38 「真実」
「いままで報告された、被害者の証言や防犯カメラの情報は、全て犯人たるナギ警部補が行った偽装工作…といっても被害者が嘘の証言をするとは考えにくい。恐らく事情聴取の際に、偽の犯人像に誘導したか、証言そのものを別のモノにすり替えて報告したか。可能性があるとすれば、恐らく前者。
防犯カメラにしても、ボブ・スタータ捜査官に指示を出し、自分が映っている映像を加工するように言ったんじゃありませんか? 元情報捜査課の捜査員であり、コンピュータ技術に長けたボブ捜査官なら、そして、リッカー53事件に関して第一線で追っていたあなたなら、これらの事を怪しまれずに行うことは可能です。
“all mirage. Magic of persona.”つまりあなたは、自分の立場を利用して、自分の犯罪を隠したんですよ。そこに伊倉ユーカは気づいた」
場所を屋上に移し、シレーナの追及は始まった。
しかし、開始早々、ナギは笑う。
「そんなバカな。第一、防犯カメラ映像だって、僅かながら残っているし、現に君達や捜査関係者に出回っているじゃないか。あれはどう説明するんだ?」
「無関係の人間でしょう。恐らく、防犯カメラ映像の中から、イメージに近い乗客を捜し出して、リッカー53の正体と説明した。防犯カメラに映らないのも当然です。最初っから、そんな人物はいないんですからね」
「そこまで言うなら、ぜひ聞かせてもらいたいものだね。私がどうやって女の子のお尻を刺して、逃走したのか」
動揺している素振りは無い。
シレーナは言う。
「簡単ですよ。だって……逃走してないんですから」
「なにっ!?」
その言葉は、貴也も心の中で叫んでいた。
「さっきも言いましたよね? 事件は、ナギ警部補が指揮する第三班が捜査している最中に起きていたと」
「まさか!」
貴也は声を上げた。
「そう。ナギ警部補は女の子を刺した後、自分が犯した事件の指揮を取ったのよ。“不審人物が逃走した”とでも言って、現場を混乱させてね。
パトロール外の4件も大方、同じような方法でしょう。偶然乗り合わせた体を装って」
「……」
「昨日、私の班の捜査官が、4件の事件に携わった公安隊員全員に話を聞いてくれましたよ。その全員が口をそろえて話したそうです。“ナギ警部補が、捜査に介入した。事件の指揮を取っているようなところもあった”ってね」
「じゃあ、教えてくれよ。俺が犯人で、リッカー53が虚構の存在だとしよう。どうして俺は、今日の事件で、リッカー53を追いかけるような、馬鹿げたパフォーマンスをしたんだ? まるで、俺が犯人だと言わんばかりの行いじゃないか。
それに、大切なことを見落としているぞ、シレーナ君」
「?」
「被害に遭った女の子は、黒いフードの男に襲われたそうじゃないか。その上、犯人のものと思しき凶器とフードが、ラルーク駅のごみ箱に捨てられていた。
あの電車に、確かにリッカー53は乗っていた。そこは認めよう。だが、それは俺じゃない」
「いいでしょう。では、あの時、電車内で何が起きていたか、説明しましょう」
そう前置きして、シレーナは話を進めた。
「先ずあなたは、車内を警戒しながら、ターゲットと死角を探した。あの時、車内4つドアのうち、両端のドアは私とタカヤで塞がれている。万が一にでも、犯行現場を見られれば、現行犯で一巻の終わりですからね。結果あなたは、死角となるポイントを見つけ、タカヤの傍での犯行を決めた。まだ私たちの仲間として入りたての、ルーキの前でなら、ベテランの私の傍よりリスクは少なくて済む。
そして、ターゲットとなる女の子を選んだあなたは、衣川駅で一旦下車。自分が疑われるなど、万が一のために所持していた黒いフードを被り、ナイフを持って、再び53号列車に戻った。どうして衣川駅からなのか。それは、私たちが立てたプロファイリングを聞いたからよ。衣川~ラルークは今までの犯行統計上、そして逃げ場のない駅の構造から、犯人が動かないと私たちは考えていた。でも、あなたは、そこを利用した。私たちの警戒が心理的にでも薄くなる、この区間に目を付けたのよ」
「……」
「電車が衣川駅を出発した直後、あなたは被害者に手をかけた。伊倉ユーカの殺害で御流れになった昨日、そして今までの連続性だ、女子のお尻を嬲れれば、時間は関係なかったでしょう。それに、電車がラルーク駅に到着するまでに、あなたは何としても犯行を終わらせる必要があった」
「どういうことだ?」と貴也
「彼は私たちの心理だけじゃなく、私たちが用意した情報そのものを、全て逆転させて犯罪に利用したのよ。
犯行後、混雑した電車内は1人の女生徒の登場で混乱を起こす。下半身から大量の血を流し、満員の53号列車で倒れた女の子。そのタイムリーすぎる状況から、誰しもがリッカー53が現れたと考えたはずよ。無論、私たちもね。
でも、その場に巷で流れている特徴に合致する人間は見当たらない。具体的でない恐怖程、恐ろしいものは無いわ。不安と恐怖が高まっていく中で、あなたはフードを脱ぎながら「リッカー53を見つけ、追いかけている」と叫び、人混みの中を歩いていく。その行動、言葉が、目に見えぬ恐怖に追い打ちをかけて増幅させていったのよ。相手はナイフを持っている。なのに姿がどこにも見えないんですから。
そして電車の連結部分に到達したあなたは、一旦扉を閉め、フードに付いた毛や皮膚片を素早く払い、血の付いたナイフをくるんで、背広の内ポケットにしまった。それが終わると、最後の総仕上げに、犯行のあった車両と、その隣の車両の扉を開けて叫んだ。
みなさん! 気を付けてください! 刃物を持った連続通り魔が、車内を逃走中です! と。
心の中の不安が頂点に達し、事件のあった車両にいる乗客はパニックを起こす。その様子を見ていた、別の車両の乗客も、その言葉が本当であると信じ込んだ。正に、パニックの伝染ですよ。
こうなれば、凶悪犯の魔の手から逃げんと、必然的に全ての乗客が次のラルーク駅で下車する。狭い曲線ホームと、1つしかない改札口への階段めがけて、まるで洪水のように。
けが人が十人単位で出た、今回の混乱だ。その場にいた捜査官の誰しもが、この雑踏に乗じて犯人が駅から出たと考えたでしょう。電車から運輸指令センターを通じて、警察に通報が行くまで幾分かのタイムラグが発生しますから、外で警官が待ち構えていても、事態を冷静に収集するのは難しい。最後に、現場の混乱に乗じて、反対側のホームに行き、フードとナイフを捨てる。
こうして、あたかもリッカー53が女の子を襲い、ナギ警部補の追跡を振り切って、逃走したというシナリオが完成するわけですよ。ボブ捜査官が駅の防犯カメラを回収して、凶器を捨てるナギ警部補の映像を削除すれば、尚完璧な状態が生み出されると言う訳です」
怒涛の推理が終わっても、ナギは余裕の表情。
「その結果、私は左遷されるんだよ? 今回の監査委員会も、焦点は犯人追跡が妥当だったかどうかだ。もし、私が犯人なら、こんなバカげたことはしないよ。だって、もう電車に乗って女の子を襲えないんだから」
「ええ。そうです……だから、それが理由だったんですよ。この事件から安全かつ合理的に足を洗うために」
「!!」
「本当は、もっともっと女子生徒を襲いたかった。でも、それが突然、難しくなってしまったんです。
理由は伊倉ユーカを殺害してしまったこと。それによって、鉄道公安隊のみならず、ガーディアンや他の部署の捜査官も事件に介入することとなった。
彼らが、リッカー53に関する一連の不審点、殺した伊倉ユーカが気づいた事柄に、警察組織そのものが気づくのも時間の問題。
そこであなたはワザと、捜査中に失態を起こして、鉄道公安隊から、この犯行から足を洗おうとしたんです。怪我人が大勢出る大規模な事故が起きれば、処罰は免れませんからね。それに、警邏中の電車内での犯行を防げなかった点。他の部署に飛ばされるだけの失態は満たしている。
大方、その後辞表を出して、逃れるつもりだったんでしょうが」
それでも、彼はひるまない。
「だったら、証拠を見せろよ。俺が、そんな大それたことをしたって証拠をな」
「それならありますよ。衣川駅の防犯カメラ映像が」
「馬鹿め! 駅の防犯カメラは回収済みだ。そこには何も――」
「ダメですよ。見落としは。ホーム端の防犯カメラ映像を、回収し忘れていましたよ?」
「なにっ!」
「タカヤ」
首をクイッと動かしたのを合図に、彼女の後ろにいた貴也が、タブレットをいじりながら、ナギの方へ近づく。
画面には、ホーム端の防犯カメラ映像。以前話した、あの映像だ。
「デジタル処理を施しました」
不審な影にズーム。
荒い画像に最初の処理。まだ荒い。
2回目。荒さが取れてきた。
「結構大変だったみたいですよ」
3回目、4回目…
「処理担当の子、扁桃腺の腫れが取れたばかりの病み上がりだったんで」
5回目。
「…っ!」
狼狽。その単語で表現できるほど、ナギの表情は追い詰められていた。
タブレットに映る姿。
それは、黒いフードを、まるでチューリップハットを被るかのごとく、両手に持ったナギ警部補の姿だった。横顔どころか、服装、髪型まで、今タブレットに釘付けになっている、そのまんまの姿。
映像を動かすと、ナギ警部補はフードを被り、踵を返して電車に乗る人混みの中に消えた。
「スーツ姿の人間が、ジャケットのフードだけを頭に被る―それも、凶悪犯警邏中の警察官が行う所業としては、とても不可解なものですよね? どういう訳なのか、このフードは、今どこにあるのか、説明してもらえますか?」
反論が飛び出さない。彼は画面を見たまま微動だにしないのだ。
沈黙が風に乗って流れる。
手を震わせるナギに、表情を変えないシレーナ。その眼鏡のオーバルフレームが、夕陽に輝いた。
「け、警部補…」
ボブの一言が、ナギが貯めていた全てを、一気に決壊させた。
その場にタブレットを叩き付けると、背後にいたボブの首根っこを、般若の形相で掴み上げた。
駅長室で最初に出会った、ひ弱そうな捜査官の面影はない。顔の筋肉と言う筋肉が、怒りという感情に従って最大限に引きつっていたのだから。
「テメエ! ガキ如き相手に、どれだけ醜態晒せば気が済むんだ! あ?」
「は、放してください」
「お? この期に及んで俺に命令か? 元はと言えば、お前の所為だろうがぁ!」
それは完全に、自白と捉えて申し分ない状況だった。
貴也は画面に“クモの巣”が張ったタブレットを取り上げると、シレーナの元へ。
「でも、分からない。犯行動機は何なんだ? どうして女の子のお尻をナイフで?」
「さあ。でも、過去のわいせつ事案と謹慎処分、それから強迫的な精神面が、何らかの形でかかわっているのは確かね」
「それに…それにだよ…まだユーカの事が残ってる」
貴也は抵抗のある言い回しで、逃れられない疑問をぶつけた。
「彼女は、ナギ警部補が、リッカー53であることを突きとめたから殺されたのは分かった。でも、それなら、誰が彼女の部屋を荒らしたんだ?」
「無論、ナギ警部補自身よ。現場検証と検死のどさくさに紛れて、彼女の遺留品から部屋の鍵を拝借し、ガーディアンのデータベースにアクセスして住所を調べ、彼女の家に行ったのよ。あなたが屋上に来る少し前かしら。イナミから連絡があってね。伊倉ユーカが死亡した少し後に、ナギ警部補のIDコードで、伊倉ユーカについて検索した履歴が出てきたそうよ」
「でも、どうして部屋に行く必要があったんだ? 自殺に偽装するなら、その場で遺書でも置いておけば―――」
「そこよ、タカヤ。私がしつこく覚悟を聞いた、その理由がこれよ」
そう言って、シレーナはスカートに挟んでいた手帳を取り出し、頭上に。
「これですよね? あなた方が、血眼になって探していたのは」
首を絞めていたナギの目が、一瞬で変わった。
まるで欲しかったトレーティングカードを見つけた、あどけない少年のよう。
一方のボブは、絶望の眼差しへ。互いに動揺しているのは一目瞭然。
「イージーノート…つまりは“金づる”ノートってわけね」
「金づる?」
貴也には、一体何を言っているのか分からなかった。
「このノートの内容があったから、私の推理は確信に迫ることができたって訳」
「推理…確信…」
すると、シレーナは彼の目を直視して、こう言ったのだ。
「タカヤ。伊倉ユーカはね…何人もの犯罪者を脅迫していたのよ。汚れた副収入を得るために」
「じゃあ…ユーカが死んだ…本当の理由って…」
「リッカー53の正体に気づいたから殺されたんじゃない。リッカー53を―ナギ警部補を脅し、金を巻き上げようとして、口封じに殺されたのよ」




