44 「追跡」
PM5:59
ケルビン地区
国道23号線
ラッシュ時刻も重なり、交通量が多くなってきた片側三車線の大型道路。
そこを、アイアンナースが赤色灯を光らせながら疾走していた。
車内では無線が、緊迫した状況を知らせていた。
――至急、至急。G24から市警本部。現在車両は、国道23号を南下。グランツ港方面へ逃走中。
――市警本部了解。
「大変ッス。こっちに来るッス!」
助手席に座るサンドラは、無線を聞きながら慌てふためく。
「落ち着きなさい」
と、ハンドルを握るハフシは冷静に国道を走り続けている。
白い巨体は、流れに乗ってゆっくりと。
「このアイアンナースは、軍用車と、ほぼ同じ頑丈さ。仮に突っ込んできたって、向こうが粉砕されるだけだよ」
「でも、どうやって、あの車を止めるんッスか? 車にはシレーナ先輩のバディが乗ってるんでしょ? 人質になって」
それが、一番問題だった。
警察としては、人命優先は絶対として動くだろう。それが建前だとしても、本音も、強制的にこちらへと回帰するだろう。
列車内連続通り魔の正体が現職警官。これだけでも落第点なのに、更に9名の警察官を射殺し逃走しているのだ。プロ野球なら上位浮上不可能なほどの借金。それまでの借金も合わせれば……御上は、この事件を満塁ホームランで片づけるなんてバカなことは考えていないだろう。ポテンヒットで点を獲得できれば、それだけでも御の字だ。
そのポテンヒットこそ、人質を生きたまま助け出す。
(だが、そうなれば必然的に……)
その時、ハフシのスマホが鳴った。
ワイヤレスで、イヤホンマイクに着信が入る。
「ハフシ」
――私よ。
耳に届いたのは、“聞きなれた”声。
「シレーナ?」
――グレイプニルが解かれた。
「!!」
その一言で、全てを察した。
やっぱり。
「わかった」
その一言は、今まで以上に重みを帯びる。
「今、どこです?」
――“セイソウ”の準備。そっちの様子は?
ハフシが口を開こうとした瞬間
「先輩!」
助手席のサンドラが正面を指差す。
向こうから迫る青い赤色灯。その先頭をダークブルーのBMW Z4が猛スピードで迫ってくる。
前方は交差点。進行方向は赤で、左右を車が行き交う。
「スピードを落とせ…事故る前に…」
ハフシの呟きも空しく、スピードをそのままに、Z4が交差点へと迫る。
横からの刺客に気づいたのは、信号待ちの車。左端のレーンに停まるタクシーが、危険回避のため歩道に乗り上げスペースを作る。
幸運にも、直前で全ての信号が赤。交差点は無菌室となった。
通過するZ4。ハフシの視界から消え去るのに数秒といらなかった。その後をパトカーが追いかける。
次いで交差点にアイアンナースが進入。
「舌噛むなよ! サンドラ!」
ギアを入れ替え、ブレーキ、アクセルを調整、ハンドルを切りながら、眼帯少女は巨体をドリフトさせ交差点をUターン。アクセルを踏み込み、Z4の後を追う。
緊急走行のパトカーを追い越し、アイアンナースがZ4の背後に付く。
「車は依然、23号を南下してる。今、奴の後ろに付いた」
――了解。
「どうする? このままじゃ、港に追い込まれる前に事故っちまうぜ」
話す彼女も、実のところ話なんてしたくない。
相手は80を軽く超える速度で走っている。
1台、また1台と一般車を抜き去るたびに、心臓がフリーズしていくのが嫌でもわかる。
「シレーナ!」
――今、どのあたりを走ってる?
「ラルーク南遊園バス停を…通過っ!」
――すぐに市道15号線と交差するわね。
「それがどうしたの?」
――好都合ね。車を箱の中に閉じ込める。奴を仕留めるには、それしかない。
瞬時に出た言葉を、ハフシは容易に理解できなかった。
だが、その理由が分かった。
すぐに、公の警察無線から指示が出た。
――市警本部から各移動。逃走中のBMW。これを「トークンモール・コデッサ」に誘導し、閉じ込める。国道23号ならびに市道15号付近の各移動は、ルート上の交通整備。コデッサ地区の警官はトークンモールの客の避難誘導。これを最優先で行われたい。
「えっ? そこって、ショッピングモールじゃないッスか。 んなとこに突っ込ませて大丈夫ッスか?」
驚くサンドラに、シレーナは言う。
――トークンモール・コデッサは、約10万平方メートルの敷地面積を持つ、グランツシティの中でも指折りの巨大ショッピングモールよ。それに、場所は市郊外。暴走しても被害は最小限に抑えられるし、マスメディアが来るまで、時間を稼げる。
「ということは……」
――そうよ。ハフシ。
すると、シレーナの声はイヤホンマイクから、警察無線へ。
――シレーナより“M”へ。全体への通達の通り、奴をトークンモールへ誘導、店内に閉じ込める。現在アイアンナースが、奴を追尾している。エル、メルビン。あなた達はトークンモールへ先行。残りは奴を箱の中へ追い込め。
すると、エルが無線で話す。
――なるほど。今回の任務は牧羊犬か…オーケイ。任せときな。
――頼りにしてるわよ。
そしてハフシ。
「シレーナ。タカヤは、どうする気だ?」
――さあね。
「さあ、って…あなた」
――彼はもう、こっち側の人間よ。どうなろうと、知ったこっちゃない。
すると、無線で地井が聞く。
――シレーナ。何をそんなにイラついているの?
――……。
――シレーナ?
――とにかく、時間がないわ。“私たちの仕事”をしましょう。
そう言うと、無線を切ったシレーナ。
ハフシも、感じていた。
無機質に近い返答。彼女が“いつもの”状態になっていることを差し引いても、タカヤの言葉が出た途端に、まるで力づくにボールを打ち返したような、粗暴な雰囲気が根底に感じられた。
(そう言えば、今日の電車の中で、タカヤに投げかけた言葉も、同じような棘…)
しかし、あれやこれやと詮索している時間は無い。
「先輩!」
サンドラの叫びに、ハフシは我に返る。
Z4に煽られた一般車が分離帯に衝突。2車線を塞いだ。
「くっ!」
とっさにハンドルを切り、衝突は回避できたが、Z4は尚も車を追い越し逃げ続ける。
また一台、事故を起こした。Z4の強引な割り込みにブレーキをかけた軽トラに、後続のセダンが追突。積んでいたビールケースがフロントガラスめがけて降り注ぐ。
それでもスピードを緩めない。
破砕しボンネットから流れ落ちるビールを踏み、轍を残すアイアンナース。ハフシが歯を食いしばりながらハンドルを切り交わしていく。
片目が眼帯で覆われているにもかかわらず、凄い瞬発力と洞察力である。
「サンドラ、市道との交差ポイントまでどれくらいだ?」
「もうすぐッス!」
彼女らの頭上を、青い行先案内標識が過ぎていく。
夕焼け空を反射する、青いそれが。




