22 「或る日 M」
夕暮れ。
この角を曲がるとき、俺の憂鬱は頂点に達する。
でも、この足を遅めたところで、相手が遠ざかるわけでもない。
というより、この角の目の前の壁が、憂鬱の正体なんだ。
すぐに見える門をくぐる。
テスト日の校門の倦怠感が、優しく感じる。
お袋が親父と別れてから、この門は何百と見てきたよ。何故か吐き気がするから、俺は目をつぶって悪魔の口の中に入るんだ。
ジャコジャコと石が互いにぶつかり合い押しつぶされる音を確認して、俺は目を開ける。
白い砂利が敷き詰められている。その先に忌々しい三階建て。
吐き気がする。
だが、吐き気の理由はそれだけじゃない。
昨日のアレ。
テレビじゃあ、警察はもう、俺たちがやってきた“遊戯”と関連付けて調べているようだ。
ここに警察が来るのも時間の問題なのか。
あれだけ、姉さんが汚い部分を拭いてくれたって言うのに。
いいや。いつもそうだ。
俺は怒るだけ怒り散らして、後片付けは姉さん。
本当に頭があがらない。
今気付いた。ガレージが開いている。
ここには一番似合わないミニバンが、顔を出している。
また、行くんだ。
俺が玄関を開けると、綺麗に礼装した家族が立ち、不愉快そうな顔でこう言ってきた。
「塾はどうした?」
「まさか、サボったの?」
俺は
「今日は休みだよ。自習室も空いてない」
と言うと、親父が財布を手に歩み寄ってきた。
「これから父さんたち出かける。帰るのも遅くなるから、これで美味いもんでも食ってこい」
俺に紙切れを握らせた。
4万円。
ああ、今日は多いな。だったら、そこらの店じゃないな。
「じゃあな」
「いってらっしゃい」
親父が玄関を出た後、目をそむけながらお袋が、好奇の目で弟がすり抜けていく。
あんなの、弟だなんて呼びたくないけどな。
「残念だね。兄さんもユバ――」
そうか。湯葉か。
確か中央区のランドプリンスホテルの近くに、新しい日本食の料亭が出来たんだっけ。
コースで最高1人20万円だったっけ。
4万もありゃ、俺もそれなりにいいもんが食えるだろう。
だが、高校生フゼイが、どれだけ礼装しても、そんな一流の場所には入れないだろう。
弟以上に好奇の目で俺を見てくるに違いない。
かといってファミレスや焼肉屋で、1人豪遊しても結果は同じ。
なら、俺が食えるのはせいぜい若者がたまる場所で、1人でいても至極当然な雰囲気で、若者並みの食事。
また、ビッグジャックLサイズセットか。
どいつもこいつも贅沢に生きやがって。
そこまでしていいものが食いたいのか。
その日の空腹を満たす。生きるために食べる。それだけで何故満足しないんだ。
味がよかろうが、産地が凄かろうが、胃に入っちまえば全部同じなんだ。
血となり肉となる。いらない部分は外へ出される。
食への銭勘定なんて、食べられるために生かされた命に対する冒涜だ。
俺は4万を握りながら震え、そして俺の安定のために、いつものように妄想する。
彼らに―食を冒涜する奴らに裁きを下すなら、どうするか。
フレンチレストランで、フィンガーボウルに頭を突っ込ませて溺死させる…否、甘い。
高級寿司店で、客の耳や鼻をそいで寿司ネタにして、持ち主に食わせてやろう…否、海賊の二番煎じ。
中華料理屋で、猿の珍味よろしく、シェフを殺して開いた脳をターンテーブルに並べてやるのもいい。
だが、最大の犯罪者はファミレスにいる家族共に、食べ放題を楽しむ学生――。
命に対する冒涜という点では、彼らは高級食を嗜むブルジョア以上の罪人だ。極刑に値する!
唐突に、スマホが震えた。
Eメールか。
画面にはいつものアドレス。
――今夜いいかな? さびしい こわい 弟くんに会いたい←
ああ、いいさ。
俺も会いたかったところだ。
――どこにいるの?
――アラヤドセンター街
――分かった。今、帰ってきたとこだから、すぐに迎えに行くね。
――ありがと
飯とホテルで、4万くらい軽く消えるだろう。
いいさ。親父が与えてくれる“壁”なんだから、どう使おうと勝手だ。
さあ、着替えてこよう。
この制服を脱いで。
そして何を食べよう。
姉さんとなら、ジャックドナルドでも、充分な御馳走さ。




