1 「或る独白M」
「タクシー・ドライバー」を知ってるか?
ロバートデニーロが、孤独なタクシードライバーを演じたハリウッド映画さ。
だが、この映画には、若干10代のジョディ・フォスターが売春婦を演じた以上に、驚くべき事実がある。
この映画に触発された人間が、何人もいるという事だ。
現に脚本家の元には、映画が終わっても尚ファンレターが届くし、過激な奴は銃を振り回したりもした。大統領を殺そうとした馬鹿までいる。
そうまでして、人間がどうしてこの映画に取りつかれるか。
それは、見た人がある種のシンパシーを感じるからだろう。
率直に言えば、この映画の主人公は孤独だ。友人も恋人もいない。何をやっても奥手で失敗する。
そんな主人公に、自分を重ね合わせる奴が多いんだろう。
俺はどうか?
答えは否だ。少なくとも「その映画」は…絶体に違う…違う―――。
この間、ぶらりと立ち寄ったビデオショップで、そいつを見つけた。
目的なんてない。ただ家に帰りたくなかっただけだ。
タイトルもキャストも漢字で、一見してアジアの映画と判った。平仮名が入っていたから恐らくニッポンの映画だろう。
ニホンゴなら、少しは読める。
「マッポンキヨハリ」という人がつくった「オニ■」という映画…だと思う。
吹き替え音声が入っていたので、それとなく借りた。見た。そして実感した。
これは俺だ。俺の物語以外なんでもない。
瞬間、俺は「タクシー・ドライバー」のシンパシーを理解したと共に、俺自身の「オニ■」を再生していた。
◆
俺の最初の家族は…俺の家族は、いたって“普通”の家族だった。
父は母を殴り、俺を罵りながら蹴り倒し、遠足のおやつ代でさえ、ふんだくって酒の足しにしていた。
どこにでもいる、普通の家族。でも、普通過ぎて、誰も話しかけることはなかった。
あれは、6歳のときかな。
家族で外出中だった。
俺は父親に盾ついた。
どうってことはない。「空き缶のポイ捨てはいけない」という“間違った”ことを言ったからだ。
父親は激怒し、車から引き摺り下ろした後3発殴って、その場に置き去りにしていった。
そこは峠道。道は舗装されてなく、辺りは真っ暗だった。
記憶があるのはそこだけ。
ただ、確実に覚えているのは、あの時感じていたのは「悲しい」とか「怒り」と言うより、むしろ「生きてやる」という激しい願望だった。自分が生きるためなら、何だってやってやる。例え他の命を踏み台にしてでも――。
気が付いた時には、俺の前には制服の男が2人いた。後から聞いた話なんだが、置き去りにされた2日後に、母が父の目を盗んで警察に捜索願を提出し、警察が大規模な捜索隊を結成。その様子はニュースにもなったそうだ。
それから3日後、俺は峠から8キロ離れたキャンプ場のバンガローで発見された。
まあ、その後母が口を濁すのは、子どもながら気になってはいるが。
事件直後、母は父と離婚。それから2年後に、今の父と結婚した。
それでも、俺の居場所はなかった。
父には連れ子がいた。お金もあった。それなりの地位もあった。
結局、そいつは自分の子と母を愛した。俺の前に札束の壁を作り上げて。
子供に抱擁を、母にキスを、俺に目線をそらしながら金を握らせた。
だが、それでいい。金さえあれば、どこへでも行ける。どうだって生きられる…そう、生きて行ける。
好きなものはいっぱい買えるし、メシだって、他の学生より美味い物をたくさん食える。
ただ…何かが違うような気が、最初はしていた。
俺が“普通”と思っていた生き方は、何か違うって。
そう考えると、いつもイライラしてくる。朝はまだいい。夕方になってくると、どうしようもなく頭が痛くなってくる。
でも、今はもう、どうでもいいや。
“頭のお薬”を手に入れたし、お金は要求すればたくさんくれるし。
なにより…なにより…“アイツ”と出会えたから。
◆
最後に1つ言い忘れたことがあった。
実は俺、遭難した時、1つだけ覚えていることがあるんだ。
それは病院で両親と再会した時。
母と警察官が席を外したとき、アイツは舌打ちをして、こう言った。
「生きてやがった。しぶてー野郎だ」
ああ、生きてやる。図太く生きてやる。どこまでも、どこまでも生きてやる。
誰かをブッ殺してでも。




