27 「狩り」
PM7:43
朱天区ヤンズ地区6丁目 市道58号下り線
片側は商店の閉まった暗い水瓶市場。もう片方は光と爆竹溢れる住宅街、李玲地区。ここを東へと進めば、南区との区境に達する。
陰と陽、そう連想させる対極は、灯りさえまばらで、街灯もない路地が続く。
そんなダークネスを切り裂くのが、切り開かれた大地の下を南北に走る市道58号、通称“朱天路”をひっきりなしに自動車が行き交う。
市場と住宅街を繋ぐ連絡橋の下に、スキール音を立ててケンメリGTRが停車した。
傍には連絡橋を結ぶ階段と、古びた公衆電話。そして――。
「大丈夫か!」
時代遅れの白熱電球がたかれたボックスの中で、横たわる少年。
鼻が変形する程に殴打され、口や右目が腫れあがり、顔面が血まみれに。
「ヒュー…ヒュー…」
彼の手元には歯であろうか、白い硬化破片が散らばっている。もう、言葉すら話せなくなっていた。
「ひどい…」
その言葉が、その行為が、ガーディアン…警察官として、どれだけ無礼なことか貴也は、頭では理解していた。
それでも…これは、あんまりだった。
目を背けたい。
否、今は最善の行動をするまで。呟く時間すら惜しい。
しかし、顔面を殴打され大量出血。元々、頭部は出血が多い部位ではあるものの、ハンカチで止血…とはできない。
「どうすればいい?」
顔を上げると、シレーナが耳からスマートフォンを離したばかり。
「今さっき救急車を呼んだ。タカヤは、その到着を待って。最寄りの消防署からなら、5分以内に到着するはずだから」
「シレーナ?」
その口調に、貴也はトークンモールで感じたものをフラッシュバックさせた。
手にはH&K USP。しかも銃身下部の溝に、ライトを装着していた。最早、一介の警官が持つ銃ではない。
彼女はそれを右手に構えると、左手でメガネを外し、ブレザーの胸ポケットにそうっと挿す。
「ワタシは行く」
「行くって、どこに?」
すると、生気のない瞳を城壁のように積み上がった建物群へと、見上げさせる。
「臭うんだよ。血と精の混じった暴力の臭い。犯人はまだ、ここにいる」
「シレーナ…」
階段をゆっくりと、操られるかのように一段一段昇っていく。
だが、彼は自らの手を強く握り、叫ぶ!
「シレーナ!」
通過する喧騒からでも、よく通った声に彼女は足を止めた。
「…殺すなよ」
「…私を…甘く見ないで」
鼻で嘲笑した彼女は、再び足を動かし消えていく。
後姿を、貴也は見届けるしかなかった。
◆
連絡橋に到着。
中華風の赤い欄干が、漆黒の中でもはっきりと臨める。
鼻で呼吸し、口で微笑む。
「いい臭いだ。とぉってもきつい…クーナンじゃないのが残念だな」
セーフティーを解除する音が、暗闇に響く時。堰を切るようにその一言は狂気を帯びた!
「さあ、狩りを始めようかぁっ!!」
ゆっくりと地面を握りしめる一歩。
二歩、三歩…加速!
夜風に同化しそうな勢いで、メインストリートを駆け抜けていく。
足元を照らすのは、銃に固定されたライトのみ。
赤や黄と発光色の店構えにテント、中国語の看板が立ち並ぶ大きな道を、銃を構えた少女が通り過ぎる。それに気付く者も、振り返る者もおらず。
突然停止。
四つ辻で、猟犬のように左右の路地を嗅ぐように確認すると、右折。狭い小路を今度は走り始めた。
ストレイキャット。
その言葉が一番…否、猫というより中身は虎。血の臭いを本能的に嗅ぎ付ける猛獣。
足が止まる。
人の気配。
向こうの突き当り。影。
息を殺す。目を細める。引き金に指を添える――勝負!
無人。
更に先の突き当り――狙う!
「!!」
そこには、懐中電灯と銃を手にした…
「タカヤ!」
「シレーナか!」
「どうして命令を無視した! ここはアンタのくるところじゃ――」
「もう分署の警官が到着してる。被害者の方はそっちに任せた。イナミさんの指示でもうすぐ、市場周辺に包囲網が敷かれるそうだよ」
シレーナは腕時計を覗き込む。
「到着から3分…いつもながら、あっぱれな采配ね。で、タカヤ。アンタなら、こういう時にどうする?」
「え?」
「もし、アンタが犯人なら、どう動くのかって聞いたの」
そんなの――。
貴也は視点を真っ直ぐ見定めたまま、止まった。
フリーズという表現が似合うくらいに。
そんなの、簡単な答えのはず。
でも…どう動くのか。
瞬時に、そして熟成して導き出した貴也の答えは1つしかなかった。いや、それ以外の選択肢が見当たらない。
「犯人は、自らの過ちを悔いて自首するはずだ。何故なら、逃げ道はないし既に人を殺している。何より…犯人も人だから…」
そんなはずはない、はず。
どれだけページをめくっても、その章は見当たらない。
白紙。白紙。また白紙。
ああ、やっぱり…やっぱり俺は…。
「いやあああっ!」
夜を、意識を切り裂いた、女性の悲鳴。
まさか!




