17 「或る独白 F」
濃く深い光が、カーテンを貫いて差し込む。
小鳥のさえずりが、心臓の鼓動を高鳴らせる。
収集車の唸り声が私の身体を硬直させ、悲鳴をかき消し。
袋が裁断されるごとに、心もまた摩耗していく。
あれはプラスチックが潰れる音じゃない。多分、私の――。
「――――っ!」
今日の朝も、そうして布団から飛び起きた。
窓の外でいつものように唸るエンジンと、破砕音。
人のいない部屋を、手に拳を作って見回す。
ああ、そうだ。
私は脂汗のにじむ額を拭って、押入れを凝視した。
「今日は、燃えないゴミの日だったわね」
こんな日は、いつから始まったんだろう。
こんな日は、いつぶりだろう。
こんな日は、こんな日は……あの人が恋しくなる。
◆
私の家族は、少し変わっていた。
物心ついた時には、父親は家にいるようでいなかった。
不安定な言い方をするのは、無論、父親と言う存在が不安定だったからだ。
当初、私はいわゆる母子家庭であった。
母は朝には寝ていて、夜になると派手な化粧と服を着て、出かけて行った。
最初は母が何をしているのか分からなかったけど、後に幼稚園の先生から、それが「みずしょうばい」であることを聞かされた。
お友達のお母さんも「みずしょうばい」と言ってた。次第に友達もいなくなっていった。
家ではお洗濯に、お掃除に、母のマッサージ。カップラーメンが「お母さんの手料理」だと本気で信じていた。私の体温が移ったぬいぐるみを抱きしめて、これが人の温もりだと本気で信じていた。
それでも母は、頑張った私を褒めてくれなかった。
白い目で見下ろして、口数も少なかった。「遊んで」と言っても無視されるか、はたかれるか。
今思えば、私は機会だったんだと思う。洗濯機兼電子レンジ兼掃除機兼マッサージチェアー。
全ての家電を凝縮した姿。
でも私は、頑張った。
幼稚園では、頑張った子は褒められる。そう、先生から教わっていたけど…。
2年前、ようやく私にも父親ができた。
私が子供の頃から、1か月に1度、家に出入りしてきた男。
その人が、実の父だった。
遊園地に動物園、ソフトクリームの味を最初に教えてくれたのも父だった。
でも
結婚後、父は私を“娘”ではなく“女”として見てきた。
早朝に放課後、男どもが「悦び」と呼ぶ感覚を最初に教えてきたのも父だった。
いつも、いつも、いつも。
体中を嫌な感触がまとわりつく。口を洗っても臭いがとれない。お腹がキリキリ痛む。
父の女になって半年。私は母に助けてほしいと思って、洗面台でカミソリを持って立っていた。
でも、母は助けてくれなかった。
「ハヤクネレバ?」
彼女の眼もまた、私を女として見ていた。
先生? 友達?
そんなものが、私の周りにいるとでも?
クラスでは私は「×リ××」だとか「ビ××」とか言われた。女子からはいじめられて、どこからともなく、男がにやけながら寄ってくる。舌を舐めずり、ズボンのチャックに手をかけながら。
先公の目も、色眼鏡以外の何物でもない。男子に××されそうになっても、鼻で笑いながら、形だけのカウンセリングとやらをして御仕舞。
学校には何も期待なんてしていない。
現に、私のお腹が大きくなっても、みんな無視を決め込んだ。
男が私を味わっていたある朝。あの女は平然と水商売から帰ると、冷蔵庫から牛乳を取り出して飲み干した。
上下に視界が揺らいでいく中、私は初めて涙が出てきた。
私は、誰からも助けられることもない。
このままじゃあ、殺される。
心じゃなくて、体が。
自殺も考えた。
でも、すぐにやめた。
死んでも、あいつ等は悲しみもしないだろう。
男は女が死んだ悲しみを、他の女で癒してもらおうだろうし、女も泥棒猫がいなくなったと思うだけだろう。涙を流す友達もいない。
そうなったら、今度は憎しみがこみ上げてきた。
視界に入りこむ笑顔の子ども、頭を撫でる両親、高級そうな店に車。
あの子たちは得られて、私はどうして得られない?
味わうべきなんだ。奪われるということが、どれだけのことなのか。
でも、今はどうでもいい。
あの日の歓楽街から、そう思えた。
うずくまっていた私に手を差し伸べてくれた、場違いな彼。下心で着飾ることなく、私に懐かしい目を向けてくれた、温かい手を差し伸べてくれた彼。
2人ではしゃいだ。
2人で笑った。
2人で話し合った。
そして2人で決めた――。
◆
私たちには、心残りがある。
あの女も、男も、かつて私が行こうと思っていた場所に行っちゃった。
もう、手が届かない。
もう、声が届かない。
もう、恨みが届かない。
それは、彼もおんなじだった。
なら、それでいい。
私は今度、彼に言おうと思う。
もう、救済なんていらない。
殺そう。
ぶっ殺そう。
殺しまくろう。
これ以上の悲しみを広げないために。
私たちが永遠に生きるために。
この世にいる男と女。全部が全部。全部…全部、全部、全ぶ、ぜんぶ、ぜんぶっ!




