6 「エミリア」
「ふふん。あなたのところの猟犬は、満足に兎も狩れないのかしらね」
「随分な挨拶だこと。冷やかしに来たなら帰ってもらえる?」
「帰る? それは貴女でしょう?」
赤みのかかった茶髪。均等に切られたミディアムヘアーを揺らしながら、彼女は不敵な笑みを浮かべる。
その奥に光る眼は、シレーナのものより少し明るい青。
男子諸君なら、それと共に制服から溢れんばかりの豊満な胸に、釘付けになってしまうだろう。
グランツシティの、否、此の国でもトップクラスの偏差値と大学進学率を誇る国立アクタ学園。
彼女は、アクタ学園グランツ本校 (通称・アクタ本校)ガーディアンのユニットリーダー エミリア・ルイス・ビール捜査官。
「この事案は、私たちアクタ本校ガーディアンが引き継ぐことになりましたので、あなた達みたいな鼻つまみ者は、とっとと出て行ってくださらない? 捜査の邪魔よ」
「へえ…そう。でも、アンタだって馬鹿じゃない」
シレーナは眼鏡を外した。
「エミリア。アンタ達アクタ本校は、ガーディアンの中で唯一、私の…いえ、私たちの正体を知っているはずよね。米国FBIの様に全国の重大事案に介入する、極秘裏の学生捜査官組織“M班”の存在を。私たちには、アンタ達一学校のガーディアンよりも大きな捜査権限を持ってる。それを忘れては無いでしょうに」
「ええ。今更確認する必要もないわ。でも、現状はどうかしら? その優秀で、完璧で、ほこりあるM班のメンバーが、単純すぎる頓馬な事故を起こした。違う?」
「……」
嘲笑を込めた言葉の玉突きに対し、シレーナには返す言葉が無い。
「事故を起こした当事者たちに、これ以上現場を引っ掻き回されるのって、すごい迷惑なのよ。加害者が事件を調べたって、真実なんて一向に見えてこない。当然よね? 無論、この事案が過失による事故であるという証拠は今のところでていないし、偶然に起きた不慮の事故という証拠もない。でもね、それを調べるのは、あなた達の役目じゃないの。分かる?」
そう言ってから、エミリアはゆっくりとほほ笑んだ。
「だから、もう一度言うわね。……目障りだから帰れ。私たちに近づくな」
その座った目で、正気無き眼を凝視しながら。
◆
「嫌なところに、嫌なタイミングで出てきちゃったなぁ…あの女」
「悠長に言ってられないよ、エル。最悪、エミリアがこの現場を掌握してしまえば、ボクたちは一瞬で蚊帳の外だ」
「そのつもりだろうよ」
イエローフラッグにもたれかかりながらエルは、冷静にシレーナとエミリアの対立を傍観していた。
ハフシも心に焦燥を抱えながら、また然り。
「アクタの一番の校風は、学園生活の一切を生徒の自主性に任しているところだ。そこに教職員は介入できない。故にそれが学園祭や体育祭といった行事を輝かせる一方で、マフィアにも似た実力と権威を備え持つ優等生たちを誕生させてしまったんだ。
ガーディアンだって例外なく、その優等生に含まれる。特にエミリアはガーディアンという、学校内においても比較的力のある位置にいながら、一家が築いた巨大なコネクションとバックボーンを有効活用し、触れられるものはたとえゴーストであろうとも手中に収める」
そしてハフシが続ける。
「それなら、ボクも聞いたことがあります。それに、ビール家と言えば、英国じゃあ伯爵の称号を授かった伝統ある貴族の名家で、現在、英国議会第一党である保守党に、強いパイプを持っている。
父親も国際的企業、シグマ・インターナショナルの総本社代表取締役…前は、英国法人ロンドン本社長だったはずです。此の国の大きな天下り先の1つであるシグマの幹部。それは政治内部に浸透し、官僚を操り、一声で大勢の役人の首を、同じ方向に向けさせることができる程の力を持つことを意味する」
「そんなバックを持つ彼女が、こうやって出てきたってことは、だ。この事故の調査におけるガーディアンの捜査権限一切を、アクタ本校名義で持って行く魂胆なんだろうぜ。これを機にM班を叩き落とせば、今以上にデカい顔で市井を闊歩できる。それにエミリアは元々、シレーナの事嫌ってるみたいだしな。
まあ俺は、この事故において今のところ加害者の立場だ。とやかく言える身分じゃない。運を天に任せて……ってなところか」
頭を掻くエル。
それに対しハフシは吐き捨てた。
「エミリア・ビール…こんな恐ろしい奴が、ガーディアンだなんて」
「ん? それは俺たちも一緒さ。管轄すら関係なく事件に首を突っ込み、有無を言わせずこっちの担当にしちまう。縦割りも横の並びも完全無視、解決のためには手段を選ばない。やってることはエミリアもシレーナも同じなんだよ。違うところがあるとすれば、それは互いの持ち札に内包されている質と量、そして…経験則のデカさだ。
シレーナ・コルデー。彼女が背負っているものの大きさと、そこから導き出される経験則は、エミリアのそれと比べても、比べ物にならない…正直、俺にとって恐ろしいガーディアンは、エミリアじゃなくてシレーナの方さ」
言われれば、彼の言葉にも一理はあった。
ハフシも、それは重々承知。
「分かってるよ。ボクだって、シレーナ先輩が恐ろしいって思う時はあるさ」
それでも… と、眼帯に隠された左目を押さえながら、声を絞り出す。
「それでも…それでもボクは、シレーナについて行くって決めたんだ…あの日から…あの地獄みたいな惨劇からっ!」
その時だった。
1人の男がハフシの横を走り去った。
エミリアと同じアクタの制服。
「あれは、ライリーか?」
その男は、エミリアの横に立つと彼女へ耳打ち、何かを言伝えた。
シレーナには、彼が誰かなど既に承知。否、彼女にとって、そんなことは愚問以外の何物でもない。
黒髪に茶色い瞳、まるで執事のような振る舞い―というより、するりとした背格好がそう連想させるようだが―をするその男は、アクタ本校ガーディアン、ライリー・ザック・ミラー捜査官。
シレーナの位置からでは、ライリーは手で口元を隠していたため、何を言っているのか分からない…筈である。
「分かったわ。ライリー…至急、車を」
と小さな声が聞こえた後、ライリーはエミリアが現れた方向―事故現場を横に消えていった。
「何があった?」
シレーナが聞いても
「この私が聖人にでも見えたかしら?」
微笑んで答えるだけ。
「そうね。私が馬鹿だったわ」
夜を切り裂く照明の発光。互いが互いを見合う中、背後でプラスチックが軋む音が響く。
次いでガラスの割れる音…。
無言でエミリアは回れ右。クレーントラックのヘッドライトの中へと消えていった。
「……」
一方のシレーナも、ハフシの元へと返った。
「どうした?」
エルの声に無言だったシレーナだが、彼女は突然に口を開いた。
「移動する」
「は?」
「この先で、殺人事件が起きたみたいよ。しかも被害者は子供」
「どうして、そんなことがわかる?」
「聞いたのよ。彼らの密談を。最も、あの男の咬筋の動きから、事態を推理したに過ぎないんだけど…ハフシ、あなたは私とついてきて。エル、君は事故処理の方を」
「あ、ああ、分かった」
シレーナはイエローテープをくぐると、ケンメリGTRに乗り込んだ。
気付くと、テープ内でも警察官数名があわただしい動きを見せていた。
「で、現場はどこなんです?」
ハフシが聞くと
「ここから3キロ離れた、リトナ商事の貯蔵倉庫」
「リトナ商事…ですね。でも、いいんですか? この事故――」
自身のスマートフォンを起動し、地図アプリに場所を入れ終えたハフシは、運転席のシレーナに聞いた。
「気になるのよ。この事故と言い殺人と言い…1か月半前から続発している、例のアレに」
シレーナは車のエンジンをかけると、エンジンを空ぶかし。前方にいた野次馬を一蹴する。
「もし、アレと関係があるのなら、初めての死亡例になるわね」
ヘッドライトを照らし、レッドキャップは夜の住宅街へと消えていった。
真っ赤な四つ目を、そこに残して。




