41 「解決…?」
「ごたいそうな付け加えね。所詮は自分のため。それ以外は、罪を重ねる免罪符に過ぎない」
「言うじゃないか。私より生きてる年数は短いのに」
「年齢なんて関係ない。要は見てきたもの、積み重ねてきたものが、どれだけ大きいか否か。違いますか?」
シレーナの言葉に、ナギはが口を閉じた。
それでも、シレーナは続ける。
「伊倉ユーカが死んだ当日は、衣川駅に?」
「ああ。金を払うか否かの答えは、明日の朝まで待ってくれって猶予を求めたからな。その答えを、彼女は聞きに来た。今際の際に放った言葉は、彼女らしく脅し文句だったよ―――」
「私を葬ろうなんて無駄ですよ。気付いてますか、昨日から顔に書いてありますよ。“コイツを事故に見せかけて殺せば、金を払わずに済む”って。
今朝、ちゃんと鏡見ました?
まあ、いいや。今ここで私を殺せば、あなたの罪は自然と明るみになるわ。私の死はあなたの破滅と同意義なのよ」
「まさか、本当になるとはね…」
「成程。伊倉ユーカは、自分が殺されるかもしれないと感じていたのね。だから、あんな遺言を残した。頭に引っかかる奇妙な言葉を残して、自分が死ねば、熱を上げている恋人が即座に、殺害を疑う。そう睨んだから…」
「私は首を縦に振り、彼女を安心させた。一方的に金を渡す時刻と場所を言ってきたが、そんなもの関係なかった。
満足げな笑みを浮かべて事務室を出た彼女を、私は追った。
その時私の心を突き動かしていたのは殺意だけだった。すれ違う人たちが私に、こう囁いてくる。“やるなら今だ。今しかない”……気づいた時には、両手をブレザー姿の背中に差し出していた――」
そこから先は、言葉にしなくても理解できる。
結局、ユーカという女は悪人として金を欲し、死んでいったのだ。
「その後、物事は単純に行くと思った」
「そうね。あなたの誤算は2つ。1つは現場検証のどさくさに紛れて鍵を奪ったはいいものの、イージーノートを手にできなかったこと」
「もう1つは?」
そう聞かれて、シレーナは口元をゆるませて、こう言い放った。
「この私が現れたこと」
反応など予想できるものだ。
ナギとボブは鼻で笑った。
「自意識過剰が」
「その自意識過剰に、アンタは追い込まれた。違うか?」
刹那、レンズの向こうの眼光が鋭利さを帯びて、彼らの視界を貫いた。
笑みが消えた。
寒気がする。日没だからか。
その時、背後の扉が開き背広の男が3人。先頭を歩くのはシレーナの見慣れた男、否、数時間前に彼を呼び出したのだから、久し振りという言葉すら語弊が生じる。
「どうやら、本物だったようね。ミスター・イナミ」
「ああ。恐ろしいノートだよ。そいつは」
クイッと顎で示したのは、シレーナが持つイージーノート。
「そのようね。人を殺せる黒いノート以上だ。神より先に、この世界を浄化できそうだ」
会話を交わすと、イナミは背広の内ポケットから一枚の紙を出す。
「ボブ・スタータ。逮捕状だ」
「そんな…」
「銀龍会の下部組織、糸麦商会の構成員が、お前の名前を吐いたんだ。RMT絡みの資金洗浄に一枚絡んでるってな。全て、あのイージーノートに記載された通りだ。明日にでも、四課が糸麦商会と銀龍会に家宅捜索を行う。もう終わりだ」
これで、事件は幕を閉じた。
リッカー53の犯行動機も、そう長くないうちに片付きそうだ。
「さて、事件は終わった。帰るわよ」
膝をつき俯く貴也に、シレーナは話しかける。
「……」
「ロダンの彫刻じゃないのよ。そこで終始へたり込んでいる気?」
「なぜだ…」
「ん?」
か弱く放った言葉に、シレーナは耳を傾けた。
「こんなことになるなら、ユーカが逮捕された方が、俺の心も曇ることもなかった。清々しく彼女を忘れることができたはずだ。なのに…なのに…」
地面を掴む手に力が入り、それが拳になった時、喉の奥から絞り出すように声を上げた。
「どうして、誰も止めようとしなかったんだ! 誰かが彼女を止めてればこんな―――」
「寝言は寝て言えや」
突然、シレーナの言葉が冷たくなった。否、まるで背後からナイフを喉元に突きつけられたよう。
その様子に、彼が見上げると、シレーナはそのまま、明後日の方を見ながら続ける。
「簡単な話よ。誰しも、自分が可愛い。可愛くて可愛くて仕方ない」
「なん…だと…」
「私に逆上するのはお門違いよ。今言ったのは、この世の中を構成する断片の1つに過ぎないわ。誰しも自分の事で頭も心も精一杯。誰かを見捨てて、自分を守ってれば、全ては丸く収まる。何の報酬も無しに、自分を犠牲にして、何かを守ろうだなんて考えるのは、ライトノベルの主人公が関の山よ。
分かる? あなたが“それ”を望むことは、アニメの美少女キャラが朝起きたらベッドで添い寝しているラッキースケベを望むこととどっこいなのよ。
浅ましく、お笑いで、限りなく永久的にゼロの事象」
すると、貴也は反論した。
「それじゃあ、この世の中には、残酷しか残らないじゃないか」
「ようやく気付いたのね。そうよ、この世界には残酷しかないの。それに気づけない奴の末路は、3つしかない。騙されるか、犯されるか、殺されるか。
アンタは、この瞬間、その3つから逃れる準備ができたって訳で」
刃のように突きつけられるシレーナの言葉。
全くその通りだ。異論はない。
現にユーカも、ここにいるボブとナギも、同じなんだ。
「でも…それでも…俺は、希望を捨てたくない」
「おめでたい頭ね。そう思う根拠は?」
「彼女は…ユーカは俺を“愛してる”って言ってくれたんだ!!」
刹那!
「っ!!」
ドクン!
シレーナを動悸が襲い、心臓が締め付けられる。
まるで、鶏を縊り殺すように。
「シレーナも覚えているだろ? ユーカは最後に“タカヤ、愛してる”って言って切れた。本当に“心の底から誰かを愛して”なきゃ、あんな言葉は出ないだろ!」
「うっ…くっ…」
今度は胃が。
刹那、彼女の脳を映像がよぎった。
モニターに映されるワンシーン。
愛し合う2人……平和な日常……幸福な家庭……夢を語る子供……
それが砂嵐を挟みながら出てくる度に、耳元で誰かが叫ぶ。
■■■■!■■■■■■!■■■■■■■■■■!
目を逸らしたい。逃げたい…でも、体は動かないし、瞬きすらできない。
お腹に衝撃が走る。股間を乳房を誰かに蹴り上げられる。
口から数多の液体が出るたびに、抜けそうなくらい髪を引っ張られ、頬を力一杯殴打される。
いやだ…いやだ…どうすればいい?
一つしかない。逃げるの。
逃げるには…逃げるには否定しなきゃ……否定しなきゃ!否定しなきゃ!否定しなきゃ!否定しなきゃ!否定しなきゃ!否定しなきゃ!否定しなきゃ!否定しなきゃ!否定しなきゃ!否定しなきゃ!■■しなきゃ!■■しなきゃ!■■しなきゃ!■■しなきゃ!■■しなきゃ!■■しなきゃ!■■しなきゃ!■■■なきゃ!■■■なきゃ!■■■なきゃ!■■■なきゃ!■■■■きゃ!■■■■きゃ!■■■■きゃ!■■■■きゃ!■■■■■ゃ!■■■■■ゃ!■■■■■ゃ!■■■■■ゃ!■■■■■ゃ!■■■■■■!■■■■■■!■■■■■■!
「―――っ!」
胃の奥から何かがこみ上げてくる感覚が、シレーナの身体を襲う。
痛みを感じない彼女は、機械的に―この記憶がラべリングする意味に従って―彼女の身体も同時に、動作を起こした。
目を見開く。
前かがみになる。
両手で口を塞ぐ。
「シ、シレーナ!」
彼女の様子がおかしいことに、貴也も気づいた。
「どうしたんだ! シレーナ!」
同時にイナミも。
「まさか、あの発作が!」
ボブに手錠をかけんとしていた時だった。イナミと、彼が引き連れてきた刑事2名も、彼女の方を向いた。
「どうしたんだ?」
その隙に、背広に引っ込ませたナギの腕が、一気に貴也の頭へと伸ばされた!
気づいた時はもう遅い。
「全員動くな!」
ナギの右手にはグロック17が握られ、銃口が貴也の脳みそをいつでもぶちまけられる位置に置かれていた。
「っ! ……サイアク!」




