37 「犯人」
PM5:09
ケルヒン地区
ケルヒン東署。
ダーダネスト・バローダ地区の北東に隣接する地区。
かつて29分署と呼ばれた東署に、事務的なものだが鉄道公安隊のデスクが構えられている。国鉄を管轄とする鉄道公安隊であれば、駅構内にデスクを構えているが、彼らは私鉄路線の管轄。地区内で比較的大きな署内に、事務機能を置いていたのだ。
夕陽が建物を、仄かな茜色に塗りあげている。
正面玄関前に行燈を載せた、黄色いクラシックカー・ベンツのキャブが停車。中から監査委員会を終えたナギ警部補が出てきた。
息を一つ吐き、それまでいた窒息しそうな場面を振り払っているところへ、見覚えのある車が現れる。
ダークブルーのBMW Z4が駐車スペースに停まると、中からスーツを着た30代くらいの男が現れ、ナギはそっちへと向かう。
「ボブ、ノートは?」
その男、ボブ・スタータは首を横に振った。
「いえ、どこにも」
「何をやってるんだ!?」
いらつく感情を押さえようにも、最早限界。
Z4のタイヤを蹴り上げ、声を荒げた。
だが、それは彼自身も同じだった。
「伊倉ユーカの立ち回りそうな場所は、全て調べました」
ボブもイライラする心を、上司にぶつけんと何とか喉元に抑え、反論する。
「学校もか?」
「少なくとも、回収したガーディアンの備品の中には…第一、あんなものを学校に置いておくとは、到底思えませんよ? 下手をすれば、あのノート1つで彼女の身が滅びかねないんですから」
「でも、あの女は死んだ。今度は俺たちの身が滅びかけているんだぞ!」
今に怒鳴りそうな状況。そこへ市警のパトカーが現れ、横の駐車スペースへ入った。
ここではマズイ。そう感じた2人は警察署へと入る。
市民受付を横に、建物を奥へ進む2人。
少年課の前を通りかかった時、ナギの足が止まり、何かに憑りつかれたかのように、機械的に首を動かし、目を向ける。
眼前には1人の女子校生。机の下に伸びる脚は、だらしなく大股に開いている。それを知ってか知らずか、彼女は不機嫌そうにスマートフォンをいじくる。
椅子にも深く腰掛けていない。前にだらんと体を放り出している。
机で見えていないだろうが、向かいに座れば下着が丸見えだろう。
ナギは、そんな彼女を呆然と見ていた―否、その表現は語弊があるだろう。口を半分ほど開き、幾度と生唾をゴクリと飲み込んでいる。
「警部補…」
ボブは、これ以上話しかけるのをやめた。
知ってるのだ。今のナギに何を話しかけても無駄だと言うことを。
全ての神経が、隠された部分へと集まっていた…。
「ナギ警部補」
「!!」
その声で我に返らされた。
廊下の向こう。そこには朝と同じ、十文字館の制服を纏ったシレーナと貴也が。
何も見なかったように、彼女に背を向ける。
「君のおかげで、監査委員会にかけられたよ。どう転んでも、俺は異動だ」
「……」
「これで、リッカー53を追う事も、捕まえることもできなくなったわけだ」
「ご心配なく。貴方だけが“警察”ではありませんから。腐っても、この国にはまだ、優秀に部類される警察官はいますしね」
「…何しに来た?」
シレーナの言葉が、相当癇に障ったのか、ぶっきらぼうを通り越した棒読みで、彼女に問うた。
「私はガーディアンです。捜査をするのは当然の権利でしょう」
「権利だ? 犯人を逃しておいて、どういうオツムをしているんだか」
すると、彼女は微笑した。
「それは、貴方じゃないんですか?」
「は?」
シレーナは続けた。
「いえ。実は昨日、私の仲間にリッカー53が起こした一連の事件を洗わせたんです。すると、面白いことが分かったんですよ。
多くの事件が、ナギ警部補率いる鉄道公安隊第3班の捜査中に起きているんですよ。該当しなかったのはたった4件でした」
「まさか、お前…」
「ええ。今日私たちが警護に着いた、もう一つの理由」
明白だった。
「俺たちの中に、犯人がいる…と?」
「そう考えれば、何故犯人が53号列車でしか犯行を重ねなかったのか、そして、犯行が行われた車両が、どうして限定されていたのか概ね説明がつきます。
もし、第三班の誰かが犯人であるならば、そいつは痴漢警戒中という中で自ら犯行を重ねていたことになる。まさか、痴漢からか弱い乗客を助けるはずの警察官が、切り裂き魔に変貌するとは誰も思わないでしょうし、混雑した車内では、誰が警官かなんて分かるはずがないでしょうから。
それに、痴漢を捉えるプロフェッショナルである、あなた方鉄道公安隊なら、犯人がどこで、どのように動き、どう逃げるかも手に取るように分かったはずですからね。今回の犯人のプロファイルにおける、“警察の動きを熟知している人間”という点に否が応でも合致する」
すると、ナギは大声で笑った。無機質な天井に向けて。
「面白い冗談だ。私たちの中にリッカー53がいると? それはいったい誰なのか、聞かせてもらいたいものだね」
シレーナもコクリと頷いて言う。
「もちろんですとも。しっかりとした証言も得ていますからね」
「証言?」
「今日、被害者にあった女の子が、突然カウンセリング中に怯えたんですよ。その時彼女は、こういいました。
“部屋の外に、犯人がいる”と。
しかし、その時部屋の外では、監査委員会も一区切りしたあなたが、病院にいる部下に電話をかけていた時でした」
「では、その部下の中に犯人がいると?」
「それは無いでしょう。その時部屋にいた看護師の話では、最初に男三人の声がした時、彼女は平静だったと、異変が起きたのは1人が“拡声ボタンですね”と言い、4人目の声が聞こえてきてから、突然体を震わせて、過呼吸になったと」
その途端、話し合いに参加していなかった―否、あの防犯カメラ画像を見た貴也でも、その疑惑は確信へと変わった。
「じゃあ…」
「そうよ。タカヤ…いえ。今の状況では、こう聞くのが正解かな。
そうとしか、考えられませんよね。ナギ警部補」
「……」
「貴方がリッカー53。そして、伊倉カナ殺害事件の犯人」
瞬間、貴也の身体を電流が走った。
しかし、当の本人は
「馬鹿馬鹿しい! どうして鉄道公安隊員の俺が! 第一、俺は今日の事件で、リッカー53を追いかけていたじゃないか! これをどう説明するんだ?
俺は確かに、混雑した車内で、黒いフードを被った男を―――」
「その姿自体が嘘…いえ、蜃気楼であり、あなたが罪から逃れるために作りあげた“まやかし”だったとしたら?」
「なに?」
「“all mirage. Magic of persona.”生前、伊倉ユーカが“サホガワタカヤ”に遺した最後の言葉です」
瞬間、ナギの表情が引きつった。




