8 「スイートクロウ」
駅を後にガーディアンメンバーとイナミはターミナルへ。アイアンナースの横に旧車が停車していた。緑のボディに白いルーフ、絵にかいたような角ばったフォルムこそ、三菱自動車が生産した高級セダン デボネアの初代モデル。これを乗り回しているのがイナミであり、彼のもう一つの名前“ミスター・デボネア”の由来である。
「貴也君。ハフシと一緒に、先にナースに乗っていて」
「わかった」
貴也は頷き、眼帯少女と共に車へ。
するとエルが走り寄る。
「シレーナ、俺は向こうに引き返すよ。俺たちの車、置いて行くわけにはいかないからな」
それを聞いて、シレーナの口からため息がこぼれた。
「私用で使うなって、あれほど言ったのに」
「過ぎたことだ。忘れろ」
「はいはい。じゃ、向こうで落ち合いましょう」
エルは手を振り、反対方向へ消えていった。
貴也と共に、大きな図体へ乗り込むのを確認すると、シレーナは軽く頭を下げた。
「ありがとうございました」
シレーナがイナミに告げた。
「貴方がいなければ、状況は最悪な方へ向かうところでした」
「いや。君の判断は確実だったよ。あのタヌキは自分の保身しか考えていない奴だからね。そのくせ自分はエリートで、それ以外は下郎と見ているからな」
「私はここの分署の警部だけというより、この国の警察全体と見ていますがね。ガーディアンシステムが稼働してから数年。権限の拡大と、警察の信頼回復もあって、本職の警官が、我々を捜査に加えないのは日常茶飯事ですよ。むしろ、警察からすればイナミさんが異端なんですよ」
「無理はないさ。ガーディアンに寛容な警官なんて、出世街道から転落した没落組が大半だ。私だって市警中央庁に出向した身だからな。
で、君はこれからどうする?」
「ハフシたちと佐保川君の話を聞きます」
「学園側に話したのか?」
「ええ。どうやら学園は、この事件を機にガーディアンを廃止するつもりですね。今までの仕事は、学生指導部と生徒会が分割してやっていく、との事です」
「となると、佐保川君の帰る場所は」
「事実上、消えたことになります。まあ、学校のいざこざを鎮める彼らの存在を、体育会系の教師たちが良く思っていなかったって話は、前々から聞いていましたし、遂にやったかって感じですかね。
あの先生たちは、愛情と脅しを上手く使えば、生徒の問題はなんとかなるって考えの持ち主ですから」
「そうか」
イナミは運転席に鍵を差し、ドアを開けて乗り込んだ。
「君も判っていると思うが、リッカ―53は既に何人もの少女を手にかけている。これ以上の犠牲は何としても押さえないといけない。それに、これが初めての殺人と判れば、我々も君に――」
「そのための私、でしょ?」
口元を微笑ませたシレーナ。イナミは視線を逸らして頷く。
「何かあれば、遠慮なく連絡しなさいな。まあ、こんな背広組が捜査に入っても、なんの役にも立たんとは思うけど」
「いえいえ、恐縮です」
イナミはドアを閉め、彼女が見送る中、車のエンジンを始動させ走り去る。
◆
車の影が見えなくなり、初めてシレーナはアイアン・ナースへと乗り込んだ。
「いつものところ」
「これはタクシーじゃないんですけど?」
「つべこべ言わない。さっさと行く」
「はいはい」
運転席に座るハフシがキーを回すと、エンジンスタート。屋根のランプを点滅させながら、衣川駅を後にした。
「どこへ行くんだい?」
不安そうに聞く貴也に、シレーナは言う。
「まあ、来れば分かる」
ただ、それだけ。
巨大な救急車は、片側三車線の幹線道路をしばらく南下した後、狭い道路を何回か折れ、大きな運河と並行する道に出た。
すると、今までビルが並んでいた風景も遠く、煉瓦作りの建物が並ぶレトロでモダンなものに。
「ここって、涙目運河?」
「そうよ」
かつて町の流通の一躍を担っていたのが、この涙目運河。なぜこう呼ばれているのか、全員小学生時代に教わったはずだが、誰も彼も忘れているから、説明のしようがない。
今でも数隻の小型船が、材木や小型ボートを曳航しながら行き交う。
目の前に赤煉瓦でできた年代物の倉庫が見えてきた。運河に沿うように建つ壁にも似たそこへの入り口で、車は減速。
大きな花壇の中に置かれた煉瓦の看板が出迎える。どうやら店らしく、貴也が英語で書かれた店名を読むと。
「Maid Cafe & Bar SWEETCROW・・・メイドカフェ?」
「Amazonの物流センターとでも書いてないのなら、そうなんでしょ?」
さらっと答えたシレーナ。
「え? なして?」
「平日だから、客なんていないでしょ。さ、入るわよ」
「あの……はい、聞く気ないんですね……」
洋風な門をくぐると、ここから地面はアスファルトから、趣ある石畳に。並列した六棟の倉庫からなるメイドカフェ。第二棟をぶち抜いて作られた駐車場へ強引に車を停めると、降車。
ドアを開けると、微かに潮のにおいが鼻に。どうやらグランツ湾の近くなのだろう。
涙目運河も、以前に見た地図が正しければ、湾へと注いでいる。
ここグランツ湾と涙目運河は、19世紀後半から国の貿易拠点の一つとして、現在まで動いてきた。そのため煉瓦や石造りの倉庫や、海運商会ビルが至るところにあり、シティはそれらの一部を、アトリエやショップとして貸し出している。
この話は貴也も、夕方のニュースで聞いている程度の知識で知っていたが、まさか赤煉瓦倉庫を改造したメイドカフェがあるとは知りもしなかった。
「ハフシ、先に入ってて。ちいちゃん、いると思うし」
「はいよ」
スカートをひる返し、向かいにある倉庫棟へ向かうハフシを見送る。
どうして、こんなところに来たのか。貴也の頭は混乱していたが、思い切って聞いてみた。
「どうして、メイドカフェに?」
「ん? 君の話を聞かなきゃいけないでしょ?」
「だったら、警察署とかで―――」
「あんなコンクリートで固められた部屋で、冷水片手に辛い話をさせる程、私も酷な人間じゃないわよ」
「シレーナ」
風になびく髪を指に遊ばせるシレーナに、貴也は表情を緩めた。
「なんだ……あんな意味深なこと言ってたけど、どこにでもいる普通の女の子じゃないか」
だが、彼はつぶやいた彼女の言の葉を拾うことはできなかった。
「といっても、理解はできていないのだけどね」
貴也の期待、シレーナの心情を互いに打消し、互いに守ったのは海からの潮風だけではなかった。
シレーナが店に入らなかった理由。それは1台の車を待っていたいから。
煉瓦の向こうから現れたのは、重厚感と気兼ねさを併せたような車両だった。
丸いライト、タイヤ周りの大げさなカバーと、全体を覆う流れるシルバーライン、前面に伸びた細長いボンネットの先端には、両腕を前に伸ばした天使のエンブレム。
それらがクラシックというものを否応なく語りつつ、黄色という明るいボディが、人を引き寄せる。
1941年製、パッカード 160・クラブクーペ。
駐車場に入りアイアンナースの横に停車すると、中からエルが現れる。
「待った?」
「ちょこっとね」
貴也は、パッカードに近づくと、物珍しくフロント部分を見渡した。
「おいおい、どうしたんだ?」
「いや、珍しいなって」
すると、エルは首を傾げた。
「そうか? この国を走る車の半数以上が、所謂クラシックカーだ。こんな車、言っちゃ悪いが珍しいなんて思うのは、海外からの観光客ぐらいだぜ」
「そうじゃなくて、こんな車を個人で所有しているなんて凄いと思って」
「え? これ、ウチのパトカー」
貴也は感心した。
「やっぱり……じゃあ、朝早くから事件が起きても急行できるように――」
「ううん。今朝は個人的な用事で、コイツを使ってただけ」
その言葉に、彼は耳を疑った。パトカーを自分のプライベートの足として乗り回す人間なんて、聞いたことがない。
「エルって、公私混同の常習犯なの。特にこのパトカー“イエローフラッグ”については、ひどいものよ。学校まで歩くのが面倒だからって、この車を出したことがあったわよね?」
シレーナは横目で彼を見るも、あっからかんとしらを切る。
「え? そんあことあったっけ?」
シレーナは、エルの言葉を振り払うかのように、首を左右に振る。
「駐車料金払ったの、誰だったかしら? ……まあ、車の話はこれくらいにして、そろそろ店に入りましょう。潮風が少しきつくなってきたしね」
「不安だ……この人たち、大丈夫なのかな」




