11 「病室にて」
PM7:36
ダーダネスト・バローダ区
ラルーク総合病院
ゼアミ地区の東側に隣接するダーダネスト・バローダ地区。前回の「リッカー53事件」でも、被害者が搬送された病院。そこで、笑顔を取り戻した1人の少女が、白衣を身にまとった制服姿の女子校生の前に立っていた。
白衣の天使の名は、地井春名。フリースクールに通う女子校生でありながら、心理カウンセラーと探偵を兼業するというスーパーガール。
そう、彼女の前にいる少女こそ、前回の話で登場した事件の被害者。
首都オパルスの学校に転校するとのことで、地井との最後のカウンセリングに来ていたのだ。
「オパルスの担当医とは、連絡が付きましたぁ。朗らかな女性の先生だから、心配しなくて大丈夫だよぉ」
「はい。先生、本当にありがとうございました!」
「うん。牧野さんも、お大事にね」
深く頭を下げる牧野麗子。
母親と共に病院を去る彼女を見送りながら、地井は彼女の回復は、そう長く、先の話ではないだろうと感じていた。
だが、今日の仕事はこれまで…ではない。
「さて…と」
ほう、と息を吐いて地井は踵を返す。
病院のロビーを抜けてエレベーターに乗り込み、3階で降りる。
個室病棟の扉を開けると、起き上がって、両手で頭を抱えた貴也がベッドの上にいた。
過呼吸を引き起こした彼もまた、この病院に担ぎ込まれていたのだった。
「気分はどうですか?」
「あっ…」
彼女の姿を見た貴也は、咄嗟に手を降ろした。
「ええ。大丈夫ですよ…もう、気分もよくなりましたし…」
「無理はしなくていいのよ。私はシレーナちゃんみたいに厳しくはないから。グサグサといろんなことを言ってるけど、根はいい子なんだからね」
「そう…ですか…」
言葉を一旦止めると、彼は続ける。
「俺、どうなるんでしょうか」
「ん?」
「初任務で、こんなドジやって…その上、女の子を轢き殺しちゃって…ほんっと、馬鹿ですよ」
ハハハと声を軽く上げる貴也だったが、その眼からは今にも水滴が溢れだしそうな勢いであった。
「ごめんなさい。こんなこと言って」
「ううん。謝ることじゃないよ。誰だって、死に直面する場面に遭遇したら、体も心も言う事を聞かなくなるから。私も…あの時は…」
心の内にある何かを隠すように、そっと首を垂れた。
「地井…さん…?」
「だから、貴也クンの心の中、全部私にぶつけて。それが、私の仕事だから…ね?」
一瞬見せた悲壮な表情を隠すかのように、彼女はウィンクを飛ばした。なんでも包んでしまいそうな柔らかい微笑みと共に。
◆
PM8:04
既に時計の針が8時を過ぎた頃、病室の扉が開かれた。
現れたのは、シレーナ…ではなく、アクタ本校のエミリア。
入ってくるなり、地井と世間話をしていた貴也へと眼をやった。
まるで蛇に睨まれたカエルの如く、本能的に彼の身体が固まった。
それは地井も同じで、眉をひそめた地井の姿を、貴也は初めて見た。
「シレーナは? まだ来てないの?」
「ええ。そうですけど?」
「ふふん」
「何か、ご用でしょうか?」
地井が聞くと、高飛車な勢いでエミリアは言った。
「命拾いしたわね…名前、何て言ったっけ?」
「佐保川貴也」
「タカヤね…あの事故、貴方たちが起こしたもんじゃない可能性が濃くなったから、そのことを伝えに来たの。それだけよ」
彼には、言ってる意味が解らなかった。
あの事故が、自分たちが犯人を追いこんだが故に起きたものではない…ということか。
「わざわざ、知らせに来てくれたの?」
また扉の方から声がしてきた。
それは、聞きなれた女の声。
「シレーナ」
貴也の声で、エミリアが振り返ると、亜麻色の髪を揺らしながらシレーナが部屋へと入ってきた。
「車両無線で聞いたから、寄ってみただけよ。どうせ、新入りの看病でもしてると思ったものだから」
「それは、御足労だったわね。そもそも、この情報の発信源は私よ? これ以上何をもたらすって言うのかしら?」
「吹くじゃない。1人じゃあ、なあんにもできない甘ちゃんじゃない。その情報とやらだって、どうせ眼帯少女から聞いたんでしょ?」
「その言葉、そっくりそのまま、あなたに返すわ」
殺伐とした言葉の応報。互いに逸らさない蒼い視線。
アニメ的火花さえ想像を許さない、一触即発なキャットファイトを、貴也は傍観するしかできなかった。
「まあいいわ」
エミリアはフッとあざけ笑い、両手を挙げた。
「これ以上いれば、私が茶番劇団の一員に見られちゃうから、ここらへんでおいとまさせていただくわ」
「茶番?」
その言葉に反応したのは、地井。
「そう。特に…貴方よ、地井」
「!!」
「OCPなんて信奉してる馬鹿、今時世界中を探しても、貴女しかいないわ。そんな貴方がサイコディテクティブとはね…未だに信じられないわ。狂犬病にでもかかって妄想でも吐いてるのかしら?」
刹那!
「今、何て言った? …ねえ…もう一度言ってみなさいよっ!」
怒号を発しながら、鬼の形相でエミリアに近づく地井。咄嗟にシレーナが彼女の肩を押さえ制止するが、今にも掴み掛りそうな勢い。あの、おっとりとした日常の彼女からは、想像だに出来ない怒り。
「ふふん。ここの茶番劇団は、いつ来ても飽きないわね。
私は帰るわ。分かってると思いますがシレーナ、殺人の担当は貴女で、事故の担当は私――」
「ええ。あなたの事故の担当も私たちになった。だから、アクタはこの時点で捜査から外れる。そうでしょ?
用件が済んだなら、早く帰って寝たら? 優等生が居眠りじゃあ、みっともないわよ」
シレーナの言葉に反応することなく、その女生徒は病院の無機質な廊下に広がる闇に消えていった。
まるで目覚めの悪い夢のように。
「チイちゃん。落ち着いて」
シレーナはしばらく、彼女の肩を持ち落ち着かせていたが、暫くすると彼女の前を離れ壁にもたれかかった。
右手で、義手の左腕を抱えながら。
「はあ…っ」
軽く深呼吸。
「止めてくれて、ありがとうね。シレーナ…しかし、毎度毎度懲りないわね」
「え? 今日が初めてじゃないの?」
貴也が驚くのも無理はない。
「ええ」とシレーナが答えた。
「まあ、地井がここまでキレたのは初めてだけどね…まあ、ストレスでも溜まってるんでしょう。アクタだったら、“両刀使い”でしょうし」
両刀使い――実は最近のガーディアンは業務内容から、大きく分けて2種類、ないしは3種類いるといわれている。少年犯罪やいじめなどの学校内外で起きる大規模事案を専門に引き受ける、警察に近い者、学校内のイタズラや喫煙といった非行を規模の大小関係なく注意する、生徒会に生徒指導機能を付け足したような者、または、その両方を担当する者…この三種類であり、アクタは全ての学校で、この3つ目を行使している。
ガーディアンが警察よりも信頼されるようになるより前―まだガーディアンが、本来持つ機能と権利を行使していた時代―生徒指導減少による学級崩壊増加対策、そして保護者からの苦情に対するスケープゴートにするため、ある私立学校の独断で、ガーディアンに生徒指導機能を付け加えたことがキッカケとなったのだ。
これが、ある一定の成果を上げたことにより、教育現場の声もヒートアップ。教科省も目を背けることができない現実となり、今から3年前に「暴力以外の全校内事案介入を規定した生徒指導機能を補足するガーディアン改正法案」が衆参両院の賛成によって可決、施行された。ガーディアン発足後初めての改正法案であった。
しかし、これがガーディアンの負担増加、教室内におけるパワーバランスの崩壊、職員室の事務化という副産物を至る所で生み出したが、元々は「指タッチ」すら体罰となる教育現場の風土や、モンスターペアレントによる学校の保護者第一主義といった「教師」側の問題を、本来学び従わせる側の「生徒」へと“談合的”に“丸投げ”した形で成立した新規ルール。
この“丸投げ”を一線で動く“学生捜査官たち”は忠実に順守、執行しているのだ。
「そうねぇ…こういう時に思うわ。学校辞めて正解だったって。通信制なら、教室皆家族って環境とは無関係だからね」
「それは私も同じよ。さあて、タカヤが置いてけぼりを食らってるから、事件の話に戻りますか」
シレーナはそう言って、ハンガーに架けられたブレザーをベッドに放り投げた。
「寝てる場合じゃないわよ新人。ほら、起きて」
「おっ、おう…いい加減説明してくれないか? 何がどうなってるんだ?」
掛布団を蹴り上げ、ブレザーを羽織りながら貴也が聞くと、背を向けてシレーナは言い放った。
「倉庫で惨殺された男子中学生と、事故現場の少女の身元照会が終わったわ。兄妹だったのよ…あの2人」
「なんだって!?」




