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セルリアン・スマイル ~その痛み、忘却~  作者: JUNA
Smile2 狂へる遊戯 ~Strawberry Fields Forever~
71/129

16 「もう一つの事件」

 

 PM9:33

 スイート・クロウ




 夜も更け、車の台数も先ほどと比べて少なくなってきた。

 これが1日ずれていたら、つまり金曜の夜だったら客は大入り。

 まあ、週末なら当然だろうし、ここは大人の隠れ家として、街では有名な場所だ。


 赤レンガ倉庫から車が消えた数秒後、また1台、車が入ってくる。

 確実に、客の車ではなかった。


 青いラインの入った白い図体。赤色灯は切ってあるものの、重々しくいかめしいそいつは、聖トラファルガー医大付属学園のガーディアンが乗り回す、パトカー兼救急車 アイアンナース。


 店舗入り口向かいに停められた、黒のロールスロイス ファントムⅥ。その陰になるように縦列駐車すると、エンジンを切り沈黙。

 運転席ドアを開け、降りたその人は、入口へと歩みを進めていく。

 

 まるで、貴族の屋敷かと思わせる、赤と金の装飾が施された扉が開かれると――


 「お帰りなさいませ。ご主人様」


 ロングの茶髪を大きな白いリボンでポニーテールに縛った、ロングドレスのメイド。

 彼女がカウンター越しに、様々なボトルとジャズを背景に置いて出迎えてくれる。


 穏やかな笑みで来客を迎えたのは、「スイート・クロウ」の若き店長 エラリー。


 昼にはカフェのメイドとして、上質なコーヒーや紅茶を、夜にはバーテンダーとして、ウィスキーからカクテルまで、客の雰囲気や好みに合った酒を提供してくれる、このお店のメイド長さん。


 その笑顔の先には、ご主人様…ではなく、息を切らせたサンドラ。


 「みんな…は…」

 「別ルートで、箱庭に潜りましたよ」


 そう答えたのは、背後から近づいた、もう1人のメイド。


 銀髪ショートを振り上げた、つり目の彼女はコーデリア。副店長にして国際A級ライセンスドライバー。


 「ハフシも、さっき、そこの階段から」

 「そう…ですか…」


 ゼエゼエとサウンド付きで。


 「何か飲んで行かれますか?」

 エラリーが聞くと、サンドラは迷うことなく

 「カルピスミルク!」


 手を伸ばしたカウンターを華麗に流れてくるコリンズ・グラス。


 日本では国民飲料として御馴染みの乳酸菌飲料 カルピスを、カクテル用ミルクで割ったノンアルコールカクテル。


 ニューシネマよろしく、ブラインドネスでキャッチしたグラスに口をつけて、一気に喉を鳴らしで流し込むと、赤毛を揺らしながらワイルドに、腕で口についたミルクを拭うのだった。


 ◆

 

 「黙ってても始まらないわ。被害者の方から切り込んでいきましょうか」


 この、底に溜まった汚泥のように気だるい空気を変えるため、シレーナが手を叩いて切り込むと、メルビンがタブレットを手に開口一番。


 「兄妹についてですが、えー…えー…どれだ?」

 「落ち着きなさい。メルビン」


 おどおどと、タブレットをスライドさせる彼に、シレーナはゆっくりと声をかける。

 調査データが見つかったようで、メルビンはモニターを見ながら話す。


 「学校校長、及び担任からの話ですが、兄妹に家庭内暴力等の兆候は見られなかったし、校内でもいじめを始めとする暴力事案はなかったそうです。それどころか、兄の方は学級委員を務めるなど、クラスでも中心的な存在だったと証言しています」


 「学校の言う事は信用ならないわね」


 その言葉に、貴也は聞いた。


 「そうですか?」

 「当たり前でしょ?」


 吐き捨てるように、彼女は言った。そこには敵意が確かに内包されている。


 「教え子より、自分たちや雇用先の保身のために、事実を隠してねじ伏せる。皆そうよ…多分、記者会見や全校集会でも同じことを言うに違いないわ」

 「シレーナ…」

 もう見慣れた暗い目。

 彼は初めて、それを見て感じた。


 彼女の理論と言うか、感情というか、考えと言うやつは、どこをどう(たが)えて、こんなふうになってしまったのだろうか。

 彼女は一体、今までどんな人生を歩んできたのだろうか…と。


 「まっ、これは私の感情論よ。忘れて。時間も時間だし、現段階で全てを見渡そうだなんて不可能な話なのは分かってる。家庭内の線から、何かわかったことはある?」


 それには、ラオが答えた。


 「家族ですが、いわゆる華僑(かきょう)の系統を踏む一族で、兄弟の父親は九龍(クーロン)国際金融銀行本店に勤務」


 「確か経営者や株主といった、エコノミーな客を専門に扱う、特殊な銀行ですよね?」

 と貴也が口を挟む。


 実際は香港主体の外国資本だが、此の国では“一流”と呼ばれる企業の一つに数えられる。

 駅の無料求人誌に載っているような会社ではないのは、確かだ。


 「その通りだよ。母親は専業主婦で、家族関係も問題はなく良好だったと見られます。1か月前には新築のタワーマンションに引っ越したそうで…最近ゼアミ地区にできた、あの…」


 「ああ。SCR線ゼアミ駅前の、アレね」

 「その25階です」


 「マンションは37階建てだったわね…大手企業勤務の父に、新築ホヤホヤのタワーマンション、兄妹は私立の小学校に通っていたところも加えると、結構、裕福な家庭であったと見えるわね」


 すると、エルが目の色を変えた。


 「シレーナ。まさか、今回の事件も奴の犯行?」


 「さあ。被害者の家庭に、犯行手口と、類似する点は多いけど…もし、そうだとすると、これが初めての殺人になるわね」

 と、この二人の会話に、またもや貴也は置いてけぼりを食らっていた。


 今回も…というと、以前にもこういう事件はあったのだろうか。

 もしかしたら、新聞などに掲載されていたり、夕方のニュースでもトップで報じていたのかもしれない。


 しかし残念ながら、貴也は今まで、ニュースはスポーツと芸能しか興味を持っていなかった。近所で起きた殺人より、ワールドカップの試合結果の方が大事件。そんな男子だった。


 まあ、このお年頃らしいと言えばそれまでだが、後悔という文字が貴也の脳内に、聖痕のように浮かび上がろうとしているのは言うまでもなかろう。

 が――。




 ダアン!


 静寂を切り裂く大音響に、全員がそっちを向く。

 先ほど、ハフシが現れた扉に制服の少女。

 正体は茶封筒を脇にかかえたサンドラ。彼女は肩で息を切っていた。


 「どうした、サンドラ?」


 ハフシの問いに、息を整えながらも、興奮した大声でサンドラは答える。

 さっきのクールダウンは、どこへ行ったのやら。


 「大変、大変! 大変なんッスよ! 大変なことになってきちゃったんッスよ!」


 脈絡が見えない。


 どうやら、店からここまで、大急ぎで来たのだろう。まだ混乱しているようだ。


 「落ち着きなさい」

 シレーナが彼女の前に立つ。

 「何があったの?」

 そうして、サンドラは口を開いた。


 「グランツ第四公園の嬰児遺棄事件。もしかしたら、Mの管轄になるかもッス」


 その言葉に、その場にいた誰しもがサンドラの方を向いた。


 「どういうこと?」


 「これを…」

 そう言って、彼女は初めて手にしていた茶封筒を差し出した。

 ハフシが受け取り、その中身を見る。


 中には紙が一枚。

 書かれた内容を目で追った途端、彼女の表情が険しくなった。


 「こんな…こんなことって…」


 次いで、その用紙をシレーナに。

 彼女もまた、ハフシの言葉を理解し、顔をゆがませる。


 「確かに…そういうことね」

 「流石のボクでも、こんな症例、本以外で初めて見ましたよ」


 そして、用紙はシレーナから貴也へ。

 瞬間、誰しもが彼の手元に食らいついた。


 彼女たちが回していた物。それは嬰児の死体検案書だった。


 死因特定に重しを置く司法解剖と並行して、病理解剖も実施したのだ。最も身元不明の嬰児であるため、強引だがハフシが聖トラファルガー医大に掛け合って、司法解剖に批准される強制解剖を適応。その結果が、あの用紙。

 左側の「死亡診断書」に二重線を引いた死体検案書を上からゆっくりと見ていく。


 「えーと…氏名なし。性別男。生年月日 2017年4月16日。死亡したとき 2017年4月16日午後3時00分…」


 「重要なのは、その下よ」


 「え? 直接死因 窒息死…」


 シレーナはため息を吐いて


 「備考欄。見てみなさいな」


 そう言われ、貴也は読み上げた。



 「備考、常染色体劣性病(じょうせんしょくたいれっせいびょう)の可能性…なんだよ、それ」



 首を傾げる貴也たちに、ハフシは口を開いた。


 「遺伝子の異常によって発症する遺伝子疾患の一つだよ。通常、遺伝子ってのは細胞が分裂するときに、内包されている情報を丸ごと複製するんだけど、ごくたまに、それが失敗することがあるんだ。そうなると、失敗した遺伝子には異常情報が新しく刻まれ、それを内包した遺伝子が分裂する…つまり、親から子へと受け継がれる。これが遺伝病の大まかなメカニズム」


 「っていうと、アレか? 印刷ミスったプリントを、延々コピーしていくような感じか?」とエル


 「まあ、それくらいの感覚で間違いないかな…そんな遺伝病の中でも、常染色体劣性病ってのは、とても珍しい症例なんだよ」


 「それが、この嬰児には見られた、という事ですよね? それが何か問題が?」


 貴也が聞くと


 「そうだねぇ…常染色体劣性病の原因遺伝子を持つ人の割合は、数十人から数百人に1人と言われているし、遺伝子疾患と言っても、トリソミーのように、すぐに生命にかかわるかと言われれば、首を縦に振ることが難しい答えになってくる」


 「それじゃあ、この子は偶然にも、この病気を発症した――」


 メルビンが話しかけた途端、ハフシは右手と鋭い視線を彼らに向けた。


 「でも、この病気に関して、避けて通れない可能性が1つだけあるんだ」


 「可能性?」


 「さっきも言ったように、原因遺伝子を持つ人の割合は、数十人から数百人に1人。つまり、原因遺伝子を有している人が、有していない人と子供を作ったとしても、その子供が原因遺伝子を受け継ぎ発症する可能性はあるって訳。

  でも、それが同じ原因遺伝子を有している者同士なら、発症リスクは格段に増す。今まで人生と言う道路で交わったことのない2人の他者が、同じ原因遺伝子を有しているなんてことは、“実は生き別れた兄妹でした”ぐらいの、悪魔のイタズラが起きない限りありえない。だとすれば…」


 その段階で、地井は、ラオは、ハフシが喉まで出かかっている、最悪の答えを導き出してしまったのだ。


 考えたくもない、ただ1つの可能性。


 「おい…それって…」

 ラオの声に頷き。 

 その答えが決壊する!



 「この嬰児は、同じ原因遺伝子を有する近親者同士から生まれた可能性があるってこと。それはつまり…児童虐待の可能性を示唆する!」



 瞬間、貴也はあまりの衝撃に口を押え、再び死体検案書に目を落とした。

 この子が…。


 「単純に計算すると、血族同士から常染色体劣性病の子が生まれる確率は、他者同士と比べて約6.3~7.5倍という高い確立だよ。ここが、中世ならば、稀によくあることって片付けられるけど、近代文明と道徳倫理が機能する此の国なら、犯罪の臭いが立ち込める」


 「待ってくれ! だとすると――」


 「そうだよ。タカヤ君」

 ハフシは、眼帯の奥にある黒さを隠しながら、彼を見た。



 「この子は、児童虐待によって産み落とされた命かもしれないってこと。それも、1回じゃない。何度も何度も体を汚されて…今まで妊娠しなかったのが、奇跡なのか悪夢なのか…」



 「だからサンドラは言ったのか。これが、M班の管轄になるかもしれないって」


 「そうです」とサンドラが言って、続ける。


 「公園の防犯カメラの映像から、女性は10代後半から20代前半ぐらい、と見ています。ならば、大学生以下の生徒、学生が関わる犯罪はガーディアンの管轄になる。それも、重度の児童虐待となれば警察と教科省は、M班の出動を要請してくる」

 

 それを聞いて、ハフシはシレーナの耳元に近づく。


 「どうしましょうか? 先輩」

 「そうね。確かに私たちM班の領域になりそうだけど、今のところ、どこからも捜査しろって打診は受けていない。ならば、無理して二兎を追う理由はない。私もあなたも」


 すると、シレーナは全員の方を向いた。


 「今日はもう遅いし、ここで解散としましょう。

  で、明日からなんだけど、ハフシとサンドラは、嬰児遺棄事件を捜査して。ただし、これはM班としてではなく、正規のトラファルガー付属の立ち位置になるけど」


 「わかりました」

 「了解ッス!」


 「残る面子は、この殺人事件を追いましょう。今のところ頼りなのは防犯カメラ映像の解析と、付属学園への聞き込み。加えて、例の事件との関連性の調査。ここに重点を置いて捜査といきましょう。

  ラオとメルビンは引き続き分署と協力して捜査を。エルは自動車事故と、現場周辺で聞こえたバイクの音の線から現場捜査を。私は放課後、貴也と学園への聴取に向かうわ」


 「新入りを引きつれて大丈夫か?」

 エルが苦言を呈するが。

 「新人研修よ。これも、いい薬ってことよ」


 そして地井が、通常モードの口調で聞く。


 「シレーナちゃん、ちいは何をすればいいかなぁ? といっても、明日はアレだから…」

 「そうね。この事件の犯人のプロファイリング、それと、アイツと一緒に一連の暴行事件を整理してくれないかな?」

 「りょうかぁーい」


 「明日の段取りは分かったわね? じゃあ、解散!」


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