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セルリアン・スマイル ~その痛み、忘却~  作者: JUNA
Smile1 ガーディアンの女 ~Desperate or hopeless encounter~
39/129

39 「崩」

 

 突然の言葉に、目の前が真っ暗になった。


 自分の信じていた、愛していた人が脅迫者?


 殺されたのは、口封じのため?


 「ウソ…ウソだ…」

 「それだけじゃない。彼女はガーディアン法規において、重大禁止事案に触れる行為もしていたわ」

 瞬間、彼の中に安堵と一抹の不安が、同時に押し寄せた。


 “それは、あり得ない”という僅かな性善説と、心がプレスされさそうな曇った感覚。


 「な、何をしたっていうんだ? 酒も飲んでいないし、タバコも吸ってない。麻薬もだ。これで―――」

 「でも女子生徒の場合、そこに、もう1つオマケが付く」

 「や、やめろ……」

 認めたくない、もう一つの事実。それは…

 「不純異性交遊、つまり―――」

 「やめてくれーっ!!」

 漢字2文字が出る瞬間を、ヒステリックな叫びが遮り、交じり合ったそいつが、空へ地面へ吸い込まれる。


 つまり……売春。


 「伊倉カナ、大宮メグミ、遠坂アザカ…幾つもの偽名を駆使して、悪事を重ねていたようね。あなたのバディは」

 今の貴也に、シレーナの突きつけた情報が、心の許容量を超えた代物であることは明白だ。愛していた人が死に、必死に捜査して、彼女を殺した人物と対峙している貴也の精神と肉体は、既に限界に近かったのだから。だが、その最後の1本―精神と記憶と意地を繋ぎとめている1本の糸が、かつての恋人というマリオネットが崩れ落ちるのを、辛うじて引き止め、その最後の一本がシレーナの襟首を掴み上げた。

 「いい加減な事を言うな! ユーカが売春? 犯罪者を脅迫? そんな証拠がどこにある? お、おれの知ってるユーカは優しくて、笑顔が素敵で―――」

 「裏は取ったわ」

 「なんだと?」

 「今日のパトロール中よ。電車の中で話していたカリナ学園の女の子の話が気になってね。事情聴取の後に、聞いてみたのよ」

 「話だぁ? どこにでもある世間話だろ!」

 逆上する貴也に、シレーナはいつも通り冷静に。


 それが…それが貴也には我慢できなかった。死んだ恋人に同情や悲壮の感情を持ってくれとは言わない。だが、今回は我慢の限界だ。どこまで死者をなじれば気が済む!?


 「彼女たちの話では、伊倉ユーカと名乗る女子と、同じカリナ学園のグエルって男子が交際しているってことだったのよ。私も半信半疑だったけど、女の子経由で、件の男子から送ってもらった写真を見て、全てが核心に変わったわ」

 「出まかせを言うなっ!」


 すると、シレーナは自分のスマホを、彼に見せた。


 「なら、自分で確かめなさい」

 襟首から手を放すと、彼女の差し出したスマホをふんだくるように取り、その画面を見た。

 「―――っ!…な……え…」

 スマホを持つ手が小刻みに震える。


 ずっとずっと、見覚えのあった、いや、自分がこの世で一番好きな、ユーカの笑顔。

 その横、頬を寄せ合い、腕をこちらに伸ばして自撮りする見知らぬ男。

 だが、それ以上に信じたくないのは、この写真が撮られていたのが、ユーカのマンションで、背後は真っ暗な夜であるということ。


 「彼女は、あなたを家に呼ばないし、入らせようともしなかったって言ってたわね。当然だったのよ。他に男がいたから。イージーノートを見つけたトイレ。棚の上にあった生理用品ケースの底には、大量のピルが入っていたわ。10代の女の子が、一回の行為で使うには多すぎる量のね」

 「……」

 「それだけじゃなかったわ。ユーカはグエルの前では身寄りのない苦学生を演じていて、家に来たり、ホテルで楽しむ度に、生活費としてお金を無心していたそうよ。グエルの方も、所謂ボンボンだから、何の抵抗もなくお金を与えていたんだと」

 「……」

 「だからユーカは、タカヤとマイホームの間に壁を置いた。あなたと鉢合わせたら、折角の関係は台無しになる。ましてや、売春の現場が明るみになれば、現在の地位さえ失いかねない」


 認めたくなかった。「女々しい野郎だ」と言われようと、だ。

 しかし、まだ―――


 「じゃ、じゃあ、イージーノートは? あのノートが本物であるって証拠は―――」

 「出たのよ」

 自分のスマホをヒョイと取り上げながら、再び遮って突きつける。

 認めたくなかった。シレーナの推理が外れてほしかった。

 シレーナは、ノートを頭上へとかざし、その場にいる全員へと話を始めた。


 「このイージーノートには、脅迫した犯罪者のリストから、自分を売った時の金額まで、全てが細部にわたって書かれていたわ。正直、驚いたわね。リストの中には、ガーディアンが捜査中の、第一級容疑者、暴走族、カラーギャング、ワンパーセンター。それに、名高い地位のお偉いさん……怒涛の勢いで追加、更新される。正に、悪のウィキペディアね。

 でも、問題は、ここに書かれていることが果たして事実か否か。それを教えてくれたのは、タカヤ、あなたを昨日気絶させた奴よ」

 「え?」

 弱弱しい返答。


 ダーダネス・バローダ地区の駐車場で、シレーナをレイプ目的で襲った、あの集団。

 シレーナが1人で倒した、あの不良たち。


 「連中、2か月前にひき逃げ事故を起こしてるんだけど、どうやら事故が起きた直後に、ユーカは連中を強請ったみたいなのよ。ノートによると“逃亡を幇助する代わりに、20万の現金を徴収”と書かれていて、ご丁寧に昨日私を襲った、あのワゴン車の写真まで付いてたわ。ハフシに頼んで、奴を問い詰めると、すぐに事実を認めたわ。

 “この事を誰かにバラせば、ひき逃げ犯として警察に突き出す。金の事は脅されて握らされたとでも言ってごまかす。ガーディアンなんだから、やり方はいくらでもある”って言ったそうよ」


 「う…そだ…」


 シレーナはゆっくりと、首を横に振った。

 「それだけじゃない。さっきのグエルって学生から取ったお金も、細かく書かれていたわ。改めて彼に確認したら、1円たりとも誤差は無かった」

 「そんな…そんな…」

 「タカヤ。認めたくないかもしれないけど、これが事実なのよ。これが彼女の、本当の姿なの」


 視点が定まらない。


 もう、何が本当なのか分からない。


 自分の記憶の中に生きていた、あの“ダイヤモンド”が、眼前の事実を受けてゆらぎ始め、それは確実になった。


 伊倉ユーカの正体。それは笑顔の綺麗な学園のマドンナではなく、欲と性にまみれた悪徳ガーディアン。


 シレーナを掴んでいた手は離れ、動揺に視点を小刻みに震わす貴也は、文字通り最後の一本が切れたマリオネットのように、ペタリとその場に崩れた。

 「残りの内容も、事実とみて間違いないでしょう。学園の自警団のような存在だった彼女が、いかにして警察やガーディアンの…いえ、国内のあらゆるパワーバランスをひっくり返しかねない情報と力を得たのかは不明ですが…話を戻しましょう。無論ですが、このイージーノートにはボブ捜査官と、ナギ捜査官の名前もありました」

 「くっ…」

 「ノートを見る限り、最初に載っているのは、ボブ・スタータ捜査官で、その内容は、ジャパニーズマフィア―ヤクザの関与したオンラインRPG内の仮想通貨を利用した現金取引。つまり、部署移動の原因となった事件に、再び首を突っ込んだと言う訳です。

  現在、報告を受けた本庁の捜査四課が、事実関係を確認中です」

 「……」

 「恐らく、ナギ警部補もこの事を知っていたのでしょう。いえ、ナギ警部補は、随分前からボブ捜査官の悪事を知っていたのでしょう。しかし、自分の犯行がばれそうになった時に、ボブ捜査官を脅迫し、自分の犯行にも加担させたのでしょう。事件を隠匿する代わりに、自分の犯罪を隠ぺいすることを手伝わせた。そこに、伊倉ユーカが絡んで――」


 「あの女が…いや、ここにいる馬鹿が目をつけられなければ…」


 ナギが憎悪と共に吐露した言葉。それを彼女は逃さなかった。

 シレーナは自らの推理を止めて、迫る。

 「では、認めるんですね? あなたが犯人であると」

 「くっ……」

 真正面を見て彼を問うシレーナに、ナギは下唇を噛むしかない。

 呟いた一言を、彼女が逃していなかったことを。


 「警部補。もう逃げるのは無理ですよ!」


 彼が馬鹿と言った部下も、盛大に白旗を振り上げた。上司の横で。

 彼女一人ならともかく、彼の白い御旗の下では、隠れもできない。


 「ナギ警部補」

 「…ああ」

 舌打ちも交えながら、彼は肯定した。


 「俺こそが、リッカー53の正体だ。そして、伊倉ユーカを殺したのも俺だ」


 吹っ切れたのか、笑みを浮かべながら、彼はシレーナへ、彼女の求めていた答えを出した。

 膝をつき、うなだれる貴也を見て、続ける。

 「そこにいるガーディアンさんも、相当参ってるみたいだな。おい、ゲロってお互い楽になろうや」

 「……」

 「信じたくないって顔してるぜ。お前…まあ、いいや。とっとと始めるぞ。どこから話せばいい?」

 ナギは、胸ほどの高さのある柵にもたれかかり、首をシレーナの方へ向けた。

 「伊倉ユーカが、いつ、どのように、あなたに接触したのか」

 「ほう。リッカー53についての話はいいのか?」

 「私たちは元々、伊倉ユーカの死について調べていたんです。優先すべきは、ガーディアンの介入した案件。それに――」

 「放っておいても、取り調べで話す事になる、ってか? まあいいや。あの女が最初に接触してきたのは2日前の話だ。夕方、俺が衣川駅の巡回をしているときに、あの女が現れた。どうやら、ボブを脅そうと、8日前、53号列車に乗っていたんだが、その時に俺の犯行現場を見ちまったそうだ」


 瞬間、貴也の中に心当たりが。


 「そ、そんな…」

 「タカヤ?」

 「ユーカ、8日前に学校に遅刻してきた…2日前も、俺に仕事を任せて早引きして…風邪を引いたもんで病院だって言うから…」

 シレーナの話は否定できても、本人が起こしたアクションは完全には否定できない。


 この瞬間、“ダイヤモンド”は“石綿”へと風化し、ボロボロと崩れていった。心に大きな痛みを生み出しながら。


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