よ。分かるでしょ…こういう人種ってさ、つまるとこ犬と同じなのよ。互いの尻の匂いを嗅ぎ合って、同族か、そうでないかを識別する。その臭いの元では、どんなごまかしも通用しないわ。違う?」
「さあね。臭いなんてものは本能的に覚えてしまうものさ。そいつに論理的知見を持たそうと考える奴の気がしれないよ。アンタ、そんな窮屈な生き方してるの?」
「それはアナタでしょ。アナタも感じ取ってるはずよ。私の言う“臭い”を本能的にね。それを論理的に展開して“逃げ”ようとしている」
互いに表情を変えずに、その空気だけガソリンを染み込ませたかのように息苦しい。いつ火種が飛んでくるのか、そいつをお互いに探り合っている。
「この際臭いはどうでもいいわ。私を見逃してくれたら、それでいい。顔も見られていないし、この服も“なんちゃって”だから、追跡はほぼ不可能よ…アナタ達は何もなかったって、オマワリに報告すれば、それですべてが丸く収まるわ」
「…無理って…言ったら?」
シレーナの指が、銃の引き金に掛けられた!
「アナタも、あのガキ共と同じようになるだけ。もう2人も殺した。殺すことは…怖くない」
カトーマスクの少女も、刃を内側にしナイフを強く握る!
「ワタシ、そんなヤワじゃないぜ?」
「どうかしら…試してみる?」
既に火は灯った!
一触即発!
シレーナがその瞳に起爆する!
「タカヤ! 援護!」
声に合わせ、背後の青年の指がセーフティーにかけられた!
だが、それは遅延。
暗闇から閃光と共に鉛が弾かれる!
建物の影、少女と同じカトーマスクの男が、拳銃を弾いていた。
すかさず貴也も…と行きたかったが
「うわあっ!」
相手の間髪ない攻撃に、銃を向ける隙すら与えられない。
ザウエルより高威力の拳銃であることは、貴也にも容易にわかった。
傍にあるコンテナの影に隠れるのが関の山。
「タカヤっ!」
気配! 頭上!
シレーナの本能が向けられたとき、少女は空中にいた。
両手でナイフを振り上げ、笑みを浮かべながら降りてくる。
すかさず交わした刹那、石畳に降り立った相手は、そのままナイフを振りかざす。
鼻先を掠めた刃。そこに独特の冷たさを、シレーナは感じ取れなかった。
奴の冷たさは、幼いころから知っている。でも、奴にはそれが無い。
ナイフであって、ナイフではない。
(この材質…まさか、硬化プラスチック!?)
理解する間もなく、理性をシナプスが埋めていく。
次々と繰り出される、ダガーナイフのロンド。
テールライトのように軌跡を残して、暗闇の中、銃声のバックコーラスに乗せて踊る。
それをシレーナは生身で交わしていく… 隙!
ふわりとブレザーをなびかせ、腰に差していたワルサーPPKを取り出すと、頭の上で交差。振り上げられた銀色の狂気を文字通りの白刃取り。
両者の手に力が入り、口に笑みがこぼれる。
娯楽? 享楽? 否、そのような生半可でファンタジックな感情から来る笑みではない。
言うなれば、エクスタシー、オルガズム…動物本来の本能的闘争によって生じる倒錯。
確かに、お互いが同じ種類のニンゲン…言い得て妙な場面である。
「どうしたの? 銃だけで何もできないでしょ? オモチャと正義の言葉でヒーローごっこをする連中…所詮、ガーディアンなんてそんなもの。反吐の出るガキのお遊戯でしかないのよ!」
「そう言う割には、全然ワタシを傷つけられていないじゃないか。ねえ…。
もっと本気で来いよ。ワタシの首を掻き切って、毛細血管を刃先で抉り出す。それくらい狂って来ないと、ワタシ、死なないよ? その気がないなら、代わりに、アンタの血と肉で、柔らかぁいオブジェを作ってアゲル……」
笑った。この状況を―脳内のイメージに性的快感にも似た陶酔感を楽しむかのように、声を殺し、シレーナは笑った。
群青の瞳は鈍く輝き、更に深みを増していく!
「さあ、来いよぉっ! そんな“まがい物”を捨ててさぁっ!」
笑った。今度は圧倒的有利な少女が、声を上げて。
「まがい物? それは、アンタの眼のことじゃないの?」
右足がシレーナの腹部に。そのまま後ろへ蹴り飛ばす。
石畳に倒れた彼女。一拍の隙を与えたが、上半身を起き上がらせPPKを連射。
一方、少女が口笛を吹くと、カトーマスクの男が、貴也とは見当違いな建物の壁に向け銃弾を幾重にも発射。それを確認すると、少女は銃弾を避けながらシレーナの頭上を飛び、脱兎の如き早さで、男がいる暗い路地へと姿を消した。
2階部分の白壁にヒビが入り自壊。台車に載せられた麻袋が幾つも広場に向かって落下し、その口から白い煙が立ち上る。
「これは…」
呆気にとられる貴也。
手に舞い降りたそれを嗅ぎ、なめる。
(小麦粉?)
瞬間、彼らの目的が脳内を駆けぬける。
気付くと男の銃口は、後退しながらまたしても見当違いな場所に。
そこには――古いオート三輪!
「シレーナ! 粉じん爆発だ!」
だが、今逃げても無駄だ。
風向きはこちら側。路地を逃げれば丸焼きに。
シレーナは向かい側の建物を見る。
ドアは木製。
考えている時間は無かった。
「来いっ!」
助走をつけ飛び上がり、右肩をタックル!
破砕された扉。向かってくる貴也の腕を引っ張り、シレーナは彼を抱き込むとビニールシートにくるまった――。
烈火。
オート三輪から弾けた火種が、街区を一気に駆け巡った。
その瞬間が終わった後には、灰に包まれた空間が、夜と同化し火の粉がくすぶる。
無論、飛び込んだ建物も焦げ付き、木製の窓枠は燃え上がっていた。
2人は――。




