8 「私たちの仕事」
にわかに騒々しくなった住宅街一角。倉庫敷地内にラオの運転する、黒のSUVが進入した。
ラクスジェン U7ターボ。台湾の新興自動車メーカーが製作したクロスオーバー。
車からラオとメルビンが降り、市警のパトカーにもたれかかる、シレーナの元へと歩み寄った。
「ご苦労様」
「シレーナ、本当なのか? アクタがこの事件に介入するってのは」
いの一番にラオが口を開いた。
メルビンも、緑の髪に隠れた目は深刻そのもの。
「さっき報告した交通事故はね。でも、こっちの管轄は私たち。いつも通り、私たちの仕事をするまでよ」
彼女は踵を返し、事件現場へと戻っていく。
倉庫入口にはブルーシート、上空にはヘリの爆音が響いている。今頃、夕方のワイドショーがブレイキングニュースとして伝えているのだろう。
「タカヤ君は、どうしてます?」とメルビン
「一応、チイが傍についているわ。カウンセリングの直後ってのも、申し訳ないんだけどね」
「それって、リッカー53事件の被害者の子ですよね? 確か秋山とか言う」
「ええ。チイの話じゃあ、一応ヤマは越えたそうだから、後任のカウンセラーに引き継ぐそうよ。彼女の知り合いのカウンセラーに」
と、話をしながら青いカーテンをくぐると、そこは白い世界。白熱光に照らされたそこには、テープとアルファベットでマーキングされた、小さい痕跡があるのみ。
それを、ハフシは静かに見ていた。
「なにか、分かったかしら?」
シレーナが近寄る。
「さっきと変わらないよ。遺体は身分の分かる物を身に着けてなかった。名札も、学生証も。通学鞄も見当たらないどころか、洋服の裏地に縫ってあった名前カードまで剥ぎ取られていたよ」
「周到な犯人ですね」とラオ
「身に着けていた私立の制服、校章から、付属の生徒であることが判明しましたので、今、学校からPTAを通して全生徒の安否確認をしてもらってるところだ」
次いで、シレーナが聞く
「死因は?」
「詳しく調べなきゃ、何とも言えないけど。遺体の様子から死因は、外傷性によるショック死。腹部を中心に全身に殴打された跡があったけど、顔面を強い力で何度も殴打されたことが主な原因だと思う…やっぱり、例の事件と同一犯かもしれない」
「ということは、それ以外の傷は」
「恐らく、犯行を隠すためね。このペンキも恐らくは…遺体を動かしたときに、制服にはペンキが全くと言っていいほど付着していなかったから」
すると、メルビンは言った。
「まさか、数か月前から起きていた、連続児童暴行事件の犯人が?」
「この現場を見る限りでは、正確には“犯人たち”だね」
ハフシの言葉に、彼は耳を疑った。
「犯人は複数?」
「ここまで面倒な証拠隠滅を図ったとなれば、そう考えるのが筋ってものさ。だってそうだろ? 普通なら、この建物に火でも放てばそれで終わりだ。ペンキに含まれる促進剤の効用でよく燃えただろうし」
「そうしなかった理由はなんだろうか…」
ラオが独り言のように言うと、シレーナが答えた。
「単純に思いつく答えは、逃走時間を稼ぐためでしょうね。倉庫の前は住宅街。火を放てば、周りの住民は否が応でも気づく。その時に容姿を見られれば、そこから捜査の手が及んでしまう」
その言葉に、ハフシやメルビンが頷く。
「だとしても、身分の分かる物を処分して、遺体を傷つけて、更に塗料を撒く。ここまで周到なことが、1人で出来る訳がない。つまり、犯人は2人以上の複数犯…ハフシ、防犯カメラは?」
「入り口に設置されていましたが故障していました。映像はありません」
「不用心だな」とメルビンが言う。
積み上げられた段ボールに目を移しながら、シレーナは話を続ける。
「頻繁に使うような建物じゃなかった?」
「そのようです。ここに置かれている塗料は、どれも生産が終わっている物で、顧客からの特注が来たときに、この倉庫を開けて品物を本社へ持ってく算段になっていた、と」
「ふぅん…」
「それから、先程、分署の刑事が周辺に聞き込みを始めましたが」
話を聞きながら、シレーナは傍に転がっていた塗料の缶を拾い上げた。
(水性塗料…ph8という事は弱アルカリ性ね)
「オッケー…」
そして、シレーナはハフシ達の方を見た。
「ラオとメルビンは、聞き込み班と合流。ハフシは、被害者の司法解剖結果を見てきて」
「シレーナ先輩は?」
「私は捜査権限への正式介入と、科捜研へ応援要請を出した後、あの新入りの元に行くわ。担ぎ込まれた病院、トラファルガーの近くだったはずよね?」
「科捜研?」
ハフシが聞き返すと、彼女は現場に目を向けて言った。
「ハフシ。私たちが最初に遺体を発見した時の状況、覚えてる?」
「ええ」
「遺体の顔面は大きく損傷していた。それに比べて現場に飛散している血痕の量は少ない。口からは血や唾液が飛び散った痕跡があるのに」
すると、ハフシは首を傾げる。
「ボクは医者ですよ? それくらいは見落としなく調べたハズですが」
「それなら、第二段階」
と言ってシレーナが放り投げたペンキ缶を、両手で抱きしめるようにキャッチするハフシ。
そのパッケージを見て、すぐに察した。
「成程ね。ルミノール反応」
「いいよ。ハフシ」
シレーナは続ける。
「血液を消し去り、鑑定を不可能にさせる方法はただ1つ。そいつを酸性にすること。クレンザーやバッテリー溶液といった酸性の水溶液や物質をかけてやれば、ルミノール試薬による血液鑑定は不可能になる。だが、このペンキは弱アルカリ性。塗料の下に隠れた血痕は完全には消えてないはず。ここまでやる犯人よ。この下に、奴の不利になる物証が眠ってるに違いない…被害者の身元が分からない以上、今できることは、これくらいよ。皆、よろしくね」
ライトに照らされた現場から散っていくM班の面々。その中で凛々しくスマートフォンを耳に当てるシレーナ。
「ミスター・イナミ? シレーナです。ゼアミ地区で起きた児童殺害事件は、M班の介入相当と判断しました…はい…はい、フェーズ1です…捜査権限の正式介入をお願いします」
ドライかつ素早く電話を済ませると、シレーナはハフシに聞いた。
「現場担当は?」
「あそこにいる、西野警部だよ」
彼女が指さしたのは、若い30代くらいの男性。
「ふぅん…それから、申し訳ないんだけど、アイツに電話して。もう扁桃腺も治ってる頃でしょうから」
「なんて言えばいいんです?」
「連続児童暴行事件に関する捜査資料、情報の収集と集約」
「わかりました」
電話を取り出したハフシと一旦別れて、シレーナは西野警部の元に走り寄ると、IDを呈示しながら言った。
「スクール・ガーディアン、M班のシレーナです」
「M班? …本当にいたのか…あ、いえ。ゼアミ分署刑事課の西野です」
さしずめ、この警部は都市伝説の類とでも思っていたのだろう。驚愕の表情を作っている。
キャリア職に就いて日が浅いのだろうか。敬礼も、どこか型式ばっている。
「単刀直入に申し上げます。この事件は、『児童・生徒が巻き込まれた重大インシデント』に該当する事案であるため、私たちM班が捜査に介入することになりました」
「捜査介入…ですか?」
「はい。間もなく警察庁から市警本部を通して、正式に通達が来ると思われます」
「はあ…」
「そのことを警部に報告するのと加えて、至急、科捜研をここに呼ぶよう市警本部に連絡してください。撒かれた塗料に犯人の痕跡があるはずですから、そこを重点的に」
「わ、分かりました! あなたは、どうするんですか?」
緊張からか、恐る恐るといった感じで聞いてきた西野に、シレーナは言った。
「無論。仕事をするだけですよ…私たちの仕事をね」




