6 「出会いは殴打と共に」
先ほど見かけた、ロータリーに停車するアイアン・ナース。後部ドアを開くとそこにシレーナと同じ制服を身に着けた男子生徒が。否、ズボンかスカートかの違いを入れれば異なる服装か。
うなだれて憔悴した表情の彼に、シレーナは話しかけた。
「初めまして……いえ、久しぶりっていうべきかしら?」
「アンタ、同じクラスの」
貴也は顔を上げ、彼女を見た。
その顔に表情というものはなかった。職務を全うする警官の、その顔だった。
車に乗り込み、ドアを閉めると、シレーナは有無を言わせずに続ける。
「時間がない。バディに連絡して現状を維持してもらうように言ったけど、間に合うかどうか分からない。それに、あなたの訴えたいこともその経緯も判っている」
すると、貴也は強い口調で言う。
「何が分かっているっていうんだよ! 何も知らない他人に、俺の何が分かるって言うんだ。知ったような口を―――」
「単刀直入に聞く。彼女の死には“リッカー53”が絡んでいる。違う?」
瞬間、彼の目に驚きが。
「どうして…それを…」
「そして彼女は、この事をあなただけにしか話していない。恋愛感情を抱いていた佐保川貴也。あなただけに」
「!!」
「やっぱりね」
「彼女から聞いたのか?俺たちが……」
「状況を突き詰めた結果よ」
「状況?」
「そう、簡単な推理のほうがいいかしら?」
シレーナは淡々と答えていく。喉元が沸騰する感覚に襲われた。
その関係を分かっているなら、俺の気持ちを配慮する心を持っていないのか!
気づけば彼はシレーナの胸元を締め上げていた。
自分の頭を天井にぶつける。痛い間隔が一瞬よぎった。
「お前に何が分かる? ガーディアンでもないお前に!
どうせ、警察が気休め程度に呼んだんだろ?だったら引っ込んでろ!」
男の子に首を締め上げられ、体を壁に押し付けられているのに、この女は平然とした表情でこっちを見ている。
表情すら変わらない。恐怖や悲しみといったものが見受けられない。
「なんか言ったらどうだよ!」
すると
「なんて言ってほしいの?」
一言に自分の耳を疑った。
「え?」
「彼女が死んで辛かったでしょう、とでも言ってほしかった? それとも―――」
ドゴッ!
鈍い音が車内にこだました。
我に返った貴也の目に飛び込んできたのは、右頬を真っ赤に腫らせたシレーナ。
正視する彼の体を寒いものが走った。
男の拳で殴られたのだ。普通なら痛さに顔をしかめたり、泣き出しそうなものだ。それが華奢な女の子なら尚更。
変わっていないのだ。
さっきからの表情から何も。
冷たい眼も、純白の頬も、真紅の唇も。目には涙の一粒もありはしない。
もしかしたら狭い車内という環境、男が女を殴る文明社会の倫理に反した行為が、彼に外的要因をもたらしたのかもしれない。怒りは忘却の彼方へ吹き飛び、今の貴也は恐怖に支配されていた。
その恐ろしさから、彼は胸倉をつかむ手を放し、座り込んだ。
「満足?」
ずれた眼鏡を調節し、彼女は貴也を見下ろした。
その群青の瞳で。
「おまえ…一体…」
怯えた目の彼を無視し、彼女は続けた。
「満足したなら答えなさいな。リッカー53については?」
「え……あ……」
「それが無理なら、彼女から何を聞いたの?」
「あ……ああ……」
何もなかったかのように、淡々と聞いてくる姿。頭がパニックになる貴也。
彼の状況を見たのか、彼を見上げるように、シレーナはしゃがみ込み、貴也の顔を覗く。
「ひいっ!」
すると、シレーナはこう聞いてきた。
「じゃあ、これなら答えられる? 貴方は私を化け物だと思っている。違う?」
「あ……あ……」
恐怖とパニックから声が出なかったが、決壊したダムのように一気に感情が口へと流れ込んできた。
「当たり前だろ! お前はたった今、俺に殴られたんだぞ! 男の俺に! 頬が真っ赤に腫れているのに、お前は泣きも痛がりもしない! それどころか、俺の前に現れてからずーっと顔にも声にも感情がないじゃないか! まるで氷だ・・・氷だよ!
異常だぜ! お前は、異常だ。普通じゃない! こんな化け物がクラスメイトだったなんて信じられないぜ! 畜生! よく今まで生きてこれたなぁ! そんなんでよォ!
確かに俺とアイツはできていたよ! 恋人同士だよ! キスもハグもしたさ! でもさぁ、少しは俺に気ぃ遣えよ、馬鹿野郎! あいつが死んだって電話を受けて、何かの間違いかとおもったよ! でもここに来たら、間違いじゃなくて……もう、何が何だか分からなくて、俺も狂っちまいそうなんだよ! そっとしておいてくれ! もう顔も見たくもねーよ。この化け物が!」
全てを吐き出した貴也。途端に一筋の涙が流れ、その感触に我を取り戻した。
目の前の彼女は、ただ黙って貴也の向かい側に座った。こちらを見ず、ただドアの方をぼうっと。
「ごめん。言い過ぎた」
弱弱しく俯いた貴也。
「いいの。私に落ち度があるんだから」
冷たい言ノ葉。
そこから、車内に沈黙が流れた。
耐えられなかった貴也が、話しかけた。
「痛まないか?」
すると、シレーナは答えた。
「いえ。痛くない」
「我慢しなくていいんだ。やりすぎたよ」
「本当に痛くないの」
貴也に今度は、恐怖から疑問の思考が浮かんできた。
あれだけの罵詈雑言をせき止めることなく吐露してしまった。それでも彼女に変化はない。
それどころか、頬の傷さえ痛くないと言う。
どう見たって、やせ我慢でないことは確かだ。顔見知りでも殴られて、その上暴言の嵐だ。体が震えていたり涙をこらえて嗚咽を漏らすといった行動が見れて普通のハズ。
このシレーナという女性に、その兆候が見られない。“普通の人間”の兆候が。
貴也は思い切って聞いてみた。
「シレーナ……さんだっけ?」
「どうしたの?」
「“痛くない”って、どういうこと?」
彼女は、貴也の方を向いた。
「そのままの言葉よ。痛くない。我慢もしていない」
「ああ、そう」
そこで再び言葉が途切れた。
だが
「貴也……だったっけ?君、口は堅い方?」
「え?ああ、そりゃあ…まあ……」
シレーナがゆっくりと口を開いた。
「ごめんなさいね。私は……痛みを感じることができないのよ」
「えっ?」
いきなりのカミングアウト。
戸惑いがないと言ったらうそになる。
貴也は冷静に思考を回転させたが、そこに2つの意味が生まれた。
「それは、体がって意味? それとも心がって意味?」
シレーナはゆっくりと首を横に振った。
「ううん。全て……全てよ」
「それじゃあ―――」
刹那!誰かが外からドアを開けた。
「シレーナ! ……っ!」
ハフシが乗り込み、真っ先にシレーナの異変に気付いた。
「貴也さん! 彼女に何をしたの?」
「いいのハフシ。で、どうしたの?」
怒る彼女をなだめ、シレーナはハフシに聞いた。
「駅の封鎖を解除すると……」
「何ですって! 誰が許可したの?」
「分署の担当警部です。これ以上の捜査は無用だって」
「止めなかったのか?」
貴也が口を挟むと、シレーナは言う。
「ここの担当警部なら知ってる。ガーディアンを良くは思っていないキャリア組よ」
「今、鉄道公安隊の捜査官が説得しています」
「分かった。バディが来るまで、私が話を付ける。先に行っててくれない?」
「はい」
車を降りたハフシを見送ると、貴也は言った。
「君の言う事が分かったよ。時間がないってのは、そう言う意味か」
「このままじゃ、彼女の死が無駄になるわ」
「分かってる。でも、俺も確たることは聞いていないんだ。どうやら君の言うとおり、リッカー53が関与しているらしいってのは聞いたんだが」
「その話、後で詳しく聞かせてくれる?」
「ああ、もちろんだ」
2人は巨大な救急車を降り、駅へと走るのだった。




