7 「ミスター・デボネア」
駅の外に張られた非常線が解かれ、乗客が改札になだれ込んでいた。
時刻は間もなく8時。もうラッシュ時刻に突入なのである。
3人は人ごみをかき分け、改札傍の駅長室に。
応接用のソファでふんぞり返っている男は、どう見ても駅長ではない。駅長本人は事務用の机で電話応対に追われている。
「ですから、まだ先頭車の検証が……それに線路には大量の血痕が残っているんです。全ての片づけが終わらない状態で、乗客をホームに入れても―――」
「その話はいいから、早くグモった電車をどかせよ。マグロだかシラコだか知らないけどさ、とっとと全部回収してさぁ。馬鹿な女が1人死んだ。どこにでもある事故じゃないか」
その言葉に、先ほどの興奮冷め止まぬ彼が、ピクリと反応した。
「どこにでもあるとはなんだ!」
短期噴火。造語でもいいから表せと言われれば、この言葉が今の貴也にしっくりくる。
音に反応したゾンビのように、2人はこっちへゆっくりと首を向けた。
「チッ! 余計なことを」
小さく舌打ちしたシレーナにとっても、時すでに遅し。
「何だ、お前は」
男は立ちもせず、こっちをふんぞり返りながらにらんだ。
貴也は生徒手帳を開いて見せた。
「佐保川貴也、ガーディアンです。駅の封鎖を解こうとしていると聞きまし―――うわっ!」
ダーン!と何かが、彼の顔をめがけて飛んできた。
テーブルの上に置かれていた、ガラス製の灰皿だと認識できたのは、咄嗟に避けたそれが、壁に当たって盛大な音を立てながら、床に落下してからだった。
「るっせーなぁ! ガキの分際で、えらっそうな口挟むんじゃねーよ! このタァコ!」
怒号が部屋中に響く。
勢いに貴也の体がすくむ。
「君の辞書に“抑える”って単語はないのか?」
小声でシレーナが話しかける。
それに彼も小声で対応。
「あの男、誰です」
「それを知らずに、喧嘩を吹っかけたのか」
「まさか、さっき言ってた分署の?」
「そう。クラレンス・ディーゴ。67分署捜査一課警部」
すると、クラレンスは2人の姿を見て言う。
「その制服、十文字か。これだから……教育省も何を考えているんだか。こんなアホバカ学校の生徒がガーディアンだなんて。警官の弾除けならまだしも、捜査って」
吐き捨て鼻で笑うと、続ける。
「おい、お前。ナントカガワ…ああ、名乗らんでいい。覚える気はないから。私の出身校を知っているか? ん?」
「さ、さあ・・・」
貴也が首を傾げると、嬉しそうな表情で、自分を指さした。
「TG学園だよ。TG学園。かの67代総理大臣 呉宮鯉之助を排出した由緒ある名門校だ。分かるか?こういう立派な頭のいい連中が通う学校のガーディアンにこそ、捜査権が与えられるんだ。お前らみたいなアホバカクソ学校の“ごっこ遊び”とは訳が違うんだ。
お前ら、学校行ったらな、警護職に転属願い出せ。頭が空っぽの奴は、未来が明るいエリートの弾除けになるのが一番だからな」
「何だと!」
「黙れ、弾除け」
聞いているだけで反吐が出る、警部の演説。
とっさに体が前へ出たが、シレーナが肩を押さえて制止させた。
「こらえて」
貴也は小声で、シレーナに言い返す。
「どうして反論しない」
「こんなガッチガチの学歴コンプレックスに何言っても、無駄よ。こんな奴に対抗できるのは―――」
背後、ドアが開いた。
「そんなくだらん与太話は、タイムカプセルにでも入れておいたらどうかね」
クラレンスが声の方を向くと。30代くらいの背の高い男が立っていた。
「確かにTG学園は名門校かもしれませんよ。でも、こう言っては申し訳ないが、呉宮総理以外、国を代表するような著名人を輩出してはいないではありませんか。聞く話では、最近では謳歌を極めた頃の影は、最早薄れてきているようですし。
なにより、TGはグランツではなく、西の桜綿杜シティの学校。この学生と教育のメッカたる学園都市で、その名前を大っぴらに出されても…」
男の言葉に、クラレンスはため息をついた。ふんぞり返ったままで。
「また馬鹿が増えたのか。どこの学校だ?」
「いえ。私はれっきとした警察官ですよ」
「ウソつけ。お前のようないけ好かない若造など、分署で見たことがないわ」
男は終始落ち着いた声で話す。
「そうですか。私は、あなたを何度かお見かけしたのですがね。公の席で」
「はあ?」
「申し遅れました」
そう言って背広から黒皮の手帳を取り出す。縦折りの本家警察手帳。
「私、グランツシティ警察中央庁広域捜査課のゴードン・イナミと言うものです」
手帳を見た瞬間、彼の顔色が変わった。高揚ではない蒼白だ。
「警視正……まさか“ミスター・デボネア”!」
「はい、皆さんそう呼ばれますね。思い出されました?」
微笑みを変えないイナミに、クラレンスは立ち上がって敬礼。
「し、失礼しました。警視正殿に、大変失礼な振る舞いをしてしまい、申し訳ございません!」
まるで昔のブリキのロボットだ。背筋を極限までピンと張り、敬礼の手の角度すらマニュアルそのもの。
「駅の封鎖解除は、だれが命じたのかね」
「吾輩であります!」
さっきの威勢はどこいった?
シレーナと貴也は、同時に思った。
だが、そのすぐ後、貴也は気づいたのだ。
クラレンスを黙らせる方法、それは彼より学歴や地位が上の人間が説得する以外にない。
まさか、シレーナはこれを待っていたのか?
驚きに彼はシレーナを見た。クールなメガネっ子は、前を見据えたまま微動だにしない。
「当該車両の撤去だけでなく、事故か事件かの判断が現段階でできてないにもかかわらず、そのような命令を出したのは何故だね」
「はい。事故発生から一時間以上が経過。すでにラッシュ時間となっている上、この鉄道路線はグランツシティ中央部へ向かう代替輸送が、衣川以北にはバス路線数本しかなく運転再開が急務であること、また現状を調査した結果、事件性が見られず当事案を飛込みによる自殺と結論付けたためであります」
すると、イナミは部屋にいた、もう一人の男に聞く。
彼と同じくらいの歳だろうか。
とすると、30代前後。
「あなたは?」
「はい。鉄道公安隊のナギ警部補です」
「本当に事件性はないのかね?」
「今のところ、誰かに押されたといった証言は得られていません。当該電車は東ドーラに8時15分に到着するビジネス車両。ちょうどホームは通勤客でごった返し、女生徒が飛び込むところを見た人物は大勢いるのですが、誰かが背後から突き飛ばしたといった証言は得られていません」
「そうか……クラレンス警部。ここにいる佐保川貴也氏の証言は、聞いたかね?」
「はい。しっかりと」
「嘘だ!」
咄嗟に貴也は叫んだ。
某ジャパニーズ・アニメのヒロインさながらに。
「確かにこれは事件だとは言った。だけど、このシレーナさんが聞きに来るまで、誰も来なかったじゃないか」
クラレンスは身振り手振りで説明する
「な、何かの間違いでしょう。これは自殺ですよ。絶対に」
「じゃあ、彼にかかってきた電話はなんだったんだね?」とイナミ
「きっと、追い詰められていたんです。ガーディアンとしての重圧か、学内でのトラブル・・・あの年頃の少女は何かと闇を抱えているものです」
その時
「遺書は?」
「え?」
シレーナの言葉に、拍子抜けした声をクラレンスは出してしまった。
「警察は、通学カバンを回収したのよね? その中に、遺書の類はあったのかって聞いてるのです。便箋でなくてもノートや教科書、携帯のメモ機能にだって、何らかのメッセージを残す可能性はあります。それらをちゃんと調べましたか?」
「いや。これから」
「となると、自宅の捜索もまだってことですよね。だったら、この飛込みを自殺と断定するのは時期尚早ではありませんか?」
イナミが聞く。
「その根拠は?」
「確かに貴也君にかかってきた電話は、彼女の心のSOSであったというクラレンスの推理は否定できません。仕事上の相棒であり恋人同士、腹を割ってなんでも話せる中といっても、やっぱり秘密や不安の1つや2つを抱えているもの。それを話せないから、貴也君に事件だと言って、何か裏があるような言葉を残して自ら命を絶った」
「そんな・・・」
「でも、この推理を確実にするには遺書が必要です。所詮言葉は言葉、死人に口なし。自分に何があったか、どうして死ななければいけなかったか。それを説明するためには何らかの形で物証を残さなければ、その言葉と行動は、発言者の死後、全く意味をなさない。その物証こそ文字であり、遺書である。
回収された持ち物から、それらしきものを発見する。もしくは、あなたが事故の一報を聞き、彼女の自宅に飛んで、そこで遺書を見つけて初めて、衣川駅で起きた事故は自殺であると確定できる。
その遺書が現段階で発見できていない以上、この事故を自殺と断定することはできない。第一に彼女の最後の声を聴いた張本人から、まだ何も聞いていないんですから。
まあ、事故現場を早急に片づけるという部分に関しては、とやかく言う立場じゃないのは分かっています。鉄道会社に損失が出ない程度にじっくりサッサとする必要があるでしょう。ですが、全ての準備が整っていない状態で、大勢の乗客をホームにあげては二次被害が起きかねません。
ここは鉄道会社と話し合い、乗客の混乱を招かぬよう、運転再開の慎重に行うべきだと思います。
これでどうですか? クラレンス警部」
「言われなくてもわかってる」とクラレンス。
するとナギは言う。
「では我々鉄道公安隊が、鉄道会社との調整と、事件性がないかどうかの捜査を行いましょう。駅で起きた事件は、こちらの管轄になりますから」
「そうですな」
イナミが了承した瞬間
「待ってください。捜査には異論はありませんが、女生徒の方の調べはガーディアンが行ってもよろしいでしょうか?」
シレーナの提案。
するとナギが怪訝そうな顔をした。
「我々の捜査に不満でも?」
「いえ。不満はありません。ですが、学生が死んだとなると、これはガーディアンの管轄でもあります。仮に自殺である場合、警察を介するより早く、即時に原因調査へと取り掛かることができます。早く事件か自殺かをはっきりしたい警察としては、メリットがあるとは思いますが、いかがですか?」
それを聞くと、ナギはしばらく堅い顔のまま考え、そして
「分かった。女生徒の方は任せよう。ただし、それ以外の捜査はこちらでさせてもらうよ」
「はい。結構です。貴也君も、これで納得してくれる?」
彼はしばらく黙った後
「分かったよ」
そう答えた。
瞬間、クラレンスは黙って立ち上がると、シレーナの肩を軽く小突いて外へと出ていった。
「何だよ、あいつ」
「事件を荒らされたのが我慢できなかったんでしょ。所轄の意地って言ったところかしらね」
クラレンスと入れ替わりに、鉄道公安隊の捜査官が入ってきた。
「ナギ先輩、全ての現場検証が終了しました」
「おう、そうか」
ナギは穏やかな口調で言った。
「さて、シレーナ君だったね。鉄道会社の方に、電車の移動を許可してよろしいかな?」
「ええ」
「すんませんな。分署の警部が、あんなことを」
シレーナは微笑みながら続けた。
「いえ、“慣れてます”から」
「ほう。こりゃあ芯の強い女の子だ。いい刑事になれるぞ。それに、その顔に体・・・なかなかのベッピンさんだ」
彼は目線を下に下に、彼女を嘗め回すように見つめる。そんなシレーナは微笑みながら
「恐縮です。では、我々は仕事に取り掛かります」
「分かった。何かわかったら連絡をくれ」
「はい、失礼します」
シレーナは貴也、そしてイナミ警視正と共に駅長室を出た。
瞬間、ロボットのように笑みが消え、貴也の方を向いた。
「これで捜査権の大体は確保できたわね。さて、聞かせてもらおうかしら?あなたが聞いた、最後の声ってやつを」




