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セルリアン・スマイル ~その痛み、忘却~  作者: JUNA
Smile1 ガーディアンの女 ~Desperate or hopeless encounter~
51/129

51 「瞳」

 

 2階。専門店街の一角にバリ風を売りにするエステステーションがある。

 無論、そこに従業員も客もいない。いるのは、エステを利用する必要がない―と言っては語弊があるが―今、エステを利用する理由がどこにもない男子高校生が、個室のベッドに座っていた。

 仄暗い照明にLED除湿機、オイルから漂う鼻につく香り。

 爆乳娘でも出てくれば、思春期の男の子が盛り上がるシチュエーションとなるだろうが、そいつを望むのはお門違い、それどころか今はそうはいかない。


 (そんな…そんな…)


 彼はベッドに腰掛けていた。横になりエステを受けるだけが目的である、簡素な造りのマッサージベッド。だがその手足は、無意識の中で小刻みに震えていた。


 (ウソだ…あのシレーナが…)


 下を向いている彼の眼は、心ここに非ずと言わんばかりに、視点が定まっていない。


 「貴也。どこにいる?」


 この声、彼女だ! 近くにいる!


 意識を戻された彼は、ゆっくりと横を向いた。

 彼―貴也のいる個室へ入ってきたブレザー姿の女の子。シレーナがそこにいた。

 「探したんだぞ。さ、帰ろ」

 そう言って差し伸べられた右手に、貴也は安堵より恐怖を覚えた。

 無論、おかしな様子にシレーナも気付く。


 「どうした? 顔色が悪いぞ」

 「……」

 「何を見た?」


 体を寒いものが逆流する。


 それが頭頂部から抜けていく感覚と共に、貴也はシレーナから目を逸らした。


 「佐保川貴也」

 「……」

 「なら答えろ。何故、目を逸らす」


 答えられるわけないだろ。

 あんなもの(・・・・・)を見てしまっては。


 見た光景を正直に答えていいのだろうか…でも、彼女はバディ…。

 貴也は短いが「自分のバディ」という可能性に賭けてみた。


 「み…見たからさ」

 「だから、何を」

 「一部…始終…」


 ダァンッッ!


 「瞬間」という表現を使う間もない速さ。四字熟語が出たと同時にアクションを起こした。

 何が起きたか貴也が気付いた時には、視界は天井を捉えており、襟を掴みながら、シレーナが彼の眉間にクーナンを向けていた。


 「え…」

 「言っただろ。隠れてろって」

 「じゃあ、お前」


 「アンタが思っている通りだよ。ワタシが“スマイル”―この国で唯一、殺人を許されたガーディアンなのさ」


 分かっていた。そんな雰囲気があったから。

 衝撃が走った。頭が真っ白になった。目の前が暗くなった。―と聞くと、誰しもが大げさだとか、アバウトと言うだろう。

 既知の事柄にそんな反応を示すのか、と。

 いや示すんだ。人間と言うのは、複雑そうで簡単に、簡単そうで複雑にできている代物なのだ。

 特に、実弾入りの拳銃を向けられている今は、特に。


 「そんな…君が、あの“スマイル”だったなんて…あの話が本当だったなんて…」

 「ありきたりな感嘆を口にするな。今はこっちの質問に答えろ。どうして隠れていなかった」

 「それは…」


 心の奥で封じていた言葉を、遂に口に出した。


 「それは、君が人を殺そうとしていたからか? それを誰にも見られて欲しくないから、だから俺に隠れろって言ったのか」


 「分かっているなら、どうしてそうしなかった」

 「それは結果論だろ! あの時は、どうしてそんな事を言うのか分からなくて…」

 「今から人を殺すって、見ず知らずの奴に予告する間抜けが、この広い世界のどこにる? え?」


 拳銃に込められる力が一層強くなる。


 「こんな奴がワタシのバディ? 連中の趣味も悪くなったもんだ」

 「余計なお世話だ。それより、その銃をしまってくれないか。この事は誰にも――」

 「却下」


 即答。


 彼女は依然と、貴也の上に馬乗りになって銃を向けている。


 「そ、そんな…じゃあ、ハフシやエルはどうなんだ? 彼女たちも、君の事を知っているから、ここまで車を誘導したんだろ?」

 「ああ、知ってるよ。誘導を指示したのはワタシだから。でも、ソレとコレは別の話だ。ワタシはワタシが認めた例外を除いて、処刑の瞬間を誰にも見せない」


 「処刑?」


 「そう、処刑だ。ワタシは警察や教科省から指示を受けた犯罪者を殺す、死刑執行人。それが都市伝説とやらで囁かれる人間の、真の中身さ」


 「死刑…執行…人?」


 「ナギを殺したのも処刑。一犯罪者としてね」

 「だったら、その瞬間を誰にも見せないのは、どうしてなんだ。そんなデリケートな事柄を警察が――」


 「問題は“見られる”ことじゃない。ただ見ただけなら、その後の“処理”は簡単だ。でも、最近はSNSやら、動画投稿サイトって厄介な代物がある。ワタシの姿が拡散された暁には、此の国の治安維持機能が崩壊するだけじゃない。“ワタシ”の存在意義、“私”の生命にも危機が及ぶ。だからワタシは人殺しの瞬間は誰にも見せない。どんな偉い肩書や大金を見せびらかされてもね。

  そして、不幸にもその瞬間を見た者は、ワタシの手で抹殺することにしている。例外は無い。友達やら血やらくだらないつながりなど命乞いには無意味だ」


 抹殺。その単語が出た時、貴也の背筋を冷たいものが走った。


 「冗談だろ?」

 「気づかないか? こんな話を、まだ出会って間もない奴に延々とするなんておかしいと。ガーディアンとバディの関係を差し引いても、ワタシとアンタは同級生。ここで銃を下ろせば、アンタは国家級の秘密を抱えて世に放たれるんだ。そんなこと、ワタシが望むと思うか?」


 でも…それでも…


 「どうしてなんだ。どうして君は、人を殺すんだ…そう簡単に、どうして人を殺せる?」


 単純なようで複雑な質問。


 シレーナは目を閉じた。


 「知りたいのか?」

 「…ああ」


 答えると言わんばかりに、ゆっくりと開かれた瞳。


 「なんだ…これは…」


 貴也。自分の目に映ってるものは、果たして現実なのか?


 その綺麗な群青の光彩。除湿機のLEDライトに照らされて、そいつは光った。


 亀裂だ。それも両方に。


 幾重にも走った大小様々な亀裂が光彩に―――。


 そいつが青、ピンク、緑と色を換えて輝く。


 「!!」


 だが、赤色を映したとき、その瞳は彼女の内包するものを映し出したように見えた。


 狂気。


 これが彼女を殺人者たらしめるパッションなのか?


 だが、ライトの色がブルーに変わると、その狂気はいつの間にか消えていた。



 「どうだ?」

 「その眼が…理由なのか?」

 「想像に任せるさ。お前がそう思うなら、そうじゃないのか」

 その時だった。シレーナが一瞬眉をひそめた。


 「お前…怖くないのか…」


 無言で彼女の顔を正視していた。

 そこに恐怖の表情は無い。 


 「ワタシが…死ぬことが…怖くないのか?」

 「怖いさ。もちろん怖いさ…最初はね」


 意味が解らない。どういうことだ?


 「確かに、最初は怖かったよ。君の姿、声、銃。その全てが。でも、それが全て違うって分かったんだ」

 「違う?」

 オウム返しに聞いた。

 「ああ違うさ。君の瞳、怖いって思ったのは、そいつが赤く光った時だけで、それ以外は穏やかで、優しさすら感じた。

  君が言う“恐ろしい姿”ってのは、君のたったひとかけらだったのさ。とても大きなひとかけら」

 「馬鹿か。そのかけらが大きいなら、それがワタシの本当の姿だ」

 「どうだろう。そのかけらが大きいとしても、他の小さいかけらを集めれば、そいつと並べられる、そいつを越えられる。こいつは出まかせじゃないさ。哲学的でもあって、数学的とでも言おうかな」

 「理解できない」

 すると


 「これから理解すればいいじゃないか」


 「これから?」

 またオウム返し


 「俺が、一緒に」

 「寝ぼけているのか? お前はこれから―――」

 「撃てないよ」

 「……」

 「君は、俺を撃てないはずだ。この感覚、昨日の高架下と一緒だ。シレーナ、君が俺に来るなって言ったのは、コレだったんだね。だとしたら…」

 「黙れ」


 怒鳴ることなく出た、脅しの言葉。

 それでも、貴也は動じない。


 「黙れ。お前に…お前にそんなことが分かるもんか」

 「じゃあ撃てよ」

 唐突に来た彼の挑発。

 シレーナは引き金に指をかけた。

 「さようなら。佐保川貴也」



 ―――。



 この距離なら、確実に彼を殺せる。

 引き金を引けば、銃口のすぐ先にいる相手に鉛の弾が撃ち込まれる。そう難しい事ではない。

 だが、引き金にかかる指に力が入らない。


 ……否、撃てないのは、そう言う一般論ではない。


 彼女が意識をしても、指が、体が言う事を聞かない!


 (どうして? どうして、彼の事が気になるんだ? いつもなら、ワタシは躊躇なく撃てるはずなのに…何故っ!)


 脳内で起きる混乱。


 同じような場面には何度も出くわした。親しくなった一般人を保身のために撃ったことだってある。

 でも…彼だけは、どうしても撃てない!


 「シレーナ、そこまでだ」

 女性の声で、シレーナは我に返った。


 貴也の身体から離れた彼女は、エステステーションの入口に銃を向けた。


 「アナスタシア」


 そこには、赤いスーツを身にまとったアナスタシアが仁王立ち。


 「お前は、自分のバディすら見境なく殺すのか?」

 「しかしっ!」


 唐突の反論。今まで見せなかった上司と部下という、あからさまな姿。


 「彼が、ハフシやエルといったMのメンバーと違うのは、共に行動する相棒だという事だ。ならば、その姿を見せていても損はないだろうよ」

 「つまり、見逃せと?」


 アナスタシアはポケットからチェを取り出し、火を付けて言った。


 「そう言う事だ。君が殺す相手はエルただ1人のはずだ。彼は勘定に入っていない」

 

 その言葉と煙霞に刃向う姿は無い。


 「それともチップを使うか? 忘れるな。君の持つ許可証は、殺戮の免罪符なんかじゃないってことだ。そいつをはき違えれば、私はお前を捨てる。お前が貴也にしようとしたように。ただ、それだけだ」


 しばらく互いに見合った後、シレーナはクーナンをショルダーホルスターにしまう。


 「命拾いしたな」

 言葉を吐き捨てると、彼女は店の外へと出て姿を消した。


 何が起きたか理解できていない貴也に、その女性はそっと手を差し伸べた。

 「ごめんなさいね。ヘンなもの、見せちゃって」

 「いえ…」

 ゆっくりと立ち上がった貴也に、アナスタシアは言う。

 「話を聞いていたなら分かるだろう。私が君に辞令をだした、アナスタシアだ…ああ、聞きたいことがあるのは分かってる」

 彼女はスッと手を差し出して、言葉を吐きかけた貴也を制止する。

 「今夜は遅いし、あなたも疲れているハズよ。近いうちに、事情聴取のために本庁まで来てもらうことになるだろうから、その時に話をしましょうか」

 そう言うと、アナスタシアも店の外へと姿を消した。


 ゴウンと、シャッターの開く音と共に幾重もの足音が突入してくるのが、いつの間にか向こうから響いてくる。


 しかし、それ以上に貴也は気づいてしまったのだ。


 彼女の言うとおり確かに疲れた。


 どっと押し寄せる疲労感を引きずりながら、彼もまた騒乱の跡へ足を延ばすのであった。


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