12 「OCP―旧犯罪心理学」
PTAや地域担当ガーディアンが走り回り、午後8時前に犠牲となった男子生徒の身元が判明した。
グランツ短期大学付属学園小学部5年の、ジャック・リー。下校後、友人と遊んだあとから行方不明になっていたとのことだった。
一方、交通事故現場で見つかったのは、同小学部1年のカロン・リー。ジャックの妹である。
――先程、家族が来て本人確認が取れました…母親は悲鳴にもならない声を上げて…やりきれないですよ。
走行するケンメリGTR。そこでシレーナと貴也は、ゼアミ分署でのラオの報告を受けていた。
「そう…兎に角、一旦“スイート・クロウ”に集まって頂戴。私と地井も向かってるから」
――了解。エルの方はどうです?
「とりあえず、釈放されたわ。もう、着いてると思うけど」
――わかりました。
通信を終え、車は環状道から国道23号線に入り南下。
「シレーナ、1ついいか?」
「なに?」
貴也が聞く。
「どうしてスイート・クロウなんだ。アソコはメイドカフェで――」
「そうか、まだ話してなかったわね。あの店が、私たちの捜査本部なのよ」
言ってる意味が分からなかった。
まさか、特撮ヒーローものじゃあるまいし。
「まあ…行けばわかるわ」
「はあ」
生返事しかできないのが現状だ。
「ところで、チイちゃん、ついてきてる?」
シレーナにそう聞かれ、貴也はバックミラーを覗き込む。
移りこむヘッドライト。地井の愛車、白のスズキ ハスラー“サモエド”が同じ速度を維持して、ケンメリの後を走っていた。
「そのようだけど」
「見苦しいところ見せちゃったわね」
「いや、そんな…エミリアさん…でしたっけ? 地井ちゃんとなにか因縁でもあるんですか?」
すると、シレーナは言う。
「そうね。エミリア自体がM班を嫌ってるっていう、根本のところがあるけど、特に私とチイちゃんに対する風当たりは強いわね。私の場合はハンチョウだからって理由だけど、チイちゃんの場合はOCPが理由ね。
“一流が古い考えに縛られて、ちゃんとした仕事ができるわけがない。それが此の国で一番のサイコディテクティブなんて、詐欺師の所業”。それが、彼女の言い分よ」
「OCP…旧犯罪心理学、か」
OCP―正式には Old Criminal Psychology ― 日本語では「旧犯罪心理学」と呼称される。
そもそも心理学自体、19世紀にフェヒナーが心理物理学の確立を目指したところから始まった学問であり、そこから換算すれば、確立してから約百数余年という、比較的新しい学問なのである。医学や物理学、歴史学など既存の学問が応用分野を生み出し、分裂と改編、構成を繰り返したように、心理学もまた、その道を同じように歩んだ。
その顕著かつ最初の例が、応用心理学に数えられる分野の一つ、犯罪心理学であった。
21世紀に入り、複雑多様化する犯罪と混沌を極める犯罪者心理の追究に、既存の応用心理学が追いつかなくなってきた。そんな中、米国心理学会は、ある心理学者と研究機関の意見を汲み取り、犯罪心理学を大きく2つに分け、それぞれを異なった応用心理学として取り扱う事を、6年前の第35回国際心理学会議で提唱したのだ。
具体的には、「犯罪心理学」を「A種」と「B種」に分離。それぞれを異なる応用心理学の分野として研究し、以降2つの分野は交わらないものとする…というもの。
「A種」とは殺人、テロ、誘拐事件等「平常時の治安維持勢力を以てしても解決が困難且つ、犯行目的が既存の心理学理論によって説明不明であることが予測される犯罪事案」を扱う学問として定義され、人類が急務で研究すべき、犯罪心理学の本筋と位置付けられた。
「B種」とは非行、性犯罪、薬物犯罪等「平常時の治安維持勢力を以て解決が可能であり、犯行目的が既存の心理学理論によって説明可能である犯罪事案」を扱う学問として定義され、これらは犯罪心理学から除外、発達心理学の扱う専門域として位置付けられた。場合によっては文化人類学など、心理学とは異なる学問に併合されるケースもあった。
無論、反発がなかったと言えば嘘になる。各国の心理学会が異論を唱えた。しかし、提唱二か月後に発生した「サンフランシスコ・ピラミッドビル事件」において、FBIが「A種犯罪心理学」を犯罪解決に用いたことによって、その有望性が実証された。欧州各国を皮切りに韓国、ロシア、インドと各国心理学会が、米国の新理論を批准。現在では世界の心理学会の9割が、これを犯罪心理学の主流として研究を行っているのである。
結果、それまでの犯罪心理学及び理論は「旧犯罪心理学」と呼ばれることとなり、時代遅れの考え方となった。しかし、旧犯罪心理学を習得した人間は、複雑な2つの応用心理学を網羅する貴重な人材として、一部からは重宝される皮肉めいた結果を生んでいるのも、また事実である。
「まして、エミリアのいるアクタは国立。OCPを留意しつつも、新理論を提唱している此の国としては、OCPを肯定するような教育はしないでしょうしね」
「中立のようで偏ってる。難しい話だ」
貴也はため息を一つ、窓ガラスへと吐きかける。
そこで会話も途切れ、暫く彼は、ぼうっと外を流れる光の風景を見ていた。
街灯が頭上を走り、テールライトが尾を残す。夜の闇に所々、建物の明かりがともっている。
(地井春名。OCPで、サイコディテクティブかぁ…)
唐突に頭上を遮る黒い影。
市道15号との立体交差を抜ける。ここを通れば、スイートクロウまでそう時間はかからない。
沈黙がしばし流れる車内で、貴也の脳内を、ある疑問がふとよぎった。
…そう、地井はサイコディテクティブ―最高位の探偵資格を持つ少女なのだ。
「じゃあ、どうして地井ちゃんはOCPを学んだんだろう? 資格はA種とB種で、それぞれ免許も試験内容も異なっているハズなのに…それに、サイコディテクティブの受験資格は24歳以上のはずだ。最初に聞いた時には驚いたけど、冷静に考えてみれば、どうもおかしい」
「地井が“おかしい”なら、私やハフシはどうなるのよ」
独り言に近い、シレーナのツッコミ。
どうやら彼には届いていなかったようだ。
「なあ。地井ちゃんにも何か、秘密があるのか? 君やハフシと同じように」
そう聞かれ、シレーナは顔色を変えず、ただ前を見て話した。
運転中だから当たり前なのだろうが。
「そうね。しいて言うなら、彼女の左腕…かしら」
と、言われても――
「左腕? なんだいそりゃあ。サイコ・ガンでも入ってるのか?」
失笑する貴也に、彼女は冷淡だった。
「そのうち分かるわよ。仲間の事情をいちいち説明する程、私も悪趣味な人間じゃないからね」
「もう十分、悪趣味街道突っ走ってるよ。いろんな意味で」
「そろそろスイートクロウね。頭を切り替えなさい。これから忙しくなるから」
彼の言葉をスルーして、シレーナは車を減速させた。
住宅やビルが並んでいた沿道は、倉庫や工場など港湾部や運河沿い特有の風景に変化を始め、道を走る車もトラックやバンが多くなってきた。
ケンメリGTRは交差点を左折。一車線の道路を運河へ向けて走り去るのだった。




