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セルリアン・スマイル ~その痛み、忘却~  作者: JUNA
Smile1 ガーディアンの女 ~Desperate or hopeless encounter~
54/129

54 「シレーナ」

 

 「はい。彼女の両目には、幾つもの亀裂が…」


 貴也の言葉が、決して口から出た虚構でないと分かった瞬間。本能的に、アナスタシアは煙草に手を伸ばしていた。


 「馬鹿な。そこまでされて、彼を殺さなかっただと…」


 その小言は、幸い、彼には聞こえていなかったようだ。


 「それに、思うんです。シレーナはナギ警部補を撃つ前、彼に説教をしていたんです。“お前の受ける罰は、一生苦しむ女の子たちの痛みに比べたら、とっても易しい”って感じの言葉を投げかけて。

  だから、冷静になって考えたんです。元々、シレーナは人を容易く殺せるような女の子じゃなかった。何かが原因で、ああなってしまったんじゃないかって」

 「貴也君。あなた…!」

 「あの眼を見せられて、それが核心に変わって――教えてください、アナスタシアさん! あの眼は一体何なんです? シレーナの過去に、一体何が起きたって言うんです?」


 刹那。


 「それ以上の詮索は無用よ」


 声のする方を向くと、ドアにもたれかかったシレーナの姿。

 オーバルフレームの眼鏡をかけ、十文字館のブレザーを身に纏い、そこに立っていた。

 「シレーナ!」

 「タカヤ。これ以上私の事を詮索するなら、それ相応の覚悟を持ってもらうことなるわよ」

 「どういう意味だ?」

 「そのままの意味よ。不足も装飾もない」

 久しぶりの再会は、温度差のある会話から始まった。

 「とにかく、新入りの玉子に言えるのは、ここまでよ」

 と、言うとシレーナは扉を開けて、彼を見た。

 “出ていけ”と言わんばかりに。

 最初の頃の俺なら、カチンとはきていただろうが、彼女はこういう感じなのだなと思うと、すんなりと心を許せる自分がいた。

 「オーケイ。後で何か食べに行こうぜ」

 そう言い残して、貴也がシレーナとすれ違い部屋を出ていくのだった。



 「意外だな。その眼を見られたのに、その相手を殺さずに生かしておくだなんて」

 「どうだっていいでしょ? 大切なのは、私の事を話したか否か」

 煙草にマッチで火を付けるアナスタシアに、シレーナはソファに腰かけながら聞いた。

 「話したところで、彼が理解できるとは思えないでしょ。“パラーチ”の事も、そして、あなたの、過去に何が起きていたのかすら。そのシレーナの名すら――」


 途端、シレーナはブレザーの中に手を伸ばしたが、それより早くアナスタシアが机の下へ手を伸ばし、銃を取り上げた。

 IMI デザートイーグル。御馴染みの大口径オートマの登場だ。


 「やめてくれ。ここでぶちまけられたら、掃除が面倒だから」

 「……」

 「落ち着きなさいな。香港映画を演じるために、ここに来たわけじゃないでしょうに」

 そう言うと、彼女は人差し指に銃をひっかけ半回転。銃身を握り、そのまま机の中に仕舞った。

 シレーナは、一連の動作が全て終わったことを確認して、ブレザーの中から手を戻す。

 「ふん。ソドムと言い、口の悪さと言い。さっき言っていた玉に傷とやらを、一度リストにしたためることを薦めるわ」

 「ありゃ、聞いてたの?」

 「アンタがタカヤを恫喝した辺りから。廊下まで丸聞こえだったぞ…そんなことは、どうでもいい。本題に入ってくれ」

 「そうだったな」


 そう言うと、アナスタシアは机の引き出しから、マイクロファイバークロスに包まれたメガネを取り出すと、シレーナの前に差し出した。

 それは、今シレーナがかけているモノと全く同じ。


 「今朝方、インスマス本社から国際便で届いたばかりだ。マシューK5、お前が注文したバージョンアップタイプだ」

 ソファから立ち上がった彼女は、アナスタシアの手にあったそれを取ると、すぐさま、かけていたメガネと取り換えた。


 「“あっち”の方はどうだ?」

 「こないだ報告した駐車場の件、そこで久しぶりにやった以外、目立ったのは出ていない。だから、すぐにこいつをこさえさせたんだ……うん、ばっちりだ」

 フレームを動かし、周囲を見回すと、かけていたメガネをクロスに包んでブレザーのポケットにしまった。


 変えたからって、どうってことはない。


 「もう用がないのなら、私はこれで帰っていいか?」

 「え~、もう少し世間話でもしようよ」と子供っぽく言うアナスタシア。

 「ハイスクールガールってのも忙しいのよ」

 手をひらひらと振りながら、部屋を後にしようとした時だった。


 「冗談は抜きにして、どうだ? 貴也君は」


 途端、彼女の動きが止まった。


 「シレーナ?」

 「……」

 そして、シレーナはアナスタシアの方を向かずに、まるでデジャヴのような光景のまま、言った。


 「私はあの時、彼を殺すつもりだった。私の秘密を知った部外者は、絶対に生かしておかないのが、ワタシの決まりだったから。でも、出来なかった。“私”も“ワタシ”も…」

 シレーナは左手を右手で包みながら続ける。

 「あの時、銃口は彼の脳髄を捉えていた。99%の確率で即死にいたる軌道…なのに、ワタシは引き金が引けなかった。というより、体が言う事を聞かなかった」

 「……」

 「銃を持つ手が震えたのは、アレが初めてだった」

 「……」


 「アナスタシア。私は――」


 「求めるな」


 途端に、アナスタシアが声を上げた。


 「安直に答えを求めようとするな。若者たちの悪い癖だ」

 「異論はないが、この答えを出せるとは思えない。私は…」


 「だったら一緒に出してみたらどうだ?」


 えっ、とシレーナは振り返った。


 「その問いを、投げかけた張本人と解いていく。慌てなくてもゆっくり…答えを出すのは、それからでも遅くは無いんじゃないかな」


 「出来るか? そんなことが私に。私は…もう何も・・・・ないんだぞ(・・・・・)


 「そいつも、答えるのは君の務めだ」

 「……」

 「どういう訳か、彼もまた、君に抵抗があるようだ。シレーナ、答えが欲しいなら、自分から動け。それがキッカケでも、私はいいと思うよ」

 アナスタシアの優しい声を弾くかのように、シレーナは扉を開けて盛大に閉めた。

 バタンという木霊の後には、こぼれたコーヒーカップとサンディブロンドの女が残されたのだった。


 ◆


 背広や制服が跳梁跋扈する建物内を渡り歩いたブレザー少女。

 受付を後にすると、官庁街の圧迫するビル群より先に、出入口のすぐ傍で貴也が出迎える。

 「よっ!」

 おどけた感じで近寄ってきた彼に、シレーナは言う。

 「どうして、ここから出てくるって思ったの?」

 「あんな車、他じゃ見たことないからな」


 そう言って視線を移した先には、路上に駐車したワインレッドのケンメリGTR。


 「私の愛車よ。捜査の時のコードは“レッドキャップ”」

 「成程、真っ赤な帽子のモンスターか…その名前に似合う登場だったな。君も、この車も」

 そう言うと、シレーナは口元を微笑させて、歩道の柵を飛び越える。

 「で、どこに行けばいい?」

 「ん?」

 「どこか食べに行くんでしょ?」

 一瞬、キョトンとした貴也だったが

 「そうだったな」

 まるで言い聞かせるかのような返答をして、彼も柵をまたいだ。

 「オパルスは土地勘がなくてな。悪いけど、シレーナのオススメで」

 「残念だけど、私もよ。食べ物屋は滅多によらないから」

 「そうか…だったらグランツに戻るか。スイートクロウで紅茶でも」

 「ええ。そうしましょうか。貴方がそれを望むなら」

 キーを回して扉を開けた時だった。


 「シレーナ」

 貴也は彼女の名を呼ぶと、車の前方を通って彼女の傍に。

 「自己紹介がまだだったな」

 「いいわよ。そんなまどろっこしい――」

 「親しき仲にも礼儀あり、ってやつさ」

 そして、スッと彼は右手を差し出した。


 「佐保川貴也だ。よろしくな」


 その雰囲気に、私はある種の新鮮さを覚えた。


 こんな風に笑顔で、実直な挨拶をしてきたのは、彼が初めてかもしれない。

 彼の前では、何もかも常識がひっくり返る。散々“常識から外れる用意をしろ”と言ってきた私が、こうもうろたえるとは。

 どうしてなのか。彼は私の何なのか。

 でも、今はそれでいいのかもしれない。

 アナスタシアの言うとおり、私はゆっくりと答えを出して行くことにしよう。

 その答えが数学の様に確証ある物かどうかは分からない。

 こんな私が、今更、何かを得られるのかどうかも分からない。

 でも…それでも…。

 考えるより先に、その大きな手を握りしめていた。私の始めてのバディ。


 「シレーナよ。シレーナ・コルデー」


 挿絵(By みてみん)


  そう、私の…ワタシの名はシレーナ。またの名を―――“スマイル”。


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