3 「嬰児」
同時刻
ゼアミ地区
グランツ第四公園(旧此花ヶ丘公園)
シティ北部に位置し、森林と瓦屋根の寺院が混在する、閑静なゼアミ地区。名前から推測できるように住民のほとんどが日本人である。
都市公園整備法案可決前は此花ヶ丘公園として親しまれた、グランツ第四公園の傍をワインレッドのケンメリスカイラインGTRが走行していた。
オーバルフレームの眼鏡をかけた、シレーナ・コルデーがハンドルを握る。
この日、シレーナは2日前に解決した、カラーギャングによるケンカの最終報告書を提出するために、ゼアミ地区の分署にいたのである。逮捕者8人、私鉄駅前のコンビニエンスストア店内が破壊されるという規模の大きいケンカだったが、幸いにも人的被害が軽傷者2名のみだったため、分署扱いになったのだ。
「ん?」
まどろっこしい書類を片付け、スイート・クロウへと向かっていたシレーナの視界にパトカーが入った。
それも、何台もが公園前の路肩に、列を成して停車している。
丘陵部を中心に構成されている大きな公園だ。そこで何かあったのだろう。
そう思って目で追っていると、その中に見慣れた車が1台紛れていた。
アイアンナース。ハフシが乗り回している救急車型パトカー。
彼女が通う学校から、このゼアミ地区は距離がある。呼ばれたという事は、よほどのことがあったのだろう。
ハザードを点けながら、車列の先頭に停まるパトカーの前に、ケンメリGT-Rが停車。
そこは、公園へと伸びるパーキングの入り口だった。幸い、イエローテープが張り巡らされているため、苦情も違反切符をやってこないだろうが。
と同時に、車へと駆けよる赤毛の人物がいた。
「シレーナ先輩?」
ウィンドウを開けて、そっちを見ると、ハフシの後輩…ではなく同級生のサンドラがいた。
「サンドラ、何があったの?」
「……」
サンドラは、規制線が近い関係か、周囲をキョロキョロと見回すと、耳打ちでこう言った。
「ロクッスよ」
「死体?」
「はい」
「ってことは、コロシ?」
「いえ。正確には死体遺棄ッス」
「穏やかじゃないわね。それで、貴方たちが出てきているとなれば、ガイシャはどこかの制服でも纏っていたの?」
「いや…それが…」
言葉を濁すサンドラに、シレーナは違和感と共に、1つの結論に至った。
木が鬱蒼と生い茂り、夕方のせいか日光さえ届かない腐葉土の丘。
整備された遊歩道の一角が、ブルーシートで覆われている。その中に現場には似つかわしくない、ナースメイド姿の眼帯少女が1人、かがみながら白手袋をした手で、周辺の落ち葉を掴んでいた。
ハフシ・マリアンヌ・エクレアーノ。
医者としての知識や技術も併せ持つ学生捜査官。
男の子にも錯覚しそうな、短い金髪を振り上げて立ち上がった時
「ハフシ!」
知っている声がして見回すと、ブルーシートからシレーナが顔を覗かせていた。
その姿に気づいたハフシは、シートに囲われた現場の外へ。
「どうしてここに?」
「近くを通りかかったら、アイアンナースが停まってて、気になった。まあ、そんなところかな? …死体遺棄だって?」
「そうですよ。それも――」
「生まれたばかりの嬰児。違う?」
遮って出した完璧な答えに、ハフシは目を丸くした。
「サンドラから聞いたんですか?」
「いいや。彼女は言葉を濁したさ」
「じゃあ――」
「簡単な推理だよ」
そう言ってシレーナは、眼鏡を外した。
「死体遺棄ならば、鑑識と科警研、それに大学の法医学者の出番だ。通常運転なら、それだけで事足りる。なのに、わざわざ遠い所からハフシ達を呼んだとなれば、その事件にガーディアンの領域―つまり少年少女が絡んでいるってことになる。聖トラファルガー医大は、その法医学者が駐在している大学の1つだ。その付属学園にガーディアンがいるとなれば、否が応でも出動がかかるしな。
さっきサンドラに、死体は制服でも纏っていたのか、って聞いたら言葉を濁した。違うってしっかりと否定すればいい質問を、彼女は曖昧にしたんだ。となれば答えは1つさ。ここ最近多い――」
「何らかの理由で身ごもってしまった女の子が、生まれたばかりの子どもを遺棄する事案」
お返しにと言わんばかりに、言葉を遮ったハフシは、ため息交じりに「やりきれないよ」と言い、続けた。
「皆、命を軽く見過ぎてる。特に、このテの事案は。性犯罪を受けたことを1人で抱え込んでっていう、同情すべき事案もあったけど、ほとんどは一時のテンションや快感に身を任せた挙句、宿してしまった不可抗力的であり無責任な命。恋愛に、援交に……ボクは言いたいね。欲望と責任ってのは二つで一つなんだって。一時の欲望だけを求めて、その後に出来た責任を簡単に捨ててしまうなんて言語道断だよ」
「その通りだ。教科省はこういった事案の対策として、性に関する教育の強化を考えているみたいだけど、そんなのは所詮、入門編に過ぎない。世の中に必要なのは応用編。となれば、一番根底にあるのは“そいつ”だ。ハフシ、アンタの言葉は、道徳や保健体育の授業よりよっぽど役に立つ」
ハンカチでメガネを拭くと、再びかけ直した。
「さてとドクター、この哀れな事件の概要を」
そう言われ、ハフシは腕時計を見た。
「今から57分前、公園内で犬の散歩をさせていた老夫婦から、生まれたばかりの赤ん坊と見られる、子どもの遺体が捨てられているとの通報が入りました。遺体は乳児にしては小さく、手足を始め各所の身体的発達が見受けられない上、へその緒や羊水が付いたままの状態でした。また、公園東口…この先の、先輩が入ってきた側の入り口ですね、そこの多目的トイレにおいて、出血と破水の痕跡が確認されています」
「となると」
「現状から考えられるのは、公園入口の多目的トイレで嬰児を出産し殺害、その遺体を、遊歩道脇の腐葉土上に遺棄したことになります。便器内の水が血で赤くなっていましたから、死因は恐らく窒息死でしょう」
「目撃者は?」
「今のところいません。何せ交通量の多い道路の傍です。出産に伴う痛みで叫び声を上げても、全て遮断されていたでしょう」
「防犯カメラは?」
「現在解析中ですが、園内のカメラはトイレより駐車場をメインにして設置されていたため、少し望み薄です」
「車上荒らし対策か」
「でしょうね。ボクも映像を見ましたが、通報から一時間前後、ここに車の出入りはありませんでした」
「嬰児の線で、何か出てきていないの?」
「それも、遺体を大学に送って調べています。もう間もなく、司法解剖が行われる予定です」
「まだ、全てを見渡すには早すぎる…か」
すると
「先輩!」
サンドラの声に、2人が共に振り返った。
向こうから遊歩道をかけてきたサンドラが、息も切れ切れに
「反対側の公園西口の駐車場にある防犯カメラが、怪しい車と人影を捉えていたッス!」
「詳しく!」
ハフシにそう言われ、サンドラは胸に手を当てて呼吸を整える。
「電話でよかったんじゃないの?」
シレーナが聞くと
「それが、電池切れてまして…今、アイアンナースのバッテリーで充電中ッス」
「難儀ね…そう言えば、サンドラって、あんまりケータイを持ち歩かなかったんだっけ」
「そうッスよー…っと、では」
大きく息を吐くと、サンドラが報告を始める。
「報告を始めるッス。
映像は、通報の約4時間前に撮影されていました。映像では、駐車場に入ってきた車が、乱暴に駐車スペースに停止すると、中から腹部を抱えた人物がでてきて、一旦は傍の公衆トイレに足を向けましたが、扉の前で方向を変え、遺棄現場である此花ヶ丘の方へ消えました。
次に現れたのは、到着から3時間半後。最初の時とは打って変わって、早足に丘の方から、周囲を見回すような素振りをしながら戻って来ると、車に乗って公園を去りました。以上が西口駐車場の防犯カメラ映像ッス」
「人物の特徴と、車の車種は?」
「車から降りてきた人物は、体格からして女性。年齢は目測による推定ですが10代後半から20代前半と見られます。服装まではちょっと…ワンピース状の服ということぐらいしか」
「若いな。やはり、これまでと同じようなケースか?」
とシレーナが呟く横で、サンドラは話を続ける。
「車はブルーの小型車という事以外、まだ何とも言えないッス。設置された防犯カメラが旧型の上に、カメラから離れた場所に車が止まったので、画像が少し荒いんッスよ」
「科警研の解析待ちか…ところで、どうしてその人物は、西口のトイレに入らなかったんだ?」
「気になって現場を確認したんッスけど、西口の多目的トイレは、故障で使用中止になってました。だから、わざわざ東口に」
「そう…どう思います?」
ハフシは、思索にふけっているシレーナに意見を振った。
「年齢が推定10代後半から20代前半というサンドラの報告からして、ガーディアンが介入する事案になりうる可能性は充分にあると言ったところかしら。その女性がどっかの学校の制服を着ていたら、事件はすぐに解決なんだけどね」
「先輩も、そう思いましたか」
「貴方の意見はどう?」
今度はシレーナが振った。
夜が近づいてきたようで、傍の街灯にあかりが灯る。
「腹部を抱えていた点、西口から10分以上かかる東口の多目的トイレまで徒歩で移動できた点からして、まだ陣痛が軽度であることは容易に想像がつく。この公園の周囲は商業施設の多いエリアだ。救急車を呼ぶといった、他人に救助を求める行為を取れる状態、環境にあるにも拘わらず、そのままトイレで出産したという事は……最初から生まれてきた嬰児を“処分”するつもりだった可能性も捨てきれない。けど、そういう思考が働かなかったという事態も考えられる。殺意があったかどうかは6:4と言ったところでしょうか。
どっちに転んだとしても、殺人罪適応の事件です。トラファルガーとしても、介入充分案件として、大学と学園理事長の回答を待つことにします」
この国の刑法における殺人罪の適応基準は、日本国の刑法における基準と相違ない。
刑法において胎児は着床し懐胎されている「ヒト」と位置付けられているため、殺人罪の客体たる「人」としては扱われない。母体から生まれてくる生命が「人」と位置付けられるのは、胎児の体の一部が母体から現れた時点からであり、これを“一部露出説”と言う。グランツシティが置かれている国及び日本国は、刑法における人の始期に関して、この一部露出説を取っており、胎児死亡の場合は堕胎罪、嬰児死亡―つまり、今回のケース―は殺人罪が適応されることになる。
早い話が嬰児は「人」であり、「殺人罪」が適応されるということだ。
「そうして頂戴。対象人物が高校生以上なら、事態は市警が引き受けることになるでしょうから、その際はガーディアンは得た情報を担当部署に引き継いで、捜査終了とすること」
「了解。因みに、Mが介入する可能性は?」
「極めて低いと判断していいでしょうね。Mとトラファルガーの掛け持ちで大変でしょうけど」
「いつものことです。ご心配なく」
ハフシはウインクを飛ばすと、サンドラと共にブルーシートへ向けて歩き出した。
「あ、そうだ」と、ハフシが歩みを止めて、振り返った。
「今日からでしたっけ? タカヤ先輩が配属されるのは」
「ええ、そうよ。エルにピックアップを頼んでるから、今頃はスイート・クロウにいるはずよ。ダナの美味しいアールグレイを飲みながら」
それを聞くと、両手を横に開いて首を横に振った。とても残念そうに。
「あらら。折角新しい“ジュース”を生み出したのに」




