24 「ナイトフォール オブ アラヤド その1」
PM6:34
アラヤド区 センター街。
シティ西側に位置する近代的な街区。元々、90年代に発足した「副都心計画」の一環として西区の一部を分離させてできた、比較的新しいエリアなのだ。
モニュメントのごとく天へと伸びる高層ビル群に、中央本線の始発駅たる国鉄アラヤド駅。その周囲には国内でも最大級の歓楽街が広がり、その灯が昼夜と途絶えることもない。
そして、灯に群がる者が、すべて良識ある大人とは限らない…。
国鉄駅東側に広がるセンター街。その中を走る幹線道路を白のスズキ ハスラーが走っていた。車体には犬の肉球をあしらったデザイン。
地井春名の運転する専用車「サモエド」だ。
彼女は探偵、ガーディアンとともに、こうして市警地域安全課の仕事も、不定期ではあるが行っている。
でも、疑問に思うでしょ?
車を運転していることが、どうして手伝っていることになるのかって。
――アラヤド6からサモエド。
その質問の最中に、車内無線からのラブコール。
「こちらサモエド」
イヤホンマイクに手を添えて、言葉を発した。
――至急、来てください。場所はゲームセンター・タンドー家裁通り店。男子高校生2名による喧嘩です。
「了解」
無線を切ると、地井はため息を吐いた。
「やだなあ。喧嘩の後始末って…」
ウインカーを出し、国鉄駅前交差点をUターン。急いで現場へと向かうのだった。
そう、これがお仕事。
繁華街に群がってくる若者たちの補導…のお手伝い。声をかけられたり、トラブルを起こしたりする若者の中には、警察に対し極度のアレルギーを持っていたり、デリケートな内容で女性捜査官すら対応に苦慮する者もいる。そういう子たちに声をかけ、解決のアプローチを行っていく。
でも、相手は彼らと同じお年頃の少女。抵抗されるかと思いきや、そこが心理士の見せ所。
これまで仲裁に入った事案はすべてやんごとなく解決。
もしかしたら、プライベートで見せる柔らかい感情も、武器の一つなのかもしれない。本人に意識はないが…。
故に、アラヤド分署からの信頼も厚い。
今夜も紫の髪が、繁華街になびいていく。
◆
その頃
アラヤド分署
高層ビル群に程近い、12階建てのビル。
グランツシティでも最大規模の市警分署が、ここアラヤド分署。
日も暮れた分署、その会議室で、シレーナと沙奈江は、嬰児遺棄事件の調書を読んでいた。
分厚い8冊の資料を、どうにか片付け終え、二人は共に天を仰ぐ。
「これと言って、今回の犯人につながりそうな情報はありませんね。周囲に防犯カメラがない、古いエリアに遺棄されたみたいで、これと言った不審者は発見できなかった…と」
沙奈江が調書を閉じて言うと
「だな。骨格異常も劣性遺伝のようだが、今回とは異なるDNAのようだし」
「ハフシ、血液型の方はどうなってる?」
「AB型。トランスの方だよ」
シレーナが言うと、調書を横にいる沙奈江に渡した。
「遺伝劣勢に、シスまで加わったら、お次はいよいよアンデッドの登場かしら?」
冗談にハフシは苦笑する。
実際、そんな神のイタズラみたいなことが続けば、それが現実になってもおかしくはないだろう。
「そうなったら、学校の礼拝堂で祈り続けるさ。話を戻そう、ABという事は、お互いがABである以外に、考えられる組み合わせは、ABとA、ABとB、AとBか」
「仮に、アラヤドとゼアミの嬰児の母親が同一人物なら、血液型はAかABってことになるわね」
「うーん」
ハフシのスマホがポケットの中で振動する。
「やっと来たか」
彼女は立ち上がり、会議室から出ようとする。
「誰ですか?」
「ん? サンドラが見つけた、もう1つの情報」
と、言うとハフシは部屋を出て、電話に出た。
「ハフシ」
――2コールで出るってのが、ビジネスマナーってものよ。そっちから呼び出したくせに。
電話の相手は、アクタ本校の捜査官 エミリア。
「悪かったね。そんな作法、今までに習ったことがないからさ」
――冗談。フランスの優秀な医師家系に育った貴女が、マナーなんてものを習わなかった? そんなわけがない。
「そんな話はどうでもいい。聞きたいことは1つ。エミリア、貴女が昨夜、つまり殺害現場から引き揚げた直後に追跡した、不審な車についてだ」
――それが、どうしたの?
「車は、紺のダットサン ブルーバード410。間違いない?」
――だから?
相変わらず、M班の関係者への態度が気だるく、無礼なエミリア。
そこで、ハフシは言う。
「これは、ボクが正式に籍を置く医大付属の事件に関する質問で、君が毛嫌いしているM班とは関係ない。まず最初にそれを伝えたうえで、車を追った貴女に質問したいんだ」
――そう…で?
ハフシは、その言葉を聞いた瞬間、エミリアの態度が柔らかくなったように感じた。
この英国淑女は、それほどM班を、シレーナを嫌っているという事なのだろうか。
「車のナンバー、できれば正確に。それと、何人乗っていたのか」
――下二桁は読めなかったけど…えーと、手帳は…あった。GRA05―J713××。乗っていたのは多分2人。
「多分? 優等生らしくない答えじゃないか」
電話の向こうなら見えまいとイタズラな笑みを浮かべると
――うるさい。黙れ。変なこと言うと切るぞ。
「悪かったよ。続けて」
――フンっ。運転席に乗っていたのは中学生程度の男性。年齢的には14歳前後かしら。
「で、“多分”のもう1人は?」
――後部座席ね。毛布を被っていたかなんかでしっかりと姿は見えなかったし、最初に声をかけたライリーも姿に気づかなかった。でも追跡中に、対向車のライトで運転手以外の人影が浮かび上がったのよ。
それが“多分”の正体だが、ハフシは懐疑的になった。
至近距離から車内を目撃した人物が、同乗者を見逃すだろうか。しかも報告によれば、場所はコンビニエンスストア。光源としては充分すぎるくらいに明るい。
しかし、エミリアが嘘をついている可能性は低い。というより、この状態でハフシに嘘をつくメリットすら見当たらない。
「…分かった。どうもありがとう」
――いえいえ。じゃあ切るわね。この後塾があるから、私も忙しくてね。
「忙しいことで。じゃあ」
あからさまな忙しいアピールまで添えられた通話を終え、その面倒さを調整するように天を仰いだナースメイドの少女。
実は、この質問は環状鉄道で移動中に、サンドラから持ち込まれた情報だった。
430型ブルーバードで検索をかけたら、この事案が浮かんできたというのだ。事件現場近くのコンビニで目撃された車と、グランツ第四公園で目撃された車種が一緒である以外にも、共にガーディアンの管轄、乗っていた人物の年齢が推定10代という共通点があったことが大きな理由であったが、これが意外な大収穫となった。
公園のブルーバードと、コンビニのブルーバード。ナンバー下段の最初の3文字が「J71」と合致したのだ。恐らく、嬰児遺棄現場に現れた車は、これで間違いないはずだ。
ただ、何故その車が事件現場の近くにいたのか、なぜ運転手が女性ではなく男性だったのか、というのは引っかかるが。
ハフシは再びスマートフォンをタップし、耳に付ける。
相手はサンドラ。
「サンドラ。まだ、市警本部にいる?」
――はい。検索に時間がかかってて…驚きッスよ。此の国だけでも410型ブルーバードが72台も走ってるんスから。
「流石、旧車大国ってところだね。それはいいとして、さっき君が送ってきた、アクタ本校の案件。どうやらビンゴみたいだよ」
――マジっスか!
サンドラの声が一気に明るくなった。
「ナンバーは、GRA05―J713。下二桁は分からないが、それで検索をかけてみてくれないか」
――了解ッス!
「全く。これくらい、君がかけなさいっての」
――だって私、エミリアさん苦手なんッスよ。特に、あの物腰が。
「オーライ。じゃあ、後は頼むよ。難しい仕事じゃあないはずだし」
――先輩は?
「今、アラヤド分署だから、調べ物を片付けて学校の方に戻るよ。鞄も置いたままだし」
――分かりました。
そのまま会議室に引っ込んだハフシ。
廊下は再び、静けさに包まれる。




