4 「結末」
けたたましいサイレンの協奏曲。
それを後ろに、四つ目の標的は、漆黒に染まり始めたアスファルトをかき乱す。
イエローフラッグは依然として、セリカの背後を追いかけている。合流した市警のパトカーも、既に5台。
車は中心部の通りを離れ、国道255号を走っていた。市中心部を囲むように地区と地区を横に繋ぐ大通りを、市民は“環状道”と呼ぶ。
「M05より本部。車は依然環状道を走行中。今、ゼアミ地区に入った」
――本部了解。
無線を片手に、刻々と変わる状況を余すことなく本部に伝える貴也。
感心するとともに、シレーナが何故、彼を躊躇なくM班に入れたのか、エルには理解できた。
「いい仕事だ。ルーキーにしちゃあ上場じゃあないか」
「そう悠長なこと、言ってられませんよ。ゼアミ地区は細い道の多い街区です。そこに暴走車が入ったら、誰かがはねられてもおかしくありません」
確かに。
指摘されるまで、エルは気づきもしなかった。
ゼアミ地区中心部へ行けば、大きな通りが数本走ってはいるが、基本片側1車線か分離帯のない道が大半。そこに飛び込まれたら、関係のない市民を巻き込む事故を起こすことは明らかだった。
(シレーナが長官に薦めただけのことはあるな。まるで、シレーナを乗せている気分だ)
エルは貴也から無線を奪うと、叫んだ。
「M05より本部。車はゼアミ地区に入った。これ以上の追跡は一般市民を巻き込む危険がある。至急、追跡中止の是非を求めたい」
その緊迫する声の後、車内は静寂に包まれた。
前方には制限速度を超えた速さで走るセリカ。今は前へ前へ一心不乱に駆け抜けていく。
――こちら本部。
そして答えが
――追跡は中止しない。現在の移動を以て逃走車を制止せよ。繰り返す、追跡中止はしない。
「ウソだろ!?」
途端、まるであざ笑うかのように、車はブレーキをかけて右折。センターラインのない道路に入った。
「あん畜生があっ!」
その怒りを込めるが如く、エルはブレーキを踏み、鋭角を切って右折、後に続いた。
PM5:59
ゼアミ区 クロガネ1丁目
なだらかな丘陵部を切り開いて作られた住宅街は、最早レース場と化しつつあった。
住宅と断崖、そしてアップダウンの激しい路地を、スピードを緩めずにセリカが爆走し、息を切らすようにパッカードが後を追う。
「この先にロードブレーカーを敷いたようです。そのまま、道を真っ直ぐに走ってください」
「了解」
無線を置いて指示を出した貴也。
エルのハンドルに力が入った、その時。
ガシャン!
「まただ」
セリカが腹をこすりながら路面の段差を飛んだ。これで3度目。
エルは舌打ちして言った。
「シャコタンしてるな、あのセリカ」
「つまり、車高を低くしているってことか…それはそうと、距離空いてませんか?」
「仕方ないだろ。相手はスポーツカー、こっちはビンテージだぜ? それに、ここまで長期戦になるとは思わなかったし…まあ兎に角、あの車を是が非でも止めないとな」
すると、道路は下り坂に入り、自然とイエローフラッグの速度も増す。
腹をこするセリカは、反対に減速。その反動か、前輪の挙動がおかしい。車体が左右にぶれた。
「バーストか?」
「なんだっていい。このまま、突っ込んでくれよ」
それでも、2台の距離は開いていた。というより、セリカが加速し始めたのだ。
坂道が終わると、道路は左へと大きく緩やかにカーブする。
左手に用水路が並行して流れ、右手に断崖が続く見通しの悪い道。
セリカのテールライトが尾を引いて左に消えた―――!
ドンッ!
「なんだ?」
突然響いた鈍い音。
エルは瞬時に判断した。
これは車が事故った音じゃない。“何かが車にぶつかったんだ!”
急ブレーキ!
「うわああっ!」
スキール音を立ててイエローフラッグが滑る。
後続のパトカーも、慌ててブレーキ!
車はカーブ手前で止まり、青いランプが彼らの顔を照らしだす。
ガシャアアアン!
進行方向で響いた激しい衝突音。
十中八九、セリカが事故った音であるのは明らかだった。
では、さっきの音は?
街灯が弱弱しく光る中、エルと貴也は車を降り現場へと走った。
カーブの終わり。路面には黒い轍がくっきりと、断崖の方へ向かって走っていた。
形からして、横滑りし断崖と路面を分けるブロックに激突したのは明らかだ。
更に先には、さっきまで追いかけていたセリカが無残な形で横転。後部側面はへこみライトは粉々、バンパーも外れている。その中から若い銀髪の男が血まみれで這い出してきていた。
「あーっつ…」
2人は走り寄り、彼の両わきを抱えて引きずり、車から遠ざけた。
その頃には、後続車の警官も駆けつけ、てんやわんやの大騒ぎに。
用水路のガードレールに男の身体をもたれかけさせると、貴也は大声で話しかける。
「大丈夫ですか?」
うーん、とうめき声を上げる男。
「こりゃあアカン。脳震盪起こしてるかもだな…至急、救急車を!」
現状を見たエルは、警官を捕まえて手配を頼む。
すると、男はうわ言のように何かを言った。
「…ねた…」
「何だって?」
貴也が耳を、男の口元に持って行くと
「ひと…を…はねた…」
その言葉に、貴也の身体を冷たい汗が流れていくような感覚が包む。
冗談がきついぜ。
「人を撥ねた?」
「えっ!?」
エルも耳を疑った。
刹那!
「おい! 人がいるぞ!」
向こうで警官が叫んだ。
嫌な予感がよぎる。
男をエルに任せると、貴也は声のした方へ走った。
集まった警官が、懐中電灯の光を用水路に差し込んでいく。
「あれか?」
「まちがいない」
「なんてこった…」
場所はカーブの中間地点。
覗き込んだ貴也の眼に飛び込んできたのは――
「あ…ああ…」
茶色く濁った水面に、うつ伏せになって浮かんでいた女の子。
年恰好からして、まだ幼稚園年長~小学校高学年程度。
ばたつかず、声も上げず、ただ落ち葉の様にゆらゆらと、その場を浮かんでいるだけ…。
「お…おれは…おれは…」
その場に座り込んでしまった貴也。そのガードレールを掴む両手は、小刻みに震え、眼は視点すら合わない。
「タカヤ? ……おい! しっかりしろ! おい! ―――」
初任務。俺は…子供を殺した…。
目の前が真っ暗に――




