40 「ユーカという女」
2日前
花菱鉄道衣川駅
夕方ラッシュ直前、警邏に向かおうとしていた私の前に、制服姿の少女が現れた。口元のえくぼが、私に与えた第一印象だったよ…ああ、そうだ。貴也が言ったように優しそうな印象さ。
彼女は、ガーディアンのIDを出して「話がしたい」と言ってきた。
だから私は、場所を駅の事務所に移したんだ。
…そうだ。恋人である君と、私が初めて会った、あの場所さ。
◆
「で、御用は何かな?」
「今日は、巷を騒がせているリッカー53について話に来たのです」
あの女は、そう話を切り出した。
「リッカー53は、今のところ鉄道公安隊の管轄だ。確かに女子生徒が被害に遭ってるから介入の可能性はあるが、今はこっちの管轄だ。残念だが」
すると、彼女は声を殺して笑った。
「事件の話ではありません。ビジネスですよ」
「ビジネスだと?」
「ええ。貴方にとっても、私にとっても有益な、ビジネスの話ですわ」
そして、彼女は単刀直入に、俺に“あの単語”を突きつけた。
「ナギ警部補。いえ、こっちの方がよろしいでしょうか……リッカー53」
瞬間に心臓が凍ったよ。
自分の犯罪が、絶対にバレない自信はあった。捜査員にはウソの情報、被害者には偽の犯人像の誘導を、防犯カメラ映像は、ボブを脅して全て改ざんさせたものを、科警研に持ち込んでいた。
何故だ、何故バレた?
いや、この女のハッタリかもしれない。
「ハッハハ。何を馬鹿なことを言うんだ? からかうのもいい加減に―――」
「私見たんですよ。あなたが女子高生のお尻をナイフで刺すところを」
「見た? ハッ、何を言い出したかと思えば」
すると、彼女は言った。
「12日前の53号列車、前から数えて3両目、進行方向右側の2番扉。走行区間は白苑駅を通過した直後…あの日は、始発に起きた英欧橋駅の信号トラブルで、10分ほど遅れて電車が走っていたわね」
全て当たっていた。
確かに12日前、北百合線は英欧橋駅の信号トラブルで遅延していたし、何より、私の、その日の警戒担当は53号列車、3両目の進行方向左側2扉。
扉だけは違っていた。否、何よりそこは……私が女子生徒を手にかけた場所だった。
「乗客の隙間から見えたんですよ。あなたがバイホ女子学園の制服を着た女の子のお尻を撫でまわした後、ズボンのポケットからナイフを取り出して、スカートの中を一突きする瞬間をね」
「……」
「全く、驚いたわ。騒ぎが起きた後、あなたが現場を指揮していたんだから」
「……」
「その後は簡単だったわ。指揮を執ったってことは、犯人は現職の警察官。ガーディアンのデータベースを経由して調べたら、あなたが出てきたって訳。
ああ、逃げるなんて無駄なことしないでくださいね。あなたの犯行の一部始終は、こちらに撮ってありますから」
そう言って、あの女は自分のスマートフォンを取り出した。
「そんなハッタリ、簡単にのるかよ」
「では、ご自身の目で確かめてみては?」
こっちに向けたスマホの画面。
確かに映っていたよ。
私が女学園の子のスカートに、ナイフを差し入れる場面が。ご丁寧に顔入りでね。
◆
「スマートフォン? この国で流通している携帯電話は、スマートフォンに限らず、どのメーカーもカメラにシャッター音の強制機能がついているハズですよね」
かといって、混雑した電車内で消音機能付きの写真アプリを起動したとは考えにくい。
すると、崩れていた貴也が、再び口を開いた。
「シレーナ。ユーカのスマホは、北米仕様のiPhoneだ」
「成程。消音機能の付いた海外モデルだったって訳か」
ならば、イージーノートに添付されていた写真の説明がつく。あのノートには犯行の瞬間や、疑惑を証明する写真が幾つも貼ってあった。プロのカメラマンならまだしも、一般の女学生が、撮影すら発覚しそうな場所でも写真を撮れたわけ。それが消音機能付きのスマホで撮影されたものであるならば、辻褄が合う。
更にナギは
「スマホなら、あの事故のどさくさに紛れて、俺が破壊したよ。データ復元すらできないようにね」
と言って、話を続けた。
◆
言い逃れはできなかった。
「何が望みだ? 金か?」
「それ以外にあるんだったら、こっちが聞きたいわね」
一気に、冷たい口調に変わった女は
「要求は100万」
「100万だとっ!」
「あら? 特別価格ですわよ? あなたは、もう5人以上を手をかけているでしょ? 正体がバレれば、あなたは重罪になるのは目に見えている。それに公務員のペイを上乗せしても、とっても優しい要求じゃないかしら? 仮に不祥事続きの警察が、事件をもみ消したとしても、恐らくは依願退職の形で警察を放り出される。無論、退職金なんて一文も出ないでしょうね。で、次に事を起こしたときは一般人として、取調室に連行されることになる。
金を払って、このまま警察官と痴漢を続けるか。それとも、金をケチって、朝のワイドショーを総なめにするか。選択は2つに1つよ」
もう、逃げ道はなかった。
金をせびれば、確実に牢屋行だ。警察が事態をもみ消したとしても、それは変わらない。
かといって、こんな奴に金を払えば、私は一生カモにされる。飼い殺しだ。
この先、どうすればいいか決められずにいた。その時だった。
「優柔不断な男ね。あなたの部下は、とっても物わかりのいい人でしたのに」
部下? 俺の部下も強請られているというのか。
「ボブ・スタータ巡査。あなたの班の隊員ですよね? 御存知でしたか? 彼、ジャパニーズマフィアと絡んで、どす黒い取引をしているんですよ」
ああ、知っているとも。そのネタで、私も彼を強請ってる。強請ってるからこそ、今の私が、正体不明のリッカー53という犯人像があるのだ。
そうか、この女もアイツを…だから、あの電車に乗っていたのか。
「おや、知っていましたか。そう顔に書いてありますもの。
瓢箪から駒とは、このことですね。彼からペイを徴収しに来たら、新しい財布が現れたんですから」
そう言うと、彼女は笑った。無垢な子どものように。
恐ろしかった。無垢程恐ろしいものは無いと、昔誰かが言っていたが、その通りだ。
その日は回答を控えた。明日、改めて来てくれと言って、その日は彼女を追い払った。
私はその足で、ボブに事実を聞くと、1か月前から脅されていたこと、今までに3回合わせて200万程を要求され支払ったこと、脅迫以外にも売春まで手を出しているようなことも匂わせていたこと…伊倉ユーカについて、見聞したことを、彼から聞いた。
◆
「200万?」
単純計算で1回約67万。だが、支払ったのは事実だろう。裏付ける証拠は一つ、ユーカの家にあった日本製のハードディスクレコーダー。改めてシレーナが調べると、発売は約3週間前という新製品で、価格はおよそ30万。それがあったということは、ボブから巻き上げた金で購入したのは容易に想像できたからだ。
カラーギャングを脅しても、こんな金は入らない。売春ならば可能性は無きにしも非ずだが、自分の体にリスクがかかる方法を、この女が取っていたとは考えにくかった。
あのマンションの家賃も、恐らく幾分かは。
「なぜですか…ボブ捜査官」
突然、貴也が声を上げた。
「どうして、ユーカに屈したんですか! 彼女はガーディアンだ。相談するのは警察じゃなくていい。教科省にでも、この事実を――」
「話してどうなる? 俺はヤクザと取引してるんだぞ? 喋ったところで、連中に殺される。だったら、金を払って生き延びた方がいだろうよ」
「……」
◆
翌日、同じ場所で彼女に問い詰めた。
ボブから聞いた話は、全て事実だった。
「そこまでして、金が欲しいのか! お前は」
「ええ。欲しいですよ。所詮、世の中金ですから」
「……」
「あーあ。女に生まれて、本当によかったわ。これほどの武器を、私は最初から持つことができたんですから」
「どういう意味だ?」
すると、彼女はフフッと笑うと、こう言いやがったんだ!
「どうして、女性は美貌を持ち追い求めていくのか。どうして、女性は輝くものに目がないのか。どうして女性は男より背が低く、可愛い仕草をするのか。どうして、女性は下にも“口”があるのか。分かりますか?
……答えは“お金”ですよ。馬鹿で単純で奴隷としてでしか生きていけない“男”って生き物から、金を巻き上げて豊かになるため、自分が未来永劫輝くために、神様が与えたもうた、すばらしい機能なのよ。
男が性欲のために女を欲するように、私もお金が欲しいのよ。金こそ正義。金こそ人生を豊かにする有価証券。そして、女を引き立たせる至極の存在!
初めてカラーギャングから金を巻き上げたとき、初めて代議士に体を売った時、それを身を持って感じましたわ」
そう話す彼女の目は、濁りきっていた。治安に関わる人間の目じゃなかった。
「だったら、大人しく自分の体で――」
「男って、やっぱ単純。いい? 女の身体ってね、アンタたちが思う以上に高貴で、純正なのよ。そこを勘違いする連中が多いわ。特に、アンタらみたいな痴漢野郎はね。
どうせ、自分で女に話しかけられないし、触れることもできないから痴漢するんでしょ?」
「……」
「別に、アンタが痴漢を続けようが、止めようがどうでもいいわ。私が何かされたわけじゃないし、やられた女の子は、所詮それだけの価値だったってことよ。
私はお金が欲しい。あなたは罪がばれなければいい。あなたが捕まっても、脅されたって言えばいいですしね。それで――」
以降、何を言っていたか、覚えていない。
ずっと頭の中を巡っていたんだ。
この女は危険だ。どうにかしないと…。
そして、私は決心した。俺のために、部下のために、他の脅されてる奴らのために、彼女をこの手で殺すことを―――




