42 「人質」
「ナギぃっ!」
そう叫び、イナミが背広下のショルダーホルスダーから愛銃、スプリングフィールド オペレーターを取り出す前に、ボブはズボンのベルトに挟んでいたS&W M36を取り出し、傍にいた刑事2名を撃った。
眼前にいた刑事の右太ももを撃ち抜くと、次いで隣の刑事の心臓を、至近距離で撃ち抜いた。
「くっ!」
互いに銃口を向き合わせたとき、イナミ側の手勢はもういない。
太ももを撃たれた刑事がぐぐもった声を上げ、その横でもう1人が、血だまりの中に倒れ即死。
「悪いね。俺も警部補も、決められた射撃訓練はぬかりなくやってるもんでね」
「そんな模範生なら、警察学校で習わなかったか? 拳銃を同職の仲間に向けちゃいけないってな」
「忘れちまったぜ。それに、もう遅いぜ。殺しちまった後に言われてもなぁ」
敵を減らして、ボブはご機嫌のようにうかがえる。
一方のイナミも、貴也のブレザーの襟を掴むと、こちらに寄せ、銃口をダイレクトに脳天に当てるのだった。
「こっち来いや」
おびえた彼は、ご丁寧に両手を上げ降参。
しかも不幸なことに、貴也は銃を持っていない。と言うより、生徒会の延長線上のような事が中心業務だった彼に、銃なの無用の長物。
どうやっても、貴也に反撃のチャンスはなかった。
「さて、これで形勢逆転だな」
「それはどうかしら?」
突然の声。
見ると、さっきまで意味不明のダメージを食らっていたシレーナが立ち上がり、両手で黒光りする銃を構えているではないか。
その銃―H&K USPは、華奢な彼女の手の中に納まるには若干大きいように見える。
「ほう…いい銃だ。前から思っていたが――」
「……」
「おまえ、一体何者だ?」
ナギが彼女と最初に会った時から抱いていた疑問をぶつけても、シレーナは黙ったままだ。
「普通のガーディアンなら、持ってる銃は警察の正式採用銃をベースにした、ガーディアン改造タイプのはずだ。グロックやベレッタみたいにな。
だが、お前の持ってるUSPは、基本的に軍隊に採用されている銃だし、俺の記憶が正しければ、この国の軍隊が採用しているハンドガンは、USPじゃない。お前……ただのガーディアンじゃないな?」
「!!」
イナミは一瞬、眉を動かしたが、シレーナは何ともなく彼に銃口を向けている。
人質に取られている貴也も、遅ればせながら、そのことに気づいた。
(まさか、西園が言っていた噂…)
シレーナへの猜疑心が、芽のように出てきた彼を横に、2人の会話は続く。
「そんなこと、お前に話してどうする? ナギ」
先ほどまでと打って変わり、冷えた言の葉が吹きかかる。
「ん?」
「もう“警部補”付けは終わりだ。今のお前は、無防備の女の子と、1人のガーディアンを手にかけた、ただの犯罪者よ」
「撃てるか? にわか警官風情のガーディアンが」
すると、シレーナの人差し指がゆっくりと、引き金に掛かる。
「試してみる?」
「ふん」
「知ってると思うけど、ガーディアンの銃は特殊な弾丸を使っているわ。性能、見た目、無機物への威力は実際の弾丸のそれと大差ないけど、一番の違いは“人を殺せない”こと。ただ、気絶級の痛みを味わうことにはなるけどね。
そんなに気絶したいなら、やってあげましょうか?」
ナギは唐突に笑った。文字通り可笑しく。
「この状況で、そんな拳銃が役に立つと思ってるのか?」
「……」
「さあ、撃ってみろよ。気絶する前に、俺はこの銃の引き金を引く。倒れたときには…分かるよな?」
相手も、引き金に指をかけた。
「なら、彼を離しなさい」
「その代わり、イージーノートをこちらに渡してもらう」
「なにっ!?」
腐っても、ナギはイージーノートの抹消をしたいようだ。もう、犯行が明るみになっているにも関わらず。
そのイージーノートは、彼女の腹部。スカートに挟んだまま。
ボタンをすべて外したブレザーが風になびき、ピンクのノートが見え隠れする。白いシャツを背景に。
「ダメだ、シレーナ! 渡すんじゃない!」
イナミが叫ぶ。
「お前は黙ってろ!」
「君も見ただろ。その中身を。そいつが、この国の治安のために、どれだけ大事なものなのかを」
「うるさい! さあ、渡せ! 今すぐにでも、コイツの脳みそをヤードセールにかけてもいいんだぞ?」
「やめるんだ、シレーナ!」
瞬きすらせず、一点を見たまま微動だにしていなかったシレーナ。
瞬間、彼女は目を閉じると、両手を解いて、天へ上げる。
右手にUSPをひっかけて。
「わかった …分かったから…」
降参の様子に、ナギは笑みを浮かべ、ボブの方を見た。
彼もまた然り。
「シレーナ!」と声を殺すナギに
「人命の優先。これが私の答えです」
「おい…」
「ご心配なく」
左手をスカートに挟んだノートへと伸ばし、それを見たナギが顎をクイッと動かして、合図を送る。
イナミに銃口を向けながら、ボブが後ずさりを始める。
ノートをナギの足元に置き、ゆっくりと背後へと、距離を開けていく。
近づくボブに、遠のくシレーナ。
シリ…ジリ…と、靴が床を擦る音だけが、響き渡る。
遂に彼がノートの傍まで来た。男が持つにはそぐわない、ピンク色のそれを取り上げ、丸めてズボンのポケットにしまった。
「さあ、彼を解放して」
「いいぜ……お前が死んでからなぁ!」
悪党らしい捨て台詞。
グロック17が彼女の元に伸ばされ、銃声が響き渡る。
「チッ!」
舌打ちを1つ。彼女はUSPを握りながら、近くの室外機の陰に隠れた。銃弾は彼女を掠め、床や室外機に命中する。
一方のイナミの方へは、ボブが銃撃を始める。
体を屈め、出入口裏に隠れた。
「畜生! ボカスカ撃ちやがって!」
ぼやくイナミは、踵を返しすぐさま反撃開始。
スプリングフィールドの撃鉄を起こし、引き金を引く。
「があっ!」
ボブが弾丸の装填をしている隙を狙って狙撃。右肩に命中し血しぶきが、夕陽の空に上がる。
その場に倒れ、傷口を押さえる。
「クソっ! 畜生っ!」
だが、問題はシレーナだ。
(タカヤがいたんじゃ、反撃できない。ったく、あのバカっ!)
「もういい! ボブ逃げるぞ!」
叫び声とと共に、出入口へと向かい始める2人。
ボブは死んだ刑事からグロック25を奪うと、イナミへ向けて撃ちまくる。
援護射撃を受けている隙に、ナギは貴也を引っ張って出入口へ。太ももを撃たれた刑事にトドメの2発を撃ちこむ。
隙に、シレーナが右手でUSPを構え、走りながら室外機から飛び出す。
バン、バンと乾いた音がこだまし、銃弾がナギめがけて飛んでいく。しかし、扉に被弾。気づいたナギは振り返って銃を向ける。
「やめろっ!」
とっさに人質になっていた貴也が両手で、ナギの銃を掴み上げた。
パァン!
乾いた音に、シレーナは咄嗟に床へ伏せ、銃弾は彼女の頭上を通過していった。
だが、力比べはナギの勝利。
貴也を振り払い、顔面にパンチを一発。鼻血を吹き出し、ひるんだすきに彼を引きずりながら建物内部へ通じる階段へと、姿を消した。
「くっ!」
銃を降ろしたシレーナに、イナミが近寄る。
「どういうつもりだ! 犯人の要求に一存で応じるなんて、お前らしく―――」
「ご心配なく。あのノートは偽物です」
「偽物でも、奴らの手から――は? 偽物?」
シレーナはあっけらかんとするイナミに、こう続けた。
「実はさっき、ユーカの家に向かおうとしたとき、ヘンな車に尾行されたんです。エルに頼んでナンバーを調べてもらったところ、車はボブ捜査官が所有する自家用車でした」
「つまり、ボブは君を尾行して、イージーノートを強奪しようと?」
「事故直後に荒らされた彼女の部屋に、あのイージーノート。だから連中は、ノートのためになら強硬手段に出る可能性があるって考えたんです。
まさか、刑事2人を射殺する程に、あのノートが欲しかったなんて、思ってもいなかったけど」
「どうする?」
「こっちは守備どおり行動します。大至急、市警本部に連絡してください。彼らは既に3人も殺している。この先、怖いものなしと言わんばかりに、罪を重ねるでしょう」
「分かった。で、本物のイージーノートは?」
「チイに頼んで、スイートクロウに」
それを聞くと、イナミは胸を撫で下ろしたが、シレーナは冷たく続けた。
「あの時、今すぐにでも撃ってよかった。でも、彼はもう“こっち側”の人間。ヘマをやって死ぬなんて不名誉な歴史は作りたくない」
「お前…」
「私はこのまま、彼らを追います。後を頼みましたよ」
そう言うと、再び銃を構え、出入口から屋内へ。階段を駆け下りていく。
階下では悲鳴と、銃声。
「やりやがったか」
廊下は地獄絵図そのもの。
肩や足を撃たれた警官が、うめき声を上げて転がっている。
至る所に血が飛び散り、ボブのS&Wだろう、薬きょうが落ちている。
足を撃たれ壁にもたれかかっている警官に近寄り、話を聞いた。
「突然、ナギ警部補が…私たちに…」
「彼らは?」
「エレベーターで…下に…」
そう聞くと、彼女はエレベータへ。
扉の横のスイッチ。傍にあるモニターは、箱が地下一階へ降りたことを示していた。
(確か地下一階には、資料庫と押収品保管庫。奴ら、保管庫の銃を強奪する気か!)
顔をしかめ、それでも彼女は突き進む。かつて警官だった2人の元へ。
エレベーターの傍から、戦場へと伸びる階段を勢いよく下りながら。




