9 「英国淑女のぼやき」
PM7:21
ゼアミ区
コンビニエンスストア「トンキイマート クロガネ5丁目店」駐車場
住宅街を突っ切る細い市道沿いにあるコンビニ。その駐車場にアクタ本校ガーディアンのBMW X6が停まっていた。
周囲に街灯は無く、仄かに漏れる住宅の照明だけが光る中、 店の過剰とも取れる電球は、そこから離れた大型車用駐車スペースにいるX6の車内すら照らしだしていた。
「ったく、よお…なんなんだ、あの女よォ!」
助手席で悪態つくライリー。頬張ったサンドイッチを音を立てて噛みしめる。
予備校に行く前の腹ごしらえだそうだが、これではお腹にたまるのは怨恨ぐらいだろう。
「落ち着いて食べなさいよ。クチャクチャ、貧乏人みたいな食べ方の人、私嫌いなの知ってるでしょ?」
エミリアが顔をしかめても
「分かってるが…ああ、いらつくっ! 何が“顔を隠せ”だ! 人の情報を盗みやがって!」
「仕方ないわ。あの女は、そうやって生きてきたんだから」
その口ぶりに食べる手が止まるも、彼女は何の反応も見せず、ドリップコーヒーをすすっていた。
ミルクなし、砂糖を少し多めにしたコーヒーは、エミリアの至福を演出するかけがえのないものだ。最も、英国淑女の風上にも置けない奴と言われれば、それまでなのだが。
「エミリア。お前、あの女嫌いなんだろ? それなのに詳しく知ってるようじゃないか」
「嫌いよ。でも、彼女を出し抜くには、常に相手の情報を握っておく必要がある。違わない?」
「その通りだ。で、ソースは?」
「いつものお父様。使い方次第で敵を作るし、強力な武器になる諸刃の剣」
だが、彼女の武器には弱点が。
「ん? お前の親父さん、警察にコネは無かったハズだろ? 警察庁どころか、所轄署にも。そもそも、君がガーディアンに入った理由も――」
「警察にコネを作りたいお父様のため。ガーディアンを経験した生徒の半数以上が、大学進学の有無に関係なく、警察の職に就いている。私が警察のトップに座れば、お父様は…いえ、ビール家は此の国の国家機関全てに枝をつけられる。
でも、警察はあくまで“庁”よ。下っ端でしかない。それは、警察基本として研修で学んだはずよね?」
「まさか…その上!」
「ご名答」
「しかし、だとすれば……いや、それだと矛盾する…」
単純な回答が、ライリーの脳内を混乱させてしまった。
警察庁の長―つまり警察を監視、機能させている中央省庁。それは内務省である。スクールガーディアンも、教科省と警察庁の合同管轄だが、この2つの機関と内務省の間には、政治的意図の介入防止や、法的審査のための小さな行政委員会がいくつかあるが、ここら辺はまどろっこしいし、説明文だらけの小説もなにかと読みにくいであろうから省略。
「どうして内務省が、一生徒の個人情報を持っているんだ? スクールガーディアンは、あくまで教科省の管轄で、2つの行政委員会が干渉しているだけだろ? 職権乱用じゃないか」
「それだけの女ってことよ。あのシレーナ・コルデーって娘は…M班だって、アナスタシアが、シレーナと一緒に超法規的措置を講じて作った広域警察よ。外事や特殊班を経験した、元キャリア組の彼女がね」
「超法規的措置? キャリアが自分の人生を棒に振ってまで、尽くすほどの少女…さっきの口読術といい、何者なんだ? アイツは!」
「さあね。私の知り得る情報は、政府の知る全ての情報の一つまみにも満たないわ。残念だけどね」
ライリーは「ふーん」と相槌を打ち、食べ終えたサンドイッチの包みをビニル袋に入れた。
「彼女の全てを知るには、方法が2つ」
コーヒーを一口、エミリアは更に続けた。
「2つ?」
「1つは、途方もない時間をかけて地道に外側を固めていく」
「まあ、俺たちや警察がよくやる話だわな。で、もう1つは?」
そう聞くと、彼女はコーヒーの入ったカップをセンターコンソールに置いて言った。
「中央省庁及び、内閣総理大臣を標的とした重大事件を引き起こす」
車の中が一気に静まった。
「おいおい、冗談きついぜ」
「どうでしょう? 彼女の秘密は、例え此の国の人間を皆殺しにしてでも守りたい代物。なら、その中身を知る術は1つ。自分の手の中で命を躍らせている輩の首に、ナイフを突きつければいい。国を回す人間は、どいつもこいつもロクな奴がいやしないわ。自分の老い先短い人生欲しさに、簡単に差し出すでしょうね」
「差し出すって…」
「政府最重要極秘文書 管理番号666。通称“ネクロノミコン”」
最早、ライリーの頭は置いてけぼり。でも、その張り詰めた空気は確かに感じていた。
その眼は光を帯びていなかったのだから。
「エミリア、お前…」
「…なーんてね」
目を閉じると、あっけらかんとした声で元に戻った。
あれは、一体…。
「冗談よ。冗談」
「ならいいけどさ…1ついいか? ネクロノミコンって一体何が書かれているんだ?」
「さあね。私が言うのも矛盾してるけど、これ以上の詮索はおよしなさい。命が惜しいのならね」
すると、ライリーはフッと笑った。
「何だよそれ」
その時
『!!』
突然、クラクションが鳴り、2人の神経がハッと反り起こされた。
音の方を見ると、ワゴン車が、一台の小型車を避けるようにコンビニを後にした。
どうやら、クラクションの主はワゴンのようだ。
一方、アクセルを踏んだ小型車は店舗前の駐車スペースへ。
「何を慌てているのやら」
ライリーが呟いたように、小型車は僅かな区間を急加速で突っ込んできたのだ。
紺色のダットサン ブルーバード410。小さなセダンタイプの乗用車である。
運転席から降りてきた男には、明らかに幼さが残っていた。
「エミリア」
「もしかしたら、中学生かも…そうだったら、無免許運転ね」
「でも、外れてたらどうします?」
彼が心配するのも無理はない。
此の国では15歳から運転資格が生まれる。つまり、中学3年生にも運転資格が生まれる者がいるからである。それでも、原則的に中学卒業まで自動車運転は禁止であるが。
「それを調べるのが、私たちの通常業務。あの子が店から出てきたら、仕掛けるわよ」
「了解…あーあ、今日の予備校、遅刻かなぁ」
エミリアは車のエンジンをかけ、ブルーバードの近くにゆっくりと進んでいく。
そうしている間に、男が店から出てきた。照明で分からなかったが、来ているのは学校指定のジャージに見えた。
「よし、行って!」
彼女の合図でライリーが車を飛び出し、声をかける。
「ちょっとすみません。ガーディアンなんですけけど――」
途端に、男が顔色を変えて車のドアを開けた。
「ちょっと!」
エンジンをかけ、テールライトが点灯。
「停まれ!」
咄嗟に叫ぶライリーだが。
跳ね飛ばす勢いで強引にバック!
闇夜に消える姿を見ると、ライリーも車に飛び乗った。
「やってくれ!」
「オッケー。行くわよ」
手練れた速さで、シングルランプを屋根に載せ、サイレンを鳴らしながら、夜の住宅街に消えた青い鳥をX6は追いかけ始めた。
ハンドルを握るエミリアの横で、ライリーは無線を掴む。
「アクタ1より本校。職質かけようとした車両が、制止を振り切り逃走。至急、周辺のガーディアンと市警本部に連絡入れられたし」
――ボックス、了解。




